9話⑴【舞踏会】
私は今、これまでになく楽しい気持ちで椅子に座ってグラスを傾けていた。
あの後は結局、ラナージュの希望通りアレハンドロと踊る羽目になった。
バレットの時より普通のダンスだったので体は楽ではあった。
しかし、周りの見えちゃいけないものを見てしまったというような視線が痛すぎた。
音楽家の皆さんは面白がっているのか偶然なのか、とてもロマンティックなスローな曲を演奏してくれたので密着度も凄かったし2人してヤケになっていた。
そしてたまに女の子の嬉しそうな声が聞こえた。
皆さんお好きですね!!
くっそ私もそっち側いきたい!!
と思いながら踊っていましたが、なんと今そっち側にいます。
私とアレハンドロが本当に1曲だけ踊って戻った後、エラルドがアレハンドロに踊ろうと声をかけてきた。
何事だよと思ったらパトリシアが「殿下とエラルドさまが踊ってるの見てみたい」と言ったらしい。
パトリシアは後ろで「冗談です!言ってみただけです!!」と大慌てだった。
が、私は冗談ではなく観てみたかったので、
「行ってこい。我らが皇太子殿下は女役も出来るとても器用な方だからな」
と、背中を押してやった。
さっきは私が女役やったから知らんけど。
今にも怒鳴りそうだったアレハンドロだったが、手をエラルドがニコニコしながら引っ張ると、空気に飲まれて行ってしまった。
(行くんだ……)
自分で言っといてなんだがびっくりした。
そうしていると、次はネルスとアンネがやってきた。
アレハンドロとエラルドが踊っているのを見て、
「じゃあ、私はバレットさまとネルスさまが踊ってるのも観てみたいですねーなんて……」
と。笑いながら本当に冗談で言ったのだと思う。
もう男同士で踊っている皇太子にすら驚かなくなっていたネルスも「まぁ僕も女性パートは踊れるからな!」と笑い返していたのだが。
「じゃあ踊るか」
え、という間もなく。
ネルスがバレットに担ぎ上げられて行った。
まさかの乗り気。
男同士で踊る方が無茶ができることを学習してしまったらしい。
しかしそれならエラルドとかを選ばなければ。
ネルスは運動だけは出来ないのだ。
「待て待て!! 僕は!! シンみたいに踊れないぞ!! 運動能力も筋力も並以下だ!! 本当に普通にしか踊れないぞー!!」
教えてあげないと危ないかと思ったが、バレットの意図を汲み取ったらしいネルスの正直すぎる断末魔が響いていたので大丈夫だろう多分。
(こんな夢みたいなことある? ただでさえ夢の世界みたいなとこなのに? 美男子たちがペアを組んで目の前で踊ってる……!)
文字通りネルスが振り回されているのを眺めていると、
「パトリシア、わたくしたちも負けていられませんわね?わたくし、男性の方も踊れますのよ」
ラナージュが優雅にパトリシアの手をとった。
「えっ! ありなんですか!?」
「親睦会ですもの! 男性同士も女性同士も仲を深めましょう!」
驚くパトリシアの手を引いてラナージュがダンスの輪に入って行った。
というわけで、今はエラルドとアレハンドロ、バレットとネルス、ラナージュとパトリシアの美しいカップルを眺めながら幸せに浸っていた。
(楽しいー良きー)
ここに白飯があったら三杯くらいいけそうだ、と思いながら、共に残されたアンネの方を向く。
小さい一口サイズのシュークリームを頬張りながらダンスを眺めている。
「楽しんでいるみたいだな?」
「はい! ダンスは慣れないんですが、とても楽しいです……!」
シュークリームを飲み込んだアンネはこくこくと何度も頷いた。
本当に楽しそうでなによりだ。
このままゆったり萌を堪能するのも大いにありだとは思ったが、ここでかわいい女の子を放っておくのもなんだか貴公子っぽくない。
私は椅子から降りて片膝をついた。
「そうか。じゃあ私とも1曲お願いしますアンネ嬢」
手を差し出しながら綺麗に微笑んで見せる。
「……! ありがとうございます! 喜んで……!」
頬を紅潮させたアンネが言葉通り嬉しそうに破顔して、手を重ねる。
私はようやく、男側で女の子と踊る機会をゲットしたのだった。
◇
アンネとも一通り踊って再び休憩中。
アレハンドロと2人で皆が踊っているのを眺める。
きっと今回の舞踏会で、私たちの不仲説は無くなったのではないだろうか。
一緒に居すぎて、仲が悪いというには無理がある。
おそらくアレハンドロももう諦めていて、普通に隣に座っていた。
「お前たちは服の色を合わせてきたのか」
「バレットと?別にお互い親が用意して……」
「違う。あいつだ」
目線の先にはラナージュと踊っているアンネがいた。
ラナージュは男側が楽しくて仕方なかったらしく色んな女の子を男から掻っ攫っている。強い。
「ああ、アンネか。同じ緑なのは偶然だ」
もしかしてずっと気になっていたんだろうか。
なんだかちょっと拗ねているように見えるアレハンドロがおかしくて、思わず頭を撫でた。
「そんな顔をするならお前がアンネをパートナーに誘えば良かったんだ」
「……出来るならな」
冗談のつもりだったが、繊細な皇太子はしょんぼりとグラスに視線を落とした。
知っていたけど本気じゃないか。
悪いことをした。
そりゃ、公の婚約者がいるのに他の子は誘えないに決まっている。
不自由だな皇太子は。
(しょうがないなぁ)
私はごめんね、の気持ちと共にポンッと銀色の頭に軽く手を置いてから立ち上がった。
丁度、今の曲が終わったところだった。
すぐにラナージュとアンネの元へ足を運ぶ。
「ラナージュ嬢、私と1曲踊っていただけますか?」
胸に手を当てて礼をすると、にっこりと頷かれる。
「ええ、もちろん。デルフィニウムさまにお誘いいただけるなんて光栄ですわ」
「踊っていたのにすまないな、アンネ」
私は手を差し出しながら、キョトンとしているアンネに声をかけた。
アンネは拳を握りしめて、ブンブンと首を横に振る。
「い、いいえ! おふたりが踊るなんて素敵です……!」
ラナージュが私の手をとってくれたので、笑いかけながらその場を移動する。
その際に、ポカンと見ていたアレハンドロの方へと視線をやり目を合わせた。
誘うなら今だぞ、と。
何曲か一緒に踊るくらいなら許されるんだからそれくらいやればいいのだ。
微妙なところでヘタレている場合か。
ラナージュと踊りながら、肩越しに2人の様子を伺う。
アレハンドロがアンネに近づいて行くのが見えた。
頑張れ。
「あのおふたりが気になりますか?」
ゆったりとしたテンポの曲が流れる中、ラナージュが私の目を見て穏やかに言う。
急に声をかけられて口から心臓が出るかと思った。
突然も何も、踊っているのだから会話してもおかしくないのだが。
私は失礼なことに完全にアレハンドロたちの方へと完全に意識がいっていた。
質問の意図は分かりかねたが、15歳の女の子に全て見透かされている気がして、目を逸らしそうになる。
だがそこは耐えて見つめ返した。
「まさか。こんなに美しい人にお相手いただいているのに」
「お上手ですわね?」
完璧な笑顔が逆に怖い。
内心ヒヤヒヤしながらも顔を上げた先では、アレハンドロとアンネが手を繋いで踊っているのが見えた。
浮気の手引きをしてるみたいだ。
いやそうなんだけど。
そうなるんだろうなあ。
◇
しばらくラナージュと踊った後、彼女は軍服風の服を着た生徒に誘われて行った。
流石の人気だ。
ダンスもとても上手で、流れるような動きだった。
間近で見ても肌はピカピカだし髪はツヤツヤだし手は一度も荒れたことが無さそうだった。
爪もキラキラだった。素晴らしい。
私は15歳の時なんて垢抜けないもっさりした人間だった気がする。
しかし今は垢抜けたイケメンなので壁と仲がいい私は、白い壁にもたれかかる。
休憩を挟まないとやっていられない。
15歳男子のこの体、驚くほど体力はあるのだが、やはりダンスというのは気疲れもする。
そして、これまでになく幸せそうに踊っているアレハンドロとアンネの方を見た。
なにか、アンネの動きがおかしい気がしたからだ。足を引きずっているような気がする。
そう思った時、アレハンドロも気がついたのか動きを止めた。
2人が足元を見ながら何か話している。
(もしかして靴擦れしたのかな?)
だとしたらすぐに手当をと壁から背を離そうとした時。
アレハンドロがアンネをガバッと横に抱え上げた。
つまり、お姫様抱っこした。
(き、キターッ)
私は1人でテンションが上がった。
驚いて振り返る周りを気にもとめずにアレハンドロは歩き出す。
アンネが慌てた様子で腕の中で何か言っているが聞きやしない。
諦めろアンネ。
こういう時にイケメンは絶対下さないんだ。そういう仕様だ。
アレハンドロが足を進める度にそれに合わせてドレスがふわりふわりと揺れる。
ドレスの重みと人の体重。
なかなかの重量だと思うがそれを感じさせない。
軸をぶれさせることなく真っ直ぐと椅子がある方へと歩いている。
さすが本物の王子様、もとい皇太子だ。
私は壁に背中を戻し、ニヤけそうなのを口元にグラスを当てることで誤魔化しながら二人を引き続き眺めることにした。
我ながらどうかと思う。
でも見てるの私だけじゃないみたいだし良いだろう。
アンネを椅子に座らせると、アレハンドロが片膝をついた。
すごいな、床に膝をついてる皇太子。そうそう見られるもんじゃなさそうだ。
そしてドレスの裾から覗く右足に触れ、白い靴を脱がせている。
やっぱり靴擦れをしているらしい。
靴擦れくらいなら治してあげられるけど野暮かなーどうかなーもっと緊急事態ならともかく、今行くのはちょっと違うかなーと澄ました顔を作りながら悩んでいると、アレハンドロが何か呪文を唱え始めた。
アンネの足を柔らかく白い光がゆっくりと包んでいく。
光が消えると、足を動かしたアンネが嬉しそうに微笑んでいる。
アレハンドロの表情もいつもとは比べ物にならないほど優しい。
治ったのかどうかは謎だが、少なくともアレハンドロに立ち上がらせてもらったアンネの歩き方は元に戻っていた。
それなら出て行くのは控えた方が良いだろう。
アレハンドロと偶然目が合う。
治療を私に頼むか迷うように視線を彷徨わせていた。
なるほど、完全に治ったわけではないのだろう。
しかし私は手を振って背を向けた。
ここで手を出すのはやっぱりちょっと、違うでしょう。
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