44話
プールで遊んでヘトヘトになって昼寝。目が覚めて気づけば夕方になっていた。
リビングに行くと、母さんが一人で晩酌タイムを楽しんでいた。
「おはよう。プールでだいぶ疲れたみたいね。さっき二人も起きてお風呂に行ったわよ」
「そっか」とそっけなく相槌を打つ。
「覗きに――」
「行かないよ!」
「ハッハ! そりゃそっか!」
母さんはいつものように明るくヘビーなジョークをぶっ込んでくる。だが、いつもと違うのはあまり深追いしてこないこと。言葉少なにグラスを持ち上げて口に運んでいる。
「アンタら、知り合いだったんだねぇ。逆効果だったかなぁ……」
母さんはしみじみとグラスの中を眺めながらそう言う。
「何が?」
「咲良が私の教え子って話はしたでしょ? 何をやってるのか教えてくれないけど歌は上手いし、もっと上手くなりたいっていうからずっと稽古はしてたの。でも、半年……一年くらい前かな? 高校を休学してフラフラしだしたのよ」
九十九サクラとして活動していることは母さんには黙っていたらしい。
「それで同年代の人と話すと気も変わるかなって。別に高校に行けってわけじゃないけどさぁ……やっぱり話せる友達がいれば違うのかなって思って」
「まぁ……そうかもな」
「とりあえず咲良も楽しそうで良かったよ。ここに来る直前は三ヶ月くらい山奥のロッジに一人で住んでずっと読書してたらしいよ。ネットもないところに一人なんて婆さんみたいだよねぇ」
「なんだよそれ」
仙人のような隠遁生活を送っている石田さんを想像すると笑いがこみ上げてくる。
だが、そんなほっこりとした気持ちもすぐに違和感に変わっていった。
「ん? ネットもない?」
「本人が言ってたんだよ。外の世界と通じるのは固定電話だけだったんだってさ。それで人と本当に話さなくなったから話し方を忘れたって。笑えるよね」
「そ……そうなんだ」
何かがおかしい。石田さんはネットがない環境に数ヶ月いた。
だから、サクラちゃんとして俺と通話も、配信も出来るはずがないのだ。
誰かが嘘をついていると直感する。目の前で泥酔の一歩手前にいる母さんは候補から外すとしても、話が噛み合わない。
石田さんが母さんにそんな嘘を付く理由も見当たらない。強いて言うならvTuberとしての正体を隠すためについた嘘という可能性。
だが、嘘にしては大きすぎるのでボロが出る事もあるし、正体を隠すだけなら他の言い方があるはずだ。
頭の中を色々な仮説が駆け巡る。
そして、一つの確度が高い仮説に行き着いた。
「広臣君、おはよう! グッスリだったんだねぇ」
風呂から上がった浅野さんと石田さんが部屋着でリビングに戻ってきたので、探偵ごっこは終わり。
そのまま三人で徹夜のパーティゲームが始まったのだった。
◆
徹夜のゲーム終了後、部屋に戻りおもむろにディスコードを立ち上げる。
そして、サクラちゃんにメッセージを送った。自分の仮説が正しいのか間違っているのか確認するためだ。
『もう寝ました?』
返事はすぐに返ってきた。
『まだですよ。この時間になると逆に寝られなくなっちゃいますね』
『よかったら少し話せませんか? このままで』
『はい! 喜んで!』
すぐに向こうから通話がかかってきた。
「広臣さんも寝られないんですね」
サクラちゃんのハキハキした声が聞こえる。
「えぇ。浅野さんはすっかり寝てそうですけど」
「フフッ。彩芽は一日中元気で羨ましいです……今、ベランダにいるんですよ。反対側なので広臣さんの部屋は見えませんけどね。星がすっごく綺麗なんです。ベランダに出てみてくださいよ」
「お……本当ですね」
俺はサクラちゃんに嘘をついた。
実際は部屋を出て浅野さんの部屋に向かっている。
少しの間ミュートにして、浅野さんの部屋の扉に到着。
無防備なもので部屋には鍵がかかっていない。
「サクラちゃん、星ってまだ見えますか?」
「勿論ですよ。近いところにいるのに敢えて離れてみるのも楽しいですね」
浅野さんの部屋に侵入。万が一怒られたら土下座でもして許してもらおう。普段のキャラなら許してくれるはずだ。
部屋の中は浅野さんのものと思しき服が散らばっているが、本人はいない。ただ、風を受けてたなびくカーテンの向こうに影が見える。
「サクラちゃん……頼む……」
ベランダに聞こえないよう、小声で話す。あの影は石田さんだ。そうであってくれと願いながら近づく。
「え? なんですか?」
サクラちゃんがそう返して来ると同時にベランダからも同じ声がする。
つまり、ベランダにいる人物が喋っている。何かの間違いで石田さんがそこにいてくれ。ただ、二人で一緒に寝ていて、ただ浅野さんが部屋にいないだけ。
そうであってくれと願いながら、カーテンをめくる。
だが、俺の望みも虚しく、ベランダにいたのは浅野さんだった。
仮説が的中してしまった。
「もしもーし。聞こえてますか?」
浅野さんの喉からはサクラちゃんの声が出ている。
「浅野さん……だったのか」
浅野さんは振り返り、俺を認識すると「ギャア!」と獣のような叫び声をあげてうずくまる。
「あ……ご、ごめん。驚かせたよな」
「び……びっくりしたよぉ……」
半泣きで座り込んでしまい、何とも申し訳なくなる。これでは本題に入れそうにない。
勢いでやってしまったが、どうしたものかとオドオドしていると、浅野さんが手を伸ばしてくる。
「広臣君、私腰抜けちゃってさ……立たせて……」
俺のせいで腰が抜けたのだから断りづらい。
肩を組んで浅野さんを立たせる。
「そ……そこまででいいよ」
少し苦しそうに浅野さんがベッドを顎で指す。
ベランダから室内に入り、ベッドに座らせようとすると、そのまま浅野さんは俺に絡みついてきてプロレスラーよろしくベッドに押し倒してきた。
浅野さんが俺に馬乗りになり、そのまま唇が塞がれる。
咄嗟のことだったので息継ぎもできず、数十秒もすればギブアップのために浅野さんの背中をパシパシと叩くしかない。
「……ぷはぁ……初めてしたけど難しいね」
浅野さんも息を吸いそこねていたのか、顔を真っ赤にして唇の唾液を拭う。
「なっ――」
反論しようとした瞬間、息継ぎを済ませた浅野さんがまたキスをしてくる。
洋画で見たような激しい動きはなくて、ただ唇と唇をぶつけるだけ。
二回目になると順応してきて落ち着いてきた。
ひとしきりそうしていると、浅野さんはゆっくりと唇を離し、俺と至近距離で見つめ合う。
「ねぇ、広臣君。どうしよっか? このまま有耶無耶にしちゃう? 私は……本当のことを話して嫌われるのが怖いな。友達でも、それ以上でも……出来たら後者が希望だね、うん、そうだね。好きだから。それを壊してまで知りたいことって……ある?」
浅野さんと俺が考えている話題は同じはず。何を有耶無耶にしたいのかも同じだろう。ついでに告白もされたらしい。
フワフワとしていて現実感が伴わない。
浅野さんは歯磨き直後特有のミントの匂いを漂わせながら俺の回答を待つ姿勢に入った。