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空を目指す出会い


――七月二十二日


 彼女との出会いは、偶然だった。


 僕はとある用事で裏山に来ていた。

 セミの鳴く声がわんわんと周りから鳴り響き、夏をより一層鬱陶しくさせる。

 山道を一歩登る毎に、背中から汗が噴き出てシャツに張り付いてとても気持ちが悪い。

 この裏山は人の出入りが少ないのか、何とかわかる道には下草や雑草が周りから飛び出して来ていた。踏み歩く道も柔らかく、土は均されていない。

 傾斜もきつく歩くのに余計な体力が必要だった。


 目的の場所はどのくらいだっただろうか。


 頭上を覆う木々の葉や梢から抜け落ちてきた、鋭い夏の日差し。

 僕はそれを後ろ頭に受けながら、目の前の地面の一点に意識を集中してただ足を動かしていた。


 この辺りだったっけ……。


 地面から山道の先に僕は視線を上げた。


 少女が、いた。


 少女も同じようにこちらを振り返ったのだろうか、大きな瞳を僅かに驚きで染めている。

 僕と少女の視線が絡まり、離せなくなる。そのとき、僕の世界には彼女しかいなかった。

 今まで感じた暑さも、セミの鳴き声もすっかり消えていた。


 まるで、視覚以外の感覚がどこかへ押しやられたみたいだった。


 肩ほどまでに伸びた髪。小顔で整った顔にはぴったりな、特徴的な大きな瞳。

 チェックのスカートを履いて、ブラウスの上に白いベストを着ている。

 僕の学校の生徒だった。


 一体どれほど視線を交わし合っていただろうか。

 やがて、少女の唇がゆっくりと動く。


「宮前くん、だよね……?」


 小柄な彼女に似合う可愛らしい声だった。

 急に煩わしいセミの声や暑さが、意識に浮かび上がってくる。


「え、あうん……」


 彼女は嬉しそうに頬を緩め、控えめに笑った。

 僕の知り合いだろうか。急いで記憶の箱をひっくり返してみるが、彼女の姿はない。


「……私のお願い、聞いてくれないかな?」


 僅かな逡巡。彼女の声音には、どこか決意の色があった。

 僕が答える隙も与えず、彼女は言葉を続けた。


「私、あそこに行きたいの」


 彼女はゆっくりと右の腕を上げ、伸ばす。

 ブラウスから伸びるか細い腕の先――指の先を僕は目で追った。


 彼女の指の先は森を突き抜け更に上へ、上へと向かっていた。


 僕にはそれが――空を差しているように思えた。


「宮前君と……一緒に行きたいっ! 無理なら、私死んじゃうからっ!」


 瞳をぎゅっと閉じ胸の前に腕を寄せると、彼女は上からこちらに飛んだ。

 翼でもあるのだろうかと思った。きっと飛べるから彼女は地面を蹴ったのだろう。

 でも彼女の身体は地球の重力で引き寄せられ、僕の方へと落ちて来た。


「え?」


 避ける選択肢も確かにあったはずだった。

 でも僕は翼もない彼女の身体を受け止めた。

 僕たちは坂道を滑り落ちていった。

 彼女の身体はしっかりと受け止め、抱きしめたままだった。


 これから話すのは、一週間ほどの夏の物語。


 楽しみ、悲しみ、苦しみ、寂しさ、全てが詰まった青春の一ページ。


――七月二十一日


 僕は、空を見上げた。

 青の絵の具を塗りたくったような色は、僕の空との距離感をわからなくさせる。

 手を伸ばすと、空に吸い込まれそうな気がした。


 一羽の鳥が、僕の手と重なった。鳥はそのまま翼をはためかせ遠くの山々の稜線へと消えていく。  

 現実に引き戻されたような気がして僕は手を下ろした。


 僕と同じようにあぜ道を抜け、学校へ向かう人が不審な目でこちらを見ている。

 僕はしぶしぶと学校へと向かった。左右の田んぼからはカエルが朝早くから鳴いている。

 遠くの山からはセミの声も聞こえる。


 僕が住んでいる風越町は、人口一万人の小さな町だ。全国で様々な市町村が合併するなか、同じように風越村もめでたく町になった。町になっても町そのものに変化はなく、周りには田園風景や山々が広がっているだけだ。都会に住んでいるときには考えられなかったことだが、周りの田んぼが全て一個人のものであるらしい。


 あぜ道を抜けるとようやく舗装された公道へと出る。

 公道といっても一車線で、二台の車が通ろうと思えば随分苦労しそうだ。

 しばらく歩いて川の橋を渡ると、右手に大きな校門が見えてくる。


 僕が通っている公立西川高等学校だ。今渡って来た川の西にある高校と言う意味らしい。

 随分と簡単なネーミングだが、昔の高校では良くあることで地理上の位置づけで名付けるようだ。 

 入学当初の校長が歴史があるのだとふんぞり返って偉そうに語っていた。

 その校長も二年ほどで町役場の方に職を移し、今年の四月からは新しい校長が就任していた。

 興味もないけど。


 校門には寺田という一人の体育教師が立っていた。

 朝から上も下も赤のジャージという出で立ちだった。

 以前は柔道部に所属していたそうで胸板はかなり厚い。

 角刈りの髪から汗を垂らしながら、校門を通過する生徒に挨拶を強要している。

 こんなにも暑いなか朝から怒鳴られるのは嫌だった。


 僕は生徒の波に潜り寺田の横を抜けようとした。


「おい、挨拶をしろ!」


 明らかに僕を意識して言っているのだろう。

 額から汗をだらだら流されるとこちらまで暑くなってくる。


「……おはようございます」


 声が小さいことに不満を覚えているような顔だった。

 しかし寺田は他の生徒もチェックしなければならないようで僕から身体の向きを外した。


 西川高等学校――通称西高(かっこ悪いから生徒が略した)は、三年ほど前から教育に力を入れるようになった。以前まであった制服も一部変えたりもしたらしい。凄まじい徹底ぶりだ。

 詳しいことは知らないが前校長がやめた後も新しい校長である芝原はその体勢を維持し続けているらしい。居心地が悪いことこの上ない。


 下駄箱で靴を着替え二年生の教室のある二階へ足を運ぶ。

 リノリウムの廊下の窓は、全て全開きだったが風が生暖かいせいでちっとも涼しくない。


 三組の教室に入ると生徒達の和やかな談笑が聞こえてくるが、僕は黙って自分の席に着いた。

 スクールバックを横のフックにかけ、教室の喧噪から逃れるように窓の外を眺める。

 僕が座っている席は、窓際の一番後ろだった。

 誰にも邪魔されることなく授業をさぼれる特等席だ。


 担任の前原がスーツ姿で入ってくると、生徒はぴしゃりと会話をやめ自分の席へと戻っていく。

 何だか心がいらついた。


「今日は前回受けた模試の成績を返すぞ」


 生徒達の間にどよめき広がった。前原が静めると、全員が視線を先生へと注いだ。


「名前呼んでいくから、取りに来い」


 ア行から順番に名前を呼ばれ、生徒は順々に先生の元へ試験結果を取りに行く。

 この模試を受けたのは、五月だったように思う。前校長の意志のもと教育に力を入れていく方針を取り、学校は生徒に大学受験のプレテストを受けさせた。

 大学の受験問題よりは難易度は低いが二年の夏という段階で希望大学への合格率が出る。


「宮前翼」


 僕の名前が呼ばれ先生の元へ試験結果を取りに行った。

 みんなは自分の成績に夢中なようで、机に成績を置いてじっと眺めていた。

 僕が試験結果を受け取ると、先生は僕に一瞥をくれる。

 何だか他の生徒より少し厳しさが含まれている気がした。


 席に戻って大して興味もない試験結果を眺める。

 大きなA4一枚に数学、英語、国語という文字が載っている。

 隣には取った点数と一緒に全国平均と偏差値もあった。

 右下には希望している第一志望から第四志望までの大学合格率がA~Eで記されている。


 僕の第一志望は、E。第二から第四まではDという、まぁ考えられる限り最悪な成績だった。


 コメント欄にはここをこうしましょうとか、弱い分野に力を入れてと、テンプレな回答が書かれている。


 受験までまだ時間があります。頑張りましょう!


 余計なお世話だ。


 EとDという枠組みのなかに、僕の他に何千人という人が押し込められているのだろう。

 AにもBにもCにも同じように何千人という数の生徒が収まっている。全ての生徒に五段階評価の烙印が張り付いている。そのことを考えると、自分は一体何をしているのだろうという気になる。


 夏期講習に入って授業時間は短くなったが夏休みまではまだ遠い。

 教育に力を入れるとの宣言通り、先生も生徒も熱心に授業に参加している。

 僕は早く終わらないかなと思いつつ、一限から三限までのノートを取っていた。


 三限の数学の時間は担任である前原の数学だ。担任ということもあり、生徒の集中度も高い。

 内申点があるからだ。成績だけじゃなく、生徒の態度も見るという制度。大学進学に必要なことだ。みんなが一つの教室で同じ一つの行いをしている。結局僕も同じようにノートを何故か取っている。異常だとは思いつつも、僕も同じだ。みんなと変わらない。


 ノートが腕の汗で引っ付いた。

 何かが弾けてノートを取る気を失う。

 見えない教室の空気に息が詰まっていた。

 新鮮な空気を求めるように僕は外を眺めた。


 うだるような暑さのせいで校庭から水蒸気が上がり、風景が蜃気楼のように歪んで見える。

 クーラーもない教室では熱気が溜まり汗を掻きっぱなしだ。


 濃い青空には、山の稜線に切り取られた入道雲が見えた。まるで空にそびえる山だ。

 一時間目にも同じ雲を見た気がする。

 アリが進むような速度でゆっくりと進んでいるのかもしれない。


「宮前、これを解いてみろ」


 空から黒板に視線を転じた。前原が僕に問題を当てたようだった。

 黒板には白いチョークで丁寧に書かれた数列の問題があった。

 文理合同で授業を進めているのでセンター試験を視野に入れた問題だろう。


 席から黒板に向かい、前原からチョークを受け取った。前原は三十代前半だろうか。短く切った髪と整った顔から人に誠実そうな印象を与える。だけどいまは眉を逆さにして僕を観察するように見ていた。


 解法はわかっていた。どういう筋道で書こうか考えているときに、前原は口を開いた。


「どうした? そんな問題も解けないのか?」


 解こうとしていたのを邪魔され、書く気が一気に消え失せた。


「こんなんでどうする! もう受験も近いんだぞ」


 前原は僕の試験の成績をしかめ面で見ていた。

 加えて授業に集中していない僕に問題を当てたのだろう。


「宮前だけじゃない。お前らはもう受験生になるんだぞ。この夏をいかに勉強するかで合格が決まるんだ。三年の夏にやったんじゃ全員やってるから、遅い。いまやらないといつするんだ」


 僕は黒板に踊っている数字をじっと見つめていた。

 背後で前原の言葉を真剣に耳を傾けている生徒の姿が容易に頭に浮かんだ。夏の暑さで緩んだ空気がぐっと引き締まったように感じた。


「人生はこの時期にほとんど決まるんだ。勉強をしないと社会では受け入れて貰えないんだ」


 誠実な前原の言葉はどういう風に生徒に届いているのだろう。

 多分前原は生徒全員のためを思って言っているのだろう。

 言っていることもきっと正しい。


 でも正しいから、何だか僕はむかついていた。


 結局問題の答えがわかっても、黒板に文字を書くことはなかった。


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