ウタワレの歌 3
「はぁはぁはぁ・・・ここまで来れば大丈夫か・・・。」
「はぁはぁ・・・あの・・・手離して下さい。痛いです。」
「あっ、ごめん。」
「いえ・・・。ものすごく焦っているように見えますが。水でも飲みます?」
「ああ、ありがとう。んぐ、んぐ・・・ぷはぁ。生き返った!」
「少しは落ち着きましたか?」
「うん・・・ちょっとはね。」
「良かった。それに、急にどうしたんですか、走り出しちゃって。」
「いや、それは歌の話なんかするから―――って、おいおいおいおい!何まったりしてんだよっ!これ全部お前のせいだから!!何こっち側に来てんの?悪くないみたいな雰囲気出してんの?ってか水なんかいらねわ!!自然と飲んじゃったじゃん!!返すよ!!」
職員室からここ正門横にある自転車置き場まで、勢いに任せて逃げ切ってきた。
途中で同じクラスの生徒や部活動中の生徒、他の先生達にがっつりと見られてしまったに違いない。
うちの生徒ではない、しかも女子と廊下を走るなんて、明らかにワケありみたいに見えていただろう。
「あー!絶対明日なんか言われるー!!」
くしゃくしゃと髪の毛を掻きむしりながら、女子と手を繋いで歩いていたと茶化される恥ずかしさと、なぜ他校の女子がわざわざ会いに来たのかの質問攻めにあってしまう煩わしさのいろいろな感情がぐるぐると渦巻いてくる。
――他校の女子と手を繋いで逃げてたらしいな?
――落し物をわざわざ届けに来てくれたんだって?
――土手でぶつかった時に落とした?
――土手で何してたの?えっ?歌うたってた?
――稲田くんって、歌なんて歌ってるの?
稲田くんの歌、今度聞かせてよ
心がざわつく。高校で絶対に歌なんてキーワード、出してはいけない。
「あの・・・?先輩?どうしました?」
「勝手に先輩呼ばわりするな。」
俺は小さく深呼吸をして、お化け女――峰と呼ばれていた女子に向き合った。
「生徒手帳拾ってくれたのは感謝するよ、ありがとう。けど、もうこれで終わり。お礼も言ったし、何の関係も俺達にはない。一夜限りとか、訳の分からないこと言わないで欲しい。」
――迷惑だから。
「あっ、す、すみません。」
少し強めに言った言葉にピクリと峰は肩を震わせた。
長髪で目元が隠れて表情が窺えないが、きっと目が泳いでいるに違いない。
鞄から自転車の鍵を取り出し、カチャリと開錠。
「あの帰宅部って、言ってましたけど、軽音部とか吹奏楽とか入っていないんですか?なんでなんですか?」
鉄のハートをお持ちで。まだ話しかけてくるんか。
「お前には関係ないだろ。」
「あの・・・もし良かったら、この後少しお時間いいでしょうか?」
「いや、忙しいって言ってるじゃん。人の話聞けよ。」
「あなたに歌を・・・」
「人の話きけって!」
「歌を教えて欲しいです!」
は・・・?
両手を胸の前で祈るように組みながら、峰ははっきりと言い切った。
えっ、歌を、教えて欲しい?俺に?
ロードワークへと出かける運動部員達がどんどん駐輪場を横切っていく。
ちらちらと横目で見られるあたり、傍からみたらこの状況は、あたかも告白されて困っている男子生徒と、快い返事を待ち望んでいる女子生徒の図じゃないか。
いや、それ以上にも衝撃的な告白を受けた俺は、返す言葉を失ってしまっていた。
俺が、こいつに、歌を教える?ナンデ・・・?
「先輩に、歌の歌い方、習いたいんです。」
「聞こえてましたけど。言いなおしても意味一緒だから。質問の意味を考えあぐねていただけです。お前、本気で言ってるのか・・・?」
「先輩、歌、すごいうまいですし、私も上手くなりたいんです。それに・・・」
「いや、そんなのヤマハとか学研とかの音楽教室に行けよ。」
「学研さんは音楽教室じゃないです。勉強を教える教室です。」
「どうでもいいよ。なんで俺がお前に歌を教えないといけないんだよ。」
「だって、あの歌を聞いて思ったんです。感動したんです。あなたしかいないって。」
とりあえず、その祈るようなポーズは止めてくれ。誤解されるから。
「えーっと、お断りします」
「ええっ!?」
「何がええっだよ!行けると思ったのか!」
「・・・ダメですか?」
「いや、だめとかの問題じゃなくて―」
「それじゃ・・・!」
「だから、なんで俺が見ず知らずのお前に世話焼かなきゃなんねぇんだよ。そんな暇なんてありませんので。お引き取り下さい。」
「帰宅部なのに・・・?」
カッチーン!鏡で見たらさぞ綺麗に片眉が釣り上がっているに違いない。
この女は息を吐くようにして、俺の感情を逆撫でしてくる。
「馬鹿にしてんのか?俺が帰宅部で、例え暇であっても、お前のために時間を割く義理も道理もございません。」
「いえ、ほんとに私本気なんです。先輩の歌を聞いて、先輩のように自由に歌を歌いたいって。聞く人達が感動するような歌を歌いたいって。」
峰の声が段々と大きくなっていく。
と、同時に部活に所属していない帰宅部の生徒達が、自分の自転車を取りにこの駐輪場に集まってくる。
「ここで歌の話はやめろ。誰かに聞かれたらどうするんだ。」
「なんでですか?歌のお話ししちゃダメなんですか?先輩も好きなんですよね、歌うたうの。」
携帯が鳴る。着信履歴を見ると柴からだ。
俺は自転車にまたがって、ペダルに足をかけた。
「うるさい。もう関わらないでくれ。」
「ちょっと、先輩・・・!」
いつの間にか5、6人居た周りの生徒達の視線を振り切るように、俺は峰を残してまっすぐと正門をくぐった。
「歌なんて好きでもなんでもねぇよ・・・。」