8.交差
「戻った? 記憶が? 全部?」
僕は思わず彼女を質問攻めにした。
「全部ってわけじゃない。でも犯人の名前と顔、動機は思い出した。その時の感情までは無理だったけど」
意外にも一花は落ち着いていた。そして、静かに語り始めた。辺りにはまた霧が立ち込め始めていた。
「犯人はこのネームプレートの持ち主で間違いないの。私はあの時、これを握りしめたまま意識を失ったんだと思う。それがどうして今ここにあるのかはわからないけど、この世界について一つだけわかったことがある。ここは何もかもが十一年前とまるで同じ。あの時の記憶が、そのままここにあるみたいにね」
なぜ、そんなことが起きるのか。僕たちは二人して気が変になってしまったのか。どれだけ考えてもわからなかった。ただわかっているのは、いつまでもこんな所にいるわけにいかないということだ。
その後、僕たちは真っ白な霧の中を歩いた。今まで聞こえていた音、感じていた匂いや光が、遥か彼方に遠ざかっていくような気がした。それらの音が遠ざかるにつれて、新たに耳に入ってきたのは油蝉と野鳥の鳴き声だった。霧を抜けるまでの間、一花は一言も喋らなかった。ただ、どこか納得したような顔をしていた。
霧を抜けると、ドリームキャッスルの手前にある広場に出た。空の様子がなんだかおかしい。ここに来た時とはうって変わり、どんより曇っていて、遠くで雷がゴロゴロ鳴っている。変な天気だ。花壇に花はなく、雑草が蔓延り、レンガには苔が生え、周りの建物は塗装が剝げ落ちている。
間違いない。戻ってきたのだ。だとすれば、ドリームキャッスルの下にタジマさんがいるはずだ。しかし、一つだけ引っ掛かることがある。
一花をタジマさんに会わせたくない。そんな危険なことはできない。なぜなら――
ゲート付近で見つけたホワイトボードの文字、ポップコーン売り場で見つけたネームプレート、タジマさんの発言、彼の年齢、一花が甘ったるい匂いが嫌いになった訳……
これらの記憶を整理してみると、恐ろしい結論にたどり着くのだ。正直、こんなことを信じたくない。こんな馬鹿げた偶然があるはずがない。しかし――
僕は一花の方を見た。彼女はここにいるタジマさんの存在を知らない。しかし僕は、それでいいと思った。そうでなくてはならないのだ。
ドリームキャッスルの方を見る。そこには誰もいない。彼は、まだたどり着いていないのだろうか。それとも、どこか別の場所へ行ってしまったのだろうか。
冷たい汗が、自分の皮膚から滲み出てくるのがわかった。彼の姿が見えなくて良かった。そして僕が何か武器になるようなものを手にしていなくて、本当に良かった。
僕は一花の手を引き、入ってきたゲートまで歩いて行った。その間、一度も後ろを振り返らなかった。振り返る必要などもうないからだ。
ゲートをくぐり駐車場まで来ると、まるで悪夢の世界から現実に引き戻された時のように、全身にどっと疲れを感じた。
一花は相変わらず落ち着いている。彼女は僕とはぐれていた間、あの十一年前の薄暗い記憶の中で、いったい何を見てきたのだろう。そして、どこまで思い出しているのだろう。
あれから一花は僕に何も言わない。犯人の動機や犯行の内容は何一つ聞き出せなかった。おそらく、これからも僕は詳しいことを彼女に聞けないかもしれない。聞けないくせに、よく知りもしないくせに、僕は一人の人間をこれから先、死ぬまで恨み続けるのだろう。もしかすると、誰よりも現実を受け止められずにいるのは、一花でもあの男でもなく、僕自身なのかもしれない。
僕は一花を車の助手席に乗せ、自分も運転席に座ると、静かにエンジンをかけ、もう二度来ることのない夢の国を後にした。
裏野ドリームランドが取り壊されるという話を耳にしたのは、一花が留学先に旅立ってから間もなくのことだった。あの場所は、ようやく役目を終えようとしているのだ。
機会があれば活動報告などの場を借りて、物語の中で描かれなかった設定などの公開を考えております。
おそらく「夏のホラー2017」が終了してからになると思います。
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