美しい
ニアと別れて少し時間が経ち、さてどうしようと考えていたとき、それは起こった。
「シュン」
「あ?」
「緊急 我の下半身に不快感及び圧迫感を感じる」
「なんだよ、病気か?」
「緊急 危ない、何かは分からないが危ない。下腹部が破裂しそうだ」
下腹部?圧迫感?不快感?
…………小便か!?
「まてっ! お前はホムンクルスだろ!? あり得ないだろ!」
「ぐ、ぐぅぅ……辛い……」
「ちょ、ちょっと待て! 我慢だぞ!? 我慢だ!」
くそ!あれか?人間を寄り代にしてるから人間の性質を持ち始めたのか!くそ!ここの近くにトイレあったか!?
「た、確かもう少し歩けば人の少ないトイレがあるはずだ! 頼むから我慢してくれ」
「了解 ……出来る限り速く頼む」
フェイリアを担いで全力で走る。距離はそんなにないはずだが、心配だ。くそっ!こんなことになるなんて思ってもなかったぞ!
「ここだ! 入れ! 奥の個室に座って用を足してこい!」
「了解……」
女子トイレの前で立って待つ。これだけでかなり恥ずかしい。だって、男が女子トイレの前で待機してたら何だろうって思うだろ!?俺なら思うよ!だから速くして!お願い!三百円あげるから!
「シュン」
「終わったか!」
「問題 我はシュンから……あまり離れられない…」
「入れと言うのか!?」
犯罪だよ!俺の良心が痛んでしゃーないよ!
「分かった! 分かったから! くそっ! 速く入れ!」
「了解……もう……出る……」
「頼むから耐えてくれぇぇっ!」
────これ以上は語る必要がない。ただ、俺が言いたいのは、女子トイレに入ってるときの罪悪感は半端じゃないということだ─────
「もう……勘弁してくれ……」
「感謝 シュンのお陰でなんとか出来た。人間はあんな風に排泄を行うのだな。杯に憑いていた時には排泄などなかった」
「あぁ、そりゃ杯は排泄しないし、やり方も分からないよな…俺の配慮が足りなかったよ……」
誰が悪いんだ、気づかなかった俺か?知らなかったフェイリアか?いいや、この事を事前に教えなかったイルが悪い。許さんぞあの駄メイドめ。
「そろそろ夜も近くなってきたな」
「同意 暗くなってきた」
うっすらと日が陰ってきた。あれからは特に理由もなく歩き回ってユウトに会ったり結城さんに会ったりもしたが、別段取り上げるようなことでもない。
「ご主人様ー! お迎えに参りまむぐぅっ!?…………ふぁの、なんふぇわふぁひはふぁおをふふぁふぁふぇふぇふんへひょう?」
「あ?きびきび喋れや豚」
「ふぃふふぃんへはっ!?」
突然現れたイルの顔に俺の指の第二間接をひっかけ第一間接で締め上げる。
「ぺろり」
「ばっ! 舐めやがったな!?」
「美味しいです!」
「聞いてねーよ」
手のひらを舐められた!? もうお婿に行けない……ぐすん。後で手洗お。
「で、イル。綺麗なところ見つかったか?」
「はい、ご主人様のご所望に合うよう、私が一番好きな景色が見れます。ほんの少し時期外れですけどね」
「そうか、フェイリア、移動するぞ」
「了解」
イルが目の前にワープホールを作り上げ、俺たちはその中へと入っていく。しっかり目の魔力を抑えるよう意識をしておく。もうすでに何回落とされたことか、もう絶対同じ真似はしない。
ぐるぐると回るような感覚の後に視界が鮮明に広がっていった。辺りを見回すと、どうやらどこかの森の中に入っていた。目の前には大きな湖があった。
「これは───」
「どうです? 自然の神秘って感じがしませんか?」
「驚嘆 我は初めてこんなものを見た、凄く綺麗だ」
日本にいた頃、ユウトに連れられて見に行ったことがある。これは、ホタルだ。
今は時間帯で言うと7時前、うっすらとした暗さを弱々しく、しかししっかりと光っている。普段あまりこう言ったものに興味は持たないが、改めて見ると心奪われる物があるな。
「どうだ? フェイリア、世界も案外捨てたもんじゃないだろ?」
「驚愕 今日だけでたくさんのことがありすぎて、パンク気味だが……とても、楽しかった」
「ご主人様、こちらはホタルガと言いまして、この時期になると湖に集まって求愛行為としてこんな風に光出すのです」
「あぁ、俺の世界にも同じようなことがあった。綺麗だな」
周りには人はおらず、俺たち三人だけがこの景色を独占している。これを贅沢と言わずなんと言えば良いんだろうか。
「まぁ、ホタルガとか、近くで良く見たら足とか多くてキモいですけどね」
「台無しじゃねえか」
「正直引きます」
「今言う必要ないよな? ん?」
「あえて空気を読まないとき、それが一番空気を読んでいるときなんですよ」
「まずお前は人を選べ、俺に冗談が通じないことを身をもって知ってるだろ?」
「いたっ! いたいです! ご主人様! アイアンクローはおやめください!」
せっかく良いもん見てるのに、このメイドによって雰囲気ぶち壊しだよ。相変わらずだな。
「フェイリア様、ホタルガはですね、とても短命で有名なのです。今はシーズンから少しずれてるので、今居るホタルガもかなり少ないです。ここの湖、良く見てみるとホタルガの死骸が沢山居ますよ。見てください」
イルが目の前の湖の端を指差す。良く見るとたしかに何匹かの死骸が見つかる。が、なんだこの話は、暗くなるだけじゃないか。
「ここで求愛しても、パートナーが見つからない場合があるのです。その場合は、そのまま力尽きて湖に落ちてその生涯を終えます」
「疑問 ホタルガはなんでそうまでして求愛するのか、我には分からない」
「なぜそこまでするのか、その答えは簡単です。『生きる』ためです。ホタルガの幼虫は湖の生体の死骸を食べて成長するのです。何のことはありません。ただ生きていく為に、受け継いでいくために必要だから死んでいくのです」
いつの間にかイルは真剣な表情に変わっている。このときのイルの説得力は俺の本気を凌駕する。
「生物としての本能です。こうやって命のバトンを渡して次の世代へと新たな進化を求めて死んでいくのです。彼らに悲しいという感情はありません。彼らはただ、生きているのです」
「……成る程」
「彼らは綺麗でしょう? 眼を奪われてしまいましたでしょう? それが、命の美しさです。生きていることはそれだけで美しく、気高いものなのです」
「……美しい…か」
「どうですか? 生きてみようと思いませんか?」
フェイリアは湖の向こうで未だに輝くホタルガを見ている。その瞳に写るホタルガは、どんなものよりも美しく見えた。
「感動 我はもっと世界は下らないものだと思っていた。狭くて、醜くて、恐ろしいものだと思っていた…………だが、違うのだな」
「あぁ、だから、お前も生きてみたくなったろ?」
「同意 我も、あんな風に美しくなりたい」
「では今度私と街に出てショッピングしますか!」
「了解 ショッピングが何かは分からないが、我はお供しよう」
結局、良いところは全てイルに持ってかれたみたいだ。フェイリアには無事に世界に興味を持ってもらえたし、俺もこれで安心して眠れる。
「イル」
「はい?」
「今度、二人だけで来ような」
「………………………あふぁっっ!?」
ホントは、イルは俺と二人で見る予定だったはずだ。俺がゾーイの元へと落ちたとき、あの行き先はここだったらしい。俺はあのあとセルウスの街を見て腹が立ちそのまま帰ったが。
まっ、一日くらいならくれてやってもいい。




