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否定され続けてきた男の最期

 俺が生きていた中で、肯定されることは1度もなかった。


 両親が幼い頃に離婚し、父親に引き取られた俺は常に父から否定され続けた。勉強も、スポーツも、どんなに頑張っても否定され、逆に妹は全て肯定されて生きてきた。


 交遊関係を否定され、アルバイトは否定こそされなかったが良い顔をされず、大学進学は当たり前のように否定されたが、数少ない反抗でそれは進学こそできたものの、俺はある出来事から大きく大学生活を躓くことになった。


 否定され続けた俺は、いつの間にかマイナスのことしか考えられなくなってしまっていたのだ。やることなすことネガティブに考えてしまい、ポジティブに考えるやり方などさっぱりわからなくなっていた。


 結果、まるで空気のような扱いをされ……いや、それだけならまだ良かった。空気どころか苛められる対象にいつの間にかなっていた。


 暴力や恐喝なんて日常茶飯事、だが、それでも俺は、それすらももはや当たり前と思って生きてしまっていた。もはや重症の末期患者のネガティブ人間だった。


 それからはもはや生きてるのが不思議な位だった。大学は精神失調で退学し、奨学金で通っていたためにそれを返すためになんとか就活するも、大学中退の、それも三流大学の退学を退学するような人間を雇ってくれるような奇特な企業はあるわけもなく全て失敗した。


 せめてとも思いアルバイトを掛け持ちもした。接客やレジ対応など、バイトの中では褒められることも少なくなかったが、今度は体質だった生来の汗っかきが不幸を呼び、消臭剤や服を定期的に交換したりと色々対策したが結果、汗くさいとクレームが多数でクビになる毎日。


 そして先月、俺はついに帰る家すら失い、もはやホームレスとして生きるしか無くなっていた。

 生活保護の申請も、あの父親が生きてることでそれも通らず、ホームレス等殆どいないこの街でホームレスへの配給等があるわけもない。


 もはや俺の人生は完全に詰んでいた。四方八方どこにも道がなく、目の前はただの冷たい冬の川が見えるだけ。途中あった公園の水道でなんとか水分は繋いできたが、もうすでに栄養失調でいつ死んでもおかしくないほど、俺の体は痩せこけていた。


「……最後に食べたのって、なんだっけな」


 空腹に目眩がしながら思い出すが、もはやまともに食事をした記憶すら曖昧で、自分の限界が近いことなど言われるまでもなく分かっていた。


「……雪が降ってきたか」


 ちらほらと見え始めた白い粒に遠い空を見上げる。もはや意識の感覚を保つことすら難しい。座った高架橋の土台のアスファルトに背を持たれかけ、最後の時を今かと待ちわびる。


 後悔しかない人生だった。誰にも肯定されず、否定しかされず、助けてくれる人間に出会うこともなく、ただこうして孤独に最後を迎える。後悔しない方が不自然だった。


「ああ、1度で良いから、肯定される人間になりたかったな」


 せめて来世というものがあるのなら、そしてもし同じ人間に生まれたら、奴隷でもスラムの浮浪児でも種類は問わない、ただ自分という存在が誰かにとって必要な存在だと肯定される人生を送りたい、それだけを願っていた。


「そこの人、そんなところで寝たら風邪を……あれ、良く見たら先輩じゃないすか?」


 そんなささやかな最後を邪魔したのは所謂婦警というやつだったが、すぐにその声が俺の数少なかった高校時代の後輩のものだと分かった。


「……そっちこそ、人をいきなり不審者扱いは酷すぎるだろ」

「あ、やっぱり先輩だったっすね。ていうか、そんなところで寝てたら誰だって不審者だって思うっすよ」

「そうか?……あぁ、そうだな」


 昔のようにおどける彼女に、俺はもう殆ど動かない頬をなんとか動かして笑って見せる。


「警官、なれたんだな」

「っす。それもこれも先輩が勉強を教えてくれたからっすよ」

「殆ど教わらなくても出来てた人間がなに言ってるんだよ」


 懐かしい過去の記憶を思い返すと、どうしてか出るはずもない涙が流れてきた。


「懐かしいな……昔お前にここ連れてこられたっけ」

「先輩が高二の冬でしたね。あのときもこんな天気でした」

「それから毎日のように俺に付きまとってきて、まるで小判鮫みたいだったよな。ちっこかったし」

「良いじゃないですか、先輩、アタシが居ないとボッチでしたし」

「ボッチは気楽で良いんだよ」


 なんでだろう、涙がずっと止まらないうえに、こんな時ばっかり楽しかった思い出が蘇る。そしてその全てが、目の前の後輩に関わることばかりで、酷く困惑した。


「先輩、約束覚えてるっすか?」

「約束……なんだっけ、それ」

「先輩の卒業式の約束っす」

「……あぁ、そういやそんなこともあったっけな」


 寒さで腕が震えそうになるのを必死に堪える。心臓の動悸も早鐘をうち、もはや自分の命の灯火が数分ともたないと自覚したからこそ、最後までそれを隠すことにした。


「アタシが警官になれたら、先輩と付き合うって約束」

「……今更ながら、とんでもない約束したもんだな、昔の俺は」

「まぁ、いわゆるアオハルというやつでしたし」

「けど、忘れててくれても良かったんだぞ。俺みたいな誰からも必要とされてない……暗くて陰気なボッチな人間と付き合わなくて良かったし」

「そんなことないっす!!」


 強い口調で否定する彼女に、俺は、思わず彼女の顔を見上げてゆっくりと目を開く。彼女の顔には大粒の涙が多数あり、その顔はくしゃくしゃになりながらも真剣だった。


「先輩は確かに暗くて陰気なボッチだったのは否定しないっす。けど、誰からも必要とされてないなんてないっす!!」

「……そんなわけ」

「アタシには、先輩が必要だったっす!!誰からも笑われて夢見がちと馬鹿にされてきたアタシを、この場所で馬鹿にしないで褒めてくれたのは先輩っす!!頑張れって言ってくれたのは先輩っす!!馬鹿だった私に懇切丁寧に一から勉強を教えてくれたのは先輩だけっす!!」


 そう言って俺の服を掴む手に力が入り、彼女は俯きながら続けた。


「本当はアタシ、警察学校に入学した日に先輩に見て貰いたかった。先輩のおかげでこうして頑張れたって見てほしかった。けど、いつからか先輩の携帯は繋がらなくなって、聞いてた大学の寮に電話してみれば退学したって聞いて、今こうして会えたのだって、本当の本当に偶然だったんすよ」

「……そうか」

「こんなボロボロになって、痩せこけて、誰にも頼れず生きていくなんてあんまりっす!!理不尽っす!!せめてアタシにくらい頼って欲しかったっす!!先輩への恩返しぐらいさせてほしいっす!!」


 彼女の慟哭に呆れる。呆れるが、悪い気分じゃなかった。


 あぁ、自分を肯定してくれる人間は目の前にちゃんと居るではないか。そう思うと笑いたくなるが、どうやら、もう時間らしい。


「そっか、ならせめて……最後に……お前がちゃんと警官やってるとこ……見せてくれよ」

「先輩、手が冷たくなって……脈も……」

「安心……させてくれよ……でないと……化けて…………出るぞ?」

「……っ!!本部、河川敷にて意識混濁の男性を保護!!至急応援と救急車を求む!!かなり衰弱してもう脈が殆どありません!!」


 遠くなる意識の最中から凛々しい後輩の言葉を聞く。


「あぁ、今日は最高の夜だったな……」


 その最後の呟きが聞こえたかは分からない。だが少なくとも俺のなかでは今日これほど嬉しかった日はそうそうない。


 この日の深夜、俺は後輩に見守られてこの世界に別れを告げた。

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