ウタワレの歌 1
「あ、あの――」
気付かなかった。集中しすぎてしまっていたのかもしれない。
落ちる夕日、空はいわし雲、少し肌寒さは感じるもののまだ冬の訪れは感じられない柔らかく暖かな空気を長く吸っていたいと、俺は歌いながら思っていたのかもしれない。
鳴らすギターの手を止め、跳ねた心臓が耳の奥で鼓動するドクドクと打つ音を聞きながら、ゆっくりと後ろを振り向いた。
すると、そこにいた。
すとんと落ちる前髪は闇のように真っ黒で顔の半分は隠れ、だが鼻の中心で滝が分かれるようにして見える肌は真っ白、口元はニヒルに片方の唇だけが器用に持ち上がっている――
「あ、あの・・・あ、あなたの歌・・・その、えっと、す、す、す・・・素敵・・・でした。」
そう答える見知らぬ女子高生がいた。
「ぎぇ・・・!」
今まで発したことのない言葉が反射で口から漏れ出ていた。その時の俺の顔は情けないほどにひきつっていたに違いない。
頬は、夕日に照らされたのだろう、うっすらと朱色に染まっている。
艶があるように見えるその前髪は、べっとりと油で固まってしまったかのようで、その実不自然にテカリ、川風を受けては爆発するように吹き上げる。
その一瞬に見える両目は、血走ったように赤く充血し、顎やおでこは吹き出物が密集し、女性には申し訳ない単語だが不衛生の一言に尽きる。
「す、す・・・素敵でした・・・。」
「えっ、あっ、そう・・・。ありがとう・・・ございます。」
「・・・。」
「・・・。」
「・・・・・・。」
「・・・・・・えっ?」
いや、何この沈黙!?何か用があって声かけたの?いやいや、ただ俺の歌を聞いていただけっぽいからこれといった用は無いのかもしれないし、そもそも聞かれたこと自体まずいし、何も無かったかのように去った方がいい。そうしよう、なんか見た目やばめな感じするし。
「あの・・・。」
「はぇ!?な、なんでしょう!?」
ゆっくりと腰を上げて自転車でサイナラするつもりが、月との交信のように遅れて会話が進む。
「・・・。」
「・・・。」
「・・・・・・。」
「・・・・・・いや、何か用ですか?」
沈黙にたまらず質問してしまった。というよりこの場合は質問じゃなく、生存確認に近いぞ。おーい、生きてますか?
「・・・・あっと、あの・・・あなた、もしかして千足高校の生徒、さんですか?」
午後5時を告げる町内放送の「夕焼け小焼け」が流れる。
やばい、身元がばれる。それはそうか、学生服に腕章もついてるし、この土手付近の高校なんて2つしかない。
――歌を歌ってるなんて、ばれたら、また俺は・・・。
真っ黒い、ぐるぐるした渦の中、もがく自分が客観的に見える。
鼓膜がキーンと痛くなり、胸につっかえが残る違和感が去来する。
額に汗がうっすらとにじみ出てきた時点で――
「いや、人違いです。」
俺はギターを乱暴にケースに入れ、鞄をひっつかんで自転車の前かごに放り込んだ。
「・・・いえ、千足高校かどうかを聞いただけで。」
「違います、ここから遠い高校に住んでます。」
「高校に住んでいるんですか?」
「急いでいるので、失礼します!」
俺は振り返ることもなく、爆速でペダルを漕いだ。
急激な負担を太腿に感じながら、構わず力いっぱいに。
「夕焼け小焼け」は今日も音階にずれなく、安定のメロディーを奏でながら、聞く者の耳朶を打った。