3話⑴【入学式の日】
平穏とは程遠くなってしまった学校生活初日。
なんとか乗り切り、食堂のドタバタのあとは平和そのものだった。
エラルド、ネルスの2人と広い校内を歩いて探検したり、お互いの家の話や夢の話をしたりしていた。
「俺の婚約者、3歳の女の子でさー。懐いてくれててかわいいんだ」
校内の芝生に腰を下ろして暖かな日に当たっている時の、エラルドの発言で空気が凍るまでは。
いやまて3歳?3
歳ってまだ赤ちゃんに毛が生えたようなちいちゃい子のこと?
隣でのんびり胡座をかいて笑っているエラルドを凝視してしまう。
私を挟んでエラルドと反対側に座るネルスが、
「13歳の言い間違いか?」
と笑った時は、
(それだー!! もうエラルドのおっちょこちょい!)
と、内心ほっとしてしまった。
が、
「いや、3歳だ。結婚できるの18からだから早くても俺30まで結婚出来ないなぁ」
とヘラヘラと笑っている。
笑い事なわけがあるか。
この世界の貴族は――現実世界でもそんなイメージだが――さまざまな家の事情で勝手に結婚相手を決められることがしばしばある。
というかそっちの方が一般的だ。
「こちらの息子さんとそちらの娘さん歳が釣り合いますね。身分もいい感じですし取り持ちましょうか?」
というようなお節介なお見合いおじさんおばさんが重宝されることもあるが、大抵は家の都合で決まる。
分かってはいる。
分かってはいるが15歳と3歳はさすがに珍しい。
そして私の感覚では双方が可哀想としか思えない。
本人たちが自分で愛し合ったならいいよ?
30歳と18歳が出会って愛し合ったなら10歳や20歳の差、他人がとやかく言うわけにはいかないけどさぁ!
と、内心モヤモヤしていると、
「お前、良いのかそれで……」
ネルスまでもがドン引き顔でエラルドを見上げた。
「んー?いや、俺は30過ぎて若いお嫁さん貰えるんだから良いかもしれないけどなぁ……」
流石に全然良くなさそうな困り笑顔で頭を掻く。
頭よしよししてあげたい。
本人が嫌なら本当に可哀想。
「あの子が可哀想だよな。あんなに可愛いのに年頃になったらおじさんと結婚が決まってるなんて」
「それもそうだが。18歳の女性と出逢ったならまだしも3歳から知っていて、その子と子どもを作ろうと思えないな僕なら」
言うまでもないがこの世界の結婚は、イコール子孫繁栄である。
いきなりそこに話が飛んでいくのはさすがお家一番のネルスだが、圧倒的それな、というやつだ。
私なら無理だ。
世の中には色んな人がいるがおそらく一般的に、私やネルスの考え方の人が多いのではなかろうか。
源氏物語の紫の上でさえ10歳くらいだ。
確かそうだ。しかも当時ではあと2、3年で結婚適齢期になる子のはずだ。たぶん。
いやしかし、3歳だったあの子が18歳になって30歳のエラルドに
「私、もう子どもじゃないのよ」
という展開もありはありなのか。よく見た気がする。
30歳のエラルド、きっと身体も今より大きくて心も広くて笑顔が明るくて、でも経験値が高くなっててとにかく素敵に違いない。
まだまだ若い。
18歳相手でも違和感ない、ことはないな。
18歳からしたら30歳はおじさんだな。
表情は変えない私の、ぐるぐる高速で回る思考など勿論つゆ知らず。
当のエラルドは目から鱗、という顔をして口元を手で覆っていた。
「か、考えたことなかった!確かに……え、と……うわ、ベッドで土下座するかもしれない……」
「そうだろう? どう考えても3歳からの姿が頭を過ぎってどうにも」
「おっと急にガチリアルなそっちの話に持ち込むなティーンエイジャー。アラサーの夢が壊れる」
「なんて?」
過剰な反応かもしれないが、真剣にベッドの上でのことについて話し始めそうな15歳男子たちの話を思わず遮ってしまった。
ここ、学校な。学校。
お空、明るい。
私たち、初対面。
「いや、すまない。しかしなんでまた、3歳の女の子なんだ?」
心底不可解そうな2人を見て咳払いしながら、話の軌道を戻そうとエラルドに投げかけた。
ここで私は予想した。
王道でいくと、ユリオプス家は由緒ある伯爵家だが経済力が無い。
そこに付け込んだ成金で貴族と繋がりを持ちたい豪商などが幼い長女を貴族の跡取りと結婚させようと企てた。
この優秀な頭脳の記憶を掘り返したところ。
3年前、宮殿での招集帰りの私の父、デルフィニウム公爵が言っていたことを思い出した。
現在のユリオプス伯爵、つまりエラルドの父親は、領民思いで本人はとても信用出来るが、お人好しすぎると。
経済力があった方が領民のためになるとかそういうアプローチを受けたのではないだろうか。
それでも息子を犠牲にするなんてと迷う父親にエラルドは話を受けよう、という。
更にはここの学費も援助してもらっている。
(とか、どうだ!!)
頭の中でよくある物語を完璧に完成させ、芝生を握りしめてエラルドの言葉を待っていると、
「うちの伯爵領、不作が続いたりもして火の車でさ。去年、支援してくれるって言ってくれる豪商がいたんだよ。その条件が伯爵家の跡取りと自分の孫娘の結婚だったってわけだ」
ほぼドンピシャだった。
「大事な孫娘の婿にはこの学校を出て欲しい、金は払うって言われてここに入学できたんだよ」
口元を緩めながら頬を指で掻く、少し抜けた仕種が逆にキマッている。
ここまでくると怖い。王道すぎて怖い。
思わず握った芝生をそのまま千切ってしまった。
しかし、それならばひとつ疑問があった。
先程の食堂での、来客時の食事のようだという話はなんだったのか。
豪商が貴族と縁を作りたいならば、宮廷料理家もびっくりな豪華な食事でもてなしそうなものだが。
「その豪商とやらは、大事な孫娘の婿になる男を頻繁に家に招待したりしないのか?」
私の疑問には体育座りしたネルスが切り込もうとしている。
「去年から3回くらいお邪魔したかな。なんでだ?」
「その……失礼ながら、食堂の料理を来客がある時の食事のようだと言っていたから……」
遠慮がちに目を泳がせ言葉を選んではいるが、驚くほどに根掘り葉掘り聞いている。
私には出来ない。
若さ故かエラルドの人柄故か。
あー、と頷きながら気を害した様子もなく会話は続いた。
「うちがホストの時にはあんな感じの料理なんだ。そういうときは貴族御用達の料理人さんを呼んで……」
「……?家に料理人はいないのか?」
ネルスの口が先ほどから本当にポカンと開きっぱなしなので閉じてあげたい衝動を抑える。
もう少し、感情を表に出さない練習が大人になるまでに必要だなかわいいな。
「専属の人は居ないよ。領内の料理屋さんとか喫茶店のおばちゃんとか飲み屋のおじさんたちとか、子どもを連れた主婦の皆さんとかが日替わりにきてご飯してくれるんだ」
一人一人の顔を思い出しているのか、柔らかい笑顔で指折り数えるエラルド。
きっと領民の皆さんと仲良くやってるんだろうな。
裕福じゃないけど住み良い領地の代表なんだろうな、とこっちの口元まで緩む。
「やってくれるのか。自分たちで料理するのかと思った」
「お前は何を言ってるんだ?」
ただでさえ想像の出来ない食事事情に目を白黒させていたネルス。
貴族が料理をするわけないだろう、と私を宇宙人でも見る目でみてきた。
はい、異世界の平民ですがなにか。
こちらへ来て15年。
未だに食事、作って貰えるのめちゃくちゃありがたいですよねという感想しか無いが何か。
帰ってから自分で色々出来なくなっている気がする怖い。
それにしても2人の会話が面白すぎる。
ネルスはお坊っちゃんだが勉強家で、ある程度の常識はある。
そのため、平民の家に通常は専属コックさんが居ないことは知っている。
もしエラルドが平民であれば、
「もっと平民の暮らしを教えてくれ!将来、政に携わる時の参考にしたい!」
と目を輝かせていただろう。
しかし今は、
「え、同じ貴族なのに?え?伯爵……由緒ある伯爵家なのに?」
と、大混乱している。かわいい。
上流階級の中でも上澄みの貴族としか付き合ったことがないとそういうことが起こるのだ。
要社会勉強だ。
地方の貴族たちの現状をもっと把握して中央でなんちゃらかんちゃら、と顎に手を当てて真顔でぶつぶつ独り言を出したネルスを放って置いて、エラルドに向き直った。
「領民に好かれるお父上なんだと想像出来るよ。その分、お前の結婚に関しては苦渋の決断だったろうな」
「元々、俺の婚約者をそろそろ決めようとは言ってたんだけどな。この話を貰った時も、5歳の次男が居るからそっちと婚約にしないかって父さんは打診したんだけど……」
また新しい登場人物出てきたわ。貴族、家族多い。
エラルドの家族は今のところ、父、エラルド、弟、後、確か2歳の甥がいると食堂で言っていた。
頭の中を整理し、他にも姉や妹が居そうだなと想像する。
ちなみに家族と言えば。
私、シン・デルフィニウムには現在12歳の弟と10歳の妹がいる。
詳細は省くが、どちらも当然、とてつもなく可愛い。
父も母もまだ30代なのでもしかしたら兄弟は増えるかもしれない。
跡継ぎ問題や結婚で縁を作るなど様々な面において、子どもが多い方がなにかと良いのだ。
私には理解し難いが、この世界の貴族とはそういうものなのだ。
と、私のことはさておき。
ユリオプス伯爵はお金持ちとはいえ平民と結婚するのは貴族としてどうかとか、結婚は好きな人としないととかいうのはなく。
年齢がいくらなんでも釣り合わない!
うちの息子を何年待たせる気?
10歳以上年上の男と結婚させられるお嬢さんの気持ちも考えて!
というところを気にしていそうだ。
やはりこの世界この時代の貴族は私の常識や良識とはちょっとズレてるな、などと思いながら相槌を打つ。
「跡継ぎじゃないとダメって?」
「まぁそりゃそうだよな。だから弟を跡継ぎにするために俺は家を抜けようと思って」
「ん?」
「長男が家を捨てるだと!?」
話が込み入ってきたしサラッと言ったし、初対面にそんなとこまで言っていいのかと私の頭が混乱し始めたところで、自分の世界へ行っていたネルスが戻ってきた。
「捨てると言われると……まぁそうなるか。」
「そんなことは許されな……っ」
「まぁまぁネルス。他所のお宅の事情だから、な?」
間にいる私の膝を乗り越えて手を付き、物理的に噛み付きに行きそうなくらい乗り出したネルスの口を手で塞ぐ。
話が余計にややこしくなりそうだ。
「弟とそのお嬢さんを結婚させるために家を出るのか?」
「元々、俺は騎士になりたいんだ。伯爵家を継いで騎士になっても良いけど、圧倒的に命の危険が多いだろ?」
エラルドが言うには、前々から騎士になるといつ何があるか分からないので弟を跡継ぎに、と父親に話していたらしい。
しかし、ユリオプス伯爵は跡継ぎ云々はともかく、騎士になって自ら命を危険に晒すのは可愛い長男の希望でも難色を示していたと。
そこへ今回の結婚話だ。
エラルドは5歳の弟に跡を継いで欲しい。
相手方は伯爵家の跡継ぎと3歳の孫娘に結婚して欲しい。
ユリオプス伯爵は年齢の兼ね合いで婚約するなら次男の方がいい。
全員の希望を叶えようとしたら「5歳の次男が伯爵家を継ぎ3歳のお嬢さんと婚約する」のが手っ取り早い。
一番影響を受ける弟くんの希望が謎なのが気がかりだが、5歳児に希望を聞いたら
「カッコいい勇者になってドラゴンをやっつける!」
とか言い出す可能性があるので意思確認は現在不可能。
とりあえず今は仕方がない。
家族で揉めるならそれこそ10年後だ。
「いや、解決してるじゃないか。なんで今、君と3歳の女児が婚約しているんだ」
私の拘束から逃れ、衣服と姿勢を正しながら改めてネルスが会話に参加してきた。
「騎士になりたいところは父さんがなかなか納得してくれなくてさー」
エラルドが肩をすくめて唇を尖らせる。
それはそうだろうと、私は頷いた。
「跡を継ぐとか継がないとか関係ないからな、そこ」
この世界での騎士は、私の世界の宗教的なところから発生する騎士とは違う。
基本的には政治には関わらず、有事の際に戦場へ行くのが主な仕事だ。
その他にも皇族の護衛や国の警備、貴族に直接雇われたりと色々仕事はある。
由緒正しき騎士の家系、という家も有ればエラルドのように希望してその職に就く人もいる。
言うまでも無いが、とにかく危ない。
武器を持って戦うのでとても危ない。
領地を治める貴族のお坊ちゃまがわざわざ目指す仕事ではない。
国や人を守る素晴らしい仕事だが、親としてはやめていただきたい。
それはエラルドも充分承知してはいるようだ。
「そうだろ? で、ここの学校の剣術大会に目をつけさせてもらった!」
いや前言撤回。
親の心子知らずとはこのことだ。
とても目がキラキラしている。
自分の希望を通そうとすることに罪悪感を覚えている様子が羨ましいほど無い。皆無。
「そういえばあったな。それ」
この学校の剣術大会とは。
三学年入り乱れて剣術に腕の覚えがある生徒が出場し、活躍すると観戦に来ていた貴族や騎士団の偉い人からお声がかかったりする二次元によくあるやつである。
以上。
「3年間で1回でも優勝したら、ここの学費が免除されるんだ。」
(優勝した年だけじゃないのか……)
そんなご都合親切設計でもあるらしい。
「学費が免除されたら、入学費だけなんとか返せばお世話になってるのも全部チャラ。父さんは優勝出来るくらいの腕があるなら騎士を目指してもいいって言ってくれたから、そこも解決!」
あらまぁ、とってもいい笑顔。
拳を握りしめて緩いガッツポーズをとるエラルド。
大人の事情は金銭的な物以外にも色々あるので、それで解決するとは全く思えない。
しかしまぁ相手方の豪商のおじさんだかおじいさんだかの人柄も知らないし。
もしかしたらお嬢さんが別の人を好きになって駆け落ちする展開もあるかもしれないし。
先のことは考えても仕方がない。
他所の家のことだし。
「つまりここに入学するために3歳児と婚約したのか。君、思ってたよりしたたかだな……」
エラルドの柔らかい雰囲気から想像していた人柄と違っていたらしいネルスは、呆れと驚きの入り混じった表情で息を吐いている。
「それより、出来なかったらその子と結婚する未来なの分かってるのか?」
私は心配半分、からかい半分でポンポンとエラルドの肩を叩いて首を傾げた。
黄色い瞳が真っ直ぐこちらを向く。
「優勝してみせるさ!」
「無理好き」
何度目かの弾ける笑顔。
後光が射して見える。
顔が良過ぎる。
真顔のまま口走った私の言葉に、エラルドは笑ったまま眉を下げた。
「む、無理すぎって酷いなー」
「あ、いや、違う。違うんだその、頑張って欲しいってことだ」
何もうまく誤魔化せなかった。言い訳にすらなっていない。
せっかく今はイケメンなのに発言がゴミすぎる。
いい声の無駄遣い。
「どうしたらそういうことになるんだ。」
ネルスの冷静なツッコミが胸を貫く。
二人に意味が伝わっていないことだけが救いだ。
当のエラルドはなーんだ、と再び声のトーンが明るくなった。
「方言か? ありがとうな!」
「いやこわまじすき」
お読みいただきありがとうございます!