07 クリスマス休暇:前(母が腱鞘炎なので病院にも潜入できました)
この季節は毎日が曇り空。週に一度程度、太陽が顔を覗かせた日はつい窓を開けてしまう。
気温が下がり始めた夕方。空が白んで、ああ、明日からまた曇りかと少し残念に感じた。
そろそろ時間かと、窓を閉めるついでに外を覗く。自室の窓から門扉が見えるのだ。
今日もアデライードが門番と話をしているのが見えた。
いつも近隣で起きた事件や事故、門番が気になった事を少しだけ話して、それから私の部屋にやってくる。
「ごきげんよう」
休暇中は大体夕方の時間帯に来る。
鼻の頭を赤くしたアデライードはコートも脱がずに着席した。
勝手知ったる他人のお家。火鉢が近いその椅子はアデライードの指定席状態。
私の椅子も火鉢の近くで、アデライードとは対面ではなく、並んで座る。
「今日も門番と話をしていたでしょう?」
加湿を兼ねてヤカンは火にかけたままにしている。
いつでもお茶が飲める様に、ワゴンにお茶セットを用意してあるから、ポットに湯を注いでヤカンに水を足した。
もぞもぞと手袋やマフラーを取り終えたアデライードが不満げに言う。
「見ていたんですか? はしたないですね」
アデライードにだけは言われたくない文字列である。
もちろんそれはわざと発した言葉で、ふふ、と笑いながら逆さまに置いてあったカップを返した。
「最近、旅行者なのか、ご近所で見かけない人がふらふらしているそうですよ。帰りは早めにと注意されました」
「君の家の門扉までうちの門番を付き添わせていいよ」
なにせお隣同士だ。心配したなら最後まで見届けさせよう。
「うちの門番の方が戦闘力が高くありませんか? 大声で呼んだら来ませんかね?」
門扉から門扉だと歩いて十分はかかるのでそれはちょっと難しいかもしれない。
カップにお茶を注いで一息。ようやくコートを脱いだアデライードは、それではと、当たり前に本日の報告を始める。
何度も言うけれど、頼んでいない。
クリスマス休暇中のアデライードは、絶好のボランティア週間だと、嬉々として教会や病院、児童養護施設通いをしていた。
もちろん目的はカトリーヌ。
教会は炊き出しがほぼ毎日。
餓死者が多い時期だけれど、第一王子の政策をナタリーが上手く回している様で、物資は確保できているそうだ。
「そういえば、貧民街の方はどうなったの?」
少し気になっていた。
「親のいない子供は養護施設に、微妙な年齢の子供は本人の希望で残っていますね。食料はナタリー様が予算の範囲内で、餓死者がでない程度には配給の目途がたったとか」
「それは凄いね」
感心して言うと、アデライードは誇らしげに、自身で得た情報を提供してくれる。
「ナタリー様は数量計算に関する能力をお持ちなんですって! 三手先までなら数量が分かるから、こういった事業の運営は得意分野かも知れないと笑っておいででした」
どういう意味か聞いたら、本人にも詳しくは分からないらしい。
十個のパンを三日間配るとして、一日に三個か四個配るのが普通だと思う。
ナタリーの場合、その個数によって三日目までの残り数が変動して分かるのだそう。ちょっと理解が難しい。
差し入れがあったり、追加補充が来たり、そういう確定していない数字が分かる、らしい。
「一日で半分以上を配ったり、ギリギリで配ったりされますから、事情が分からないと心配になりますけれど。間違いなく、問題なく、回っていますね」
三手先までの制約は難しく、始めた頃は失敗も多かったが、今では完璧に能力を使いこなせている様だ。
「そういえば、児童養護施設長のシモン様とお誕生日が一緒なんですって。仲良く盛り上がっていらっしゃっいました。それを見たカトリーヌ様が不機嫌そうにされていて嬉しかったです」
「そういうのは口に出さない方がいいと思う。シモンって、汚れが落とせる人だよね?」
「出しませんよ、ここ以外では。そうです、どんな染み汚れもピカピカの人です」
心の底から嬉しそうに笑ってお茶を飲む。
「餓死者はともかく、凍死者も出るんじゃないかと話が出ていたでしょう?」
一昨日そんな話を聞いた気がする。
「薪の問題と結論がでまして。貧民街の方々が、今日から森に入って木や石を集めているそうです」
森も国が管理しているから、簡単には入れない。木の伐採になればなおさらだ。
許可証をすぐに発行して、騎士団にでも引率させているのだろう。
今からでもできるだけ木や石を集めて、少し広い部屋を用意して、冬の間みんなで過ごすそうだ。
第一王子からの提案で、役に立ちそうな城の廃棄物資も提供したらしい。
彼らにとって、蝶番やネジなんかの金属素材は贅沢品だ。ひと冬なら曲がっていても錆びていても問題ない。貧民街の方々は喜んでいるそうだ。他は布類。城では掃除用の布でも貧民街の人間には一張羅に化ける。
「石って懐炉用? 鍋に入れて湯沸かしもできるんだっけ?」
懐炉用の石は私も持っているが、石工が形を整えた物を購入している。
外出時に専用の袋に入れて持ち歩くのだけれど、その辺りに転がっている石でもいいのだろうか?
「そうですね。小さな石は持ち歩きできますし、大きな石は部屋の隅に置くだけでも室温が違いますから。湯沸かし、は。ああ、水に熱した石を入れるお話ですか? 蒸し風呂の応用ですね。まぁ、あれば何かと便利ですよね。ただ、高温になると割れる種類の石があるので判別が必要です。貧民街のみなさんには判別がつく様ですけれど……適当に拾って使用してはいけませんよ?」
最後に子供を見る様な目。
買う必要がない物か気になっただけで、やろうと思ったわけではない。
「火があるならと、食糧支援の方もパンではなく小麦にしたり、価格を下げる工夫もしていらっしゃいましたね」
そういうのが、三手先なのだろう。
改めて感心したんだけれど。
「カトリーヌはどうしたの? いつもなら真っ先に話すでしょう?」
名前が出た程度で、カトリーヌの話をしていない。
アデライードは少々考える。
「説明が難しいのですけれど」
「うん」
「なんだか嫌な感じがするんです」
相変わらずの鼻血色とは別の嫌な感じらしい。
「たとえば?」
「そうですわね……」
鼻の頭を指で持ち上げて、
「こう、顔立ちの整った子供を見ると、物凄く褒めるんです」
それだけ聞いても嫌な感じはしない。それより顔立ちの整った子供は鼻が上を向いているのか?
「アデライードも顔立ちは整っていると思うけれど」
「慰めは結構ですよ」
今度は両頬を摘まんで横に広げて、それからため息をついた。
「アタクシはギフトのせいで青や紫、赤に見えていますでしょう?」
ああ、と思う。
すべては理解できないけれど、自分とは違う見え方をしているのは分かる。
アデライードはすくっと立ち上がって、私の前まで来ると、
「あなた綺麗な瞳をしているのね! アイオライトみたいだわ!」
顔を両手で挟んで上を向かされる。
アイオライトは私の瞳の色に似た石で、アクセサリーに加工されている事もある。でも、それほど高価な石でもない。
「微妙じゃない?」
そういえばギフトを使っていても、私の事はスミレ色に見えているんだっけ。
今は、能力を使っているのだろうか?
じっとアデライードを見つめると、アデライードはまだまだ考えている。
「なんて愛らしいのかしら! 女神さまみたいだわ! スミレの花みたいに可憐で……」
どうやらさっきからカトリーヌの真似をしているらしい。
言葉に詰まったアデライードは、諦めたのか顔から手を放して適当に言った。
「手折って、摘んで、枯れるまで丁寧に水を変えて飼殺したいわ」
「怖っ!」
「なんとなくそういう、裏がありそうな全力褒めをするんですよ」
困った様な苦笑い。
本当に説明ができないのだろう。
シモンとも懇意な間柄らしく、明日からは午前中に児童養護施設で勉強会だそうな。
本当に話だけ聞くといい人だな。近くで見ると言動がひどいのに。
「教えられるのかな?」
「簡単な読み書きであれば大丈夫でしょう」
これには私も苦笑いだ。
「病院は?」
「やはりハリエット様が側にいないと使い物にならないですね。騒ぐばかりで、患者を不安にさせますし、治療もなさいません」
ハリエットが付き添えば機嫌よく治療するそうで、患者が多い日にハリエットが付き添いをお願いしている状態らしい。体力を温存するために存在している感じかな。
自発的に行きたがる事もなく、行けば嬉々として治療に当たるのだから謎である。
「そうそう、炊き出しは別の場所でも開始するそうですよ」
指を折りながらアデライードが部隊構成を教えてくれた。
ナタリーとニコラスは今まで通り教会での炊き出し。
クレマンと婚約者のサブリナで、隣街の下層区域。これには護衛のミゲルも同行。さすがにミゲルの婚約者は留守番だろうけれど。
第三王子のケヴィンにも指示が出たようで、婚約者のタチアナと、まさかの貧民街。
「大丈夫なの? 危なくない?」
「第一王子の政策のおかげで貧民街は協力的なのです。第一王子の護衛の方もご一緒するようですし、配給だけでその場で調理はしないそうなので、問題ないでしょう」
タチアナ様も護衛扱いですし、と付け加えたのは聞かなかった事にしよう。
あの鉄扇は防御だけではなく攻撃にも使われていそうだ。
怖いので話を変えようか。
「児童養護施設のクリスマスってどうするか聞いてる?」
この質問にはアデライードはにっこり笑顔。
「教会と併設されていますから、二日間は午前中に一般参加者とミサですね。讃美歌を歌うので猛特訓中なんです。とても可愛らしいですよ。お昼に炊き出しをして、その時にクッキーをプレゼントする計画があります。子供たちには当日まで秘密ですけれど」
シモンも夕食後にお茶の時間を設けるつもりだと言ったとか言わないとか。
なかなか自分だけの物を貰えない子供たちだ。
一人づつ個別包装されたプレゼントは嬉しいだろうな。
「アタクシも当日は教会のお手伝いをして、それから家で過ごします」
アデライードの両親は警備兵と刺繍職人だ。今の時期は忙しく、クリスマスは久々の団欒になると喜んでいる。
「ですから、ここに来るのが遅い時間になってしまうのですが、宜しいですか?」
「え? 来るの?」
「遅い時間では問題がありますか?」
毎年クリスマスの日は朝に顔を出して、翌日の夕方まで顔を見せなかったのだが、どういう心境の変化だろう。
余程ご両親がお疲れなのか。心配したが、そういう訳でもない。
「いつもよりほんの少しの夜更かし、楽しそうではありませんか」
どうやら児童養護施設の夜のお茶会が羨ましくなった様だ。
たまには学生らしい発言もするらしい。
笑う私に、アデライードも目を細めて笑う。
「当日はプレゼントを持って来ますね」
うん、クリスマス、楽しみになって来たな。
顔には出さないが、アデライードのプレゼントもすでに注文済みなのだ。
結局当日に渡す事は出来なかったんだけどね。
***
クリスマスの夜。
アデライードが持参した手造りのクッキーを口にして、数分。
ぐらりと視界が回り、座っているのも困難な状況に陥った。
「まぁ。アタクシったらついうっかり。神経毒を混入しました」
綺麗な棒読みに反論する元気もなく、ひじ掛けに縋り付いて体が停止している事を確認する。
ついうっかりで混入できる神経毒があってたまるか。
「病院に行った方がよさそうですね。いま人を呼びます」
パタパタと部屋を出て行くアデライードの足音は聞こえるが、もうなにもできなかった。
----
次回 クリスマス休暇:中
12/22 23時更新予定です。