06 学期末試験(試験の順位はど真ん中狙いです)
教会での一連の出来事を話したアデライードは、
「難しい問題ですけれど、」
と言葉を区切り、到着したばかりのニコラスへ視線を向ける。
「事前に取り決めた規範通りにすべきという考え方も、社会的に正しいと思いますわ」
あの後は私が思った通り。誤解や不平等が起きない様に残り食材は貧民街へ寄付で決着した。
私のせいではあるけれど、食材はすでに運んでしまったし、運営側の半数以上がナタリーに賛同していたのは大きかったと思う。
ハリエットは後日貧民街に足を運び、ナタリーがそれに付き添ったとも聞いた。
ニコラスも数人の孤児に戸籍を作るなど尽力していたらしい。
それでも、あの時にナタリーを止めたニコラスは、現在もいわゆるカトリーヌ派とされている。
本人の意思とは無関係に、他人の考えによって決まった印象には、ニコラス自身も困惑し続けていた。
視線が集まる中、ニコラスは一度うつむいてから顔を上げる。
いつもは七対三にしっかりと分けた髪も乱れ、眼鏡が光を反射してその瞳は見えない。
深呼吸ともため息ともとれる息をはき、紡いだ言葉はカトリーヌへの問い。
「目の前で誰かが怪我をしたらあなたはその誰かに優しくするとおっしゃった。でしたらあの時姉の意見に賛同しなかったのはなぜです?」
カトリーヌは大きく目を見開いて大きな声で返答する。
「目の前の人に優しくしたじゃない! あの場に貧民街の人はいなかったわ!」
その発言はどうかと思うけれど、納得している人も一定数。
たとえば、世界中の人を救えないから視界に入った人だけは助けると決めて生きている、とか。そういう人がいてもいいとは思うけれど、カトリーヌからはそういう筋の通った信念は感じないかな。
サブリナは頭が痛いとばかりに額に手を当てて瞑目している。
クレマンに至っては何を思ったのか、
「報告書にまとめるなら分配の不備となるのは当然だ。サブリナ、君はカトリーヌのなにが悪かったというんだい?」
などと言いだす始末。
騒がなければ何事もなく終わって、貧民街の人が少しだけ助かる、そういう話だったのだ。
こんなのが王子で本当に大丈夫なの? なにかあっても第二王子だけは推せないな。
しかもサブリナの悪行を暴くためにアデライードの話にのったはずのクレマン殿下。
なぜかサブリナの返答を待たずにニコラスに憤慨。
「規則だ規定だと、常日頃うるさい君が一体どうしたんだ? 身内可愛さか? 君とカトリーヌの意見は一致していたんだろう?」
いや、おまえがどうした? 身内可愛さなの?
隣でカトリーヌが首を縦に振っている。
ニコラスとしてはその場を収める方を優先しただけだろうに。
別にカトリーヌと同意見ではないと思う。
アデライードがにたりと笑ってニコラスが返答する前に割り込んだ。
「恐れながらクレマン殿下。ニコラス様はカトリーヌ様とお勉強会を開く程仲がお宜しいんです。友人同士遠慮せずに本心を述べたのだと思いますわ。ね? カトリーヌ様」
もちろんマイクを活用。
すかさずカトリーヌが話にのった。
「殿下、ニコラス様はいつもアタシにこーゆーサバサバした対応なんです! 最初は照れ隠しかとも思ったんですけれど、思ったよりも親しく思っててくれてたみたい! 嬉しいわ!」
わぁ。もう黙って?
先程から返答できていないサブリナを伺うと、絶対に口は開きませんとばかりの無表情で半眼。
あれ? これは私が知らされていないだけで何かの時間稼ぎ?
アデライードだけがひどく楽しそうに、
「これは余談ですけれど……」
などと勉強会の話を始めるので、どうやら私の気付きは当たっているみたいだ。
先に教えておいてほしかったかな……。
***
学期末試験が終わり、再試験通知を受けた生徒たちが絶望色に染まっていた。
容赦なく落第させる校風である。
逆に私みたいに飛び級をしている生徒も結構いる。
同学年と言えど年齢はバラバラ。
何事もなく進級したアデライードが十五歳。私が一番年下の十三歳で、私が知る限りハリエットが一番年上の十七歳。
別に彼女の成績が悪かったわけではなくて、聖女の勉強を優先させて入学が遅れたせいだけど。
再試験通知を受けたカトリーヌは確か一つ上。つまりどこかで一度留年しているかもしれない。
真っ青な顔でハリエットに詰め寄っている。
「どどどどどうしよう!」
「申し訳ありませんが、わたくしも、成績は振るいませんので」
「振るい? どういう意味?」
「……パッとしません」
言わせないでさしあげて!
そうは言ってもハリエットは再試験ではない。教えるだけの学力がない旨を伝えたい様だがカトリーヌには通じずで、何度も似た様な会話を繰り返している。
なんでそんな話を聞いているかと言えば、アデライードに付き合わされているからだ。
クラスの違うカトリーヌが再試験だと騒ぎながら入ってきて、その後をアデライードが追って来たのだ。
放課後の教室の隅、存在感をなくしての観察中。
「わぁ。ニコラス様、間が悪い」
アデライードが抑揚なくつぶやいた。
かばんを取りにでも戻ったのだろう、ニコラスは少々お急ぎのご様子。
それを視界に入れたカトリーヌは、駆け寄ってニコラスの前に立ちはだかる。
「っ!? なんです?」
驚いて立ち止まったニコラスにカトリーヌはにこりとほほ笑んだ。
「再試験になってしまったんです! 助けてください!」
ニコラスはくいっと眼鏡を持ち上げて暗く笑う。
「言動もアレだと思っていたけれど、君は本当に頭が悪いんだな」
先日の教会の一件から、ニコラスのカトリーヌに対する言葉使いはある意味でとても砕けていた。
「なによ! ちょっと頭が悪い方が可愛げがあっていいでしょう? 教えさせてあげるって言ってるのよ!」
カトリーヌがたゆんたゆんと縦に揺れて怒るので、ニコラスは視線に困ったのか、傍らのハリエットへ顔を向ける。
「ご友人なら何とかして頂けませんか?」
「わたくしの学力では、如何ともし難く」
ニコラスは本当に急いでいるらしく、壁の時計を確認して足をタンタンと鳴らしていた。
「留年しちゃうわ!」
「すればいいだろう? しっかりと内容を把握して次に進むべきだ」
「認定されていないだけで聖女のお仕事を手伝ってるのよ? アタシも忙しいの! 勉強している暇なんてないの!」
「え? ハリエット様も再試験ですか?」
「いいえ。わたくしは問題ありません」
「では君の頭が悪いんだろう」
「だ・か・ら! 教えさせてあげるってば!」
仲良しだなぁ。とぼんやり眺めていたら、ニコラスの方が折れた。時間に追われていたせいか。
明日から再試験の日まで放課後の時間帯に一時間だけならと条件を付けてはいたけれど。
「アデライード。ひょっとして……」
「アタクシたちもお勉強しましょうか!」
そういう事になった。
***
再試験のない私は本来自宅学習期間で、休暇中と同様に家庭教師が来る。
だから放課後の時間帯に合わせて登校するはめになった。
校内にある自習室は、再試験の生徒が必死で勉強に励んでいるので、ちょっと申し訳ない気持ちになる。
カトリーヌとハリエットも時間を見つけては勉強をしているらしい。つけまわしているアデライードは二人がよく観察できる席で読書のふりをしていた。
「お疲れさま」
本日で三日目。
声をかけてアデライードの隣に座ると、本日ここまでの報告を受ける。
別に私は求めていないのだけれど。
午前中は二人で病院に。昼にハリエットと別れてカトリーヌは児童養護施設へ。ついでにハリエットは王宮で会議に出席していたらしい。こちらはつけまわしていないので会話からの推測だって。
聖女って忙しいんだね。
ニコラスも王宮や第二王子、第三王子のところへ顔をだしたり、自習室で書き物をしていたりと行動はまちまち。放課後の時間帯なら体を空けやすいだけで、こちらも忙しいのだろう。
忙しなく席に着いて、試験用に特化した感じで、暗記する部分とその使い方を教えて、そそくさと帰っていく。
ご苦労さまです。私も似た様な状況なんだけどね。
「あら?」
自習室にそぐわない大きな声でカトリーヌが声を上げた。
視線の先には第二王子護衛のミゲルが座っている。
護衛職だけあって、ミゲルは声に反応してカトリーヌを目視確認。視線が合ったのでひと睨み。
カトリーヌはパチパチと瞬きをして立ち上がり、ミゲルが座る席に歩を進めるが、当のミゲルは困惑した様子。
隣で勉強を教えていた女性がミゲルの視線を追って首を傾げている。
「誰?」
どうせ知っているだろうとアデライードに訊ねれば、
「ミゲル様のご婚約者でマデリーン・ド・マリエール様です。ミゲル様と同じく一学年上ですわ」
と返って来た。
興味があるわけではないので、ふぅん、と気のない返事をして観察に戻る。
私もアデライードに毒されているかもしれない。
「こんにちは。今日は護衛のお仕事お休みなんですかぁ?」
カトリーヌはミゲルだけを見て声をかけた。
ああ、とミゲルが脱力したのが分かる。
クレマンの護衛と分かって興味を持たれたと思った様子。
「殿下ならもう下校された。俺は校内での護衛だからな。……済まないが取次ならすべて断っている」
そっけなく答えるミゲル。よくある事なのだろう。
カトリーヌは眉尻を下げて両手を合わせ、大きな声で言う。
「そうなんですね! 護衛のお仕事をしていると成績を維持するのも大変ですよね! アタシも聖女のお仕事で勉強する時間がなくて! さっきまでニコラスに教えてもらってたんです!」
さすがに視線が集まった。
顔も事情も知らなければ二人が同僚みたいな発言だ。そしてカトリーヌは聖女で、財務大臣の息子を呼び捨てにする様な関係ともとれる。
ミゲルは黙って机の上の物をひとまとめにして掴み、立ち上がった。
入学の日も騒ぐ生徒をさばけていなかったし、場を鎮める能力は低いのかもな。咄嗟の行動は悪くなさそうだけれど……。
「失礼する」
簡単に告げ、それから隣に座っていたマデリーンへ顔を向けるが、マデリーンはまだ立ち上がれる状態ではない。
うん。関わらずに立ち去ろうとしたのは正解だと思う。連れがいなければね。もうちょっと考えた方がよかったよね。
マデリーンは慌てて机の上の物を片付け始めた。
ミゲルの様にひとまとめにして掴む握力はないだろうしね。
仲良く勉強をしていたところを邪魔されて、ましてや成績を維持するのも大変だなどと言われて。マデリーンは物凄く不満顔。
カトリーヌは時間ができて嬉しいのか、楽しそうにミゲルへ言う。
「もう勉強はいいんですかぁ? 留年したら同学年ですね!」
隣でアデライードが、歓喜! と小声で悶えているが反応してはならない。
ミゲルは一瞥しただけで視線を逸らしたが、怒ったのはマデリーンだ。
「あなたこそ留年するかもしれないのでしょう? 成績の維持が出来ていない様ですし、それに、」
声こそ荒げなかったが、きっぱりはっきり。
「聖女、聖女とおっしゃいますけれど、わが国の聖女はそちらにいらっしゃるハリエット様だけだと認識しておりますわ。慎まれては?」
ミゲルに短く行きましょうと告げ、そのまま歩き始めた二人に、カトリーヌは叫んだ。
「ひどーい! アタシはこの国から病気とか怪我で苦しむ人がいなくなったらって頑張ってるのに! 第一王子のお仕事だってお手伝いしているのよ! 学業がおろそかになったって……仕方が……ないじゃない……!」
後半は泣き声だ。
一瞬足を止めかけたマデリーンを、ミゲルが腰に手を回して進ませる。
カトリーヌ相手だと悪手かもしれないな。なんとなくそう思う。
それでハリエットが困った顔で慰める。
「お話をする距離感が、よろしくなかったかも、しれません」
つまりはなれなれしかったよと。
「ぐすっ。そうかしら? 手を伸ばしても届かない距離だったでしょう? うっうっ」
相変わらず会話は成立していない。
同室にいる生徒たちはもちろん聞き耳を立てている。
「今は勉強よりも治癒の能力に集中したいのよ! ハリエットを手伝えるでしょう?」
「今でも、とても助けていただいて、いますよ」
うん。少なくともカトリーヌが治癒の能力を使える事が肯定されたよね。
カトリーヌを泣かせて帰ったのは第二王子の護衛の人? そんな声があちこちから。
それから、お可哀そうに。と、なんでか分からないけれど泣いているカトリーヌへの同情と。
彼女も治癒の能力が使えるなら二人目の聖女だ。そういう驚きと。
好き勝手な会話が飛び交っている。
アデライードは満足気に笑んだ。
「盛り上がってきましたわね!」
なにが?
***
「そういえばミゲル様のご婚約者さまにも泣かされていらっしゃいましたね。あの時はまだ再鑑定前でしたから、二学期が始まってからもうわさが絶えなくて。大変だったでしょう?」
コロコロと笑いながらアデライードはカトリーヌへ聞く。
「そうなのよ! クリスマス休暇が終わるまでは何かと大変だったわね。貶してくる人もいて!」
答えて最後はクレマンへ上目遣い。
クレマンはもはや話の趣旨さえ忘れているかもしれない。ああ、と頷いて、
「お茶会の原因になった事件だろう?」
と、話を始めるのだった。
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次回 クリスマス休暇:前
12/18 23時更新予定です。