2話(2)【入学式の日】
この世界では、魔術はだいたいの人が使用する素質を持っている。
だが、文字を学ばなければ読み書き出来ないように、魔術もきちんと学ばなければ使うことが出来ない。
持て余すほど魔力が強い場合、例えば「幼児の時点で火を扱えてしまい上手く制御できない」といった危険な状態など以外は、平民は魔術の勉強を特にしない。
理由は簡単、何を勉強するにもお金がかかるからだ。
魔術は便利だが、使えなくても一般人は生活できるため、特に学ぶことなく過ぎていく人が大勢いる。
自然と魔術は貴族、士族などの特権階級が主に扱うものとなっているのだ。
その中でも特に魔術に特化して職業としている人たちを魔術師と呼ぶ。
彼らは皇族や上位貴族と契約したり、軍に所属したり、公務員のように国に雇われて平民たちの近くで力を貸したりと様々な道をいく。
言うまでもないが人には向き不向き、好き嫌いががあるので、すべての人が魔術師になれるというわけでもない。
そんな中、私は魔術の基礎を始める3歳から魔術をほぼ意のままに操れた。
しかも魔術のネックである長ーい詠唱を使わず短くて済むおまけ付き。
操るのが早かったのはそもそも30代の理性と理解力があったのも大きいと思うが、運よく魔力が強い体に産まれたのだろう。
あと魔術とかワクワクしすぎてめちゃくちゃ勉強した。
素質がある体だったからやりたいことがスイスイできて、学ぶのがとても楽しかった。
短い詠唱も、本を読んでいて見つけたものを色々応用しているだけなので、扱える魔術師は他にもいるのだ。
(応用している『だけ』……天才にしか言えない台詞楽しい……)
長くなったが、ネルスが「天才的な化け物」と私を評したのはそういうわけだ。
長年修行を積んだプロにしか出来ないことを15歳で使いこなしてしまうのはまぁ化け物だろう。
3歳児にちょっとひらがなを教えたと思ったら、勝手に漢字を読み書きし始め、遂には漢文楽しいとか言い出したようなもの。
怖すぎる。
中にはそういう天才もいるのかもしれないが。
「そもそも、事勿れ主義のお前がなんで皇太子と揉め事を起こすんだ!」
パンを千切りながらネルスが憤る。怒りの持続力がすごい。
食堂前で説教が始まりそうだったネルスをエラルドと2人で宥めすかし、なんとか昼食にありついたところだ。
白を基調とした広い室内にある、グレーの丸テーブルに三人で座る。
教室にあるものとは違い、クッション性のある白い椅子の背に体重を預けるのが心地いい。
そして、ネルスの声を聞きながらも豪勢な昼食から目が離せない。
(学食か?これ……)
公爵家の食事が毎日豪華だったので慣れてしまってはいたが、学校までこうだとは思わなかった。
狭いテーブルのため、1人1台のアフタヌーンティースタンドのようなものに皿を乗せて配膳してくれる。
下段に主食になるパン。
今回はさくっさくのクロワッサンと固めのライ麦パン。果物のジャムもついているが、なにもつけなくてもとても美味しい。
中段に主菜の豚肉のステーキ。
グリルされた野菜が添えられていて、胡椒やガーリックの風味がバッチリだった。
何より肉が柔らかくて噛むたび美味い。美味。
上段の前菜は見た目に楽しいカラフルな多種類の野菜を蒸したものに、小さな器に入っているバジルソースが添えてある。
バジルソースが何にでもつけたいくらい美味しい。美味しい以外の言葉がでない。
最初に出された温かい海鮮スープは最高だった。
特にエビがプリプリでいくらでも食べられそうだった。
というか学食なので、自分で取りに行くスタイルでいいと思うのだがここはホテルのレストランか?
ネルスのガミガミを受け流しながら口の中の幸せに浸っていると、エラルドも目を輝かせていた。
「すごいなー、ここの食事! お客さんが来た時の食事みたいだ」
嬉しそうに食べる姿に、察した表情のネルスと顔を見合わせた。
ネルスは生粋のお坊ちゃん、このくらいの食事は当たり前でおそらくありがたみも薄いはずだ。
これは普通の食事じゃないか?と顔に書いてある。
庶民感覚を持つ私からしたら豪華も豪華だが、貴族の家に来客があった時の食事としては少し質素かもしれない。
聞くまでもない。
伯爵家だと言っていたが、おそらくエラルドの父親の領地は豊かな方ではないのだろう。
(ユリオプス家……ユリオプス家……聞いたことあるなー古い名家で、たしか結構地方の……)
この世界で得た情報を脳内検索にかける。
由緒ある家柄だったとしても領地によって格差はあるものだ。
(美味しそうに食べるなー)
作法を守って行儀良く、もりもり食べるエラルド、とてもかわいい。
自分も口を動かしながら心が安らいだ。
「本当に美味しいな」
「そうだな。特にこれ、毎食出てきても2倍は食べられそうだ!」
主菜の料理を指して嬉しそうに言う姿が眩しすぎて、本当に片手で目を覆った。
お肉ねーお肉は美味しいよねー分かるよー。
「そうか、良かったら」
「良かったら僕の分もどうぞエラルド。体の大きさが違うんだ、君の方がたくさん食べた方がいい」
まさかのネルスに先を越された。
片手で主菜の皿を差し出し、もう片方の手で口元を覆ってプルプルしている。
完全にエラルドオーラにやられている。
この親戚とは好きになる人間の好みが似ているのかもしれない。
「いや、いいよいいよ。ネルスも育ち盛りなんだから、いっぱい食べないとな?」
「……君はもしかして僕が小さいことを馬鹿にしてないか?」
「え? 俺たちくらいの年ってそういうもんだろう?」
「……」
(ほんとそれ)
ネルスは身長が同年代に比べて低いことを気にしていて、そのことについては過剰に突っかかってくるのだ。
しかしエラルドには本当に思ってもみなかったという顔をされて口をつぐんだ。
しつこいが、2人ともかわいい。
「……私はスープがこの中では一番好きだな。海鮮が大好ぶ」
「なんだこの料理は!!」
陶器が割れる高い音と共に怒鳴り声が空気を裂いた。
まさかの本日2回目のあの声だ。
(あ――見たくないなー……あっち見たくないけど……エラルドもネルスもあっち見てるなー)
のんびり過ごしている時に、寝ていたはずの我が子の泣き声が聞こえた時のようだ。
気のせいにしたい。
気のせいにしたいが無理だ。
聞いてしまったら確認するしかない。
気にはなるし。
意を決して深呼吸をする。
何が起こっているかだいたい想像が出来てしまうが、何を見ても野次馬になろう。
私は3年間、平穏無事に学生生活を過ごすのだ。
食堂が静まり返る中、音のした方へと目線をやる。
離れた席で前回と同じく怒り心頭、という風に立っているアレハンドロ皇太子。
床に飛び散っている料理と食器の破片。
(食事を床に投げ捨てただと)
分かってはいたが、実際に目にしてしまうと頭に血が昇るのを感じる。
先程の皇太子と同じテンションで「何やってんだお前ぇ!!」と叫びたい。
(落ち着け、6秒、6秒数えるんだ…)
怒りというものは6秒で乗り切れるらしいと何か本で読んだことがある気がする。
卓を掴んで呼吸を整える。
いーち。
慌ててこの食堂の責任者らしき人がやってきた。
にーい。
頭を下げて事情を確認するその人を怒鳴りつける皇太子。
さーん。
エビは見るのも不快だなんだと聞こえてくる。
しーい。
やっぱり土下座になっちゃう責任者らしき人。
ごーお。
解雇だなんだと聞こえる。
ろーく。
落ちた料理を踏んだ!
「1秒毎にどんどん状況を悪化させるな!!」
遂に、ネルスの前で今まで築き上げていた「事勿れ主義のシン・デルフィニウム」らしからぬ勢いで声を荒げて立ち上がってしまった。
相手に言葉を伝えるのに怒鳴る必要はないのに。怒鳴ったら負けなのに。
当然、皇太子含め食堂に居た全員の視線を集めた。
「……また貴様か」
嫌そうに眉を顰めて皇太子は腕を組んだ。
(またかはこっちの台詞なんだよこのバカバーカバーカ!! 料理を作る方の気持ちを考えたことあんのかバーカアーホ美味しいっていってくれるかなとか考えて作るんだぞ食べてもらえなかったら悲しいんだぞうんざりするんだぞてかその前に食べ物もったいないつらいってなるんだぞボーケナース!!)
頭に血が昇りすぎて言葉がまとまらない。
気に入らないからひっくり返す、2歳児レベルの相手にそれを煽る7歳児レベルの罵倒の言葉しか思いつかない。
それでも声を上げたからには何か言わなくては。
周りも、特に責任者らしき人の眼差しからは
(頼むなんとかしてくれ!)
という期待すら感じる。
待てよどんだけ朝の皇太子尻叩き事件の噂回ってんだよ。
なんとか重い口を開いた。
「アレハンドロ……」
「恐れながら申し上げます!!」
何か言う前に、近く、いや、同じテーブルから声が響いた。
やたらと言葉を遮られる日だ。
皇太子の視線が私からそちらへと移る。
「なんだ貴様」
「偉大なる我らが皇太子殿下。私はクリサンセマム侯爵家の末弟、ネルスと申します」
威圧的な皇太子に向かってネルスは胸に手を当て、礼をして名乗る。
そしてそのまま勇敢にも近づいていった。
(ネールースー! やーめーてー! 私がなんとかするからやめてー!!)
心の中で叫ぼうとも聞こえる訳がない。
しかし名乗ってしまった以上は逃げ場はなく、見守るしかなかった。
いざとなったらネルスを連れてどこかへ逃げよう。
自分の時よりも心臓がうるさい。怖い。
地面に膝をついている責任者の前に庇うようにネルスは立ち、そして片膝を着く。
再び頭を下げる様子を見て、皇太子は黙って椅子に座り脚を組んだ。
(偉っそうーーっ)
偉いのだが。
「申し上げにくいのですが、皇太子殿下。流石に、今回のことはこちらの食堂の料理人たちに非はないと存じます」
「何故そう思う」
ネルスが緊張しているのが伝わる。
いつもまっすぐ響く声の語尾が僅かに震えている。
すぐ隣にいって「何故じゃねぇんだわ!」と殴りたい。
いや、殴っても負けだ。我慢だ。
脳内で叫び暴れながら見守る私とは違い、ネルスは落ち着いた声で続けた。
「ここで働くのは多くの生徒に食事を提供する料理人。皇太子殿下専属の料理人ではありません。当然、この大人数に対して、一人一人の好みに合わせて食事を作るのは難しい」
(なるほど。それはそう。私が言いたいのはそこじゃないけどネルスの方が皇太子を納得させられそうだな)
皇太子に食事を作る人間の気持ちとか、材料を作った人の気持ちとか、食べ物のありがたみとか、そういったことを説明しても「それがどうした」となりそうだ。
流石にそんなことは言われなくても理解はしているだろうし。
ネルスの言うことの方が論理的で、今この場に合っている気がする。
皇太子も怒り出す様子は今のところはない。
私は少し肩の力が抜けた。
「それに対して先程のお怒りは、その、誠に申し上げにくいのですが! 僅かでも気に入らないと癇癪を起こす、に、に、2歳程の幼子と同じでございます……っ!」
「な……っ」
「あはは! 2歳!!」
(え、エラルド笑っちゃった!)
踏ん反り返っていた皇太子の表情が歪んだ。
しかし、ここまで言ってしまえば踏ん切りがついたのか、ネルスは遠目からも分かるほどに深呼吸すると、顔を上げて声を張った。
「この公衆の面前での皿を投げ捨てる行為は、皇太子の御威光にも関わります! どうかこの場は怒りをお収め下さい!」
「……っ!」
腹は立っても正論すぎて何も言い返せないのだろう。
怒りの矛先を変えることにしたのか、私たちの卓の方へと皇太子は顔を動かした。
「して、そこで笑っている不届き者、貴様はなんだ!」
鋭く飛んできた言葉は私にではなく、まだ笑いの止まらないエラルドへだった。
「はは……失礼したしました皇太子殿下。私の2歳の甥も同じようなことでこの間叱られていたのを思い出して、つい」
こんな時でも怖いほどに爽やかだエラルド。
だが爽やかに火に油を注ぐな。
もしかして天然属性もあるのか。素敵か。
「貴様……」
腹の底から響くような、唸るような声を出しながら再び皇太子が立ち上がった。
せっかくネルスが言いくるめられそうだったのにまた怒りの導火線に火がついたのか。
この人に6秒数えていただきたい。
「失礼ついでに、殿下が投げてたこれ美味しいですよ。あなたの親友のシンはこれが一番好きだそうです。見るのも嫌ってことは食べなかったのでは?」
エラルドは皇太子の怒りをものともせず、朗らかにお皿を持って近づいていく。
いや、待て。
「誰が親友だ」
「誰が親友だ」
2歳児とハモってしまった。もうダメだ。
お互いげんなりした表情になりながら目を合わせてしまっているうちに、エラルドが皇太子のところまで辿り着く。
「失礼ついでに、一口召し上がってください」
フォークに刺したエビを皇太子に差し出した。
見るのも嫌だと言っている相手にこれは流石に酷だ。
しかも叩き落とされる気しかしない。
呆気に取られていたネルスが立ち上がり、止めようか迷う仕草を見せている。
皇太子は仏頂面で、じっとフォークの先と自分より身長の高いエラルドの顔を見比べる。
「俺が今まで食べた中で一番美味しいエビです」
とてもいい笑顔だ。
悪意のかけらも感じられない。
だからこその圧を感じる。
そして、なんと皇太子が口を開けた。
開いた口にエラルドがエビを入れるとぱくり、と食べた。
無表情で口を動かす皇太子を周囲が息を呑んで見守る。
飲み込む音が聞こえる。
「不味い」
「あれ? そうですか? じゃあこっちの……」
「……っもう良い! 食べれば良いのだろう。スープ以外は食べる」
皇太子が椅子にどかりと座った。
天然は恐ろしい。
恐ろしいがなんとかなったらしい。
なったらしい安心感ゆえか、思考が明後日の方向へ向いていく。
私は何を見せられた?
推しの爽やか好青年が俺様超絶美形にあーんして、ついでにフォークで間接キスしたの?
ちょっと巻き戻してもう1回見せて欲しい。
私はどう考えても他の人たちとは違う意味でフリーズして、2人を見つめていた。
すると、こちらを見た皇太子が子どものように口をへの字に曲げた。
「お前も何か言いたいことがありそうだな」
はい、今の萌えだったのでもう1回お願いします。
とは言えまい。
私はさも落ち着いて経緯を見ていたかのように、穏やかに笑って首を振った。
「すでに顔に『さすがにやりすぎた』と書いてある。改めて何か言う必要もないだろう。そうだな、あえて言うのならば『まずい』ではなく『私の口に合わない』と言った方が言われた側の苛立ちがマシになる」
イラつきはする。
私は指先を動かし、本日2度目になる詠唱をした。
魔術の光は皇太子が割った器の破片とスープを包み込む。
「見極めは終わったか?」
「……何?」
私は意識してそれっぽく見えるように、格好つけて皇太子に近づいた。
呼応するように光が私の手元までやってくる。
そしてそれが消えると、私の手には元のままの器に入ったスープがあった。
当然床も元通りである。
一度落としたスープなので流石に飲めはしないのだが、感嘆の声が聞こえる。
エラルドもネルスもポカンと口を開けていた。
「立場を顧みず自分を諌めてくれるような人間を探していたんだろう? でも、こんな事は早めに切り上げないと、せっかく見つけた忠臣の心がお前から離れていってしまうぞ」
皇太子はただ単に癇癪を起こしていただけだと思うが、本当に考えがあるかのように言ってやる。
アンネの時も今回も、諌められれば聞く耳を持ち、時間が経つにつれ落ち着いていく様子が伺えた。
恐らくだが怒りの感情のコントロールが絶望的に下手なのだろう。
まだ15歳だ、そんなこともある。
しかしそんなこともあるで済まされない立場だ。
皇太子は一瞬瞳を泳がせたが、わざわざ否定してこない。
散々な姿を見られている自覚があるのだろう。
私の話に乗った方が格好がつくと判断したようだ。
全くもって世話の焼けるお子様だ。
「も、申し訳ございません! 殿下のお心を測りかねて大変失礼なことを申し上げました!」
私の言葉に対する皇太子の沈黙を肯定と受け取ったネルスが深々と頭を下げた。
そのことで、この場にいる人間には「皇太子の暴虐無尽な振る舞いは忠臣を選定していた」という共通認識が確定した。
「……いや、構わない。お前の言うことは正しかった。ネルス・クリサンセマム、覚えておく」
(しゃあしゃあとよく言うわ)
何事も無かったかのように尊大な態度の皇太子に笑えてきた。
ネルスはそんな皇太子の言葉が嬉しいようで、いつにも増して瞳が輝いているように見える。かわゆい。
頑張ったもんね。
今回のもう一人の功労者エラルドは、お気に入りの豚肉ステーキを指差し普通の友だちにするように皇太子に薦めていた。
「これが、すごく美味しいんですよ皇太子殿下。是非食べてください。そして褒めてあげてください」
「お前はこれが好きなのか?」
「はい!」
「……では先程のエビの礼だ」
先程までの激情はどこへやら、別人のように淡々と喋る皇太子が肉にフォークを突き刺した。
そしてエラルドに差しだす。
エラルドはキョトンと瞬いたが、すぐににっこりと笑うと嬉しそうにそれを口に入れた。
ガシャ――ン!!
あまりの尊さに、私はせっかく元に戻したスープの皿を再び床の上に落としてしまったのだった。
少女漫画や乙女ゲームではなく
BL的世界に飛んできた!?
※この物語はBLではありません