14話⑵
エラルドがもうずっと笑っている。
声を出さずにずっと肩を小刻みに震わせている。
「アンネとラナージュにほっぺ……!」
そんなに面白い?笑ってるのエラルドだけだけど!?
「あー、おかしい。なんでバレット笑ってないんだよー」
指で涙を拭いながら無表情のバレットにエラルドは絡んだ。
「逆にお前は何がそんなに面白いんだ?」
本当にな。
箸が転がっても笑えてくる状態なんだろうな今。
「えー、だって殿下とシンがずっとこうやってもちもちされてるんだぞ?」
エラルドがバレットの頬を両手で挟んで動かした。表情の動かないバレットの口元が伸びたり唇が尖ったりしてジワジワくる。
「なるほど」
頷いたバレットがエラルドの頬に手を伸ばして同じように顔を変形させはじめた。
そこまではされてないぞ。
なんだこれ。
「……っ、殿下にお怪我がなくて、本当に良かったです」
2人の様子を見ながら笑うのを堪えて息を吸ったネルスが、アレハンドロに笑いかける。
アレハンドロも、たぶん笑いそうになっている口元を隠してネルスの方へ目線を移した。
私は普通に笑いたいんだけど。
笑ってはいけない、のか。
仕方がないので口元と目元を引き締めた。
「多少の怪我ならなんでもないが、大事になると護衛の騎士が入ってきて劇場に迷惑をかけるからな。良かったと思う」
「そんなことが考えられるようになったのか」
睨まれた。
「な、なんにしても、楽しかったみたいで、よかったな?」
自分が動かしたバレットの顔を見て、息も絶え絶えに笑いながらエラルドが手を離してこちらを見た。
そして更に楽しげに口を開く。
「殿下はシンたちと一緒になるまでアンネと2人だったんだろ?何かなかった?」
「え、エラルド……!」
踏み込んだなーと思ったら、タブーを口にしたかのようにネルスが慌てて名前を呼んだ。
婚約者がいるのに平民の女の子とデートに行ってたんだもんな。
いくら気持ちがバレバレでも普通聞かないよな。
「ない」
アレハンドロは特に動揺するわけでもなく、紅茶のカップに口を付けてから仏頂面で答えた。
「そうなのか?」
ちょっとは隠せ、と思いながらも食い気味に聞いてしまった。
明らかに何かありそうだったから見るのをやめたのに。
しかし、溜息を吐きながら眉間に皺を寄せているこの表情は、嘘をついている顔ではない。
「あの女、無防備すぎて何かしようという気にもならんな」
「あー」
「あー」
苦々しく吐き捨てられた言葉から色々察した私とエラルドの声が重なる。
あんまりになんの疑いも照れもなく、躊躇せずに目を閉じられたのだ。
おそらくキスをしようとしていたのだろうが、やめたのだろう。
エラルドにもみくちゃにされていた頬をさすりながらクッキーを口に放り込んだバレットが、真っ直ぐアレハンドロを見て口を開く。
「脈なしなんじゃないか?」
こらー!!
いつもいつも!!
人の心がないのかお前は!!
そんなことはないー!
多分だけど。
アレハンドロの負のオーラを感じたのか、気まずそうな顔で話を聞いていたネルスがすぐさま話題を変えた。
「ラナージュ嬢と2人でいたお前の方が僕は気になるが? 殿下の婚約者と何をしているんだ」
おっとその話題も中々際どくない?
私と2人になった時にこっそり聞くやつでしょう。
何もないだろうと私を信用してるからこその話題転換なのかな?
「保護者みたいなことをしていただけだよ。それこそ、何をしようという気にもならないくらいお嬢様に振り回された」
私にはやましいことはないのでありのままをサラッと伝えた。
何もないよーと手をパタパタ振りながら空いている手で紅茶を飲む。
全員が目を瞬かせた。
「振り回された」
「意外だ」
「ラナージュに」
特にアレハンドロは俄には信じられないという表情だ。
アレハンドロとラナージュは、お互いどこか猫を被っている感じがあるな。
「私も意外だったよ」
まさかお嬢様のお世話をする経験をするとは。
驚いた表情のまま、ネルスが何か思い出したように手を叩いた。
「そういえば。いや、今の話とは関係のない話なんだけどな?ラナージュ嬢といえば、この間シンの話になったんだが」
ラナージュとネルスが会話しているのはともかく、そこで私の話題が出るのがなんだか不思議だ。噂話をするタイプじゃないし。
ネルスは目線を左上にしながら顎に手を当てる。
「なんで本気を出せば学年首席にもなれるし、剣術大会でも優勝できるのにしないのかって言っていたな」
「恐ろしく買い被られてるな」
紅茶が口に入っているのに笑いそうになるのを堪えて飲み込む。
チートかな。チートだけど。
「ネルスやアンネと同じくらい勉強が出来て、バレットやエラルドと同じくらい剣術が出来ると思われているってことだろう?そんな馬鹿な」
そんなキャラ潰しなことある?
この体のポテンシャル的には小さい時からやる気を出して勉強して、本気を出して剣術に打ち込めばもしかしたらそんなチートキャラが誕生するのかもしれないけれど。
残念ながら私は興味を魔術にほぼ全振りし、その他はそんなに努力しなくてもだいたい上の中くらいできるすごい人なだけだった。
だけだった、とか。
いやー。凄いわ私。
他人から見たら腹立たしいだろうな。
しかし、全部に本気で取り組むなんて、時間も気力も体力も足りないと思う。
どこかで限界が来そう。
「確かに、シンって剣術の授業は手を抜いてるよな?」
ラナージュの言葉を笑い飛ばしていると、ベッドに後ろ手を着いて体重をかけた姿勢で、エラルドが首を傾げた。
「そんなつもりはないが?」
図星だったが、悟られないように不思議そうな表情で首を傾げ返す。
この子は本当によく見ている。
「そうかなぁ?1回組んだ時、絶対もっとやれると思ったのに途中で引いちゃっただろ?」
「あれは気迫に負けたんだよ」
いつだったかの剣術の授業の時、エラルドに誘われるままに気軽にペアを組んだのを思い出す。
授業だからお互い軽くやっていたのに、だんだんエラルドの剣が重くなってきたのだ。
お互いが本気になってどちらかが怪我をしたらと思うと怖くなったので、負けて強制終了したんだった。
技術的なところはともかく、怖くなってる時点で気持ちで負けてるし絶対勝てないと思うんだけど。
剣術はそもそも、気質が合わない。
今思えば、そりゃそうなるだろうエラルドと組むなんて血迷ったのかって感じなんだが。
初めて会話に興味を持ったらしいバレットが身を乗り出してくる。
「面白いな、今度俺と」
「勝負しないからな」
絶対いきなり本気出してきて怖いじゃないか。
皇太子を吹っ飛ばした前科持ちめ。
「僕も1回、本気で勉強したお前と成績を争ってみたいな」
目をキラキラさせてネルスまでぐいぐいくる。
苦笑いして、肘掛けに頬杖をついてしまう。
「私はテストはいつも真面目にやってるぞ。本気の勉強ってなんだ」
「そうだなぁ……僕と同じ時間勉強しよう!」
「それはなんの冗談なんだ絶対嫌だ」
拗ねて唇を尖らせるネルスはかわいい。
しかしネルス、すごくいいこと思いついた!という顔をしていたけれども。
こうやって誘わなかったら寝るまでほぼ勉強してるのを知っているぞ私は。恐ろしい勉強時間のはずだ。
ネルスの感覚では、剣術とは違ってやればやるほど身につく勉強が楽しいらしい。素晴らしいね。無理。
エラルドやバレットは逆のことを言いそうだなぁ。
「なんというか、お前たちは本気で頑張れるものがあって楽しそうだな」
若いっていいなぁと、目を細めてしみじみと感じてしまう。
なんか、みんなが本当に発光してる気がする。眩しい。
そうしていると、相変わらず背もたれに踏ん反り返りながら話を聞いていたアレハンドロと目が合う。
「貴様はないのか。将来の目標は」
「んー」
大人になったらもうこの世界にいないし夢とか考えたことないな。考えたことなさすぎて気の抜けた返事になってしまう。
「家の跡を継ぐなら私と同じか」
「そうだなぁ……規模が全然違うけどな」
継ぐ気もないなんて口が裂けても言えない。
皇太子なんだから当然というか、仕方ないというか。
アレハンドロは国を治める予定なんだな。本当に凄いな。
責任が重すぎて、逃げたいと言ったら手伝ってあげたいくらいだ。
私は1つの領土すら治めるのはごめんだし、会社とか店とかでも嫌だな。働き蜂でいたい。
「宮廷魔術師とかは、考えないのか?」
バレットが今度はこちらを真っ直ぐ見ている。
なるほど、そういう夢もありなんだろうな。本当にこのままこの世界にいるならば、まだそっちの方がいい気がする。
しかしそもそも長男って選択権ないんじゃないかな。でもエラルドは長男だけど騎士になりたいって親に言っているんだよな。
私はまじめに考えたことがないから、親ともまともにそんな話をしていない。
何も言わなければ当然、跡を継ぐものだと思っているはずだ。
全方面にゴメンって感じ。
「ネルスは中央で行政の仕事がしたいんだっけ?」
私が何も答えないのをどう受け取ったのかわからないが、助け舟を出すようにエラルドがネルスの方に話を振った。
ネルスは特に疑問も持たずに元気に頷く。
「そう。ありがたいことに好きにして良いと父上や兄上に言われているからな! ルース王の右腕の賢者みたいに、一生かけて皇帝陛下や皇太子殿下のお役に立ちたい!」
拳を握りしめてキッパリと言い切るネルス。
その皇太子殿下は隣にいるし、今日のアンネと同じこと言ってるしでなんかすごいな。
照れとかないのかな。
アレハンドロの表情が少し柔らかくなる。
「アンネも同じことを言っていた」
「アンネとよくこの話をするので……お役に立てるようになるまで努力します!」
笑顔を向けあっている2人の間にキラキラしたとてもいい空気が流れている。眩しい。
「本当にアンネとネルスは仲が良いよなぁ」
「親公認だしな」
「その話はよせ!」
エラルドとバレットが茶々入れすると、ネルスは顔を真っ赤にして睨みつけた。
せっかく機嫌がよくなっていたのに。
アレハンドロの口がまたへの字に曲がってしまった。
本当に分かりやすいやつだ。
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