16 第2中隊の事務方事情
グレン配下の小隊長の一人に、ヴィクトル・ハルトマンという男が居る。
彼がこの隊で任されている仕事は部隊の小隊指揮であるが、それ以外にも他の中隊間の調整や、部隊の補
給品の調達など多岐に渡り、部隊運営に携わる、幅広い事務作業の実質的な責任者の立場にある。
それ以外にも、この部隊の小隊長には某暴飲暴食小隊長を始めとした、事務作業が苦手な者が多数存在
している為、その尻拭いも彼が行う羽目になっていた。
グレンやエレナも補助的に手伝いはしているが、彼らも自らの事務作業に忙殺され、とてもではないが
処理仕切れる物ではなかった。
「何で、こんなにも溜め込んでいたんだ・・・」
中隊の戦闘報告、砲弾の補給申請、武具の修繕・追加発注、某小隊長に食い荒らされた戦闘食糧
の緊急補給申請に対する言い訳など、中には明らかに自分がやらなくても良い物が混じっているが、
それを抽出するだけでも一手間掛かるので、彼は只無心で書類とにらみ合いを続けていた。
「ああ・・・クソ頭痛い・・・あいつら吐いたら尚飲ませやがって、ちっ・・・馬鹿が・・・」
昨夜吐くまで飲まされた挙句に、酔いつぶれ食堂の床に放置された彼は全身筋肉痛を患っていた。
「あのクソチビ・・・明らかに聞こえてただろあれ・・・そうだな一瞬目があったなよ?・・・完全に無視しやがって・・・」
一人愚痴をこぼしているとそのクソ隊長が静かに現れた。
「ああ、うん、まあ、何だ、すまんなヴィクトル」
真顔でグレンが現れた
「頭が痛いんで黙って手伝うか、回れ右するかしてください、心底不愉快ですから」
「はっ すいません」
部下の躊躇無い嫌味を流して、グレンは自分の事務作業に取り掛かる。
「いやぁ、だってなあ?あんなもん見た瞬間に関わる気無くすわ、酔っぱらい二匹とか面倒臭すぎ」
「お心遣い頂いたお陰で、私は先程ゲロの海で目覚めました。ありがとうございます。嬉しいです」
「ああ、だから何かゲロ臭ぇのかこの部屋」
「おかしいな・・・上官に殺意を抱くなんて、この隊に来るまで無かったんですがね・・・」
「冗談だ、半分は・・・まあ、次回また巻き込まれたら助けたるわ・・・俺流でな」
「頼みますよ本当に、胃がムカついてしょうが無いんですから」
「ああ・・・今度はあいつら二人してゲロの海に沈めてやるよ」
「ところでランドとミリアリアはどこに居るかご存知ですか?昨夜から姿を見ていないのですか」
「あいつらは天に召された、今は救護所のベッドで安置されとるな」
「ああ、惜しい奴らを亡くしましたね、残念です」
「あぁ、情けない連中だ。二人掛かりでかかってもまだ大分お残ししやがった。お陰で俺も今からお大忙
しだよ、本当にもう」
「二人とも本職は事務屋とは違いますから仕方ないですよ」
「俺は事務官の派遣要請自体は、何度も出したんだけどな?」
「そう言ってからもう一ヶ月経ちますけどいつ来るんですか?言葉より結果ですよ?軍人に求められるの
は。私もいい加減心を病みそうですよ、仕事終わらなさすぎて」
「俺もそれを不憫に思って❝キリク❞の所に聞きにいったんだけどな・・・俺もいい加減吐きそうだ
よ。」
「上官を呼び捨てはまずい、それで?」
「・・・最初は俺の直属の大隊長だからヴェルムに聞く予定だったんだが、あいつがまったく捕まらな
かったから、キリクさんの部屋に向かったんだ」
「ええ」
二人は口でこそ呑気に世間話をしている様だが、手元では凄まじい速さで次々と大量の書類を始末し
ていく。
「で、キリクさんの戦隊長の執務室の近くまで行くとさ、何かどうにも賑やかな気配がするだよ」
「何か早速嫌な予感がしてきました」
「いつも静か過ぎるぐらいなのに珍しいことも有るもんだと思ってたよ、その時はな」
「・・・」
「扉をノックして、返事があったから入ったんだ。」
会話の流れから何かを察したのか、ヴィクトルの目つきが鋭くなっていく。
「・・・で?」
「もうこの話止めるか?精神衛生に悪いだけだぞ、これ」
「いえ、ここまで聞いたら最後まで聞いて置かないと気が済みませんから、何か大体察していますが
どうぞ続けてください」
「・・・部屋の中には、今まで派遣要請した事務官がせっせと作業をしていた、何かどうもうちの大
隊長が他の中隊用に要請した事務官も全員居るみたいだった。」
「他の中隊長も最近目に生気がないと思っていたところですよ。全員が書類仕事に追われて
いたからなんですね」
「うちはそう考えるとまだましな方だよ、事務作業できる連中が結構居るからな」
「そうですね・・・隊長に私、エレナにヴォルゲン、副長でも、私の所やアイラの所の二人
も・・・あれ?今は誰も居ませんが?おかしいな?・・・」
「お前昨日ヴォルゲンに飲まされてたな・・・あいつどこに行った。」
「ヴォルゲンだけでなくガランにもやられましたけど・・・」
「あいつなんか呼んでもクソの役にも立たねえから、居たら居たでブチ殺したくなってくる。
あいつに比べたら幼年学校の一年兵の方がまだ仕事する。お茶汲みとか、隊舎内郵便とか」
※幼年学校
幼少時から軍人としての幹部候補を養成するために設けられた、皇國軍における全寮制の教育機関
10歳から14歳の少年少女に軍人としての教育を施す。
東西南北の地方軍、及び中央軍にそれぞれ数校が設立されている軍が運営する軍立の学校。
グレンやヴィクトルは、東方軍管轄の幼年学校出身。
つまりガランは10歳児以下
「人には向き不向きがありますから・・・ヴォルゲンは私が、数度目の嘔吐の末に意識が飛ぶ直前にもし
こたま飲んでいたので、まだ寝ていると思います」
「ゲロの海で?」
「はい」
「オエ・・・あいつもたまにだけど、タガが外れたように飲みほうけるんだよ・・・」
「いろいろストレス溜めているんですよ、彼の部下には血の気が多いのが集まっていますから」
「あいつ自身は、見た目と真反対に理知的で穏やかだけどな・・・なんかガラの悪い志望者が集まるんだ
よな」
「まあ、確かに初めて顔合わせした時は怖かったですよ、あの見た目は」
「お前が入った時は、あいつもう顔傷まみれだったか?」
「顔中に血塗れの包帯していましたね、それが怖さに拍車を掛けていましたよ。片目潰れてましたし」
「じゃあお前入ったのは、俺らがアイラと殺り合った直後か」
「その時の補充兵として入りました。当時は10人長として」
「・・・あれからもう三年も経つのか・・・訳無いな、時間経つのは」
「ヴェルヘルム大隊長は当時中隊長で、隊長はそこの第2小隊長だったんでしたね」
「そうだ・・・あの一件で俺が小隊長の筆頭に繰り上がったんだよ。アイラに殺されたからな
当時の筆頭が」
「それも凄い話ですよね、部下を大量に殺した相手を、自分の部下に押し付けて戦力化を図った訳ですか
ら。」
「俺も流石に小隊を上げて大反対したけど、結局押し付けられた。さっき言った筆頭小隊長には大分世話
になったしな。」
「隊長の小隊も10以上が死んで、ヴォルゲンは片目を潰され、隊長自身は右腕と首を切り裂かれ、出血
多量で半死半生状態だった・・・と聞いています。」
「殺り合った後に反動が来てな、一週間ぐらい意識が無かったらしい。眼が覚めた時には全てが決まった
後だった。」
「すでに、アイラが入隊していたと」
「聞いた時には鼻水吹き出したわ。」
「しかし、その後はアイラを第二中隊の主戦力として重用されていますよね?」
「まあ、替えが利かない強さだからなアレは、使えって指示なら使うさ。他の連中が死なんで済むでな」
「それはつまり、アイラについては死んでも構わないと?」
「さぁな、お前がそう聞こえたなら、そうなんじゃないの」
「隊長は・・・今でもその、アイラを恨んでいるのですか?」
「あぁ、大嫌いだよ」
「今でも殺したいほどに憎んでいるのですか?」
「心底不愉快だよ、自分の部下・同僚を大量に切り殺してくれた食人鬼見てえなのを部下にしてるこの
状況は、しかも戦力の中核に収まって居るしな。何なの?本当に」
ヴィクトルは自分の上官の、現在では自らの部下である者に対しての、深い憎悪の念を感じ取る
声色こそいつも道理に淡々とした物だが、その瞳は二十歳を迎えたばかりの若者とは思えぬほどに、暗く
冷え込んでいた。
余りの居心地の悪さを感じたヴィクトルは、話題を変えることにした。
この場を離れようにも、自分が抱える仕事を終えないことにはそうもいかないのだ。
「それでも、最終的にはアイラを打ち破ったから、今こうして生きているわけでしょう?」
その言葉を聞いた瞬間、グレンはバツの悪そうな顔になる。
「いや、違う」
「えっ?」
「違うよ」
「何がですか?」
「俺は別にアイラに勝ったわけじゃない」
「?」
「いや、お前が言いたいことはわかる。」
「何ですか?」
「俺の“戦闘龍”って渾名の件だろ」
「私が聞いていたのはあの“山界の悪魔”を打ち破り、自らの配下に組み入れた男・・・それ
が今、目の前に居る“戦闘龍”グレンだと、そう聞いてましたが?」
「さっきも言ったが、俺はあいつにボロ雑巾みたいにされたよ。ヴォルゲンとの二人掛かりでも全く、駄
目だった。」
ヴィクトルはグレンの右腕に刻まれた、深い傷跡を見つめる。
「この右腕のは、アイラの矛で盾をぶち抜いて斬られた痕だ。首の奴は、こっちが完全に守りに徹してい
たさらにその上から斬られた。血を流しすぎてな、もうその時点で俺に戦う体力は残っていなかった。」
首筋を撫でながらグレンは話を続ける。
「ここで、俺は死ぬと・・・そう確信した瞬間だった。エリアが石弓で、アイラを狙撃した
んだ」
「ほう」
「今でこそあいつらはよろしくやってるが、あの時はお互いに、全力の殺気が剥き出しだった。」
「へえ、想像付きませんね」
ヴィクトルが二人に抱く印象は、自由奔放なアイラの尻拭いを常にエリアが行っている。
その様は兄妹のようだと、そう感じていた。
「アイラの頬の傷はその時のもんだ、あいつが的を外したのは、あれ以来見てねえな」
「アイラは、エリアの矢を避けたんですか?!」
「そうじゃなけりゃアイラは今ここに居ねえよ、完全にド頭に向けた軌道だったからな・・・あいつの
ほんの僅かな殺意にアイラは反応したんだろうな、同じ人間とは思えん異様な反射神経で飛び退いた。
アイラは狙撃手を即座に見つけたみたいだったが、踵を返してその場から離れた」
「・・・以外ですね、アイラが自分を狙った相手に向かわずに逃げるだなんて」
「俺もそれが気になってな、前に本人に聞いた、“あの時何で逃げたんだ?”ってな」
「アイラはなんと?」
気付けば、もう昼が過ぎていた。二人の手元残った書類はほとんど終えていた。
口と手を同時に動かしながら、二人は会話を続けた。
「エリアの足元にな、見えたんだとさ」
「見えた?・・・ああ、装填済みの石弓がですか?」
「その通りだ、流石だな。それが五つ置いて有ったって言ってた・・・俺もその状況なら死ぬ気で走る
な、明日に向かって」
「大体は次の朝日拝めずに終わりますがね・・・それじゃあ、エリアもアイラに勝った訳ではありません
よね?」
「ああ、あいつ逃げたな。勝ったも負けたもねえ、引き分けだ」
「ではどうして、アイラはこの隊に入る様になったんですか?」
「そりゃあお前・・・当時の中隊長様が御自らあのチンクシャ娘をボロクズにしてくれ
たからよ、俺は血の海に沈んでたから見てねえけど」
「大隊長が自ら仕留められたのですか?」
「そう、エリアから逃げたは良いけど泡食って逃げた先がヴェルムの中隊本陣だったんだとさ。間抜けだ
なあの女は。ふふっ、その時はエリアも流石に焦ったって言ってたな」
「そんな強兵が向かって中隊長にもしものことがあれば・・・」
「違う、自分の獲物がヴェルムに盗られることを危惧してたんだよあいつは、ヴェルムの心配なんぞ
微塵もしてねえよ」
「何と言うか」
「生粋の狩人だなあいつは、一人遊び大好き」
「この中隊も変態揃いですね」
「お前もな」
「割と自覚はあります」
「ふっ・・・まあとりあえず、早いとこ終わらそうや」
「精神衛生に悪い事この上ないですね、この仕事量は」