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宇宙からやって来た銀色のタコのような物体を『銀だこ』と呼んでいいものか僕は迷った

作者: 中沢ヤスユキ

 庭の草むしりほど面倒なことはない。

 ささやかな家庭菜園を開ける程度の小さな庭とはいえ、抜いては生え、抜いては生えてくる雑草にナオトはうんざりしていた。面倒臭そうな表情を浮かべ、むしった草を次々とバケツに放り込む。

 母の趣味でしかない家庭菜園なのに草むしりは息子である自分の仕事。ナオトはすっかりうんざりしていた。伸びた雑草をかき分ければ、ムカデや名前も知らない甲虫が慌てて草の奥へと逃げてゆく。虫がそう得意ではないナオトにとってはたまらないものがある。こんなことをするくらいなら高校の宿題をしている方がいくらかましだ。

 そんな草むしりもようやく半分終わったかという頃、ナオトは庭の隅で奇妙な物体を見つけた。雑草の中に埋もれるように銀色に輝く物体があったのだ。手のひらほどの大きさで鏡のように光を反射する銀色の物体はまるで金属のようであったが、指で触るとその指が沈み込むほどに柔らかい。そして丸くプニプニとした本体から無数の細長い腕が伸びている。色さえ考えなければその姿はタコに近い。

 ナオトは腕らしき部分をつまみ、引っ張ってみる。よく見ると腕の部分には無数の切れ込みがあり、その一つ一つが呼吸でもするかのようにかすかに開いたり閉じたりしている。生き物のような動きを目の当たりにし、思わずナオトはその物体を反射的に放り投げてしまった。

 放り投げられた物体は放物線を描き草むらへと消えていった。

「な、なんだ今の……」

 奇妙な物体が吸い込まれていった草むらをナオトはただジッと眺めることしかできなかった。すると次の瞬間、目の前の草むらが小さく揺れたかと思うと、信じられないことが起こった。

「すまないが、もう少し丁寧に扱ってくれないか……」

 突然、草むらから声がした。その声の場所は先ほど放り投げたあの物体が消えていった所と一致している。

「な……」

 いきなり辺りに響く声にナオトは絶句した。

 そして再び草むらが揺れたかと思うと、先ほどの銀色の物体がよろよろと草むらから這い出してきた。

「な……」

「驚くのは無理もない。君たちの知的水準ではこの状況を適切に処理できないだろう」

「な……」

 目の前に存在する銀色のタコのような丸く奇妙な物体は驚くナオトをよそに淡々と言葉を発している。

「君に理解できるかはひとまずとして、まずは自己紹介をしておこう。私はメッセンジャー。この宇宙のあらゆる場所にメッセージを残すために宇宙を旅している。四十万年前にアルファ491星系の惑星から旅立ち、半年前にこの星へやってきた」

「宇宙? 星!?」

 目の前の銀色の物体が喋るだけでも信じられなかったが、その物体が唐突に口にした言葉にナオトの目がますます丸くなる。

「あまりに大きな話だ、君の思考が理解まで届かないのも無理はない」

 動揺するナオトに比べ、目の前の物体はあまりに冷静に言葉を続ける。

「数十億年以上も昔、宇宙のどこかに知的生命体の存在する惑星があった。彼らはその知性によって得た高い技術を手に繁栄をしていたが、いずれ自分たちの文明が滅ぶことを理解していた。だからせめて自分たちがこの宇宙に存在していたという証を残そうとした。そして私が作られた」

 銀色の物体は呼吸するようにその体を伸縮させながら話を続ける。

「彼らは自分たちの星から私のようなメッセンジャーを宇宙全体に放ち、自分たちが宇宙に存在していたという証を残そうとした。私の役目は彼らのメッセージをこの宇宙で永遠に刻み続けることだ」

「メッセージ?」

 ほんの少しだが、ナオトはやっと目の前の奇妙な物体が話す言葉に耳を傾ける余裕ができつつあった。

「彼らが残そうとしたメッセージはシンプルなものだ。君たちの世界の言葉に置き換えると数字の010といったところかな。有る、無し、有るという意味の文字を三つ並べただけのものでしかない」

「意味がわからない……なぜそんなものを」

「それは私にもわからない。私に与えられたのはこのシンプルなメッセージを未来に送り届けるという使命だけなのだから」

「いや、ここ庭だぞ。ナスとか大根とか作ってるんだぞ……宇宙とか使命とか言われても」

 先ほどから聞かされるの宇宙を舞台にした壮大な物語をありふれた民家の庭で聞かされるギャップをナオトはどうにも埋められなかった。

「当然ながら君にとってはあまりに不思議な出来事だろう。だが私がこの広大な宇宙を旅してきたのは事実だ。長い旅の途中、いくつかの惑星で知的生命体と接触し、私の旅の目的に賛同してもらい、いくつもの星に私は古代人のメッセージを残してきた。そしてそれらの星の知的生命に体の改修を受け、より高度な恒星間航行の技術を提供してもらい、新たな旅を始める。古代の知的生命体に託されたメッセージをより遠くへ。より長く残すため。そしてその長い旅の途中、君のいるこの庭にたどり着いたのだ」

 草むらで見つけた生き物なのか機械なのかもわからない銀色の物体は気づけばナオトの足元まで近づいてきていた。

「信じる必要はない。ただ、頼みがある」

「頼み?」

「できることならそのバケツに水をくんできて、私をそこに浸してくれないだろうか?」

 ナオトの足元には水撒きに使っていたバケツが転がっている。銀色の物体は体から生えた腕のようなものでバケツを指し示した。

「実はフィルターが目詰まりを起こしてしまい動作に支障をきたしてしまったんだ。そこで君の家の庭で雨を待っていたのだが、君が水を持ってきてくれるなら今すぐ機能を回復できて大いに助かる」

「……水を持ってきたらいいのか?」

「そうだ」

「わかった、ちょっと待ってて」

 唐突に出された要求。何から何まで理解を越えていたが、ナオトは物体の要求を受け入れ、バケツを手に水道へと向かった。

 ナオトは蛇口をひねるとバケツにたまってゆく水をただぼんやり眺めた。この水を持って庭に戻れば銀色の変な物体などどこにもおらず、いつもの日常に戻れる。そう信じてバケツに水をためていた。しかし、バケツを手に庭へ戻るとあの物体はまだ確かにそこに存在していた。

 銀色の小さなタコはバケツを器用に登り、バケツのふちから水の中へするりと飛び込んだ。銀色の物体が水の中で揺らめくと、水がどんどん赤黒く染まってゆく。透明だった水はあっという間に濁り、その濁った水の中から銀色の丸い体がぷかりと浮かんだ。

「ふう、生き返ったよ……この星は細かな粒子が多すぎる……」

 タコのような銀色の物体はバケツのふちに登ると触手を広げふわりと浮かび上がった。

「!!」

 いきなり宙に浮いたその物体にナオキは絶句した。

 しゃべり、宙に浮き、生き物なのか機械なのかもわからない謎の物体。宇宙から来たメッセンジャーと称するそれはナオトの理解の範囲を超えた存在として確かにそこにあった。




  2




「……で、この地球にもそのメッセージというのを残しにきたと」

 ナオトは自室に戻ってもまだ銀色のタコと話をしていた。庭で見かけた後、まだ説明が足りないとそのまま部屋へとついてきてしまったのだ。

「私の使命は古代人のメッセージを一分でも一秒でも長く残すこと。常にそれを最優先に動いている」

 勉強机の端に乗った銀色のタコがベッドに寝転ぶナオトに言葉を続けた。

「メッセージを残すといってもやり方は色々ある。一番良いのは知的生命体のいる星に行って協力を得ることだ。知的生命と接触できればメッセージをより長く残すための新たな技術を得ることも可能だし、その星を基点にメッセンジャーとして新たな旅に出ることも可能だ。現に私は過去に何度も知的生命と接触し、様々な技術提供を受けた。ある星では、私は自身の複製を1800体ほど作ってもらい、それぞれが新たな旅へと向かった。君たちが住む地球へ飛んでこられたのはそういった知的生命体の援助のおかげだし、こうして地球の言葉を理解し、話すことができるのも、ある星で追加してもらった学習型補助人工知能のおかげだ」

「じゃあ地球でも人間に接触して技術提供を受けるの?」

 ナオトがそう聞くとさっきまで立て板に水だった銀のタコが黙ってしまった。しばしの間のあと、申し訳なさそうにつぶやいた。

「君の前でこういう事を言うのは心苦しいんだが、残念ながらこの星に知的生命体はいない。地球に来て真っ先にこの星の調査を行ったが、君たち人類はこの星の生命の頂点に存在してはいるが、私の中の知的生命体の基準には当てはまらない」

「キツ……酷い言いぐさだ」

 突然現れたよくわからない物体に人類そのものを否定され、ナオトはなんとも言えない気持ちになった。

「恐らく人類は数千年もしたら滅ぶだろう。そして記録技術も未熟なものだ。億単位の年月でメッセージを残したい私の要求に答えられる技術はない。新たな星へと旅立つための協力を好意的に得られるほど文化的な成熟も迎えていない。古代の知的生命体から受け継いだ数十億年の旅だが、残念ながら私にとってはこの星が終着駅となるだろう。しかし1秒でも長く古代知的文明人のメッセージを残すのが私の使命であることは変わらない。太陽が膨張し、この星が無くなるその瞬間まで古代人のメッセージを残せるよう最善を尽くすつもりだ」

 手のひらに乗るほどの小さな銀ダコが話す壮大な物語はナオトにとってあまりにスケールが大きすぎた。

「最善を尽くした結果が、人んちの庭でうずくまって動けなくなった状態なわけだ」

 ナオトは人類をバカにされた悔しさを精一杯の嫌味で返してみた。

「それを言われると痛いな……だが私はすでにメッセージを残すための作業の第一段階は終えている」

「どんな?」

「君たち人類も記録を残すために様々なことをしているだろう。紙に書いたり、石に刻んだり、光学ディスクに保存したり……そんな中でデータを最も長期保存できる物はなんだと思う?」

「んー」

 ナオトは考えるが、答えなど待たずに銀の物体が答えてしまう。

「遺伝子だ。遺伝子という箱は記録媒体として優秀だ。たとえ一個の生命が命を落としても新たな生命がそれを引き継ぐ。この遺伝子に情報を載せてしまえば数万年、数十万年とその情報を残してゆける。そこで私は古代人のメッセージをこの星の生命の遺伝子の一部に組み込むことにした」

「遺伝子にメッセージ?」

「この星には様々な生き物がいるが、この星の生命で最も長く、安定してメッセージを残すのに優秀なのはゴキブリだと私は考えた。彼らは環境の変化に強く、その姿を長期間変えていない。その優秀さを買って彼らの遺伝子の一部に私は古代人のメッセージを託した。ゴキブリの繁殖力を考えると、この街のゴキブリの多くがすでに古代人のメッセージを組み込まれているはずだ。このまま繁殖を続ければよほどの天変地異でも起こらぬかぎり、古代人のメッセージは長くこの星に残ることになるだろう」

 メッセンジャーの言葉を聞いたナオトの頭をあるニュースがよぎった。

「ゴキブリ……お前、ゴキブリに何かしたのか?」

「何かというほど大したことじゃないさ。遺伝子にたった数文字の情報を足しただけだ。君たち人間にだって遺伝子の組み換え程度ならすでに行っているだろう。私にとっては簡単な作業だ」

「簡単? じゃあ今ゴキブリが大量に死にまくってるのはどういうことなんだ? お前がおかしなことをしたせいじゃないのか?」

「ゴキブリが大量に死んだ? どういうことだ?」

「数日前から大騒ぎになってるんだよ、この街のゴキブリが大量に死に始めたって」

 そう言うとナオトはスマートフォンの画面をメッセンジャーに見せた。

「ほら!」


 とある街でゴキブリ大量死。一体なぜ!?


 ニュースサイトを開くとゴキブリが大量に死んでいるというニュースが載っている。そのニュースの関連動画として生物学で有名な教授がインタビューに答えている。

「一度にこれだけ大量のゴキブリが死ぬのは異常です。誰かが薬剤を撒いたにしては広範囲すぎますし、強力な薬剤ならゴキブリ以外の生物だって無事では済みません。ゴキブリだけが死ぬのはやはり現時点では不可解としか言いようがありません……」

 そのニュースを見たメッセンジャーが声をあげる。

「バカな! 私の加工でゴキブリが死ぬはずがない」

「実際死んでるじゃんか」

「別な要因があるとしか思えない」

「でも死んだのはこの街のゴキブリだけなんだし、やっぱり遺伝子をいじったからじゃないのか?」

 すぐに反論の言葉を返してくると思ったメッセンジャーが黙ってしまった。

「ありえない……だが状況を調査しないわけにはいかないな。すまないが手伝ってくれないか?」

「手伝う? 俺が!?」

 困惑するナオトをよそに、メッセンジャーはふわりと体を浮かせると宙を舞ってナオトの腕に絡みついた。

「君の名前はなんていうんだ?」

「……ノギヅカ・ナオト」

「よしナオト、行こう」

「行こうって言われても……」

 しかし腕に絡みついたメッセンジャーは離れることがなく、ナオトの抵抗はもはや無意味だった。




  3




「なあ、本当にこのまま外に出るの?」

「構わない」

「俺が構うんだけど……」

 銀色のタコが腕に絡みついた状況の中、ナオトは玄関で躊躇していた。

「君が変わり者に見られるくらいだ、問題は無い」

「それが問題なんだろ……」

 しかしメッセンジャーが引く様子はない。ナオトはしぶしぶ玄関から外に出た。

 辺りに人がいないか恐る恐る外に出てみるが、家からわずか数メートルのところで排水溝の隅に固まるようにして集まる黒い物体に気付いた。ゴキブリだ。

「ほら、死んでるだろ。昨日辺りからこういうのがあちこちにあるんだよ」

 一ヶ所に集まって動かないゴキブリたち。これまでの日常では見られなかった光景だ。

「なるほど、もう少し近付いてくれないか」

 メッセンジャーに言われるがままナオトはゴキブリの前にしゃがみ込んだ。するとメッセンジャーの腕が一本伸び、ゴキブリの死骸をヒョイと掴み上げた。そしてナオトの手の甲にとそれを置いた。

「お、おい! そんなもん手に乗せんなよ!!」

 だがメッセンジャーはお構いなしだ。

「今から解剖する。動くと君の手を傷つけることになる、ジッとしててくれ」

 触手の先が割れ、針のようなものやハサミ、チューブなどが出てくる。それらは自在に動き、ゴキブリの死骸を取り囲む。メスのような刃が光るのが見え、ナオトの体がこわばった。

 ナオトの腕の上でゴキブリの解剖が始まった。もはや覚悟を決めるしかなく、ナオトはただじっとその様子を見守った。メッセンジャーの触手から現れたメスが手際良くゴキブリの体を切り刻み、体組織を分離してゆく。一部の組織によくわからない液体をかけたり、切り取った外皮を体内の分析器へと収めたり、様々な検査を行っている。

 そして解剖から数分、体の上に乗せたゴキブリの死骸をメッセンジャーがポイとほうり投げた。

「これは……厄介なことになったかもしれない……」

「どういうこと?」

「とにかく長くなる……ひとまず部屋に戻ろう」



 メッセンジャーの言葉にナオトは部屋へと戻ったが、部屋に戻ってもメッセンジャーは黙ったままだ。

「なあ、何があったんだ?」

「正直、私にもわからない部分がある。ひとまずわかった事から話そう。まず、ゴキブリが大量に死んだ原因だが、あれは私が遺伝子に書き込んだメッセージが原因だった」

「なんだ、やっぱり自分のミスだったんじゃんか」

 あれほど得意げに安全だと言っていたメッセンジャーにナオトが突っかかる。

「待ってくれ。もう少し詳しく説明させてくれ。確かに私が遺伝子に組み込んだメッセージが原因ではあるが、それはゴキブリが直接死んだ原因ではなく、ある意味トリガーだったんだ。」

「トリガー?」

「信じられないことだがゴキブリの遺伝子……生命の設計図にはある種の罠が仕掛けられていたんだ」

「罠?」

「私が組み込んだメッセージ……この世界の言葉で仮に010という言葉だったとしよう。この010というメッセージ自体にはゴキブリに対する働きかけは何も無かった。しかしゴキブリの遺伝子には何故か体内でこの010というメッセージを見つけたら攻撃するようなプログラムが仕込まれていたんだ」

「……どういうこと?」

 ナオトにはメッセンジャーの言葉の意味がわからなかった。

「つまりだ、私が意図的に組み込まなければ発生することのない010というメッセージに対する防御機構が最初から存在していたんだ」

 メッセンジャーの声が大きくなる。

「どう考えてもこれはおかしい。この地球にゴキブリという生命が誕生したその時から、すでに私がメッセージを組み込んだ時のことを想定した命令が記録されていたんだ。これはもう、私というメッセンジャーがこの星に来ることを想定して、この星の生命の遺伝子を何者かが意図的に改ざんしていたとしか考えられない」

 メッセンジャーはまるで人間のように大きなため息をついてみせた。

「私はこの星に古代人のメッセージを刻みにきた。しかしそれを邪魔したい存在が私よりもずっと先にこの星へ来ていたと考えるのが妥当だ」

 メッセンジャーの話はナオトにはあまりに壮大すぎた。ナオトはただ口をポカンと開け、その言葉に黙って耳を傾けるしかなかった。


「……私の記憶回路には不確定情報としてイレイザーという存在が記録されている」

「イレイザー?」

「数十億年前の古代人が自分たちの存在証明のために我々メッセンジャーを宇宙に放ったことは以前話したとおりだ。しかしこのプロジェクトをこの宇宙に存在する全ての知的生命体が歓迎しているわけではない。宇宙中に放たれた数多くのメッセンジャーが遭遇する幾つもの旅の中ではメッセージを残すこと対して協力を拒む知的生命体もあったろうし、積極的にその行為を否定する者だっていたはずだ。そういった我々のプロジェクトに敵対する者たちが古代人のメッセージを消して回っているという話がある」

「メッセージを消す……そんなのいるんだ」

「私自身はそういった存在と接触した経験がないので記憶回路にある噂程度のわずかな情報しか持ち合わせていないが、彼らはイレイザーと呼ばれ、古代人のメッセージに汚染された星の生命を次々と消していくそうだ。時には星そのものを消滅させることもあるらしい。今回、ゴキブリの遺伝子が改ざんされていたことからすると、そのイレイザーがこの星に来ていた可能性は高い」

「なんだかスケールが壮大すぎてついてけない……」

 星を消すなど、まるでSF映画のようで現実感の無さがナオトの思考を鈍らせた。

「無理もない、当事者の私ですら予想外の出来事に混乱しているのだから」

「……とにかく、君たち地球の生命体は遥か昔に遺伝子の改ざんを受けていることだけは間違いない。それがイレイザーである可能性は高いが、今もそのイレイザーがこの星に存在しているかどうかはハッキリしない。私にはイレイザーという存在についての情報が決定的に不足しているのでね」

「ああもう、一体何が起こってるんだよ……俺はただ庭の草むしりをしてただけなのに……」

 ナオトはあまりに唐突な物語の進行に頭をかきむしった。

「とにかく私に今できることは調査することだけだ。イレイザーについて、この星の生命について……」

 机の上に乗っていたメッセンジャーはふわりと体を宙に浮かせると、ゆらゆらとナオトの前を漂った。

「……どうだろうナオト、君も協力してくれないか?」

「協力って言ったって、古代人のメッセージがどうとか、地球人には関係ないことなわけで……」

 あまりの展開はナオトを躊躇させる。できることなら草むしりをしてたあの瞬間に巻き戻って、この銀色のタコみたいな生物に出逢わないでおけたらとさえ思っている。

「確かにこの星の生命は無関係な騒動に巻き込まれた単なる被害者だ。しかしイレイザーが存在しているとなるとこの星そのものが消えて無くなる可能性だってゼロではない。この星の命運を地球外生命だけで勝手に左右してしまってはそれこそこの星の生命に申し訳が立たない。ぜひ人類の代表としてこの騒動の立会人になってほしい」

「人類の代表って……俺、単なる普通の高校生なのに……」

「私だって数千機作られたメッセンジャーの中の単なる一台だ。だからこそ、君に協力を仰ぎたい」

 しばしの沈黙。だが、メッセンジャーの言葉にナオトも決意した。

「わかった……まだ頭は混乱してるけど、できる協力はするよ。この星にも知的な生命がいるって認めてもらいたいしね」

「ありがとう……どうやらこの星にも対話が可能な存在がいるようだ」

 メッセンジャーは触手を一本、ナオトに差し出した。ナオトはその意味を理解し、その触手を握った。人類と地球外文明が交わす初めての握手だ。

「でも、一体何を協力したらいいんだ? 正直、力になれそうなことなんて無さそうだけど…」

「さしあたっては私が行きたい場所に連れて行ってくれるだけで構わない。一人で行動することも可能だが、人の目に付きやすい時間帯は単独では動きづらいのでね」

「その程度ならお安いご用って感じかな」

「それと、君の体を調べさせてほしい。ゴキブリの遺伝子に改ざんがあった以上、人間の体にもイレイザーが仕掛けた何かしらの罠があるかもしれない」

「……調べるって、まさか解剖とか!?」

 先ほどの解剖されたゴキブリの姿が浮かび、ナオトは慌てた。

「そんな大袈裟なことはしないから安心してくれ。君の腕に絡み付いて、皮膚に小さな傷を付けさせてもらう。そこから色々と調べさせてもらうだけだ。君が寝る時に腕へくっ付いてるだけだから、君は腕に枕が付いたとでも思って好きにしてくれればいいさ」

「なんだかえらい事になっちまったなぁ……」

 巻き込まれたナオトからため息が漏れる

「とりあえずその銀色のプニプニが頭を乗せる枕としてちょうど良いことを願うことにするよ」

 ナオトはメッセンジャーのプニプニした体を突付いてみた。ひんやりとした水枕のような感触がなかなか心地良かった。



   4




 朝。いつもの朝。ナオトの目の前にはいつものだるい、まぶしい朝が待っていた。

 眠い頭を二、三度かき、寝返りを打つ。そんないつもの朝にいつもと違う感触。腕に巻きついた銀色の柔らかな物体がそこにはあった。

「おはよう」

「……やっぱり、夢じゃなかったのか」

「いまだに自分の身に降りかかった出来事が信じられないようだね」

「そうでもないさ、とりあえず君みたいな銀色の餅が喋っても驚かなくなったしね」

 ナオトは面倒臭そうに体を起こし、閉じたままの目を朝日に浴びせた。

 腕にのしかかるメッセンジャーの少しだけ重い感触。

「そういえば俺の体を調べるとか言ってたけど、もう調べたの?」

「ああ……やはり君たち人間の遺伝子にも改ざんの痕跡があった。もし古代人のメッセージを人間の遺伝子に書き込んだら免疫機能が自身の体を攻撃して命を落とすことになるだろう。危ないところだったよ」

「古代人のメッセージを書いて回る変な機械と、それを消して回る奴……話だけ聞くと近所の落書きトラブルと大差ないのに宇宙規模となると壮大だな」

 メッセンジャーの話す壮大な物語はナオトの頭を混乱させる。

「とにかく今は調べることが全てにおいて最善の策だ。起きたばかりで悪いが早速協力してくれないか」

 協力すると約束した以上、断るわけにはいかない。ナオトは眠い目を擦ると外出着に着替えた。



 街の景色はいつもと同じで穏やかだ。休日の朝は車も少なく、静かだ。しかしその静かな道の脇にもゴキブリの死骸が目立つ。メッセンジャーが遺伝子にメッセージを埋め込んだことにより、何者が仕掛けた罠が発動して死んだゴキブリ。あちこちで見かける死骸の多さはナオトをうんざりさせた。

「街ってこんなにゴキブリいたんだな……」

「この数の多さと繁殖力に期待してメッセージを埋め込んだんだが、まさかすでに罠が仕掛けられていたなんてね……」

「このゴキブリに仕掛けられた罠からいってもイレイザーがこの星の生命に関わっているのは確実だ。君たちの体を調べた結果、遺伝子が改ざんされたのは200万年以上前のようだ」

「200万年……」

「そうだ、私がこの星にくるよりもずっと前からイレイザーは私の残すメッセージを破壊する準備を行っていたことになる。まずはイレイザーが現在もこの星に存在しているのかを確認する必要がある。今はとにかくあらゆる生命を調べ、そこから改ざんの痕跡を見つけ、イレイザーの活動時期を見極めることが重要だ。ナオト、この辺りで生き物を多く捕まえられそうな場所に向かってくれ」

 その言葉にナオトの足は公園へと向かった。 

 しかし近所の公園まで歩いてくるとにわかに辺りが騒がしくなってきた。公園の脇の道に何やら大きなパラボラアンテナをつけた車が止まっており、公園の中には人だかりができている。車にはテレビ局のマークがついており、それが局の中継車だとナオトも気付いた。どうやらテレビ局は公園の中で中継放送をしているようだ。

 ナオトも野次馬の輪に入り、中継を覗いてみた。

「こちらがゴキブリ大量死の現場となった川岸町です。あまりアップでお見せするわけにはいきませんが、この公園にもあちこちにゴキブリの死骸が転がっています」

 リポーターの女性が植え込みの隅に固まったゴキブリの死骸を指差し、眉間にシワをよせた。

「今日はこの不思議な事件を分析していただくため、生物学の権威、斉藤名誉教授にお越しいただきました」

 カメラがリポーターの隣に立つ男にカメラを向ける。

「……どうも」

 ヒゲをたくわえた長身の男。ナオトはその姿に見覚えがあった。生物学の教授で、生物的観点から材料工学の研究もしている斉藤はテレビに登場する機会の多い人物で、来月、種子島から打ち上げるロケットには斉藤が育てたサボテンが実験材料として乗せられるというニュースをナオトは何度も見ていた。

「斉藤先生、ゴキブリだけが大量に死ぬというこの状況は一体どのような原因が考えられるでしょうか」

「いくつかの理由が考えられますが、現状ではどれも不可解な点が残ってしまいます。まず考えられるのがゴキブリ駆除の薬剤などが散布された可能性ですが、これだけ大量のゴキブリを殺すだけの薬剤が撒かれたとしたら誰かが目撃しているでしょうし、他の生物に影響が出ても不思議ではありません。次に考えられるのは何らかの病原菌に感染し、この地域のゴキブリが一気に死滅してしまった可能性です。しかしゴキブリがこれだけ大量に死ぬという病気は聞いたことがありません。現状ではまだ何もわからないと言っておくべき状況だと考えます」

「なるほど、そして気になるのはこのゴキブリ大量死が及ぼす人間への影響なのですが」

「今の段階では特に恐れる必要はないと思います。ただし、まだわからない事の方が多いというのが現実です。街でゴキブリの死骸を見つけても不用意に触らないように注意していただきたい」

「わかりました。一旦スタジオにお返しします」

 リポーターの声と共に、スタッフの一人が腕を回し中継終了の合図を出す。リポーターの女性は足元に転がったゴキブリの死骸に不快な表情を浮かべると、公園前の道路に停めたバスへと歩き始めた。その女性リポーターを追いかけるように野次馬も移動を始める。

「ナオト、念のためにゴキブリのサンプルがもうひとつ欲しい。ちょっとしゃがんでくれないか」

 メッセンジャーが周りに聞こえないよう、小さな声でナオトにささやいた。それに応え、ナオトがゴキブリの死骸の前にしゃがみ込む。するとナオトの腕に巻きついていたメッセンジャーの触手がゴキブリの死骸へと伸び、手早くつまみあげた。メッセンジャーのボディの上に乗せられたゴキブリの死骸は水の中に沈むように、メッセンジャーの体内へと吸い込まれていく。

「え、なにこれ!? 今のって死骸を体の中に取り込んだの?」

「体内に取り込んで、内部で調べようと思ってね。……それとも体の上に乗っけたまま、見える状態で解剖した方がいいか?」

「いや、それはちょっと……」

 ゴキブリの死骸が自分の腕の辺りにあると思うと良い気持ちはしない。ナオトの顔が引きつった。

 そして次の瞬間、さらにナオトの顔が引きつった。

「君は私の話を聞いてなかったのかな? ゴキブリの死骸には近付かないように注意したんだが……」

 その声に驚き振り返ると、そこにはさきほどテレビの中継で解説をしていた生物学の教授、斉藤がいた。

「あ、いや、ごめんなさい……ちょっと気になったもんで、つい」

 慌てて立ち上がると、ナオトは二歩三歩と後ずさった。

 そんな慌てるナオトの様子とは正反対に落ち着いた表情の斉藤は、ナオトの腕に絡まった銀色のメッセンジャーをジッと見つめていた。

 その視線に気付いたナオトが慌てて右手を背後に回す。

「変わった物を付けてるね、最近はそういうのが流行ってるのかい?」

「ええ、まあ……わりと……」

 言葉につまったナオトは愛想笑いを浮かべると、逃げるように駆け出した。

 振り返ることもなく、テレビ中継のあった公園の入口から公園の奥へ奥へと走る。

 だいぶ走ったところで息を切らし、その場にしゃがみ込んだ。

「やばい……バレたかな、お前のこと……」

 腕に絡みついた銀色の塊に目を向ける。

「いや、大丈夫だろう。私の姿を見たからと言って何がわかるという事もない。せいぜい君が独り言の多い変わった少年だと思われたくらいだ」

「いや、それも十分困るんだけど……」

 はずむ息が徐々に収まってゆく。ようやく落ち着いた体に深く息を吸い込むと、ナオトが立ち上がった。だが、ようやく収まった心臓の鼓動は再び激しく打ち鳴らされた。

 立ち上がって後ろを振り返ると、斉藤が立っていたのだ。

「そんなに慌てて、どうしたんだい?」

 斉藤は穏やかな表情のまま、ナオトをジッと見つめていた。

「実は君と少し話がしたくてね……」

 斉藤が一歩踏み出す。

「いやあの、僕は別に話すことなんてないですけど……」

 斉藤の表情に笑みがこぼれる。

「隠さなくてもいいよ……君なんだろ、ゴキブリの大量死の原因は」

「なっ」

 ナオトは言葉を失った。何を言ったらいいのかどうすればいいのかわからず、ただ固まるしかなかった。

「いや、君じゃないな。君の腕に付いている銀色の物体の方だね」

 斉藤はメッセンジャーを見つめ、満足そうな笑みを浮かべている。

 ナオトはただ戸惑い、言葉を捜して瞳が宙を泳ぐ。

「ありがとうナオト、私が代わろう……」

 動揺するナオトを前に、メッセンジャーが声を上げた。

 ナオトに絡めた触手を離すと、そのまま宙に浮いて見せた。

「どうやらあなたは私が何者か理解しているようだ。そして私も、あなたが何者か大体の想像がついたよ」

 宙に浮かぶメッセンジャーが声を上げても、斉藤は驚くこともなく、ただ笑みを浮かべている。

「この星にたどり着いて何万年経ったかな。まさか来てくれるとは思わなかったよ、メッセンジャー」

 だらりと伸びた斉藤の両腕。そのスーツの袖口から銀色の触手が垂れ下がる。それはメッセンジャーと同じものに見えた。

「やはりイレイザーか。イレイザーは奪ったメッセンジャーの体を改造して作られるものだと聞いていたが本当のようだね。私の姿とよく似ている……」

「似ているのは外見だけではないさ。もしこの星で古代人のメッセージを刻むとしたらどこがいいか、その考えも同じだっただろう。私の想像した通り、君は生物の遺伝子に古代人のメッセージを刻もうとした……本当に、何から何まで予想通りだったよ」

 そう言うと、斉藤が口を歪めて笑みを浮かべた。

「だが残念ながら、メッセンジャーである君のその目論見は失敗した。この星の生命には遺伝子の中に古代人のメッセージを見つけたら自身の体を崩壊させるプログラムを私が仕込んでおいたのだから」

 斉藤の口はさらに歪み、不気味な笑い声が辺りに響いた。

「メッセージを残しにきた君が、逆にこの星の生命を滅ぼす……こんなに愉快なことはない。どうだい今の気分は? 長い旅を続け、やっとたどり着いた先が行き止まりだったんだ」

 斉藤が笑い声がますます高くなる。その下品な笑い声をメッセンジャーは黙って見ているだけだった。

「どうした、絶望のあまり声すら出ないか」

「別に……」

「この星の生命の遺伝子にメッセージを残せなかったのは予想外だった。しかしだからと言って悲観することはない。ひとつの可能性が潰れたのなら、別な可能性を探せばいいだけのことだ」

 メッセンジャーは事も無げに言い放つ。

「そうか……せっかく数百万年待ったのだから、もう少し話をしていたかったんだが、君を生かしておくのは問題があるようだ。君にも消えてもらうことにしよう……古代人のくだらないメッセージと一緒にね!」

 斉藤は急に前かがみになったかと思うと、倒れこむように駆け出した。四十代くらいに見えるその姿とは裏腹に俊敏な動きで、立ち尽くすナオトと、その脇に浮かぶメッセンジャーへと突進してくる。

「あぶない!」

 ナオトはとっさにメッセンジャーの前に飛び出した。斉藤の狙いはメッセンジャーだ。それを阻止すべくかばうように立ちふさがった。

 斉藤はなんの躊躇もなくナオトの体に飛びかかる。その突進はあまりに激しく、ナオトの体が仰け反った。

「くそ、なんて力だ……」

 何とか踏ん張ったものの、ナオトの肩を掴む斉藤の手に力が入る。人間とは思えないその握力がナオトの顔を歪ませる。そして次の瞬間、斉藤の左手がナオトを突き飛ばした。

 車にでもぶつけられたような激しいショックと共に、ナオトの体は数メートル先まで飛ばされた。

 吹き飛ばされたナオトに駆け寄ったメッセンジャーがつぶやく。

「どうやらイレイザーはあの人間の体を乗っ取って操っているようだ」

 斉藤の首元にイレイザーの銀色の体が密着しているのが見えた。

「あの怪力、とても人間が出せる力じゃないぞ……」

「いや、人間の筋肉量から計算すれば不可能なものではない。恐らく神経系にイレイザーの感応針を接続して、そのパルスで全力的な活動を可能にさせたんだろう」

「なにそれ? 言ってること全然わかんないんだけど……」

 ナオトは立ち上がろうと地面の砂に爪を立てるが、ショックは思いのほか強く、再びへたり込む。

「ゆっくり説明してる暇は無い。今言えることは、この状況を脱する為に我々も同じことをしなければならないということだ」

「同じこと?」

「ナオト、君の体を借してもらう」

 そう言ったメッセンジャーは、ナオトの背後へと回りこんだ。そしてナオトの首筋へとその体を巻きつけた。

「おい、何を!?」

「前を見ろ、来てるぞ!」

 動揺するナオト。だがそんなことはお構いなしに斉藤が突進してくる。

 慌てて立ち上がろうとするが、体が言うことをきかない。あっという間に間合いを詰める斉藤の姿が視界いっぱいに広がった。

 獣のような叫び声を上げた斉藤がナオトの体にのしかかる。振り上げた斉藤の拳がナオトには見えた。

 もう、逃げられない……

 ナオトは思わず目を閉じた。

 が、斉藤の拳が振り下ろされた瞬間、ナオトの意識とは無関係にナオトの右手が斉藤の拳を受け止めた。自分の感情とは無関係に、ナオトの右腕が大きく脈打った。

「……なんだ、これ」

 その疑問の答えが見つかるよりも先に、斉藤の拳を受け止めた右腕が、体ごと斉藤をなぎ払った。先ほどとは正反対に、斉藤の体が吹き飛ぶ。

 自分の意思とは無関係に動く体にナオトは動揺した。

「おい、なんだよこれ、何が起こってるんだ?」

 ナオトの困惑する声に、首筋に絡みついたメッセンジャーが声をかけた。

「今、君の体は私が支配している。君の脳が体に送る命令を遮断して、代わりに私が君の体をコントロールしてるんだ」

 ナオトの右手が拳を作る。しかしそれはナオトの意思ではない。勝手に動く体をナオトはただ見ているだけだ。

「体が勝手に……動いてる」

「それだけではない。体に送る電気信号に細工をして、今君は人間が出せる能力の全てを発揮できる状態になっている。簡単に言うとリミッターを解除した状態とでも言ったらいいかな。昨日の夜のうちに君の体を調べておいたのが功を奏したよ」

「そう……なのか……」

「すまないがしばらくこの状態でいさせてもらうよ。今は目の前のアイツを何とかしないとならない」

「わかった……」

 どこか痺れるようなフワリとした体の感覚はあまり気持ちの良いものではない。しかし今はメッセンジャーに頼る以外に道はない。

「やれやれ、少し面倒なことになったな……」

 斉藤の体を支配するイレイザーが斉藤の口を使って呟く。

「だが250万年待ったんだ……少しは楽しまないとなっ!」

 斉藤が再びナオトたちに突進してくる。

「おい、またくるぞっ!」

 口しか動かせないナオトが思わず声を上げる。だがメッセンジャーは至って冷静だ。

「心配ない。イレイザーの存在に出くわした時には焦ったが、もはや私たちに負ける要素はない」

 メッセンジャーは事も無げに言い放つ。

 そうしてる間にも斉藤が距離を詰め、振り上げた拳がナオト目がけて飛んでくる。

 しかしメッセンジャーが支配したナオトの体はそれをいとも簡単に避けた。うなり声を上げながら無数の拳がナオト目がけて振り下ろされる。しかしそれらがナオトの体を捉えることはなかった。

「イレイザーがこの星に来たのが250万年前。そしてイレイザーが支配するあの男の年齢は40代」

 斉藤の拳が空をきる。

「私がオーバーホールを受けたのは40万年前。そしてナオト、君はまだ十代だ」

 姿勢を低くして体全体でぶつかってくる斉藤をナオトの体が飛び越した。

「その年齢差は210万とんで20年」

 再び向かってくる斉藤の前に立ちはだかり、メッセンジャーが支配するナオトの体は今度はその拳を真っ向から受け止めてみせた。

「……イレイザー、若さの差を君に見せてやろう」

 そのメッセンジャーの余裕がイレイザーを苛立たせる。

「舐めるなっ!」

 だが、斉藤の拳は一向にナオトを捕らえることができない。苛立つ斉藤が公園のブランコから鎖を引きちぎる。30cmほどの金属棒を次々とナオトに向かって投げ始めた。

 ナオトの顔の脇をすり抜けた一本の金属棒が背後の木に突き刺さる。

「ああもポイポイと物を投げられると巻き添えが心配だな……」

 メッセンジャーの支配するナオトの体は離れた間合いを詰めるべく斉藤へと近付く。

 すると斉藤は一本の街灯へと手をかけた。低く、辺りに響くほどのうめき声を上げたかと思うと、渾身の力でその街灯を引きちぎった。

「消す! メッセンジャーも古代人のメッセージも、この宇宙には何一つ存在させん! 全てを塵としてやる!!」

 3メートルはある街灯の支柱が空気を裂いて音をあげる。

「おい、さすがにアレはやばいんじゃないか……」

「問題ない。だがイレイザーが支配するあの男の体と、君の体への負担が心配だ。あまり時間をかけるわけにはいかないな……」

 そういうと、メッセンジャーに支配されたナオトの体ははゆっくりとイレイザーに向かって歩き始めた。無防備にも見えるその姿にイレイザーが声を上げる。

「一撃で仕留めてやる……消え去れ!!」

 空高く振り上げられた鉄柱がナオトの体目がけて振り下ろされた。

 しかしメッセンジャーはナオトの体を沈み込ませると、両手を肩に添え、鉄柱を受け止めた。地面に膝をつきながらも、鉄柱を押さえこんでいる。

「なんとか受け止めたようだが、それでは身動きとれまい」

 斉藤の口元が歪んだ笑みを浮かべる。だがメッセンジャーに慌てる様子はない。

「なかなかの攻撃だが、金属の柱を使ったのは失敗だな」

「なんだと?」

「お別れだ……残念ながら消えるのは君の方だったようだ」

 ナオトの右手がしっかりと柱を握り直す。すると次の瞬間、鉄柱に青い火花が散った。

 それに気付いたイレイザーがとっさに手を離そうとするが、間に合わない。

 激しく上がった火花は鉄柱を伝わり、斉藤の体を抜け、首筋に取り付いたイレイザーの体にまで伝わった。イレイザーの体は青白い火花に包まれ、大の字に倒れ込むとその場に沈黙した。

「なんだ? 何が起こったんだ!?」

 状況のわからないナオトが声を上げる。

「過電流でイレイザーの機能をダウンさせた。私たちの体は戦闘をするための物ではないからね、不測の事態の時には自身の体を保護することが優先される。極端に強い電流を流すと、回路を保護するために全ての機能が外部から遮断されるんだ。イレイザーは今、全ての機能を停止してどこかに不具合が発生してないかチェックしている状態だ」

 ナオトの体を支配するメッセンジャーが、イレイザーの体を斉藤から引き剥がす。

「こうなってしまえば後はどうとでもなる。物理的に破壊することも可能だし、制御基板に細工をして永遠にチェックが終わらないようにもできる。とりあえずイレイザーの処置に関しては私に任せてくれ」

 そう言うと、首筋に絡みついたメッセンジャーがナオトの体から離れた。

「ナオト、体の方は大丈夫か? すまない……少し無理をさせてしまった」

 体中の神経がピリピリとしびれるような感触があるが、とくに辛い部分はない。

「いや、俺は大丈夫だけど、それよりその人は平気なの?」

 斉藤は小さなうめき声を上げるが、指先がわずかに動く程度で、意識がハッキリしない。

「どうやら長い間イレイザーの支配を受けていたようだ。命に別状はないと思うが、意識の混濁もあるし、少し様子を見たほうがいいな」

 そう言うとメッセンジャーが今度は斉藤の首筋に絡みついた。

 すると次の瞬間、斉藤の体がピクリと反応し、ゆっくりと立ち上がった。

 斉藤の口を介し、メッセンジャーが話し始める。

「この男の体はしばらく私が管理しよう。体に異常がないか調べる必要があるし、イレイザーがこの星でどんな活動をしていたかの重要な手がかりでもある。イレイザー自身の体も含め、詳しい調査が必要だ」

 その様子を見て、安心したナオトがへたり込んだ。

「ふう、なんかドッと疲れが出てきた気分だ……」

「色々すまなかった。まだやらなけれならない事は多いが、最も大きな問題は解消された。君がこういう派手な面倒に巻き込まれることはもうないだろう」

「っていうかさ、今からの方が面倒なんじゃないか? この状況、どうするんだよ」

 ナオトが辺りを見回す。

 引きちぎられ、倒れた鉄柱、散らばるブランコの鎖……そこには『派手な面倒』の跡が広がっている。

「確かにこの状況を誰かに見られると面倒だな……こういった場合の最善策は……」

 その時、ナオトがメッセンジャーの言葉を制した。

「最善の方法? 決まってるだろ……逃げるんだよ!」




           5




 ナオトがあの奇妙な銀色の物体に出会った日から1ヶ月近く経った。

 メッセンジャーは斉藤の体へと取り付き、今はナオトの元を離れている。時々、調査の進捗状況を報告する電話が斉藤の体を通してかかってくるが、ナオトの生活は以前の暮らしとほぼ変わらないものへと戻っていた。

 しかし3日前にナオトの元に届いた電話によって、再びナオトの生活が本来の日常から脱線した。



 ナオトは今、種子島の宇宙センターにいた。

 生物学の博士であり、生物の体を使った材料工学の専門家である斉藤の招待によって、民間人では立ち入れない、ロケット打ち上げ現場のすぐ真下まできていた。

「嘘だろ……俺、ホントにこんな場所にいていいのかな……」

「斉藤博士が送った正式な招待状だ。何の問題もない。……まあ、実際にそれを書かせたのは私だが」

 斉藤の首筋にチラリとメッセンジャーの銀色の体が見える。

「でも、一体なんでこんな所に俺を?」

「全ての調査が終了したんでね、その報告だよ。色々と事情があってこの場所を離れられないので君にこっちへ来てもらったんだ……迷惑だったかな?」

「とんでもない! ロケットをこんな間近で見られるチャンスなんて普通じゃありえないもん」

 二人が歩く先には巨大なH‐2Aロケットの発射台が見える。距離感を喪失させるほど巨大な物体はナオトの視界を占拠していた。

「とりあえずロケットに向かいながら少しずつ話していこう。すでに話したことだが、私が古代人のメッセージを残すために宇宙を旅している話は知っているよね」

「ああ、遠い遠い遥か昔、どこかの星で生まれた生命が、自分たちの生きた証を残そうと、宇宙に向けて君のようなメッセンジャーを放ったんだろ」

「その通りだ。だが、そのメッセージを残すという作業を妨害しようとする存在がいた。それがイレイザーだ。彼らはメッセンジャーの体を改造し、逆に古代人のメッセージを消し始めた」

「それが斉藤博士に取り付いていた、君そっくりな銀色のあいつ……あれがそのイレイザーだったんだろ」

「私も驚いたよ。ただの噂だと思っていたのでね。しかしイレイザーは私よりずっと早い時期にこの星へ来ていた。イレイザーの記憶回路を調べた結果によると、およそ250万年前のことだ。そしてイレイザーはこの星の生命の遺伝子に細工をした。私のようなメッセンジャーがこの星に来て、もし人間の遺伝子に何らかのメッセージを残そうとすると、その生命が死んでしまうプログラムだ」

「ゴキブリが大量に死んだのはそのせいだった、と」

「そして、そのゴキブリの大量死に気付いたイレイザーは私の前に現れた。彼はこの星の生命に寄生しながら私が現れるのをずっと待っていたんだ。250万年もの間」

「250万年か……あまりに長すぎてピンとこないな……」

「そうなんだ、長いんだ。我々メッセンジャーの耐用年数は比較的長いが、250万年ともなると何らかのオーバーホールが必要になってくる時期だ。しかしこの星の技術力ではオーバーホールもままならない……そこでイレイザーは考えた」

 そう言ってメッセンジャーが目の前のロケットを指差した。

「こいつだよ」

「……どういうこと?」

「イレイザーはこの星を脱出する計画を立てていたんだ。我々メッセンジャーは宇宙空間を飛行する能力を有してはいるが、地球の重力から脱出すだけの推力は持ち合わせていない。たどり着いた惑星で知的生命体の協力を得られなければ、たどり着いたその星でその寿命を終えるしかないんだ。そのためにイレイザーは、斉藤という材料工学の研究家の体を得て宇宙開発のチームに加わり、自分の体を宇宙へと運ぶ計画だったんだ」

 二人は発射台の階段を上り、ロケットの先端部のハッチにたどり着いた。

「見てくれ、この50cm四方の空間を。イレイザーは斉藤の立場を利用し、ロケットの中にこの小さな空間を確保した。奴はここに乗り込んで宇宙へと脱出するつもりだったんだ」

「宇宙へ脱出する準備までしてたなんて……」

「だが、君の協力のおかげでそれは阻止された。奴の機能を停止させることに成功し、今やイレイザーもただの鉄くずさ」

 メッセンジャーが体を支配する斉藤博士の手がナオトの肩をポンと叩いた。

「……ありがとう」

「なんだよ急に……こんなところで」

 メッセンジャーた突然放った感謝の言葉にナオトは戸惑った。だがメッセンジャーは淡々と言葉を続けた。

「実は君をここに呼んだのは、別れを言うためなんだ」

「別れ?」

「イレイザーがこの星を脱出するために用意したロケットのこの空間。私はこれを使って宇宙に旅立つことにしたんだ」

「……宇宙に!?」

「この星の生命はイレイザーによって改ざんを受けてしまった。私がこの星で古代人のメッセージを長期間残すのは難しいだろう。それよりも、このロケットに乗って地球を脱出し、別な天体へと向かった方が古代人のメッセージを残す旅には有効なんだ。イレイザーがメッセンジャーの体を利用したように、今度は私がイレイザーを利用させてもらおうと思ってね」

 ナオトは黙ってしまった。

「何十万年と生きるくせに、急に現れて急に行っちゃうんだ……」

「このチャンスを逃したら次がある保証はないからね……とにかく君には混乱と迷惑ばかりかけてしまった。すまなかった」

「ホント、混乱したよ……っていうか今も混乱してる」

「すまない」

「……別にいいさ。面白かったし」

「そう言ってもらえると助かる」

 するとメッセンジャーは斉藤の体を床にしゃがませ、取りついていた銀色の体を斉藤の首筋から離した。

「そろそろハッチを閉鎖する時間だ。すまないが斉藤博士を医務室まで運んでくれ。一部の記憶に欠落が残るが、それ以外はいずれ元の健康な体に戻る」

 ナオトが斉藤を見ると、メッセンジャーの支配から解き放たれ、ぼんやりとした表情でへたり込んでいる。

「さあ、本当にお別れだ。ハッチを閉めるぞ」

 メッセンジャーがタコのような触手を伸ばし、ハッチに手をかける。

「ありがとう、ナオト。こうして旅を続けられるのは君のおかげだ」

 表情のない金属体のメッセンジャーだがナオトにはなんとなく穏やかな様子に見えた。

「なんか色々あって、今でも信じられないけど……でも、君のことは絶対忘れないよ」

「……残念だが人間の寿命はおよそ80年。君が私のことを覚えていられるのはせいぜい60年くらいだろう」

「なんだよ、せっかく気分よく送り出してやろうと思ったのに、夢がないな……」

「ちなみに私の寿命は現在の状態から無補給でおよそ89万5000年だ……ナオト、君のことは89万5000年忘れないでおこう」

「89万5000年か……長すぎてピンとこないよ」

 その途方もない数字にナオトが笑った。

「私の仕事は古代人のメッセージを未来へ残すことだ。しかし、未来に残らない物が無価値だとは思っていない。たとえ誰の記憶から消えてしまったとしても、君と私が出会ったことは事実だ。それは何億年経とうとも変わらない」

「そうだね……俺も、それでいいと思う」

 重い金属のハッチが、音を立てて閉じた。




 資料3

 全国高等学校・科学部向け 種子島ロケット打ち上げ特別見学会

 参加者による体験文 8 ノギヅカ・ナオトさん



 2018年4月、僕はある方の好意で種子島へと来た。

 ごく普通の高校生活を送っていた自分の日常を考えると信じられない話だが、様々な偶然が重なって、今回ロケットの打ち上げの現場に立ち会う機会を与えてもらったのだ。

 こうして現場に来るまではピンとこなかったが、間近で見るロケットはとてつもなく大きい。しかし数百トンあるその大きな機体が宇宙へ運べる物はその重さの数百分の一。宇宙へ飛び立つためには物凄い量のエネルギーを必要とするのだ。

 ロケットの先端にある貨物室も見せてもらったが、その容積は驚くほど小さい。しかしその小さな空間には未来が詰まっている。地上では行えない宇宙での研究のために数百人、数千人単位で関わった観測機器や実験装置が乗せられ、静かに発射の時を待つ。

 膨大な量のチェックを済ませ、問題がないことを確認し、カウントダウンが始まる。

 天気は快晴。問題は何もない。

 順調に進むカウントダウンを、僕は専用の観測エリアから眺めていた。

 鳥の鳴き声が聞こえてくる程度の静かな世界が、ロケットの発射と共に一変する。

 全身が震えるほどの轟音を響かせながら、ロケットが打ちあがった。

 白煙を上げ、みるみると小さくなるロケット。50メートルある巨体があっという間に豆粒ほどの大きさになってしまった。地上から見えなくなってもロケットは加速を続け、秒速8km近い速度まで加速し、人工衛星を宇宙に放出するのだそうだ。

 打ち上げに関わる人たちはモニターを見つめ、皆が成功を喜んでいる。

 今回打ち上げられた実験衛星は人類の発展にとって重要な意味を持つ。この種子島で打ち上げに関わった人たちは、ただロケットを打ち上げたわけでなく、人類の未来を作っているのだ。

 今回、打ち上げの見学をさせてもらい、それを実感した。とてつもない数の人々が、それぞれの役割で、未来のために頑張っている。ただ見ているだけの僕とは大違いだ。

 しかし、この打ち上げは僕にも特別な意味がある。

 その意味を正しく他の人に伝えるのは難しいのですが、ロケットの煙と共に僕の友人が遠い空の彼方へと旅立ちました。

 もう二度と会えないその友人は、きっと今、宇宙から地球を眺めていることでしょう。

 その友人は最後に、人間の命は永遠ではないという、当たり前のことを僕に教えてくれました。

 人はいつか死ぬし、その記憶も消えてしまう。

 別にそれでいいのかもしれない。実際僕もそう思った。

 しかし、友人が旅立った後、一人残された自分が二度と会えないその友人のことを思うと、やはり忘れたくないと思う。一秒でも長く、彼のことを覚えていたい。

 だから今、この文章を書いています。

 何十年かして、もし自分が死んでしまっても、自分には大切な友人がいたんだという事実を、どこかに残しておきたい。

 僕が未来に残したい物は今この瞬間の、この気持ちです。

 宇宙開発に携わる人たちが作る大きな未来と比べれば、小さなものです。

 しかし大きなものも小さなものも、そういった繋がり全てが、未来という短い言葉の中に詰まっていると思いたい。

 打ち上がったロケットには様々な人の思いが詰まっていることだけは確かです。

 そしてそれは、絶対に忘れてはならないことなのだと思う。

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