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いつか違う人に恋しても

作者: WhoamI

 まだ心臓がドキドキしている。

 ご近所に回覧板を届けに行っただけなのに、まさかのファーストキスを経験するなんて。

 それも相手が、あの陽翔(はると)だなんて考えもしなかった。

 陽翔と私はご近所で、小さい時からいつでも一緒に遊んでた。

 私の方が一歳年上だから、お姉さんのつもりでいたのに……年下の陽翔の方からキスされるだなんて。

 ううん、年齢とか関係無く陽翔をそういう対象に見たことは無かった。

 幼稚園の頃から、ずっと一緒の幼馴染。姉弟みたいに育った仲だから。

 地域には他に同年代の子供もいなかったし、私と陽翔は本当にいつも一緒に過ごしてた。

 小学校も低学年の内は、二人で手を繋いで登校していたし。

 四年生の時だったかな? そのことを陽翔がクラスの子にからかわれてから「もう百花(ももか)とは手つながない!」なんて言い出して。

 私はその時だって、陽翔のことを微笑ましく思ってた。

 陽翔もそういうことを気にする年頃になったんだなぁって、弟の成長を見守るみたいな気持ちでいた。

 けど、女の子とのキスを覚えるくらいの大人になってるなんて、思いもよらなかった。

 私が高校に上がってからは、なかなか時間が合わなくて会えない時間が多かった。

 今日の夕飯の後、お母さんと並んで洗い物をしていた時だった。うっかり屋さんのお母さんが、回覧板を回し忘れていたのを思い出したのは。

 回覧板のチェックを見てみたら、後は桐山さんのお宅だけだった。


「陽翔の家だから、私が行ってくるよ」


 そう言って、私は回覧板を手に表へと出て行った。

 夜の住宅地はかなり暗かったけど、ご近所だし通いなれた道だから不安は無かった。

 この時間なら陽翔も家にいるはずだから、久しぶりに顔を見れるかなって期待も大きかったし。

 桐山さんのお家のインターホンを鳴らすと、陽翔が玄関に出てくれた。

 回覧板を渡すついでに、「最近どうなの? 元気してる?」なんてお話するつもりでいたのに。

 陽翔は何も言わないで、いきなり私の唇を塞いできた。

 あまりに突然の出来事で、私は自分の身に何が起こっているのか分からなかった。

 立ち尽くしている間に陽翔は玄関のドアを閉めてしまって、私はよそのお宅の前で途方に暮れていた。

 家まで帰って自分の部屋のドアを閉じた今でも、まだ胸の奥が鳴りっぱなしでいる。

 そっと指先で触れてみた唇は、なんだか熱を帯びているように思えた。


陽翔(あいつ)も、もう中三なんだし……」


 その先、何を言おうとしたのか。自分でつぶやいた言葉を飲み込んで、私はベッドに転がり込んだ。

 唇を枕に押し当てて、ついさっきの出来事を振り返る。

 正直に言うと、驚きと混乱とで唇は陽翔の感触を覚えていなかった。

 それでも目を閉じれば、すぐ目の前に陽翔の顔が浮かんでくる。今思えば、すごく真剣な表情をしてた気がする。

 いつまでも子供だと思っていた陽翔がするとは思えない、大人の顔つきだった気がする。

 それを意識すると、枕に押し付けた唇がますます熱くなってくる。

 布団の端をキュッとつまんで、心の中で陽翔の名前を呼び続ける。


『ねぇ、陽翔……貴方はずっと、私のことをそういう風に見てたの? 私は貴方のお姉ちゃんには、なれなかったの……?』


 会えなくなってからだって、私は陽翔のことを気に掛けない日は無かった。

 でも、それは今みたいな意味じゃない。

 可愛い弟を心配するみたいな気持ちは、ずっと持ち続けていたのに。

 今、それとは違う意味で陽翔のことが頭から離れない。

 だって本当の姉弟だったら、弟とはキスしたりしないから。

 ファーストキスは、男性として好きな相手に捧げるものだと思っていたから。

 だからなの? 陽翔にキスされてから、小さな不安みたいなものが胸に住み着いているみたい。

 心臓を激しく打ち鳴らしているのは、半分はそれが原因。

 次に陽翔の顔を見た時、もう弟のように思えなくなっている自分がいるんじゃないかって。

 それが、怖い――なのに今、陽翔に会いたくてしょうがない。

 私の中にある二つの感情。それに整理を付けるには、一晩じゃとても足りない。

 結局この夜は、眠れないまま次の日の朝を迎えることになった。


 * * *


「志野さん、帰りのホームルーム終わったよ?」


「えっ……あっ、ごめんなさい!」


 クラスの男子に声を掛けられて、私は現実世界に引き戻された。

 今日は朝から、ずっとボーっとしている。一睡も出来なかったんだから、当然だけど。

 もちろん、一番の理由は別にある。昨夜(ゆうべ)、寝付くことが出来なかったのも、それが原因。

 全ては陽翔(はると)とのキス。

 そのワンシーンが頭の中にいつまでも残り続けてて、先生の話もチャイムの音も耳に入ってこなかった。


「具合悪いの? 保健室、行く?」


「う、ううん! 何でもないの! ありがと……竹井君」


 声を掛けてくれた男子――竹井君は事情を知らないから、本気で心配してくれている。

 それなのに私は、キスのことばかり考えてるなんて。

 竹井君に悪いから、無理してでも大丈夫ってところ見せないと。


「うーん……平気かな? あのさ……文化祭の打ち合わせ、今日やりたいと思ったんだけど、無理そうなら明日に回そっか?」


「ほ、本当に大丈夫だから! いいよ、今日やろう」


 そうだった。私と竹井君は、文化祭実行委員だったんだ。

 こういうのって皆、あまり積極的にやりたがらないんだよね。

 四月のホームルームで実行委員の二名を決めるって話になったんだけど、当然なかなか立候補は上がらなかった。

 先生も決まるまで帰さないって空気を出してたから、「だったら私が手を上げよう」って思った。

 そうしたら、私と一緒に竹井君が手を上げてくれていた。

 本当は私も文化祭って何をしたらいいのか分からないし、まして新しいクラスだから心細かった。

 けど、竹井君が一緒に立候補してくれたことに勇気づけられた。

 その竹井君が文化祭の打ち合わせのために時間を割いてくれるなら、私のワガママで延期になんて出来ないよ。


「……よし! それじゃ、駅前のミスドで打ち合わせしよっか」


「うん!」


 多分、私の表情はそんなに元気に見えてないんだと思う。

 だけど竹井君は私の気持ちを読んで、私に合わせてくれている。

 陽翔のことは少しの間だけ頭の隅に移動させて、今は文化祭の出し物を考えなくっちゃ。

 竹井君と一緒に玄関を出ると、向こう側から歩いてきた女子たちとすれ違う。


「校門のところに中学生がいたねー。誰かに会いに来たのかな?」


 そんな話し声が聞こえてきたけど、別に気にも留めなかった。

 だから校門まで来た時には、心臓が飛び跳ねるくらい驚いた。

 だって、そこにいたのは中学の制服を着た陽翔だったから。


「陽翔……! どうしたの? 学校は?」


 昨日のキスのことが頭をよぎったけど、私の口から飛び出したのはそれとは全く関係なかった。

 まるで弟を心配して咎めるみたいな口ぶりに、私自身が内心驚いた。

 陽翔の姿を目にしたら、キスのことより先にいつもの態度が出ていた。

 そんな私に、陽翔は少しぶっきらぼうに答えてくる。


「……三者面談期間だから、授業は午前中までだよ」


 そっか、そんな時期なのか。

 陽翔は、どこの高校に行きたいの? 先生やお父さんと、ちゃんと話し合い出来てるの?

 ついつい浮かんでくる、お節介な言葉たち。本当のお姉さんでもないくせに。

 表面上は、昨日のキスのことなんて意識していない私。

 そんな私の態度が面白くないのか、陽翔は私から目をそらして唇を尖らせている。

 ……違う。陽翔の視線は、私の隣にいる竹井君に向けられていた。

 私も竹井君の方を向くと、首を傾げた竹井君と目が合った。


「えっと……弟さん?」


「弟……じゃないけど、弟みたいなって言うか……」


 幼稚園の頃からの私たちの仲を、何て説明したらいいのか。

 単純に幼馴染と紹介するのは、心のどこかで「違う」と言ってる自分がいる。

 だって陽翔と私は血の繋がりは無いけれど、私にとってはやっぱり大事な弟だから。

 竹井君への説明を考えていると、陽翔は何も言わずに私たちに背中を向け出した。

 それに気付いた私が呼び止めるより早く、陽翔は逃げ出すようなスピードで駆けて行ってしまった。


「あー……悪いこと、言っちゃったかなぁ?」


 どんどん離れていく陽翔。その背中に向かって咄嗟に手を伸ばした私の側で、竹井君の溜息まじりの声が聞こえきた。

 竹井君の方を向くと、なんだかバツが悪そうな顔をしている。

 それについては、私も心当たりがある。

 きっと私が陽翔との関係をはぐらかそうとしたから、それで怒って行っちゃったんだよね。

 でも、キスしたからっていきなり恋人になれる訳でもない。

 それくらい長い時間、私と陽翔は仲の良い姉弟でいたんだから。

 竹井君より私の方が、陽翔に悪いことした。それでも竹井君は陽翔の気持ちを察して、陽翔への穴埋めをしようとしてくれる。


「志野さん……行ってあげなよ。文化祭の打ち合わせは、また今度でいいからさ」


「う、うんっ……ごめんなさい!」


 竹井君に後押しされて、私は陽翔が駆け出していった方へと走っていった。

 幸い、すぐに陽翔の姿は見つかった。

 学校からすぐそこの電信柱の陰から、陽翔の制服が覗いているのが見えた。

 けど、そこにいたのは陽翔だけじゃない。陽翔の中学の、女子の制服姿も見えた。


「……浅見さん?」


 私は駆けながら、近付いていく女子中学生の名前を呟いた。

 陽翔と向き合っている顔は、中学時代、テニス部の後輩だった浅見さんのものに違いなかった。

 電信柱の側まで近寄ると、まだ私のことに気が付いていない二人の会話が聞こえてきた。


「……何で付いてきたんだよ?」


「だって……桐山君のことが心配だったから」


 そう言う浅見さんの表情は、本当に陽翔のことを気遣って苦しそうに見えた。

 姉が弟を想うのとは、まるで違う表情。これが恋してる女の子の顔なんだねって、すぐに察しが付いた。

 浅見さんは私と違って、陽翔に恋愛としての想いを寄せている。

 その考えが、私の両脚を震えさせるのは何故?


「あっ、志野先輩……!」


 電信柱の陰で立ち尽くす私を、浅見さんの目が捉えた。

 同時に陽翔も私を振り返って、私は二人の視線に射すくめられた心地になった。

 二人の会話を立ち聞きした後ろめたさから?

 それ以上に、浅見さんが発した言葉や表情から読み取れる感情が、私の胸の奥に不安な気持ちを宿らせていった。

 私はほぼ無意識に、その不安を口にしていた。


「あの……二人って、付き合ってるの……?」


 そう思うと、何故か胸が苦しくなる。

 自分で尋ねておいて、陽翔が何か言おうとすると耳を塞ぎたい気持ちが込み上げてくる。

 陽翔はそんな私の足下に向かって、声を張り上げた。


百花(ももか)には、関係無いだろっ!」


 それだけ言うと、陽翔はまたしても行ってしまう。

 さっき以上の駆け足で、私たちの前から姿を消していった。

 取り残された私は、浅見さんと目を合わせるのも気まずくて瞼を閉じる。


「先輩、その……」


 泣き出しそうな浅見さんの声がして、私はゆっくりと目を開けた。

 浅見さんは視線をあちこちに泳がせながら、おずおずと言葉の続きを口にする。


「私と桐山君は、“まだ”そういう関係じゃ……ないです」


 その一言が私の胸に突き刺さる。

 “まだ”付き合ってはいない陽翔と浅見さん。いつかは陽翔と恋人になりたいと願う浅見さん。

 それを私に告げるのも、きっと勇気を振り絞ってくれたはず。

 先輩の私が、目を背けちゃダメだよね。


「うん……教えてくれて、ありがとう。もし……二人が付き合うようになったら、陽翔(あいつ)のこと、お願いね」


「! ……はい! ありがとうございます!」


 私の言葉に浅見さんは表情を明るくさせて、深々とおじぎする。

 もしかしたら浅見さんと陽翔が付き合うことを、私がダメだと言うと思ったのかもしれない。

 そんな不安が解消されて、浅見さんは昔みたいに私に微笑んでくれた。

 けど、陽翔はまだ笑えていないはず。


「浅見さん、今日のところは陽翔(あいつ)のことは私に任せて。あの子を一番理解してるのは、たぶん私だから」


「……そうですね。桐山君のこと、お願いします!」


 いつか付き合う可能性があるとしても、今の二人はまだ友達。

 だから今、駆け出していった陽翔の後を追えるのは私しかいない。

 それは陽翔の姉代わりとしてかもしれないけど、あんな風な陽翔を放ってはおけない。

 私にキスしてきたり、高校まで会いに来たりするなんて。何か悩み事でもあるの?

 私の態度のせいで悩みを相談できずに逃げ出してしまったなら、追いついてちゃんと謝りたい。

 浅見さんに別れを告げて、私の足は実家の方へと走っていく。

 多分、陽翔がいるのは、あの場所だから。


 * * *


 夕暮れの住宅地は人も車もほとんど通らなくて、私の足音以外の音が消えてしまったみたいに静かだった。

 私や陽翔(はると)の自宅近くにある、小さな児童公園。ここまで足を運んできた。

 町内には、砂場やブランコで遊ぶような小さな子供はいない。静けさに包まれた公園の中には、陽翔が一人いるだけだった。

 私が想像した通り、ブランコに腰掛けてうつむいている。

 陽翔、よく一人でここに来ていたもんね。幼稚園の頃に、お母さんを亡くしてから、ずっと。


「陽翔……」


 側まで寄って声を掛ける。

 陽翔の体が少し揺れて、それからゆっくりと私を見上げてきた。

 少しだけ赤くなった目のふちを見なくても、ここで何をしていたのか私には分かる。

 お母さんに「バイバイ」って言った、あの日みたいに泣いていたんだよね。

 あれ以来、私は陽翔の姉代わりになろうと頑張ってきた。

 一緒に成長してきた陽翔の存在は、私にとってはただ一人の大切な人だった。

 ずっと、いつまでも側で見守っていきたい相手。

 あまりに身近過ぎて、あまりに大切過ぎて、恋に落ちるなんて考えたこともなかった。


「……俺、浅見とは付き合ってないよ」


「うん……浅見さんから聞いたよ。私も……校門で一緒にいた竹井君とは、同じ文化祭実行委員ってだけで……彼氏とかじゃないよ」


 恐らく、陽翔が気になっているであろうことを伝える。

 少しだけ安心したように和らいだ陽翔の顔を見て、私も心の中のわだかまりが一つ消えた気がした。

 陽翔が浅見さんと一緒にいるのを見て、二人の関係が気になった。同時に、すごく不安にもなった。

 陽翔も同じだったんだよね。私と竹井君が並んでいるのを見て、同じ気持ちを抱いたんだよね。

 公園に辿り着くまでの間、私も少しは気持ちの整理を付けることが出来た。

 だから、あの時の陽翔の気持ちについて考える時間が持てた。

 ごめんね、すぐに気づいてあげられなくて。


「ごめん、さっきはヒドいこと言って」


「ううん! 私の方こそ、せっかく会いに来てくれたのに……ごめんなさい!」


 先に謝られたことが申し訳なく思えて、そのことも含めて私は陽翔に頭を下げた。

 陽翔も公園(ここ)で、私のことを考えてくれてたんだね。

 私に会ったら何を言おうか、考え続けてくれたんだよね。

 ブランコに座ったまま、目線だけはしっかりと私の顔を捉えながら、その言葉を伝えてくれる。


「俺……他の女子と付き合っておいて、それで百花(ももか)とキスするような男じゃないから。そんな風には、思われたくないから」


「うん……陽翔が、そんな子じゃないってこと分かってるよ。陽翔のことは、何でも分かってる……はずだった」


 昨夜ゆうべのキスの後から……ううん、会えない日が続いてから陽翔とは気持ちのズレが生まれてた。

 顔を合わせていない間、陽翔がどうしていて何を考えているか、きちんと分かってあげられていなかった。

 昨日のキスがあったから、一晩中、陽翔のことばかり考えてしまった。

 陽翔の気持ちを理解してあげようと、寝ないで考えてたよ。


「ねえ、陽翔……学校で何かイヤなことでもあったの?」


「……無いよ。俺は平気……だけど、百花のことは気になってた」


 陽翔の口ぶりに、私はハッとさせられた。

 私が陽翔を心配するように、陽翔も私のことを気遣ってくれていたことが分かったから。

 地域には私たちくらいしか子供がいないから、仲の良い友達って言ったら陽翔しかいなかった。

 だから私は陽翔がクラスの子と馴染めているのか、いつも心配してた。

 でも、それはお互い様なんだよね。

 私もどちらかと言えば大人しくて、集団行動は苦手な方。

 一緒に育った陽翔には、私の性格も知られてるよね。

 中学までと違って、知らない顔ばかりの高校生活。私が上手くやっていけてるか、気にしてくれたんだ。

 そのことを感謝と一緒に口にすると、陽翔は首を横に振った。


「それだけじゃない。俺……このままだと百花がいない時間が、もっと増えてくんじゃないかって思ったんだ。俺の成績じゃ、百花と同じ高校に行くのは難しいし……例え高校までは一緒になれても、その先はどんどん百花と会えない時間が増えるだろ?」


 うん……それも昨日、ベッドの上で考えてたよ。

 お互い、一緒にいるのが当たり前だったから。本当の姉弟みたいに思っていたから。

 だから、自分の人生に陽翔がいなくなるかもって考えると不安な気持ちになった。

 陽翔が私以外の女の子と付き合うかもしれないと思うと、胸が張り裂けそうになることも初めて知ったよ。


「百花が……俺から離れていくのが嫌で……昨日、久しぶりに百花の顔を見たら……離れたくないって思って、キスしてた。そのせいで……百花が俺のこと嫌いになったらどうしようって、また……不安になって……」


 両目からポロポロと涙を零しながら、それでも必死に言葉を繋いでいく陽翔。

 ずっとずっと悩んで苦しんでいた胸の内を、私に打ち明けてくれる。

 きっと陽翔も昨夜は眠れなくて、授業も耳に入ってこなくて、私のことを考えて思い詰めていたんだね。

 自分のキスが、これまで築き上げてきた二人の関係を壊すことになるのが怖くて。

 陽翔の頭を両腕で包み込んで、その泣き顔を胸へと抱き寄せる。

 陽翔の姉代わりになろうと決めた、あの日のように。


「俺、百花が俺のこと、弟みたいにしか見てないの知ってる。姉弟みたいに育った俺たちだから、いつか他の人を好きになって離れ離れになるのかもしれない。それでも、俺っ……」


 私の腕の中で泣き続ける陽翔の言葉を、胸の奥へと受け止める。

 今、触れ合っている相手じゃない。違う誰かに恋する日が来る。一緒に育ってきた二人が、別々の道を歩いていく未来。

 恋に落ちるという幸せに満ちているはずの未来を思うと、胸が苦しいくらい切なくなる。

 それでも――。


「それでも……二人で過ごした時間は、永遠だよね。誰にも傷付けられない、私たちだけの宝物だよ」


 腕の中で、陽翔が黙ったまま頷くのが分かった。

 例え離れていても、互いを想う二人の気持ちは変わりないって分かってくれたはず。

 陽翔も、そして私自身も。

 いつか違う人に恋しても、いつか陽翔がいない人生を選んでも、私たちの仲は変わらない。

 今は、こうして陽翔と一緒にいられる時間を大切にしたい。

 そう願いながら、陽翔の髪の毛にそっと唇を寄せた。


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