青空レボリューション
――七月二十九日
午前の授業が終了と同時に僕はサークル棟へと走った。
一階から二階への階段に椎倉が廊下に頭を突き出す形で縮こまっていた。
僕が音を立てないように静かに隣に移動する。
「どう?」
「ダメだ。やっぱり監視されてる」
二階の廊下には中年の英語教師の原西が背後で手を組んで立っている。
僕たちの部室を監視しているようだった。
「どうっすか先輩、むこうが気付いた様子は?」
無線で先輩に囁きかけると声を落とした調子で先輩の声が返ってくる。
「まだ気付かれてません」
作戦の概要はこうだった。
先輩の大人には見えない幽霊の力を使ってサークル棟の鍵を奪取。
椎倉が受け取り、部室の鍵を開けブルースカイを強奪。
飛行場まで機体を運び、僕が飛び立つ。
全てが無茶苦茶で計画性もないが、僕たちにはこれしか手がない。
しかもいきなり最初の難関が立ちはだかった。鍵が手に入っても見張りがいるなら開錠できない。
「……しばらく待ってるしかない」
椎倉は手元の時計に目をやった。
時刻は午後十二時半。
サーマルが瀬川文具工務店の西に訪れるまで後、三十分しかない。
時間通りに乗らないと、欲しい高度が得られない。
「宮前、組み立てに何分かかる?」
組み立てには普通二十分から二十五分は掛かる。
機体を組み立て、しっかりと連結されているかを確認するとどうしても時間を取られてしまうのだ。
「追っ手が来るなら十分かかると危ない」
「冗談、五分でいけるよ」
僕は事前に全ての工程を頭に叩き込んでいた。
省略できる過程も試行錯誤済みだ。
「なら余裕だ」
椎倉はクククと笑い、再び先生の監視に戻った。
十五分ほど経つと先生がトイレにでも行くのか、こちらの階段に近づいてくる。
トイレは一階にしかないため、僕たちは三階の踊り場に身を隠した。
原西は僕たちに気付かず淡々と廊下に足音を響かせながら、一階へと下りいく。
足音が遠ざかっていくのを僕たちは確認した。
「あ、あぁー」
椎倉が喉の調子を確認し、無線機を通して全員に告げる。
「全員に通達。これより、コード――レボリューションを開始する」
僕と椎倉は階段を一気に飛び降り、二階の部室へと走り込んだ。
先輩から受け取った鍵を椎倉は何度も鍵穴に差し損ねたが、三回目にしてようやく開錠できた。
「宮前、運ぶぞ!」
棒状になったブルースカイを脇に担ぎ椎倉と急いで部室を飛び出す。
「お前らなにやってんだ!」
「げっ!」
英語教師の原西ではなくグレースーツ姿の数学教師の鈴木が現れた。
トイレではなく、見張りの交代だったのだ。
「お前らそこに、それを置け。禁止されているはずだろ!」
鈴木の大声に引かれるように原西まで二階へと登場する。
僕たち機体を離さずじりじりと背後へと後退る。
「くっそ、さっそくピンチかよ……」
先生二人が僕たちを取り囲むようにゆっくりと忍び足で近づいてきた。
背後は壁。前方は先生。
二人の間を駆け抜ける速度は機材を持ったままでは出せない。
捕まれば今度こそ、飛ぶことは絶対にできない。
万事休すと諦めたときだった。
「あれー先生たちいいところにいるっすねー。おかしいなぁーいつもは全く、これっぽっちも思わないのに今日は先生たちをモデルにするってのもありってなーねぇ和子?」
「中年親父の絵もたまにはいいよね!」
彫刻美術サークルの智さんと和子さんが扉を開け放ち、原西の腕を二人して押さえつける。
「君達はなんだ!?」
「なんだって生徒じゃないっすかーモデル頼みますよーねぇ和子!」
「そうそう!」
原西の腕をがっちりと固めて決して二人は離そうとしない。
へらへらと原西の形相を嘲笑っているようだった。
「き、君たち離しなさい!」
僕と椎倉は好機と見て押さえられている原西の隣を猛然と走り抜けた。
だがもう一人の教師が腕を眼前に大きく広げ、僕たちの進路を塞ぐ。
「行くぞ、お前ら! 神風は我々に吹いてる!」
「「はい、隊長!」」
大音声を上げて生徒が右手の扉から飛び出してくる。
軍服を身にまとい部下二名を連れて、三浦くんが数学教師の背後へと周り、羽交い締めにする。
部下も前方から太股を腕で抱える。
「なんだ、お前らは!? こんなことをして良いと思っているのか!?」
「宮前隊員、ここは我々に任せて先にいけえぇぇぇ! 尽忠報国! 靖国でまた会おう!」
サバゲーサークルと美術彫刻サークルの面々が、必死に教師を押さえつけ、僕たちの道を切り開いてくれた。
「みんな、ありがとう!」
「サークルたのんまっすー」
智さんの間延びした声を背中で聞きながら、僕たちは全速力で二階を後にする。
一階の渡り廊下で用意していた外靴に着替える。椎倉が先頭に立ち機材を揺らしながら駐輪場へと急ぐ。
「騒ぎを先生方が聞きつけたようです。急いでください」
無線機から入る連絡を耳に入れながら、椎倉はポケットからバイクのキーを取り出す。
駐輪場では椎倉の二輪バイクが僕たちを待っていた。
椎倉がグライダーから手を離したせいで重りが一気に僕にのし掛かる。
中央に移動し三十キロ近い機材を左肩に乗せて、安定させる。
「乗れ、宮前」
バイクに跨がり後ろのダンデムシートを叩いた。
飛び乗ろうとしてあることを思い出した。
「女の子以外乗せないんじゃなかったの?」
「ふん、緊急事態は男女兼用だっての」
椎倉のにんまりとした笑顔に笑いを返して僕はダンデムシートに飛び乗る。
椎倉は駐輪場にエンジン音を響かせた。
アクセルを握り、クラッチを入れる。
「しっかり捕まってろよ!」
駐輪場を旋回したバイクはエンジンを轟かせながら、グラウンドの中央を直進する。
「どけどけどけぇ!」
サッカー部が驚いて僕たちに道を空ける。
顧問の先生の怒鳴り声も無視して、そのまま校門を突っ切った。
親指を立てた綾が校門の縁に立っているのがちらりと見えた。
バイクのシートで長さ十メートルの棒を肩に担ぐのは大層神経を削る。
もしバランスを崩して人にぶつかれば大変なことになる。
「スピード出し過ぎじゃない? 事故って死ぬよ?」
流れ去る景色を見ていると、法定速度を守っている気がしない。
椎倉の後ろ髪が暴れるように風でなびいている。
「……お前、ここで先生に捕まって、没収されて、それで飛べないんだったら……死んだ方がましだろ!」
「そうだね!」
一段とアクセルレバーを回転させると、バイクは考えられないような速度でオアシスロードを突き走って行った。
正面から来る風に耐えバランスを保っていると、田んぼに挟まれた道に入る。
一段と速度を上げるとエンジンが限界まで駆動するように叫んでいた。
一瞬で八百メートルを走り切ると、目前にはハンググライダー場の小屋が見える。
小屋の前に誰かいた。
小さな人影が段々と大きくなり、その威容を示した。
「クッソあいつもいるのかよ!」
体育教師の寺田が赤いジャージ姿で泰然と腕を組み僕たちの行く末を阻んでいた。
寺田は他の教師のように一筋縄ではいかない。筋力もあるし、持久力もある。
「おい、宮前、運転変われ!」
風に負けないように大声で椎倉は言った。
「え、ちょっちょと! 僕運転できないって!」
椎倉はハンドルを左手だけで操作して右手を離す。
身体を横に向け飛び降りる格好となっている。
椎倉の顔にはある種の覚悟で漲っていた。
「レバー回してりゃいいんだ、簡単だろ! ……宮前、後は頼んだぞ」
一瞬でバイクが寺田との距離を詰めた瞬間、椎倉は機体から飛び降りた。
バイクの速度を転化した椎倉のタックルは寺田もろとも全てを吹き飛ばす。二人は一緒に地面を転がっていく。
タンデムシートから飛び移り、操縦席が空いたハンドルを右手で操作する。
何をすればいいか迷っている間に、車体が山の斜面を登り始める。
やがて急斜面に負けてバイクが下り始めると、僕はバイクを斜面に捨てて山頂を目指す。
背後を見やると椎倉が寺田と格闘を続けているのが見えた。
他のサークルも助けてくれた。
椎倉も助けてくれた。
後は僕が飛ぶだけだ。
椎倉が幾ら押さえても寺田だけは止められない。
体育教師が僕を追いかけてくるのも時間の問題だ。
僕は重い機材を背負ったまま、山頂へと到達しなければならない。
今までにないほどに足を懸命に動かす。麻痺し始めた感覚を無視。
喉がからからに渇き色々なところに張り付く。
全身から汗が溢れる。
それでも左肩に乗せたブルースカイだけは手放さない。
一心に頂上だけを見据え、登る。息が切れる。
全身が鈍く、重くなる。
身体が自分のものではなくなる。
自分が何をしているのかわからない。
頭にもやが掛かったように曖昧になる。
思考の結合が解れ、ばらばらになり考えがまとまらない。
単純なことが頭のなかで氾濫してぐちゃぐちゃになる。
それでもなくしてしまわないように、飛ぶことだけは脳内でしっかりと維持する。
飛ぶ。
飛ぶ。
飛ぶ。
何時間走った。
多分一時間も走ってない。
ほんの三十分ほどだ。
「おいー待てえ……ぜぇぜぇ……」
寺田の声が微かに聞こえる。
まだ大丈夫だ。距離はある。
寺田との距離を五分離せればこっちのものだ。
死んだように固まり始めた太股に鞭を入れ、機材だけを離さないように無心で頂上を目指した。
到着したことに気付いたのは、踏みしめる大地がなく足が空振ったときだ。
体勢を崩しそうになるのを踏ん張って耐える。
周りを見渡すと頂上であることがわかった。
風が穏やかに頬をくすぐる。
だけど休んでいる時間はない。
休息を求める全身に最後の活を入れる。
息を荒くしながらも僕は肩からブルースカイを下ろす。
風の当たらない場所を探し、解体し組み立てを始める。
寺田が来る恐怖に怯えながら、全ての作業を最速かつ丁寧に行い、ブルースカイを本来の姿へと変えていく。
大空を滑空する鳥の翼だ。
ハーネスを身体に取り付ける。
コントロールバーに首を通す。
逆手に斜柱を持ち上げ機体を斜面付近へと移す。
「待ちな、さい……止まれ」
寺田が直ぐ前へと迫っていた。
額からは大粒の汗が滴っていた。
ゾンビのように僕を目指して近づいてくる。
時間がなかった。
風を見ている余裕はない。
僕は斜面を駆け下りる。
風の受けが悪い。
風向きが機体をすくい上げる方向に吹いていない。
だが僕はノーズを大幅に上げ、機体に浮力を生んでいく。
僕に気付いた寺田が、滑空路へと走り出す。
今捕まれば、僕は飛べない。
全速力で足を動かし風の力を生む。
身体が壊れても良い。
全身に最後の力を込め、速度を上げていく。
そして、機体を信じて眼を瞑り、僕は地面を後ろへと蹴り出した。
「飛べぇぇぇぇ!」
一種の賭けだった。
風の揚力が足りなければ、僕は地面へと落ちる。
足が何かを掠める感触。
一瞬地面かと思った。
僕は浮力が足りないで落ちたのかと思った。
だけど違った。
恐る恐る目を開ければ、眼前に広がる青。
両翼端を水平に保ちつつ、コントロールバーから後ろを眺めると、寺田が放心して手を伸ばしている。
さっきの感触は地面ではなく、寺田の手先だったのだ。
「勝った……勝ったぞ!」
先生の追っ手を振り切り、僕たちのブルースカイは遂に飛翔する。
喜んでばかりはいられなかった。
技術不足を除けば、僕が落ちた原因は風の不連続面にある。
これからサーマルソアリングを行って、高度を得なければならない。
斜柱から片手を外しベースバーへと移す。
両手をベースへと移し終わると、足を伸ばし地面と腹ばいの体勢になる。
ハーネスが僕の身体を僅かに持ち上げる感触がした。
風が背後へもの凄い速度で流れる。
顔中の汗が吹き飛び、僕はようやく息をついて冷静になった。
藤森着地点を大きく越えたあたりで左手に重心を移していく。
機体が左へと傾き、進行方向が左へとずれる。
下に視線をやると、灰色の地面が流れている。
既にオアシスロードへと差し掛かっているのだ。
瀬川工務店がある左側にさらに体重を移し、機体を動かしていく。
本当にサーマルがあるのだろか。
機体が乗るのだろうか。
S字ターンが成功するのだろうか。
様々な疑問と疑惑、そして恐怖が胸に巣くい始める。
ベースを握る手に汗が生まれ滑る。
ハーネスに挟まれた身体も嫌な汗をかき始める。
「宮前くん、絶対大丈夫だから!」
肩に付属した無線機から綾の声が届いた。
期待に溢れた彼女の声が、自然と心の底から力を生み出す。
彼女が信じ続けていてくれるだけで、僕は飛ぶことできる。
「任せて」
瀬川工務店の左側に機体を移した瞬間、機体が上へ持ち上げられるような感覚。
今までのフライトでは決して感じたことのない違和感。
僕は熱気泡に突入したようだった。
熱気泡のなかでは身体ごとぐいぐい上へと運ばれる。
だが落ち着いてノーズを上げすぎないようにする。
機体を少しずつ少しずつ上昇させていると、機体が学校の門まで迫っている。
この高度では不連続面を超えられない。
僕は神経を左手に集中させて機体を左に傾ける。
できるだけ長く、長く熱気泡内に留まり高度を得るのだ。
地面との平衡感覚を常に意識して機体の全翼面に気を配る。
学校からノーズが逸れ何もない山へ向く。
揚力が機体を、僕を押し上げていくのがわかる。
まるで温かい手がお腹を支えて持ち上げてくれているみたいだった。
以前のフライトより高い高度に機体を乗せ、僕は右に体重を乗せる。
僕の意志が伝わったように機体が右に傾き、学校と対面を始める。
S字ターンは成功した。
地面は遙か下。落ちたらただでは済まない。
風の不連続面が一体どれほどの高度に位置しているかまでは判明していない。
今の技量では不連続面で僕は無力だ。流れに潰されるだけの存在だ。
僕にできるだろうか。
恐怖。
失敗をしたことがなかった僕にとって初めての挑戦。
失敗を見つめ、失敗した自分を見つめ改善しての、初めてのフライト。
「宮前ぇぇぇぇ、死の風を越えろぉぉぉ!」
無線機の椎倉の声を受けて覚悟を決める。
グランドに差し掛かる。翼面に不自然な影響はない。
越えたのだろうか。
中央に差し掛かる。
翼面がひっくり返されるようなことはない!
「越えた!」
死の風。
学校が見えない手を持ったかのように僕は以前、はたき落とされた。
今サーマルソアリングを使って、みんなの力を使って死の風を――越えた。
「なんだ……あれは……翼か、翼なのか!」
グラウンドの玄関口に、黒いスーツを着込んだ集団が見える。
県知事と町役場の人達だろう。
父さんと芝原校長、それに内川前校長がいるのがぼんやりとわかった。
「何をしているんだ!? 勉強はどうした、翼!? 降りて着なさい!」
「グライダーだと! あれは、しまっているんじゃないのか!?」
父さんと芝原校長の驚きと困惑の声が最高に心地よい。
空中ではいくら罵声を浴びせられようとも、ブルースカイが地面に引きずり下ろされることはない。
「君、はやくおりなさい!」
「クソ、食らえだ!」
大人たち全員が、僕の異形な翼を見て驚き、やがて顔を真っ赤に染めて憤慨している。
彼らの声の引力にこの機体は決して負けない。
重力を、重圧を、全てを引き千切るようにブルースカイはグラウンドの上空を駆ける。
むかついた先生、学校、親。全ての戸惑う姿が最高に楽しくて、最高に面白くて僕は飛びながら大笑いをしていた。
地上でのしがらみは、空中では意味をなさない。
何にも縛られない絶対領域。それが、空だ。
僕は大人たちの罵声を背に受けながら、校舎を悠々と越える。
まるで檻のように感じられた建物が今はこんなにも小さい。
給水塔の横を翼に気を付けて横切り、裏山へと機体を向ける。
空を目指すように屹立する崖は、茶色い岩肌を見せつけている。
山の奥へと進み崖の高度へと合わせるため、僕はノーズを上げてブレーキをかける。
決して見ることが叶わなかった崖の上部は、意外にも普通だった。
裏山の地形が食い違っただけなのだと改めて実感する。
速度を限りなくゼロに落とし、崖の開けた隙間に僕は足を着いた。
地面を踏む感触も裏山と変わらない。
あれほど僕たちが切望した場所は、何の変哲もないところだった。
崩れる可能性が頭を過ぎり、ハーネスを急いで外す。
機体が風に飛ばされないように木々の間に挟み、下と繋がっていた場所を探した。
崖をぐるりと回ると、土が他と違う色をしている場所を見つけた。
滑らないように下を見ると確かに僕たちが以前見上げた場所があった。
色が違う土を辿っていくと木々の間に細い道があることがわかった。
何年も誰も来なかった場所は雑草が生い茂り、膝の高さほどある。
掻き分けながら奥に進むと、行き止まりのような場所に出る。
最初はゴミか何かが置かれているのかと思ったが、目を凝らしてみると祠のように見えなくもない。
辺りで拾ってきたと思われる岩が祠の左右に置かれている。
挟まれるように中央に木材が組み立てられ、家のようになっていた。
「もっと祠だから神聖さとか……神々しさとかを想像してたんだけど……」
端的に言って杜撰の一言に尽きる。
年月の風化を差し引いても、祠がここまで汚くぼろくなることはないだろう。
初めから適当に作られたとしか思えない。
木材の軒が簡単な雨よけになっていたのだろうか、祭壇らしき場所には一冊のノートとアルミ製の缶が置かれていた。
一緒に訳のわからない、木で作られた像もある。菩薩に見えなくもない。
一冊の青のノートは題名が日記となっていて、名前の欄には文月大地とある。
雨風に晒されたせいか、紙が濡れては乾きを繰り返し表面が波打っている。
ページを開こうと思ったが留まった。
日記だとしたら、僕が初めに見るべきではない。
もっと相応しい人たちがいる。
手に収まりきらないほどの缶はガムテープで周囲を巻かれていた。
一枚一枚粘着しているテープを剥がし、缶を開ける。なかには印刷された紙が何十枚と収められていた。
上部にある一枚を手に取って、読んでみる。
缶が厳重に空気に密閉していたため、紙は入れられた当時のままのようだった。
『まずはおめでとう! 遺産発見に賞賛を送る。案外苦労して見つけたのではないだろうか。なぞなぞも作る側も頭を捻ったものだ(結構作るのは楽しかった)。
何故最初から遺産をくれなかったのかという疑問もあるだろう。諸君らは今これを必要としていて急いでいるのに。
なぞなぞを出されたとき色々な人に相談したと思う。知恵を出し合ったと思う。革命は沢山の人の協力なしでは成り立たない。
問題を一人で簡単に解ける人物ならば遺産は必要ないと思う。もっと相応しい手段が見つかるはずだ』
僕は飛ぶのに協力してくれた人達を思い出す。
サークルのみんな。
サバゲーのみんな。
美術彫刻サークルの二人。
立川さん。
全員がいなければ、僕はこの場所に到達できなかったかもしれない。
随分と苦労した。大地さんはこの場所が繋がっているときに遺産をここに置いたのだ。
僕たちは飛ばなければここには来られなかった。
『それと同時に遺産探しを楽しんで欲しかった。つまらない学校に嫌気が差しているなら、尚更自分たちで楽しくしていくという信念もあるのだと知って欲しかった。
遺産はもしかしたら賞味期限が切れているかもしれない。時間が経つほど効力は薄れる。マニュアルにも記したが、時と場所を考えるように。それでは革命が成功することを祈る!
以下は革命時に読み上げて欲しい。』
軽く目を通すと、大地さんが書いたことに吹き出してしまった。
一枚目を読み終わり、二枚目に目を通す。
「これが……最終手段……?」
確かにこの力があれば、学校を一気にひっくり返すことができる。
三枚目の内容は二枚目の内容のコピーだった。
残りも束になっている紙は全て二枚目のコピーだった。
「急がないと!」
僕はノートと缶をワイシャツのなかに入れて落とさないようにする。
走ってハンググライダーの場所へと戻り、ハーネスを着用し崖の先端へと移動する。
遺産の内容はあの場所でなければ効力を発揮しない。
僕は軽く助走をつけて崖から一歩を踏み出した。
風の揚力も何も無い機体は、いつもより速く地面へと落ちる。
何とかサークル棟を越えて校舎の給水塔のある屋上へと移動することに成功する。
ハーネスを外して機体を床に置いた。
踏み外さないように給水塔に手を付け下を窺う。
僕が飛んだ騒ぎで下は騒然としていて、まだ校長たちが玄関前で慌てている。
僕はみんなから見える位置に立ち、大音声を上げた。
「全員聞けぇぇ!」
校舎の屋上にいる僕に視線が一気に集まる。
黒い大名行列も何事かと僕が見えるようにグラウンドの中央に移った。
部活動の生徒達も動きを止めて僕を見上げている。
僕は全員の視線が釘付けになってから、大地さんの読み上げて欲しいと書いてあった項目を思い出す。
全文の最後にはこう綴られていた。
『どうしてこんなこと言わせるかって? ――面白いからだ。』
「我々はぁ、西高レボサー! 不当な権力で以て学校が我々を押しつぶそうとしたとき、反旗を翻すものである!」
段々と生徒が何事かとグラウンドへ足を運び始めている。
校舎の窓から顔を覗かせる生徒もいた。
「はやく、あいつを引きずりおろさんか!」
芝原校長が激昂して周りの先生達にけしかけている。
父さんはもう僕の姿に青筋をぴくぴくと浮かべている。
「今現在、我々のサークル棟は危機に瀕している! 諸君らも知っているように、以前も校長が部活動やサークルを潰したことがある! 教育とは名ばかりの立派な権力の横暴である!」
「あれは、適切な判断だった! 今の時代、教育に力を入れて何が悪い!」
芝原校長の隣には前校長の内川がいた。
芝原と似ていて頭頂部が薄いのが上からだとよく見える。
体格は細いが正装のスーツ姿は、随分と貫禄がある。
「本当に教育だけですか?」
僕はにんまりと笑ってから大地さんの文面を暗誦する。
「不当な権力に対しては、こちら側も力に訴えかけるしかない! 見よ、これが校長の真実だ!」
僕はワイシャツから缶を取り出し、紙束を手にする。
そして大空に向かって、紙を放り投げた。
ひらひらと風に揺れて紙はグラウンドのあちこちへと舞っていく。
一枚、また一枚、紙は地面へと落下し人に拾われる。
その内の一枚を芝原と内川は拾い上げ、目を通していく。
その表情が次第に曇り、驚きに変わっていく。
「ありがとうございます。園田様から頂いたもので私と芝原の袖の下もかなり暖かくなりました。ゴルフ場計画の方は私が役場の方で……」
頭を後ろに流した老年の県知事が読み上げる。
そして芝原と内川に厳しい声音で問い質す。
「これは一体どういうことですかな?」
「諸君も見たであろう! これは、賄賂である!」
大地さんが紙面に記したものは、とあるメールのコピーだった。
『ありがとうございます。
園田様から頂いたもので私と芝原の袖の下もかなり暖かくなりました。
ゴルフ場計画の方は私が役場の方で推し進めたく思いますので、更なるご協力をお願いいたします。では失礼いたします。』
差し出し人の名前は内川。
受取人は園田。
二人はゴルフ場を作る計画のため繋がっていた。
校長たちは教育に力を入れるために金が必要となり町の近辺にゴルフ場を作ることにした。
町に資金が入れば、学校にも資金が入る。
ところが、私腹を肥やすのは言語道断だった。
「バカなこのメールは消した――」
「ほう、消したとはこのメールは存在したということですかな?」
内川が墓穴を掘り自分の口に手で蓋をする。
芝原も内川に呼び寄せられて学校の方針を託されたのだろう。
二人は初めから繋がっていた。
内川は大地さんに権利を奪われても役場に移り機を窺っていたわけだ。
文面が様々な人に読まれていくうちに、どよめきが学校全体に広がっていく。
全てに浸透するのを待ってから、僕はさらに言い放った。
「これが果たして許されるだろうか! 答えは否である!」
僕の大音声に生徒が盛り上がり始める。
抗議するように生徒たちの手が空を突き刺す。
「内川さん……これはもう……」
芝原は顔面を真っ青にして怯える。
生徒が非難の声を校長たちに浴びせ始めた。
「……ぐっ、ここまでか」
苦汁を飲まされた顔をした二人に、そっと県知事が肩に手を置いた。
「君たちのことはよくわかった。それ相応のポストを差し上げよう」
芝原と内川はへなへなと地面に座り込んだ。
完全に目が真っ白になり、精気が抜けている。
父さんも二人とほとんど変わらない。多分内川にすり寄り良いポジションに付こうと画策していたに違いない。
内川が飛ばされる今、協力していた父さんもどうなるかはわからない。
遺産の賞味期限が切れてなく良かった。校長が替わっていたときのことを大地さんは心配していたらしい。
たまたま内川と芝原が協力してくれていたおかげでうまくいった。
大地さんはパソコンサークルに協力して内川のパソコンのメールサーバを読み込んだらしい。
消してもメールは復元できることを内川は知らなかった。
大地さんたちは偶然賄賂の案件を見つけて最終手段として取っておいたそうだが、そのときは使わずに済んだようだ。
「レボサー! レボサー! レボサー!」
生徒達からの非難の声が、僕への賞賛へと変わる。
小さな声が重なり、大きくなる。
やがて渦のようになり、学校全体を飲み込んだ。
生徒全員がサークルの名前を叫び、手を高らかに上げる。
校門の辺りには他の生徒たちに混じって、椎倉と文月と瀬川先輩の姿が見えた。
三人も手を高らかに上げて僕を賞賛してくれている。
学校の震えが、僕の心を昂ぶらせる。
全身が喜びで満ち満ちている。
僕は、青空に手を高々に突き上げ、最後に叫んだ。
「これが――レボリューションだ!」
生徒の歓声はいつまでも、いつまでも鳴り止むことはなかった。