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風越ハンググライダー場


 午前の授業を終え僕が部室へと入ると椎倉は既にやって来ていた。

 イスに腰掛けてうな垂れるように机に両腕を乗せている。

 声をかけようとして椎倉が寝ていることに気付いた。

 耳を澄ませば、椎倉から静かな寝息が聞こえる。身体も上下に揺れていた。


 僕がバッグを置いた瞬間、椎倉が身体をゆっくりと起こした。


「ごめん、起こした」

「いや、いいんだ……」


 目を擦りながら、椎倉は言った。


「どうしたの、その目……」


 目元が黒くなり、目が充血していて赤かった。


「これか……昨日の書き置きみただろ?」


 椎倉によれば、昨日僕に注文を頼んだあとすぐに帰宅したそうだ。

 校長がふっかけてきたレポート用紙三十枚という難行に取り組んだと言う。

 時間的に難しいからこそ校長も調子に乗って、サークル活動を見直してくれる条件をこぼしたのだろう。実際あのとき僕たちは絶対に無理だと思っていた。

 ところが椎倉は昨日パソコンサークルの人達の力を借りてレポートを書き上げたと言うのだ。


「昨日は徹夜して、パソコンで書いてたんだ。サークル活動の意義、目的、役割をな。俺たちだけじゃない。他のサークルのも全部書く必要があった。だからパソコン部の連中と協力して全サークルのを書いてやったんだ」


 どこか自慢げに椎倉は熱を込めて語った。

 不敵な笑みを浮かべるが、寝不足のせいか、力があまり感じられない。


「じゃあ提出してきたの?」

「そうだぜ。あの禿げ校長、約束忘れたのかしらないが校長室にいなかった。だけど見やすいように校長の机のど真ん中に、高さ三十センチの山を置いてきてやったぜ」


 校長の戸惑う顔を想像したらしく、椎倉は楽しそうに笑った。

 これで一先ずサークルがすぐに潰されることはなくなった。

 もしかしたら、なくならないかもしれない。

 校長も自らの発言を撤回することはしないだろう。

 校長の唇を噛む姿が僕も目に浮かび気持ちが晴れた。


 椎倉も安心して授業をサボってサークル棟で快眠できたそうだ。


「この件はとりあえず、置いとこう。で、文月はいつものように風速計測に行ってる」

「そ、そうなんだ。でもいっつも行ってない?」

「あいつが、頻度を増やしてるんだよ。俺はいいって言ったんだけど、精度があがるなら頑張りたいだってよ」


 風速を測ることによって風の大まかな動きが読めるらしい。

 風越町を縦横の編み目の線で分割して各々のマスで風速を測るのだ。

 気象庁のデータを使用してもいいが自分達で測るよりは精度が格段に落ちるとのことだ。

 

 日にちや高低の気圧団で風の強さが変わることもあるが、全体の強さが変わるだけで各々の場所での強さが変わるわけではないと椎倉は言う。

 風越町は外因に左右されにくいからハンググライダー場として使えたわけだ。

 だから一日の時間ごとに風速を測り最終的に平均することで風越町の風のデータが取れる。


「時間の猶予はある程度生まれた。だから今度はお前が飛ぶ練習をする」

「機体は? 壊れた奴しかないんじゃないの?」

「そうだ。新しくお前専用のを作らないといけない。だが俺の家に見本として置いてあるテンプレグライダーが練習には一応使える。贅沢は言ってられない」


 椎倉の言うグライダーは自分が図面を書くときに参考にしていた機体らしい。

 大きさや重さは従来通りのロガロ式で滑空比は大きくはない。

 椎倉が作ろうとしているのは、素人では製作困難なスーパーカイトだそうだ。


 ロガロ式の翼面を正三角形とすれば、スーパーカイトは二つの長い辺を持つ二等辺三角形だ。

 ロガロと比べて頂点の角度――ノーズ角を広く取ることで滑空比を高くできる。

 そのぶん航空力学の知識が必要不可欠になり、翼面積の計算や全重量のバランスを取るのが困難になるそうだ。


 本当なら椎倉の機体ができあがってから練習を始める予定だった。

 僕の身体に馴染むように調整に調整を重ね、僕は練習を積み、崖に到達できる確信が得られてからフライトをするはずだった。


 だけどサークルが潰れるかもしれない今、全ての工程を急ピッチで仕上げる必要に迫られているのだ。


「一応の機体で練習するってことか……」

「いきなり崖を目指すのは無理だろうからな。練習を積んで、まず直線飛行できるようになってからだ……グライダーはもう運んで置いたぞ」


 あまりにも軽々しく言うものだから、聞き逃してしまいそうになった。

 グライダーの重さは二、三十キロもあるのだ。一人で運ぶとなると相当な時間がかかるだろう。


「どうやって?」

「俺バイク持ってんだよ。だから後ろに乗せてな。普段は滅多に乗らないから、運ぶ用みたいなもんだな」

「ここから遠いんでしょ? 乗っていけば速いのに」

「まぁ、ガソリン代もバカにならないんだよ、歩こうぜ」


 僕たちは風越ハンググライダー練習場まで歩くことになった。

 今日も一段と夏の日差しが厳しく、外は熱気でゆだっている。

 オアシスロードを抜ける間に生徒や町の人をほとんど見かけなかった。

 文月に出会うかもしれないという恐怖があったが、近くにはいなくて少し安心する。


 一体どんな顔をして彼女に会えばいいのかわからない。聞くこともできない。


 オアシスロードを抜けると道が狭まり、しばらくは田園風景が続く。

 ピーマンやナスなどの野菜畑には農作業をする老夫婦がいる。

 この辺り一帯の土地を所有している藤森夫妻だ。

 広大な土地を自分達だけでなく他の町の人にも貸しているらしい。


「あの空き地が見えるか?」


 椎倉が左方向を指差しながら言った。


 僕が視線を向けると、野菜畑や田んぼが並ぶなかに空き地のような場所が見えた。

 何かを耕す場所でもなければ、農作業の機材を置くような場所でもない。

 地面は土でときどきにでも雑草の手入れをされているように思える。


「なにあれ?」

「ハンググライダーは離陸するだけじゃない。高いところから飛べばかならず降り立つ地点が必要だろ? 藤森さんは昔からグライダー場に着地地点を貸してくれていたんだ」


 グライダー場が閉鎖してしまった今でも藤森さんは僕たちのサークルのために手入れをしてくれていると言う。椎倉は飛ぶことができないため一度もあそこに降り立ったことはない。


「いいか、俺達はあそこに降りるんじゃない。目指しているのは向こうだ」


 後ろを振り返り、学校の後ろのそそり立つ崖を指差した。

 この場所は学校からだいぶ離れている。

 崖があることを知って意識を留めていれば、遠くから崖らしきものが見える気がする。


「俺たちはあそこに行く」


 眼鏡の中央を人差し指で上げ、椎倉は口元を広げる。


「そうだね……」

「おっさんは多分許可してくれない。危ないしな。だから、おっさんには普通に飛ぶ、ということにしておけよ」

「つまり、藤森さんのところの着地点に行くと見せかけて滑空」

「そのあと、学校を越えて崖に到達」


 椎倉と計画を話し合うと、僕の心が躍っていることに気付く。


 大空を飛べたらと僕は心の底で幾度となく思っていたに違いない。

 空を飛ぶ感覚がどういうものなのか僕は体験したことがない。


 正直楽しみだった。


 だが同時に心にのし掛かってくる期待。このフライトは僕だけのものじゃない。

 僕は飛ぶ。椎倉は作る。文月は風を計測する。

 そして全ては崖へと到達するという目標に収束する。


 期待されることは僕が最も避けていたことだ。失望されるのではという恐怖。僕はそれを心から拭い去ることが未だにできない。


 さらに歩くこと三十分。ようやく風越ハンググライダー場の看板が見える。道の脇に十メートルほどの高さの看板が立っている。一般客が飛ぶことができない今でも看板だけは綺麗で気合いが入っている。


 カラフルな文字で、風越で飛ぼうとあった。


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