時間が、ない
芝原校長が最後にゴミと言って見たものは、間違いなくハンググライダーだった。
芝原にはそこらに転がっているゴミクズと何ら変わりないのだろう。
「どうしよっか……」
「他の連中はどうなるんだ?」
引き戸を開いて隣の様子を覗き見る。
芝原と寺田は隣にあるサークルにも顔を出すようだった。
面識はないが隣はサバゲーサークルと彫刻美術サークルだった気がする。
前者は確かに反論ができないほど、教育に役立つとは思えない。
校長が隣のサバゲーサークルの部屋を開ける。
「むっ! 何だ貴様は! 敵襲だ! 全隊員装備Aで以て戦闘準備! 豚のように太ったアメ公のケツの穴に銃弾をぶち込んでやれ!」
「「はい、隊長!」」
騒がしい声と銃弾を発砲する声まねが部屋の中から発せられ廊下にまで響いていた。
向こうの人達も校長と知らなかったようだ。
「こら! 何を言ってるんだ、お前ら! ここにいるのは校長先生だぞ!」
芝原の額には青筋がぴくぴくと浮かんでいる。
扇子を持つ手にも力が入っている。
「し、司令どのでしたか! 全員、日本軍総司令に敬礼! バカもん! 敬礼は右手でやると教えただろうが! 校庭三十周!」
「「はい、隊長!」」
「貴様ら……すぐにここを出ていってもらうぞ!」
理由も説明しないで校長は怒りで頬をぴくぴくさせながら大股で隣の部屋へと移動する。
「なんなんだ隣の奴ら……」
「僕たちより対応がひどいね……」
戸から頭だけを出している僕たちは二人して呆れていた。
確かに今年の四月に新しく就任した校長の顔何か覚えている方が珍しい。
全校集会の壇上で話すのが常だから顔は遠くからは見えないのだ。
「あーなんすかー」
女生徒がベージュのエプロンを着て廊下に出て来た。
髪は適当に後ろでまとめ上げられている。手には彫刻刀のようなものが握られていた。
「いま、取り込み中なんっすよー。良いデザインがみつからないっていうかー。あーもううっとうしい。……あなた汗拭いてくれません? ふけつっつうか。中年の人の汗って脂ぎってるっていうかー。とにかくうざい。そう思うっしょー和子?」
「そうだねー私も大賛成」
和子と呼ばれた生徒は部屋のなかから気だるげな返事をした。
二人の女生徒に限っては目の前の校長を先生とすら把握していない。
中年という言葉で全てを片付けている。
堪忍袋の緒が切れたのか、校長の頭が次第に真っ赤になっていく。
「なんなんだ君達は!? 自分の学校の校長も知らないのか!?」
「芝原校長落ち着いてください!」
隣で芝原を宥める寺田を見て女生徒はようやく状況を察したらしい。
申し訳なさそうに校長に言った。
「すんません。校長先生っしたかー」
「すぐに立ち退いてもらうからな!」
寺田と芝原は説明らしい説明をまたしてもしないで踵を返した。
こちらに戻ってきたため、すかさず頭を引っ込める。
「こりゃまずいなー。確実にサークル全部潰れるぞ」
まだ対応が丁寧にされていれば、光明が見えたかもしれなかった。
だがどのサークルも僕たちより対応が杜撰で荒い。
「どうするの、これから?」
「そうだな……」
僕たちは揃って長い溜息を吐いた。お互いが長い間じっと考えを巡らせていた。
校長は本気だろう。今年に入ってからさらに教育と進学実績に力を注ぎ込むつもりだ。
そのためには多額の資金が必要となってくる。大量にあるサークルの部費を奪い取る算段だ。
この学校には剣道部がない。体育館はあるのに剣道部がない理由は弱いからだ。
小耳に挟んだのだが、部活動の目的は、大きな大会に出場し学校の知名度を上げる役割もある。
三年ほど前、弱かった剣道部は潰されてしまったらしい。
「どうしたの、二人とも?」
文月が計測を終えて帰ってきたようだ。片手にはピンク色の大学ノートを持っている。
測った風のデータをそこに書き込んでいるのだろう。
僕と椎倉は現場を見ていなかった文月に状況を説明した。
核心に踏み込む毎に文月の表情が暗くなっていく。
「じゃあ、サークル潰れちゃうの?」
「……潰さない。潰したくない。潰れたら俺たちは飛べない」
「最悪、部室とかなくても大丈夫じゃん。椎倉の機体があれば」
「違う。ダメなんだ。このサークルは日本ハング・パラグライディング協会に参加して保護されているんだ。機材の注文代金がサークルの部費で払えるのも保護されているからだ。機材、一体何円すると思う?」
「えっと、五万円、くらいかな?」
文月がおずおずと答えると、椎倉は瞳を閉じて首をゆったりと左右に振った。
「五十万だ」
僕は心底驚いた。
五十万円など高校生が払える代金ではない。
協会の保護下にあり、サークル資金があって初めて機体は手に入るのだ。
「それに、サークルが潰れたらハンググライダー場で飛べない。前に話したよな、あそこはいま、一般人では使用できない。ほぼ潰れている状態と同じなんだ。俺たちがサークルをやっているからようやく立川のおっさんに使わせて貰えてるんだ。あそこからじゃないと、崖には届かない」
滑空比が八相当の機体を椎倉は作らなければならないため、ある程度時間が必要となる。
また僕が飛ぶ練習もしなければならない。どちらも一週間以内にこなすのは難しい。
一週間以内でサークルが潰れたらアウトだ。
あの口ぶりの校長が二週間、三週間待ってくれるはずがない。
サークルが潰れる。単純なことが僕たちの進む道全てに横たわっている。
「もう、こうなったら……校長を殺すしかない!」
「ちょ、ちょっと椎倉くん!?」
「やめなよ!」
椎倉は部室の鉄条規を握り締め、猛然と戸から走り去ろうとする。
僕と文月が何とか椎倉を押さえ込み、落ち着かせる。目が血走っている。
かなり興奮しているようだった。
「じゃあどうすりゃいいんだよ……」
僕たちは途方に暮れて、それぞれが鉄パイプのイスに腰を落とした。
丸時計の秒針を刻む音だけが淡々と部室に響く。時間が進んでいるという事実に打ちのめされる。
こうしている間にも、サークルが潰れる刻限が近づいている。