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からかい上手の瀬川先輩

 僕と文月はサークル棟から校舎へと移動しグラウンドへと出た。

 時刻は午後二時半。気温が最高となるときでも野球部の練習は続けられる。

 ピッチャーが白球を投げる姿がすぐ近くに見える。

 バックフェンスの前にはバッターが銀色のバットを持って立っていた。

 僕たちは邪魔にならないように玄関を左に曲がってバックフェンスの後ろを通る。


 椎倉は文月に風速計の使い方を教えていた。ただ風の強さを測るだけでは意味がない。風がどの方向から吹いてくるかの向きも必要だ。安物の風速計では向きまで測ることはできない。サークルにも安物しかなかった。だから椎倉は文月には伸縮式の風速計に鯉のぼりのような小さな吹き流しが付いたものを託していた。四段式の伸縮風速計の尖端で風速を測り、吹き流しで方向のデータを手に入れようとの魂胆だった。


 記録する高さは伸びる限界の五メートル。田舎なのでビルがないため、高さ五メートルと飛ぶ高度での風速はあまり変わらないらしい。熱心に風速測定場所や使い方を文月が聞いているあいだ、僕は全く別のことを考えていた。


 僕は何をしているのだろう。


 初めは確かに飛ぶことに興味があった。サークル棟にも訪れた。

 だけどいつの間にか、僕がハンググライダーで飛ぶことになっている。

 しかも文月の頼みも聞いてしまっていた。少し前の僕なら想像もできないことだった。


 誰にも期待しない代わりに、誰からも期待されない生き方。


 僕は他人から失望されるのが恐い。安っぽいプライドがそこにはあるのかもしれないが、僕は期待されることは嫌なのだ。なのに僕はいま何をしている。恐いはずなのに、他人と関わろうとしているなんて。


「暑いね」


 校門を出るころになってようやく文月が言葉を口にした。

 会話の起点である椎倉がいなくなると僕と文月の会話はとたんに途切れてしまう。

 自分のことを話したがらない僕と同じく自分のことを話さない文月。

 僕たちはどこか似ているのかもしれない。


「ほんとうにね。汗かくよ」


 半歩後ろとでも呼べる位置に文月はしっかりと収まり、僕の歩調にぴったりと付き従っている。

 僕は文月の横顔を流し見る。白く滑らかそうな肌に一筋汗の玉が浮かんでいた。

 男の汗を見ると不愉快な気分になるが、文月のは嫌な感じがしなかった。


 出会った当初のように服のどこかを掴むようなことはなくなったが、たまに寄りたがりそうな雰囲気を彼女の表情からひしひしと感じる。


 身体の前に両手でスクールバッグを持っている。僕は右肩に担いでいる。


 ふと思った。僕たちは周りからどのように見られているのだろう。

 夏の午後に授業が終わって帰る仲の良い生徒? ……ありえない。どう見ても恋人同士だろう。

 野球部の連中も練習しながらも恨めしそうな視線をこちらに投げ掛けていた。


 僕はいま可愛らしい女の子に寄り添われて幸せなのだろうか。

 普通の人とは異なる生き方を送っている僕には判断がつかない。

 けどあんまり不快ではない。


「……あれじゃないかな!」


 校門から出て南に徒歩五分くらいの道路だ。道路もきちんと舗装されている。

 この辺りになると商店街ぐらいとでも呼べそうなほど店が揃っている。

 西高の生徒は基本的にこのオアシスロード(他が砂漠にいるように何もないから)で買い物をする。

 左右の歩道には同じ西高生がちらほらいる。


「あれか……」


 普段から利用しているが、自分が使う店舗ばかりで他の店には目がいかなかった。

 瀬川文具工具店は肉屋のはざわとクリーニングの島崎の間に挟まれていた。

 店の軒の上には大きな文字で瀬川文具工務店とあった。

 田舎では良くあることだが、一つの店が複数の業務を兼任している。


 一階が店舗で二階は住居のようだ。

 店の引き戸を右に開け僕たちは中へと入ると、戸の上の来客を知らせる鈴が鳴る。

 僕は疲れと一緒に、大きく息を吐いた。


「あぁ、涼しいね。このお店」

「僕はここで少しは涼みたいよ」

「さきに注文しないと」


 文月がバッグの横から注文を頼まれた品が書かれた紙を取り出した。

 主軸六メートル。ポリエステル製の翼布を二十平方メートル。


「えっとこれだけだよね?」

「多分そうじゃない。椎倉に聞かないと僕にはさっぱりだけど」


 店内は色々な文具が棚に並べられていてあまり広くない。

 棚と棚の間を通って奥のレジに向かったが、誰もいない。


「あれ? いないのかな?」


 文月がきょろきょろと店内を見回す。


「不用心だなぁ――っているじゃん」


 カウンターには誰もいなかったが、店の隅のストールに腰掛けている女の子はいた。

 僕と文月が女の子の方を見ると、西高の生徒は座ったまま話かけてきた。


「いらっしゃい」


 少女とは呼べない。大人びている。

 彼女は腰掛けた両膝に両手を乗せて丁寧に頭を下げる。

 チェックのスカートに半袖の白いブラウス。胸元にはピンク色のリボン。

 黒髪は艶やかで地面に届きそうなほどに長い。眉は細く、顔も小さい。

 深窓の令嬢と言う表現がぴったりと合う女生徒だった。何か抜け落ちているとしたら、病的だろうか。

 肌が白すぎる印象を受ける。何か病気でも患っているのかもしれない。


「なにか買い物でしょうか?」

「えっと、友達から注文して来いと頼まれたんです」

「西高の生徒さんですよね」

「はい、二年です」

「私は……三年。あなたたちの先輩です。お隣の可愛い女の子は彼女さんですか?」


 うっすらと先輩が微笑する。儚げな印象が一段と増した。


「ち、違いますよっ! 宮前くんとは全然っ!」

「あら、そうなんですか? 恋人同士の風格が漂ってますけど」

「そんなんじゃ!? あっ、宮前くんがダメなんじゃなくて、私がだめだめで可愛くなくてバカで……それでそれでっ」


 慌てて文月が否定しているせいか、何を言っているのかわからない。


「先輩、いじめてあげないでください。文月、そういうのダメなんです」

「はい、ごめんなさい」


 口元に手を当てて小さく笑う先輩。本当に学校の生徒なのだろうかと言うほど、大人びている。

 僕は年月で手に入る大人っぽさを感じた。


「紹介が遅れました。私は瀬川夕です」

「僕は宮前翼」

「私は文月綾です……本当に夕さんですか?」


 先ほどまでの慌てぶりから一転して文月は真剣な表情で瀬川先輩に訊ねる。

 先輩も真意を測りかねたのか、答える前に少し間があった。


「はい。どこかでお会いしましたか?」

「いえいえ、違うんです! 一方的に私が知ってるだけで!」

「……そうですか」

「そ、そんな先輩はどうなんですか? 恋人とかいるんですか?」


 大した質問ではなかったはずだ。文月も同じように先輩に聞き返したにすぎない。

 ところが瀬川先輩は少し悲しそうに俯いた。長い髪がさらりと彼女の表情を隠す。


「少し遠いところへ行ってしまっていて、会えないんです」


 面を上げた彼女の表情に悲しみの文字はない。うっすらと目元を緩めて笑っている。


「ご、ごめんなさい。私なんか……」

「いえ、会おうと思えば会えるんですがちょっと今はまだ」


 瀬川先輩の恋人はてっきり死んでいるのかと思った。

 けどすぐ会えるということは都会にもで行ってしまったんだろうか。


「こんな可愛い彼女さん、大切にするんですよ。宮前くん」

「ははは……」

「だから違うんですっ!」


 さんざん文月をからかって静かに笑ったあと、先輩は言った。


「すいません、用事あるんでしたよね」

「はい、文月、あの紙を」


 文月は手に持っていた紙を先輩に差し出した。


「金属類の注文も受け付けてるって友達が言ってましたので」

「はい確かにそうです。カウンターの前の注文書に書いて置いといてください。あとで父が注文すると思います。普段は父がカウンターにいるんですが、今日は工務の方で外出してるんです。病院にいくときにも文具店の方を開けっ放しで出て行って困ってるんですよ。物がとられてしまう心配もしないんです」

「でも、先輩がいるからいいじゃないですか」


 僕の何気ない返答に先輩は一瞬表情が固まったように見えた。


「……そうですね。父がいないときは私がここにいるんですから」

「じゃここに書いときますよ」


 僕はカウンターに置いてある注文書に椎倉に頼まれた機材を書き込んでいった。

 注文者の名前にはハンググライダー同好会椎倉と記しておく。


「椎倉くんの友達だったんですね」


 先輩は立ち上がりカウンターの注文書に顔を寄せていた。


「知り合いなんですか?」


 文月が訊ねると、先輩は長い髪を揺らして静かに頷いた。


「いつも……ではないですが注文してくれてるんですよ。私も何回か会ったことがあります」


 二人の間には深く割り込むことはせず僕は帰ることにする。


「……では用も済んだので失礼します」

「宮前くん、綾ちゃんまた来てください。恋人同士の仲の良い姿を見るのは好きなんですよ」

「だから違うんですっ!」


 文月は顔を赤く染め必死に否定するのだった。


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