マッチ売りの少女の値段はプライスレス
「このマッチを全部売るまで戻ってくるな!! いいな?!」
バタンと音を立て扉が閉じられた。
暖かな光は遮られ、私は北風にぶるりと震える。
私だってこんな家、戻りたくない。
家にいるのは酒飲みの父だけで、暖かく私を出迎えてくれた祖母はもういない。それでも寒さをしのげる家は生きていく上で必要な場所だった。
ぐっと泣くのを我慢して、私はマッチかご一つで、夜空の下を歩く。
「マッチはいりませんか? マッチはいりませんか?」
大通りに出た私はガス灯の下で声を出すが、身なりのいいものは馬車で走り去り、私のところで止まることなどない。
雪もちらつきはじめ、人通りもなくなっていく。
私は売れないマッチを持ちながら、少しでも風を避けたくて建物の近くに寄った。
家の中からこぼれる光は幸せの証だ。
優しいお父さんが暖炉に火を入れ、優しいお母さんが暖かなスープを作る。その愛情を当たり前のように受け入れる子供。
……うらやましい。
うらやましくても私は持っていない。どうしたら、まやかしでもそんなおとぎ話のような世界に行けるのかも分からない。
寒さが余計に辛くなって、私は売り物のマッチを手に取った。どうせ、こんなに沢山売れるはずもない。
シュッとこすれば、マッチには赤々とした暖かい火がともる。
ただしこれは優し暖かさではなく、触ればやけどをしてしまうものだ。昔、祖母が危ないからマッチで遊んではいけないと言っていたことを思い出す。
この火はどれだけ綺麗で暖かくても、その身を焼いてしまうものだから。
……でもいっそ焼かれてもいいから暖かさがほしい。もう、この寒さは嫌だ。
そう願っても、小さな火は直ぐに消えてしまう。
だから私は何度もマッチに火をつける。
すると不思議な光景が見えた。温かな料理、暖かな暖炉、沢山のプレゼント、そして――おばあちゃん。
『泣かないで……幸せになりなさい』
そう私と約束をして息を引き取った祖母。
祖母が抱きしめてあげると手を広げている光景が見える。でも私は彼女との約束を果たしていない。どうしたら幸せになれるのか分からないけれど、でも何も努力をしていないのに祖母に無理だなんて言えない。
「あと少しだけがんばってだめだったら、ゆるしてね」
どうせこれ以上悪くなんてなるはずもない。もう一度だけがんばろうと再び大きな道の方へ出る。
雪が降る夜だ。もう人なんて歩いていない。だから次に通った人に売ろうと決意する。
風は冷たくて、手がかじかみ、立っているだけで限界だ。
誰か。
お願い。
その願いが神様に通じたのか、雪の中歩いてくる人が見えた。
「すみません……」
私は最後の力を振り絞って男の人の前に立った。男の人は何も言わない。
邪魔だと思っているのかもしれない。
それでいい。
買ってもらえなくても、おばあちゃんにちゃんと頑張ったよと言えるなら。
「……買ってください」
私の記憶はそこで途切れた。
◇◆◇◆◇◆
目を開けると、暖かなベッドの上だった。
ふかふかのベッドはいい匂いがして、家で使っている汚れた毛布とは全然違う。
なぜこんな場所にいるのか分からなくて、キョロキョロと周りを見渡した後、ベッドから降りた。裸足なので床は冷たいと思ったけれど、まったく冷たくなくて驚いて下を見る。そこには家にはない分厚い布が置かれていた。
こんなもの踏んだら汚れると思うのに全然汚れていない。むしろ自分の家のベッドの方が汚いのではないだろうか?
ここはどこなのだろう。窓に近づき背伸びして見るけれど、外はほとんど見えない。何か台になるものは――。
「起きたのか」
部屋の中を調べるのに夢中になっていたため人が近くに来ていたことに気がつかなかった。
振り返れば茶色のズボンが見え、そのまま目線をあげていけば、昔祖母が作ってくれたミルクティーのような髪色の男がいた。男はぽかんと見上げる私を見て、目線を合わせるようにしゃがんだ。
ずっと上の方にあった、青い宝石のような瞳が目の前にくる。
「体調はどうだ?」
「だいじょうぶ……です」
「ならいい。寒いから上着を羽織るか、ベッドに入りなさい」
上着と言われても、私の服はどこにあるのか分からない? 首をかしげれば、ベッドの横に置いてある椅子を指さされた。そこには綺麗な赤色の外套が置いてあったが、あれは私のものではない。
「あれはわたしのじゃないです」
「あのゴミは捨てた。もしかして大切なものだったか?」
「いえ……。あれしかうわぎはもってないから。なくなるとこまるだけです」
ゴミ……。
確かにつぎはぎだらけだし、そもそも古服なので、色々よく分からないシミもついてしまっている。この身なりの綺麗な男からしたらゴミ同然だろう。
とくに思い入れがあるわけではないけれど、あれがないと寒くてマッチを売りに行けない。
「ならば私が用意した服を着なさい。風邪を引いてもらっては困る。これから君と商談をしたいのだから」
「しょうだん?」
「ああ。君が言っただろう。買ってくださいと」
……言った。
確かに私は、買ってほしいと言った。でも、それはマッチの話だ。
どう見ても目の前の男はマッチを買うための話を持ちかけているように見えない。
「君には何ができる?」
「……マッチが売れます」
何ができると言われても、私にできることなど何もない。
穀潰しと言われ父に殴られるから、家の中で必死に縮こまっていた。そして同情を買って、マッチを売れと言われる毎日だ。だから殴られることもできるかもしれないけれど、痛いからできるなら殴られたくない。
「ふむ。商売ができるならば、計算はできるか。文字は読んだり書いたりできるか?」
「じぶんのなまえなら」
文字なんて父も読めないのではないだろうか?
死んだ祖母から名前だけ教えてもらって、大切な宝物のように覚えている。何か持っていれば父親に取られてしまう私の宝物は記憶だ。
「名前が書けるならば、契約もできるな。ふむ。ちなみに名前は何という? 申し遅れたが、私の名前はロジャー・クロフォードだ」
「……リズ」
「では、リズ。私は君を買いたい。そして君には私の娘役になってもらいたい」
人身販売。
それはグレーな取引だ。
人を売り買いするのは駄目だと言われているけれど、旦那や父親が借金をして連れて行かれる女性がいるのを知っている。私もいずれそうなるだろうと思っていたけれど、まだ幼すぎるため数年後の話だと思っていた。
でもそれでも、娘役になる人身販売があるなんて聞いたことがない。
「むすめやく?」
「そうだ。私は君の言い値で君を買う。そして君は買われたら、私が望むときに望む役を演じてもらいたい。そのための教育費、被服費は私持ちだ」
「いいね?」
いいねとは何だろう?
そもそもいくらで自分を売ればいいのかも分からない。
「ふむ。ではこうしよう。リズは私の娘役になるに当たって、してもらいたいことはあるだろうか? 家から通いたいなど、少々難しい場合もあるが話し合いで決めたい」
「家にはかえりたくない」
父におびえるだけの家なんて帰りたくない。もしも私が自分を売って大金をもらったなんて言ったら、全部取られてしまう。
「そうか。では住み込みにしよう。私もその方がやりやすい。住み込みなので、食事は私の方で用意する。服は仕事時以外も私が用意したものにしてもらいたい」
それはむしろ私には願ったり叶ったりなのでうなずく。
たとえ一日一食でも、何も食べられないよりずっといい。
「他に必要なものはあるだろうか?」
「さむいのはいやです」
「勿論、風邪を引かれては困るので家の中にいるときは暖かくする。これは衛生費としてはじめから私が用意するものなので君を買うための条件には含まれない」
ご飯があって、服もあって、暖かな部屋がある。
これ以上必要なものはあるだろうか?
「……幸せがほしいです」
「なるほど。リズを買うには君に幸せを与える必要があるということか」
幸せは売ったり買ったり出来るものではないと私だって分かっているのに、ロジャーは大真面目な顔をした。
「幸せというものは、人の受け取り方で変わるし、苦しんだからこそ得られる幸せというものもある。だから常に幸せであるというのは非常に難しい。さらに幸せが常にあるとそれに慣れ、感じにくくなる可能性もある。その場合こちらは今までと同量の幸せを渡しているつもりだが、リズには感じとれなくなるかもしれない」
真面目に幸せについて考えている姿に、私は笑った。
常に幸せなんてあり得ないし、麻痺するぐらい幸せを与えるってどうやるつもりなんだろう。
「つねに幸せはいりません。ただずっとつらくて、くるしいだけはいやなので、ときどき幸せがほしいです」
「一括支払いではないということだな。分かった。善処しよう。それで問題ないようならば、君を買う」
「まいとありがとうございます?」
一括支払いではない幸せ支払い。
どうなるか分からないけれど、これ以上悪くなることだけはないと思った私は、自分の人生をロジャーに売った。
◇◆◇◆◇◆
「では手始めに、リズを殺そう」
大真面目に先ほどの契約内容を紙に残したロジャーは、私がそれに署名し終わるなりとんでもないことを言い出した。
「えっ、私、殺されるの?」
あれだけ真面目なのか不真面目なのか分からない契約をしたのに、直ぐに殺されるなんて意味が分からず、私は目を白黒させた。
「ああ。殺したのは君の父親だ。というわけで、一番初めのお仕事は、死体役だ」
死体役?!
というわけで、あれよあれよと言うままに、私は寒空の下でごろりと横になることになった。
さっきまでとても暖かな部屋にいたので、雪で濡れた地面は冷たく寒い。死体役ではなく、本当に死体になってしまいそうだ。
しかし私の懸念など気にせずロジャーはマッチを燃やしてそのゴミを私の近くに置き、ふむっと頷いた。
「寒いだろうが、しばらく我慢し、目は閉じておきなさい。そしてこれからいろんな人が来るが、一切しゃべってはいけない。君は死体だ」
確かに死体が突然しゃべったり目を動かしたら怖い。
なので私は小さく頷いた。
しばらくすると人の足音が聞こえてドキッとする。
「通報者は貴方ですか?」
「はい。ここで子供が死んでいまして。かわいそうに。きっと昨日の雪の中で一人凍えていたのでしょう」
ロジャーは警官と思われる人に説明する。
突然誰かに首を触れられて、私はビクッと体が少しだけ動いてしまった。流石に触られたら気がつかれてしまう。
ロジャー、こんな作戦無理すぎだよ!!
心の中で叫ぶが、ロジャーと約束したとおりしゃべらずできるだけ息も止める。
「ふむ。死後硬直もしているようですね。かなり冷たい」
それはない。
さっきまでロジャーは私を毛布でくるみ、温かい状態にして私を抱きかかえながらここに運んだのだ。今はずいぶん冷えてしまったけれど、死後硬直なんてしてはいない。ロジャーが白粉を塗って頬の赤みを消したから見た目は多分死んでいるけれど触れば分かる。
だからこの警官はロジャーの仲間なのだと気がついた。
カシャカシャッ!!
「こらっ。勝手に写真を撮るな」
「いいじゃないですか。こんな小さな子が寒さで死ぬなんて間違っている。これは皆が知るべきことだ」
写真ということは、さっきの光はカメラかな?
がやがやと人が集まってきている音がして、私はドキドキしながらも必死に目をつぶり続けた。もしも死んでないと気づかれたら、ロジャーに迷惑がかかってしまう。
それに本当ならば私はここで死んでいたのだ。
だから、今命が続いているのはロジャーのおかげ。だから全力で死体役をこなした。
しばらくすると上から少しかび臭い毛布が掛けられた。
「こら、これは見世物じゃない。離れなさい」
じっとしていると突然私の体が持ち上げられた。そして毛布にくるまれたまま私は運ばれる。死体役の退場だ。
目を閉じているのでよく分からないが、馬車のようなものに乗せられた。しばらくすると動き出し、体が揺れる。そしてその振動を感じているうちに、私はそのまま眠ってしまった。
「あれ?」
「気がついたか。ああ、もうしゃべっても大丈夫だ。死体役は終わりだ。リズ、よく頑張った。とても上手だった」
声を出してしまって慌てて口を押さえたが、ロジャーはそんな私のつたない行動も気にせず褒め、私の頭をなでた。
死体役が上手というのもなんだか変だけれど、褒められてすごく胸が温かくなる。こんな風に褒められたのは祖母が亡くなる前までだ。
うれしくて笑うと、ロジャーは唇の端をあげた。ロジャーはあまり表情が変わらない人だ。
「今回のことでこの町のリズは死んだ。リズの父親は養育放棄の罪で刑務所で取り調べられている。子供を働かせてはいけないという法はないので、罪には問われないかもしれないが一週間ほど拘留はされるだろう。今のうちに町を出てしまえばちょうどいい」
私はロジャーの説明にこくりと頷く。
本当は生きているけれど、ロジャーがいなかったら、起っていたことだ。だから父は自業自得である。
私が寝ている間ロジャーは新聞を読んでいたようで、彼は新聞を持っていた。ただ普通の新聞より薄いし……あの写真……。
「ああ。これは先ほどの死体の写真だ。多分翌日には回収を言い渡されるだろうが、号外として配られて、すべての罪が書かれている」
文字が読めないので全然分からないが、写真は確かに私の死体っぽい。
「ここに書かれているのが題名で、マッチ売りの少女と読む。寒空の下で愚かな父親にマッチを売るように命じられた少女が、寒さに耐えられずマッチで火を灯すも、神に召されたという内容が書かれている」
「わたしのようですね」
「ああ。この町のリズの物語だ。きっと釈放されても、とても肩身が狭い思いをするはずだ」
釈放されてもということは、肩身の狭い思いをするのは私の父……父だった人のことだろう。
「ふくしゅうしてくれてありがとう」
「いや、ついでだからいい」
「ついで?」
父以外でこの新聞の内容に都合が悪い人が思い浮かばず、私は首をかしげた。
「私は貧富の差を広げる王にも肩身の狭い思いをしてもらいたいと考えている。これはそう皆が思うようにする一手だ。役人も馬鹿ではない。だから翌日には回収命令が出る。でも人の口に戸はたてられないし、すべてを回収は出来ない。私の仕事はこうやって種まきをしていくことだ」
「かたみのせまい思いをしてもらうために?」
「そうだ」
ロジャーの仕事は種まき。
その芽がどんな花を咲かせるのか分からないけれど、私はそんなロジャーに買われた。だからロジャーの種まきをするための道具となろう。
「今回の報酬はこれでどうだろう」
ロジャーは上着の内ポケットの中からブローチを取り出し差し出してきた。
「これ、おばあちゃんの」
「ある男が質屋に売ったものだ」
おばあちゃんのものはもう何も残っていない。すべて父がお金に変えて、その後お酒に変えてしまった。
だから、私が持っていられる宝物は記憶だけだった。
「ろ、ろじゃー、ありがとう」
「……なぜ泣く? どこか痛いのか?」
私はポロポロ泣きながら、珍しく少しうろたえたロジャーに掴まった。
「むねがね、いたいの。しあわせで。だから、ありがとう。わたし、がんばるね」
ロジャーがしていることはもしかしたらとても怖くて悪いことかもしれない。間違いなく私の父はだまされ、警察に捕まっているのだから。でも私はロジャーが求める演技をしよう。
私の幸せはロジャーだ。
私はおばあちゃんにそう心の中で報告をした。