プロローグ
「貴様、私が誰か分かっているのか」
太陽を反射し光り輝く銀色の髪。
対象を刺すように見据える深く暗い緑の瞳。
そして空気を震わせる低く威圧的な声に、周囲が息を呑むのが分かる。
目の前に居るのはこの国の誰もが知っている青年だ。
「はい、皇太子、アレハンドロ・キナロイデス殿下。僭越ながら申し上げます。」
しかし、恐怖は感じない。
最高の身分の人間とはいえ、たかだか15年と少し生きた男の子なのだから。
正しいと思うことは正しい、間違っていると思うことは間違っていると言わせてもらう。
「この程度のことでこれから学友となる彼女を処断するのは器が小さすぎる、と。」
…ただ我ながら言い方は悪かったか。
凛とした声が校舎前の広場に想定よりも大きく響き渡り、完全に空気が凍りつく気配を感じて内心では頭を抱えた。
思わず言った言葉には本音が出過ぎている。
皇太子殿下の眉が寄せられ、不快感と敵意が露わになった。
――ああ――
――平穏無事に学園生活を終えなければならないというのに――
◇
私の名前はシン・デルフィニウム。
アーノルド帝国の商業の要、サルイア領を任される、デルフィニウム公爵家の長男としてこの世に生まれた。
父親譲りの柔らかく波打つ金髪に碧い瞳、母親譲りの白い肌。どちらにも似ている美しく整った小さな顔。程よく付いた筋肉にすらりとした手足、優美な物腰。圧迫感を与えない程度の高身長。耳に心地よいバリトンボイス。
体術剣術馬術などの運動能力に優れ、一度見聞きしたものは忘れない頭脳を持つ。
中でも特筆すべきは魔術の才能。3歳という幼さで簡易詠唱にて高度な術式を操った。
端的に言うと、身分が高く金も有り顔良しスタイルよしでめちゃくちゃ強い。
チートである。
そう、何度もいうが私は身分が高く金も有る家に産まれる幸運を持つ上、なんか知らんが体はよく動き魔法だか魔術だかもめちゃくちゃ上手にできる。だからめちゃくちゃ強い。しかも美男美女の両親の下に生まれたので鏡を見るだけで美少年と美青年の間の貴重な時期を過ごしている美形を見ることが出来る幸せ真っ只中だ。
ナルシスト?事実なのだから仕方がない。
しかし、私は私であって私ではないのだ。
いや、産まれてから15年、ずっと私であったのだから私ではあるのだが。
実は中身は現代日本に生きる30代腐女子。
既婚、世界一可愛い子ども1人、職業は専業主婦。専業主婦が職業なのか否かは議論する気はない。
日々の癒しは我が子と二次元、日々のストレスは子育ての面倒で難しい部分と家事と時々、そう、時々ね、夫。
そんな私が何故、チートな美形貴族になって皇太子殿下に物申しているのか。
正直意味不明な状況だどんなシチュエーションだ皇太子に物申すって。
…実は私にもよく分かっていないのだが、この世界に入る前のふわふわした空間で受けた説明によると、どうやらこれは異世界トリップとか異世界転移とかそう言ったものの類らしい。
タイムスリップとは違う。
現実世界には存在し得ない物や現象やらなんやらが多すぎる。私が得意な魔術とか。
後、ここは中世とか近世とかのヨーロッパ風の何処かなのだが、多分本物はこんな感じではない。詳しくないから知らんけど。
そして異世界転生、ではない。そうであっては困る。私は必ずここから帰ってかわいい我が子を育てるこの世で一番大事なお仕事に戻らなくてはならないからだ。
そのため、ふわふわ空間にて説明役をしていたエルフっぽい男性に確認した。何度も確認した。
「私は死んではいない、ということですね?寝てるだけ。目を覚ましたらいつも通り、ということでいいですね?」
胸ぐらを掴んでガクガクと揺らしたいのを堪え、拳を握り締めながら詰め寄る私に、眉一つ動かさず淡々と、透き通るような声で綺麗な男性は頷いた。
「はい、その通りです。ただ、そのためには先ほど申し上げた条件をクリアしていただきます。」
「転移だかトリップだかの先で成人するまで生きてたらいい。どんな修羅の国に飛ばされるんですか私。」
「それは貴女の運次第ですので…」
こんなトリップテロに当たってる時点で運が悪いなんてもんじゃない。そもそも私は運がいい方ではないのだ。戦場に転移させられたらたまった物ではない。
大体、ただ熱を出して嘔吐しまくった子どもを一晩中宥めたり、布団の処理したりということが一週間続いたために力尽き、旦那に色々投げて午前様からベッドにダイブして寝ているだけの私がどうしてそんなことに?
という核心的質問には「神のお導きです」という答えしかもらえなかったのだ。
意味がわからない。
夢か。夢なら良かったが意識がはっきりしすぎている。
ていうか普通に休ませてくれ。
「ふざけないでください。超絶イージーモードにしていただかないと転移先で貴方が主題のBL漫画描きまくってやる。脅しじゃないぞ勝手にイケメン同僚かイケメン神様を捏造して本当にやります。」
「……なんて??」
澄まし顔が本当に戸惑った表情と声を出したのは今思えば萌えだったのではないだろうか。
そんな脅しが効いたのかどうかは分からないが、とにかく私は平和な国の有力で裕福で何不自由なく暮らせる身分を手に入れ、しかもチート能力もあるイケメンという、希望通りの超絶イージーモードで15歳までたどり着いたのである。
この世界のこの国での成人は18歳。
15歳から3年間全寮制の学校に通って、卒業出来れば一人前の大人として認められる。
平民は10歳から全員様々な学校に通うことになるが、皇族、貴族、士族は15歳までは家で家庭教師などに教育される。
卒業後は家を継ぐ準備をしたり仕事を探したり、学問を続けたりと現実世界と同じようなものだ。
だがまぁそこは私には関係ない。
この最後の3年間、平穏に学生生活を送り、無事卒業して現実世界に帰るのだ。
現実世界で30年、この世界で15年生きたんだ。
3年間なんて、あっっっという間だ!
と、思っていたのに冒頭の通り。
事もあろうに偶然同い年であった皇太子に意見するような事態になってしまったのである。