4話⑵【入学式の日】
「さっきの子は? 放ってきてしまって良かったのか?」
「私に挨拶に来ていただけだ。大した用ではない。もう自分の寮へ帰った」
私は柔らかいベッドに腰掛ける。
まだ一度も持ち主の私が座っていない椅子の背もたれに身体を預けている男と向かい合った。
思わず溜息を吐いてしまう。
なんとも薄情な言葉だ。
不本意にも目が合ってしまった後、皇太子は降りてこいという動きをした。
丁重にお断りして部屋に引っ込んだ。
関わり合いになって良いことは絶対にない。
そうしたらなんと、向こうがわざわざ私の部屋をノックしてきたのだ。
のんびりと部屋着に着替えようとしていた私は慌てて服をクローゼットに押し込み、制服のボタンを止め直す羽目になった。
「分かった。それはいい。何の用で来たんだ?」
皇太子は目線を合わせないまま手の指を組み、俯いた。
なんというか、悪戯を白状する前の子どものようだ。
ソワソワと、落ち着かない様子で言葉を探している。
ついつい、助け舟を出したくなった。
「……何かやらかしたなら、まずは『ごめんなさい』だぞ?」
「何の話だ。……いや、そうだな、すまな……違う、その……」
言い淀む様子に首を傾げる。
本当に何かやらかしてしまったのだろうか。
だとしても私を頼られても困るのだが。
魔術か、魔術が必要なのか。
大したことではありませんようにと祈りながら言葉が出てくるのを待っていると、バッと顔を上げてこちらを見た。
「シン・デルフィニウム!」
「は、はい」
ようやく発せられた声がやけに大きく聞こえ、思わず背筋を伸ばしてしまう。
しかし、声がはっきりしていたのは名前を呼んだ時だけだった。
再び目線を逸らしてモゴモゴと話し出す。
「……礼を、言う……。2度、助けられた……っ」
たったそれだけ言うと、また黙ってしまったので、拍子抜けする。
今まで聞いていた怒鳴り声や尊大な態度とはまるで違う。
本当に、どう話して良いのか分からないので言葉が出てこない、という状態なのだろう。
(この子、こうしてみると顔が綺麗なだけの普通の男の子なんだな)
落ち着きなく動きそうになる指を組んで抑え、目線を窓の外へと向けている姿がかわいらしく見えてきた。
そのままベッドに着いた手に体重を掛けながら眺めていると、
「……何か言うことはないのか」
と、いつもの不機嫌顔で睨みつけられる。
不機嫌、というよりすぐに返事が来なくて不安になっているのかこれは。
礼を言われたなら、どういたしましてというべきなのだろうが、確認したいことがあった。
私は足を組みながら疑問を口にした。
「ああ。なんで私の姓を知っているんだ?」
「それは本当に今言うべきことか?」
間髪入れず返された言葉は、全くもってその通りだった。
だが、言いたいことが上手く伝えられないのであれば、一旦は他の話をして緊張をほぐすのも良いのではないかと思ったのだ。
組んだ足に肘をつき、顎に手を当ててにっこりと笑う。
「仕方ないだろう。気になったんだから」
対照的に、皇太子は大きく息を吐きながら前髪をかきあげた。
「おと……皇帝陛下に以前、信頼できる人物としてデルフィニウム公爵を紹介されたのを思い出した。その時に一緒に居ただろう」
確かに父と共に皇太子に挨拶したことがある。
しかしそんな紹介のされ方だったとは知らなかった。
では、まさか「信頼できる人物」の息子に喧嘩を売られるとは思ってもみなかっただろう。
決して喧嘩がしたかったわけではないが。
それにしても、聞き逃せない言葉があった。
「お父様って言ってもいいと思うぞ?」
「貴様は話を逸らしすぎだろう!!」
皇太子は腰を浮かせる勢いで大声を出した。
というよりツッコミを入れたような形だ。
いやだって。「おと」と言い掛けて言い直されたら気になるだろう。可愛くて。
そう伝えたら更に声のボリュームが上がりそうなので、そこには触れず手をひらひらと振った。
「ははは、すまない。冗談だ」
私は皇太子が初めにしていたように手の指を組み、膝の上に置いた。
そして真っ直ぐ皇太子を見て、出来るだけ軽く柔らかい声で話しかける。
「じゃあ本題だ。私には、お前を助けた覚えがないんだが?」
浮かせていた腰を下ろし、肘掛けにその名の通りの役割を与えた皇太子は、最初よりもリラックスした様子で言葉を返してくる。
「入学式の後のアンネ・アルメリアとの件と食堂での件だ」
「そのことだろうことは分かる。だが、アンネとの時は喧嘩を売りはしたが助けていない。食堂の件も、私よりネルスやエラルドの方が上手くお前を説得していただろう」
私が助けたのは、アンネと料理長風の人である。
皇太子は、伸ばしてあげたくなるほど眉間の皺を深くし、肘掛けの先端を握り締める。
それからへの字に曲げていた口を重々しく開いた。
「……私は、感情が昂ると自分では上手く止められない」
(うん、それは知ってる)
誰がどう見てもそうなのだが、本人は気づかれていないと思っているのだろうか。
私は口は閉ざしていたが大きく頷いた。
それを見て皇太子は、拗ねたように一瞬唇を動かしたが、すぐに話を続けた。
「貴様はそれを、強制的に止めてくれただろう。食堂の時は、最後に上手く取り繕ってくれていた」
(つ、伝わってたんだー! すごーい!!)
本気で驚いて目を見開いてしまう。
あの時は、しれっと私の話に乗っかっていたので、もしかしたら皇太子は、
「忠臣を探すための演技を皇太子がしている」
と、私が本気で思っていると勘違いしているかもしれないと考えていた。
「だから、礼をって貴様何を笑っているんだ!!」
自分でも気が付かない内に口角が上がってしまっていたらしい。
見られたのならば隠しようがないので、開き直って明るく言う。
「いや、食堂での私の気遣いに気づいてくれていたことに感動した」
「分からない奴がどこにいるんだ!! お前まで私を幼児扱いするのか!!」
皇太子はついに立ち上がった。
一般的な15歳は、嫌いなものが入っていたくらいでスープ皿をひっくり返したりしないと思うんだよどう考えても幼児の行動だ。
と、言うわけにはいかず。
ただ、思っていないと否定するのは躊躇われた。
なぜなら、
「……」
「黙るな!!」
反応が予想通りすぎて面白すぎるのだ。
「まぁまぁ」
私はベッドから立ち上がり、肩をぽんぽんと叩いて皇太子を座らせる。
怒鳴りすぎて肩で息をしていらっしゃる。
頬も赤い。
本当にかわいい子に見えて来た。
「アレハンドロの気持ちはよく伝わった。自分で、感情の爆発を止められないと自覚しているならまだマシだ。頑張ってコントロールしろ。以上」
「勝手に話を終わらせるな」
「まだ何かあるのか?」
感情のコントロールは何歳になっても難しいけど心して頑張ってくれ、と笑顔で部屋から送り出そうとする。
が、見放された子犬のような顔になる。
狼かと思ったら大型犬だったようだ。
「……いや……」
絶対何か言いたいことがある間があった。
察して差し上げるのは難しいし正直面倒だ。
どうして欲しいのか分からなかったので、
「ちゃんとお礼が言えて偉かったな? どういたしましてー」
と言いながら、わしゃわしゃと頭を撫でて褒めてみた。
「だから幼児扱いをするな!!」
当然怒られた。
私はめげずに、今度は乱した髪を整えるように撫でた。
「他にも言いたいことがあるならいつでも来い」
「いつでも……」
「そう。いつでも。私で良ければな」
意外にも大人しく椅子に座って撫でられながら、皇太子が目線を上げてこちらを見た。
今までで一番近くで、深い緑の瞳と目が合う。
形の良い唇がゆっくり動いた。
「……それは……友人、みたい、だな?」
「ん?」
今、何か可愛いこと言った?
撫でる手を止めて固まった私を見て皇太子は慌てて立ち上がった。
頭から手が離れ、背を向けられたので表情が見えなくなった。
そして、皇太子は焦ったように早口で喋り始める。
「あ、いや。なんでもない。私と友人などと恐れ多いと思うだろう。忘れろ」
「とうとい」
私は行き場を失った手を下げることもせずに呟いてしまった。
「尊い? そう、だろうな。皇太子などという尊く高貴な立場で友人など」
(何意味わかんないこと言ってんだこの子かっわい)
早い話が、この子はお友達が欲しかったのだ。
それで、庭に降りるのを断ったのにわざわざ部屋までやってきたのだ。
そういうことだ。
こちらとしても最悪な第一印象から一転、かわいい子枠に入れてしまったので、
「いいよーお友達になろー」
と、いう気持ちだ。
それをイケメンらしく格好良く伝えたい。
「ああ、何か勘違いさせたみたいですまない。友人なんて、改めて口にするものでもないから私も混乱した。好きな時に気ままに訪れて、話が出来るのは、確かに友人だろう」
言葉に反応してすぐに振り返った皇太子の表情は仏頂面だったが、「対等で居よう」と伝えた時のようになんとなく嬉しそうで。
私は胸に手を添えて笑い掛けた。
「私はシン・デルフィニウム。魔術が得意なんだ。必要な時には気軽に声をかけてくれ。例えば……」
机に置いた鞄へと指を向け、短く呪文を唱える。
いつも通り光が鞄を包み、中に入っていた全ての教科書を浮かび上がらせた。
数秒後に光が消えた後、じっと様子を見ていた皇太子の目の前に1冊だけ浮かばせる。
「教科書に名前を書く、という、地味に面倒なことを数秒で終わらせたりな」
私は腕を組んで渾身のドヤ顔を決めた。
教科書の裏表紙を見た皇太子は息を呑んだ。
「……! 本当に見事だな」
そして、今日、初めての笑顔と共に手を差し出される。
「私はアレハンドロ・キナロイデスだ。同じ一年生同士、よろしく頼む」
こんなに穏やかな声を出すことが出来るのか。
私が女の子ならば恋に落ちているだろうに。
いや、女ではある、女ではあるんだが、うん。
眩しすぎる美形から発せられる癒しの低音ボイスにクラクラしながら、そんなことは表面には出さずにしっかりと手を握り返した。
手を離した後、照れ臭いのか結局目線を逸らしてしまった皇太子が、教科書を机に戻しながら口を開いた。
「シン、私の教科書にも魔術で名前を書け」
それが人にものを頼む態度か。
「書いてください」
「……書いてくれ」
言い方を訂正されたとすぐに気が付いた皇太子は、ため息を吐きながら言い直した。
いや、それが人にものを頼む態度か。
だがアレハンドロとしては及第点だ。
初対面だけどそうに違いない。
「今回はそれで許してやる。友人、だからな」
そう伝えた時のアレハンドロの嬉しそうな顔といったら!
はなまる!!
皇太子、アレハンドロとお友達になった。
お読みいただきありがとうございます!