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1話【入学式の日】

 今日はドキドキワクワクな入学式。


 私は、光の加減で黒っぽくも見える暗い紺色をした詰襟の学生服に身を包み、豪華な装飾の校門を潜った。


 季節は私たちでいうところの春。


 快晴で気温も丁度良く、校門周辺に植えてある花壇には色とりどりの花が咲き乱れている。

 桜が満開であればいうことがないのだが、この国にはそれがない。

 残念至極。


 国中の有力貴族、士族の子弟が集まってくるこの学園は、とにかく豪華でとにかく広い。

 写真でしか見たことはないが、外観だけで言うとベルサイユ宮殿のような構えだ。


 デルフィニウム公爵家の屋敷も広いし、何度か足を運んだこの帝国の宮殿は更に広いので慣れたものではある。

 しかし、学生が学ぶ場と思うと私の常識では異様である。


 帝国一の学び舎と言われるだけのことはある。


「……大学は広いところもあるけど……」


 後で探検しようと思いながら歩いていると、小さな鳴き声が足元から聞こえた。


「……っと、蹴るとこだった。……何だお前……」


 灰色の子猫が青い瞳をうるうるキラキラさせてこちらを見上げ、私の靴をちょんちょん、と触った。


(……は??かっっっっわっっっっ)


 声を上げないように口元を左手で覆いながら見下ろす。

 子猫はクルクルすりすりと非常に愛らしい仕草で私の足の周りを歩き、離れる気配はない。


(いやいやいや、かわいいかわいい……! これしゃがんでも逃げない? 抱き上げてもいいやつ?? 学校で飼ってるの? 生徒が飼ってるの? それとも野良なの? 野良だったら下手に触らない方がうわかわいあいいあいいい)

「わぁ……っかわいい子猫ちゃんですね!」


 様々な葛藤で動けずにいると、弾んだ少女の声が聞こえた。

 聞こえたと同時に、足元に赤味の強い茶髪のおさげ頭が見えた。


「よしよーし……良い子だね、人懐っこいねぇ」


 その少女は私が葛藤していたことなど知りもしないだろう。

 あっさりと子猫を抱いて立ち上がると、顔に近づけて笑いかけている。


(……漫画でよく見るやつ……)


 緩やかな三つ編みをした、紺のブレザーに新入祝いの赤いコサージュが付いている少女は、にっこりと微笑みながらこちらを見上げる。


 眉より上の前髪と、優しいオレンジ色の瞳が印象的な子だ。


「子猫、苦手で困ってたんですか?」


 どうやら立ち往生している私を助けようとしてくれていたらしい。

 子猫が嫌で立ち止まっていたわけではないが、どうすべきか悩みすぎていたので助かったのは助かった。


「いや、嫌いなわけじゃないんだ。愛らしいと思ったが触って良いのか迷ってしまってな。君が来てれて助かった。ありがとう」


 微笑を返すとおさげちゃんは分かりやすく子猫で顔を隠した。些か顔が赤い。


 そういえば私は今、超顔が良いんであった。


「い、いえ!さしだまがし……っさ、差し出がましいかと思ったんですけど良かったですっ」

(かんわい……ほんと気分いいなこれ……)


 初々しい反応と完全に噛んでしまっている様子に軽く肩を震わせてしまった。


 そして、腕の中で撫でられて心地良さそうにしている子猫がかわいい。

 かわいいのだが。


「……入学式会場の近くに手を洗う場所はあるだろうか。お手洗いくらいはあるか。」

「……? お手洗いですか? 会場に急いだ方がいいですね!」

「いや、動物に触ったら手を洗わないと」

「……え?」

「え?」


 心底不思議そうな顔をしているおさげちゃんと私の常識がぶつかり合った瞬間だった。

 


 

 その後、子猫とは離れて会場までおさげちゃんと一緒に行った。

 手は洗ってもらった。


 会場までの道中、アンネ・アルメリアという名前と、貴族や士族といった特権階級の家ではなく、町の料理屋の娘なのだということを知った。


 学問の才を認められた特待生なのだという。


 あ、これはもしかしてヒロインとフラグ立てたやつか?

 特にどんな世界観とか知らなかったけど、実は乙女ゲームとか少女漫画の世界とかだった?

 最近流行りの?


 それならBLゲームの方が良かった。


 いやなんにせよ面倒だな出来るだけ関わらないようにしようかなでもあの子かわいかったなぁ。


 等と明後日の方向に思考を乗っ取られながら、ぼんやりと入学式を過ごしてしまった。


 正直入学式の内容は、新入生代表の挨拶をした生徒がこの国の皇太子であったことと、その皇太子が銀髪褐色肌の美男子だったこと以外は印象に残っていない。


 皇太子とは何度か宮殿のパーティで会ったことがあり、美男子であることは知っていた。

 しかし一年ぶりくらいに見た皇太子様は幼さが薄れ、一層美形になっていた。

 男子の成長期すごい。


(あの皇太子と今の私、並んだら引くほど絵になるだろうな~)


 式が終わった後は各自休憩の後、教室へ移動するように言われた。


 並んでみんなで教室行かないのか、と思いつつ、広い敷地内をのんびりと歩く。

 今の私であればギリギリの時間までのんびりしていても、ダッシュすればすぐに教室までたどり着けてしまう。

 

 そう思うと好きなルートで太陽の光を浴びながら散歩してしまおうという気になる。

 

 が、なにやらざわつきが耳に入り目線をやる。

 大きな木の周辺に人集りが出来ていた。


(なんだなんだー?)


 こんな晴れの日に何事だろう、場合によっては教師をと、ほぼ野次馬根性で人の隙間から騒ぎの中心を覗いた。


「貴様、このままここで学生生活が送れると思うな!!」


 低めだがよく通る声が空気を震わせた。

 それも、学生にとっては相当物騒な台詞でだ。


 この声は聞き覚えがある。

 つい先ほど入学式の会場で聞いていた素敵ボイスだ。


(……!皇太子、と……おさげちゃん!!)


 数人のお取り巻きの中心に立って憤っている皇太子、そしてその足元で完全に土下座の体勢になっているアンネを見て即座に隣に居た生徒の腕を掴んだ。


「何が起こった?手短かに教えてくれ」

「え、あ……!あの、木に登って降りれなくなった子猫を助けようとした女子生徒が皇太子の上に落ちて……!」

「ベタか。いや、ありがとう」


 急に声をかけられて驚いただろうに、簡潔に状況を説明してくれた。


 落ちたとなれば2人のどちらか、もしくは両方が怪我をしている可能性がある。

 本来まずそこを確認しなければならないところだが、怒り狂う皇太子を眼前に誰も何も言うことが出来ない。


 そう、まずは安否確認だ。


 私は生徒たちをかき分けて中央の2人に駆け寄った。

 皇太子を含め周囲の目が私へと降り注がれる。


 誰にも聞かれないように深呼吸し、出来るだけ冷静に、落ち着いてこの状況を収めなければ。


「アンネ、顔を上げて。怪我はしていないか?」


 ひとまず、立って怒鳴り散らしていた皇太子は元気そうなので大丈夫だろうと判断し、片膝をついてアンネに声をかけた。


 可哀想に、震えている。


「あ、ありま…ありません…っ…私…」


 地についた手や膝は動かさず、今にも泣きそうな顔がこちらを見上げた。

 可哀想で胸が痛む。

 安心させようと微笑みかけ、ぽん、と肩を叩いた。


「怪我がないなんて奇跡的だな。良かった。後は私に任せてくれ」

「貴様、なんのつもりだ。」


 せっかくアンネの表情が少し和らいだのに、様子を伺っていた皇太子が改めて割って入ってきた。

 私は立ち上がって彼と正面から向かい合う。


「失礼いたしました。こちらの話が終わるまでお待ちいただきありがとうございます。意外と空気が読める方なんですね。か弱い女子生徒を頭ごなしに怒鳴りつけていた方と同一人物とは思えない」


 笑顔のまま開いた口から出てきた言葉はどう考えても喧嘩を売っていた。

 それは誰でも怒るだろう、というような台詞が止まらなかった。

 場を丸く収めなくてはならないのに、どちらかというとこれは私の方が悪くなるのでは。


 自分で思っているより、この高圧的な権力者に対して腹を立てていたようだ。


「貴様、私が誰か分かっているのか」

 

 そう、ここで冒頭に戻る。

 

 きっと皆、あいつ正気かと思っているに違いない。

 私も思っているのだから。


 胸元に軽く手を添え、出来る限り優雅に腰を折る。

 

 「はい、アレハンドロ・キナロイデス皇太子殿下。僭越ながら申し上げます」


 しかし、ここで引くわけにはいかない。

 放っておくとこの男は、怒りに任せてアンネを本当に退学にしてしまうかもしれない。


 お互いに怪我をしていないのならば、ここは「ごめんなさい。もうしません」で終わらせて良いはずだ。


「この程度のことでこれから学友となる彼女を処断するのは器が小さすぎる、と」


 凛とした声が校舎前の広場に想定よりも大きく響き渡り、すでに冷え切っていた空気が完全に凍りつく気配を感じて内心では頭を抱えた。


 引き続き、怒らせるようなことしか言ってないな私は。

 本音すぎたな。

 

 正直、理不尽は承知でお前が落ちたアンネを受け止めとけばこんなことにはならんかったんだわくらいに思っている。

 この世界観で美形皇太子というハイスペック、それくらい出来ろ。


 と、私の個人的な感情はともかく。


 事情はどうあれ、木に登って人の上に落ちたアンネが悪いのは分かっている。

 無事にこの場を切り抜けたら改めて注意しよう。

 

 だが、「学生生活を送れると思うな」は皇太子が言うといくらなんでも重すぎる。


 頭を上げ、笑みは控えて真面目な表情を作る。


「見たところ殿下はお怪我はされていないご様子だ。であれば、ここは今後はこのようなことの無い様に、と厳重注意で充分かと」

「私の服や靴をこのように汚す行為、それで済むと思うのか」

「汚れ……?」


 皇太子の姿を頭の先から爪先までゆっくり観察する。

 すごくスタイルがいいな、ではなく。


 たしかに靴の側面に少し土が付いているような気がするし服にも土や芝生が付いている。


 おそらくアンネが落ちた際、一緒に地面に転けたのだろう。

 めちゃくちゃ痛そう。

 もしかしたら本当はどっか怪我してるんじゃないか。


 しかし怪我について反論せず、汚れに言及してるということは痛む場所はないと言うことだろう。なんて頑丈な。

 この汚れが先ほどの高圧的な言葉に繋がっていくのだとしたら、馬鹿じゃないのかとしか私は思えなかった。


 皇族の権威が云々と言われてもアホかと思うが。


 お洋服が汚れたのが許せない!

 なんて、たったそれだけのことで少女をあんな絶望的な表情にさせ、人生の崖っぷちに立っている気持ちにさせていることが理解できていないのだろうか。


 たった一声でそれが出来てしまう立場だと本当に分かっているのかこの小僧は。

 皇室はこの皇位継承権一位の教育を見直してくれ頼む。

 

 苛立ちが見えないように、背筋を伸ばし出来るだけ堂々と皇太子の方へと歩く。

 近づくことによって更に眉間の皺が深まり、敵意が溢れてくるその強くギラついた瞳の高さは、今の私の目線より少し高い。


「草や土程度、このように払ってしまえばよろしい!」

「……!? なっ……!」


 右手を振り上げると、パンパンと主に汚れている腰や尻を無遠慮に叩く。

 固唾を飲んで見守っていた取り巻きや野次馬たちがギョッとした声をあげてざわついた。


「なんてことを……!」


 という声が聞こえた気がするがスルーだ。


 皇太子本人は大混乱中なのか、口をワナワナと震えさせながらも大人しく叩かれている。


 振動で落ちていく草もあったが、意外とすぐに落ちない。

 繊維にくっつくタイプの草か、面倒くさい!


 私は軽く舌打ちをし、短い呪文を詠唱した。

 指先から溢れた光が皇太子の身体を包む。


 周囲から悲鳴が聞こえ、皇太子は咄嗟に身を守るように腕を交差させたが、もう遅い。

 そもそも危害を加えるものでもなかった。


「制服など、汚れていいように出来ているものです! その靴も、汚れて困るものを屋外、しかも学校に履いてこないでください! 白い服に墨汁ぶっかけられたわけじゃあるまいしキレすぎだ! 以上!!」

「ぼく…? なん、きさ、貴様……!」


 言葉を終えるとほぼ同時に皇太子を包んでいた光が消えた。

 草も土も綺麗に地面に落ちて、制服は元通りだ。


 叶うならば現実世界に持っていきたい魔術の一つだった。


 何かを言いたいが上手く言いたいことをまとめられない様子の皇太子に背を向ける。

 ぺたりと座ったまま両手で口元を覆って目を見開いているアンネの方へと戻った。


「さぁ、アンネ、立てるか?」

「……! は、はい……っあ、あの……」


 私が差し出した手をとり、立ち上がったアンネの服も汚れていた。

 木から落ちた後、土下座までしていたのだから当然か。


 皇太子にやったのよりも優しい手つきでパタパタと払ってやる。


「えと、その……」


 戸惑ったアンネの声を聞いてふと気がついた。私は今、アンネと同い年の男であった。

 その男の手が、女の子のスカートの汚れを払っている。

 

(こっちも呪文であれすればよかったー!)

 

 ごめーん!! とすぐさま飛び退きたいがそれでは何かが台無しになってしまう気がした。


 静かに深呼吸をし、慌てず騒がず、そろそろとアンネから一歩離れた。


「申し訳ない、悪気も下心もなかったんだ。急に触ったことを許してく」

「貴様! この無礼、絶対に許さん! 名乗れ!!」


 今度は最後まで言わせて貰えず皇太子の怒号が割り込む。

 

(やっぱりそうくるかー出来れば家を巻き込みたく無いから無礼承知で名乗らなかったのにな――やだな――なんとか誤魔化したい――)

 

 私は内心をひた隠しにしながら皇太子に向き直り、口角を上げた。


「申し遅れました。シン、とお呼びください」

「シン……何故、家の名を名乗らない」


 訝しげに細められる深緑の目。

 どんな表情も絵になる。

 動く度にさらさらと揺れる長い髪も美しい。声も良い。

 これで寛大で公正な人格者だったら完璧だったのに。

 

(でも完璧だとつまらないしかわいげないかぁ…)

 

 そんな場合ではないのについつい思考が現実逃避をしてしまうのはどうしようもなかった。


「家の名、ですか。そんなものは不要です」


 皇太子からの当然の疑問に対して、惚けるための言葉を思いついて口を動かす。


「この学校では学友として、家柄など関係なく、対等な立場で居ようじゃないか」


 通じるかは分からない賭けに出た。

 これが通らなければ最悪不敬罪で首が飛ぶ。


 丁寧な言葉遣いを急に取っ払った私に、皇太子はこの度何度目かの唖然顔、お取り巻きと野次馬は何度目かのザワザワを迎えた。


「よろしく、アレハンドロ?」


 さっきまで喧嘩を売っていたのにどのツラ下げて、ということは全力で棚に上げて。


 本日一番の笑顔を向けて手を差し出した。


「……っ!」

 距離的にも、今にも噛みつきそうな表情で言葉を詰まらせている皇太子の感情的にも、どう考えても握り返されることの無いであろう手だ。

 粘らず、すぐにひらひらと振って下げる。


 そして何か言われる前に皇太子に背を向け、そのままアンネの手を引いて校舎へと歩き出した。

 野次馬をしていた生徒たちが様々な表情をしながら私に道を開けてくれる。

 

(いけるか!? 15歳男子にこの感じでなんかすごいやつな雰囲気だして乗り切れるか!?)

 

 全速力でその場から消えたい気持ちでいっぱいだったが、まだ皇太子がなにも言わないと言うことは大丈夫だろう。

 大丈夫と言え。

 

 生きた心地のしない中、芝生を踏み締める。


 どうしても気になって、後ろをチラ見する。

 不敵な笑顔を浮かべているように見えてくれるとありがたいがそこはちょっともう分からん。


 皇太子は、不機嫌そうだが先ほどの激情は引いているように見えた。

 そして戸惑いの中に、少し嬉しさが滲んで見える。


 私には分かる。なんかちょっと嬉しそうだ。分かる。そうに違いない。そうであれ。


 つまり。

 

 

 よっしゃなんかいけてる感じの顔してる!!

 


お読みいただきありがとうございます!

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