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天台宮の門  作者: 徳田武威
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第八章 信じる物

「はぁはぁはぁ」

 三剣が吐く息は熱い。苦痛と疲労で籠った熱を体が排出しようとしている為だった。

 華秦の一撃を受けた体はすでに満身創痍だった。普通なら戦える様な状況では無い。

 それでも三剣は自らの足で立ち、今もなお華秦の激烈な攻撃をかわしていた。

「良くかわす……貴様のその目に秘密があるのか?」

 華秦が空間さえも切ってしまいそうな斬撃を放ちながら三剣に問いかける。

「ああ、千里眼だ。他の者より少しだけ良く見える」

 三剣が切れる息の中、苦笑しながら答えた。

「そうか……だが、かわしているだけで私に勝てるのか?」

「ふ、時間稼ぎくらいにはなるさ」

「……そんな物に付き合っている時間は無い」

 華秦は三剣の軽口には付き合ってられないとばかりにそう言うと、地面に剣を突き付けた。

「いくら良く見えてもこれはかわせまい」

 次の瞬間華秦は剣を地面に突き付けたまま上に振り上げた。

『ドドドドドドッドドシュ!』

 雪崩の様な音と共に粉々に砕けた鉄の破片が銃弾の様に三剣に向かって飛散する。

「ぐぁああああああああああああああああああああああああああ!」

 三剣の体を襲う無数の弾丸。三剣はその力に飲まれる様に弾き飛ばされた。

 攻撃を受け倒れ伏す三剣、しかし、そんな三剣を前にしても華秦は構えを解かなかった。

「く……あれだけの攻撃をして油断もしないとは……正直お手上げだな」

 すると華秦の技をもろに喰らったはずの、三剣がゆっくりと立ち上がる。

「……あれだけの激流の中で、最もダメージの少ない場所を選ぶとは見事」

 華秦が立ち上がった三剣を称賛する。

「それも気付いていたとは……参ったな本当に」

 普通圧倒的な力を持った者は得てして、その力に溺れ隙を見せるものだが、華秦に関しては全くそれが無い。完璧な戦士を前にして三剣はどこか感慨の様な物を覚えた。

「確かにしぶとい。だが貴様には牙が無い。死ぬのが長いか短いかだけの問題だ」

「……牙なら有るさ」

 華秦の言葉に三剣は反論する。

「はったりを……貴様の剣は折れた。千里眼以外にも術が有ると言うのか?」

「術は無い。だが牙は有る。それを……今から見せよう」

 呆れた様に言う華秦に対して、三剣は強くそう答えると、トンットンッ! と軽くステップを踏む。

「何のつもりだ?」

 まるでボクサーの様に華麗なステップを始める三剣に華秦は不審な視線を送った。それはそうだろう。三剣は剣士のはず、そして剣士がステップを踏むなんてありえない事だ。

 だが、三剣の表情は少しもふざけている様子は無かった。今まで見せていたのとは違う、まるで格闘家の様な闘志に満ちた顔で華秦を睨みつけると。

「――行くぞ!」

 そう言って、苛烈に足を踏み出した。

「シシシシシシシシシシ!」

 一瞬で華秦との間合いを詰め、ボクサーの様に繰り出される鋭いジャブ。

「な、く!」

 華秦はその意外な速さに驚きながらバックステップして距離を取り、剣を薙いだ。

「フヒュッ」

 それを蝶の様にひらりと三剣はかわす。

「貴様ぁ……」

 そんな三剣の様子を見て、華秦は怒りに顔を歪ませた。

「真剣勝負の場でそんなふざけた闘技を用いるなど! どういうつもりだ!」

「ふざけてなどいないさ……格闘技は人が築き上げた技だ」

 そう言った三剣の構えがボクシングスタイルから地面に深く沈みこむ様な形に変わる。

 それは中国拳法の構えだった。

「ふぅ……はぁ!」

 その構えのまま、まるで動物の様な不規則な動きで三剣は華秦に襲いかかる。

「ちぃ……ちょこざいな」

 さっきとは打って変わって、目、喉、股間など次々に急所を狙う攻撃に華秦は面喰りながらもその攻撃をさばいて行く。

「調子に乗るな!」

 華秦の一撃が地面を切り裂き三剣に迫った。しかし、それを三剣は猿の様な身のこなしでバク転しながらかわす。

「さっき言ったな。私には攻撃する術がないと。確かに私は他の者に比べて攻撃に優れた天道の術は備えていない。しかしだからこそ極めたのだ。人間が積み上げて来た技――武術を!」

 三剣が合掌し反身に構える。さっきの激しい中国拳法とは違い、まるで水の様に静かな構えだった。

「だからどうしたと言うのだ! 所詮人間の力では私の鎧を貫く事は出来ない!」

 華秦は手品には飽きたと言わんばかりに三剣に向かって突進する。最早防御の事など考えてはいない。ただ三剣を仕留める事だけを考えていた。

 高速で迫り来る脅威に対し三剣は心乱す事無く迎え撃つ。反身のまま腰を捻り、嘗手を華秦に向かって突き出した。

『ブシュゥウウウウウウウウウウウウウ!』

 華秦の剣に切り付けられた肩から血が噴き出す。

 それとは対照的に三剣の伸ばした嘗手はトンと華秦の腹部を軽く叩いただけだった。

「ふん。やはり生身では私の鎧には傷一つつけられない様だな」

『ギギッギギギギギギギ!』

 華秦の鎧が三剣の血を吸い取り嬉しそうに啼く。切られた三剣が力無く膝をついた時だった。

「……ぐ、ぐふぅ!」

 唐突に華秦が口から血を吐き出した。

「な、何だ……何が起きている」

 自分の腹部にある正体不明の重い痛みに華秦が口を拭いながら戸惑う。

「……鎧通しだ。どんなに固い装甲を誇ろうとも、内部に直接響かせる打撃ならばダメージを与える事が出来る」

 その疑問に膝をつきながら三剣が辛そうに答える。

「鎧通しだと……まさか、私に一撃を与えるとは」

 久しぶりの肉体的苦痛を感じながらも、華秦は驚嘆していた。それは三剣の一連の動作についてだ。

 三剣はすれ違う時、華秦の斬撃に対し致命傷を避けてかわし、尚且つ華秦の急所に間髪入れず嘗手を叩きこんだ。

 一瞬でも恐れて体が引ければ、華秦にダメージを与える事は出来なかっただろう。死を目の前にして揺れないその強い心に華秦は鳥肌が立った。

「見事だ……まさかここまで食い下がるとは。その執念と信念に免じて次の一撃、全力を持って貴様を葬り去ろう」

 華秦が居合いの構えを取った。それは一撃で決めるという華秦の強い決意の表れでもある。

「ありがたい……私もあと一合しか打ち合えない」

 パン! と部屋中に音を反響させ三剣が合掌する。

 すっと静かに立つその姿はまるで仏に祈る僧の様だった。

『………………』

 お互いの内面を探る様に二人の闘気が交錯する。その場に居るだけで呼吸が止まってしてしまいそうな緊迫感が部屋に充満していた。

 じりじりと間合いを詰める華秦に対して三剣は不動。

「シッ!」

 しかし、そんな硬直は一瞬で終わりを告げた。静から動へ、まるで地面が爆発したかの様に鉄の地面を陥没させ、華秦が神速で間合いを詰める。

「破!」

 そして抜剣。煌めく様に三剣の胴へ剣が薙ぎられた。

 その時、三剣は後ろに下がる事はしなかった。寧ろ華秦に合わせる様に剣に向かって飛びこんでいく。もちろんそんな事をしてただで済むはずが無い。

 だが、三剣は迷わなかった。合掌していた両の手を胴を切りつけられながらも突き出した。

『トン……』

 三剣の手が鎧まで届きペタンと貼り付いた。

 しかし、そこで三剣は完全に力尽きた。血を流しながら傾いて行く体はドサっと地面に寝そべり、三剣の意識は深く沈んだ。

「自ら死地に飛び込み、生を得ようとする。それは私達ぬえ人には無い力だな」

 すると華秦は剣を地面に突き立てその場にガシャンと音をたて座った。

 そしてどこか眩しい物を見る様な眼で倒れている三剣を見る。

「見事だったぞ……」

 そう微笑んだ時だった。水面に浮かぶ波紋の様に静かな二つの衝撃が華秦の鎧に走る。

 その波紋は共鳴する様に徐々にその波を大きくなり硬い鎧に守られた華秦の身まで到達した。

 ガッシャン……と一度華秦の体が震えた。それと共に、体には先ほどとは比にならないほどの衝撃が体中に響いていた。華秦の口からつぅ……と血が流れる。

「銀聖殿の加勢は無理か…………秋姫様どうかご無事で」

 主君の無事を華秦は祈った。敵になろうと何だろうと、華秦に取っては秋姫が全てだった。

 戦いが終わり部屋に静寂が訪れる。こうして死力を尽くした両者は戦いは幕を閉じた――。

『ドン! ドン! ドン! ドン!』

 空中で銀聖と憲次が激突する。

「弱い! 弱い! 貴様の復讐心など! 五百年の時を耐えた我らに比べて脆弱すぎる」

 銀聖の拳が憲次の顔面に突き刺さる。その細腕からは信じられぬ程の力が憲次を地面に叩きつけた。

「ぐ……がぁ……」

 地面にめり込んだ体を震えながら起こす。銀聖の強さは憲次にとって異次元の物だった。

(強い。強すぎる……このままじゃ届かない……)

 憲次は銀聖を見上げた。銀聖は太陽を背にしてこちらを睨みつけていた。

(ただ強いんじゃない。こいつもまた、強い執念を感じる。でも負けられない。涼香、お前はきっと俺がこんな事をしても喜ばないだろうな……でも、一回だけでいい。兄ちゃんの我侭許してくれ)

「ぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

 憲次が上着を脱ぎ捨てて吼える。すると右腕と左足から根を張る様に体中が律動する。それは憲次の覚悟の叫び、ここで終わっても構わないという類の物だった。

「駄目! 憲次さん! そんなに力を解放したら!」

 そんな憲次を見て泣きそうな顔で光月が叫ぶ。光月には分かってしまったその身を顧みない憲次の決意が。

 光月の言葉に憲次は振りかえった。そしてニコッと晴れやかに笑う。

「今まで酷い事言ってごめんな。でも、君のおかげで涼香の事を思い出せた。俺はその時、苛々してたけど、きっと幸せだったんだ。幻とはいえ、涼香と一緒に居れた様な気がした、だから……ありがとう」

「嫌! 戻って来れなくなります! 駄目ぇ!」

 光月の目から涙が零れる。しかし、光月から視線を逸らした憲次の心は変えられなかった。

『ビキビキビキビキビキ』

 憲次の体が音をたてて変化していく。それはもう、筋肉が異常に張り詰めるとかそんなレベルでは無い。

 憲次の全身の皮膚はどす黒い緑に変わり、口からは獲物を捕食する牙が生えた。

「力に飲まれ出しているのか……愚かな、そんな事をすればもう人間の姿には戻れない」

 銀聖の蔑む視線に憲次は答える。

「ギ、銀聖……イ、行くぞ!」

 憲次は銀聖に向かって飛んだ。その速さはさっきの比では無いほど速い。人間を遥かに超越した動き。

「臨兵闘者皆陣列在前」

 銀聖が空中に九時を切る。するとそれは光の壁となりビシィ! と音をたて憲次の攻撃を防いだ。

「獣の攻撃では私に触れる事は出来ない」

 突進を止められた憲次はしかし、止まらなかった。光の壁に向かって猛然と拳を打ち込む。

『ドンドンドンドンドンドンドン!』

 憲次の拳で光の壁に亀裂が生じた。

「ぬがぁあああああああああああああああああああああああ!」

 そして目を血走らせた憲次が咆哮と共に打ち出した拳が完全に光の壁を打ち壊す。

「ぬ……」

 それに銀聖が驚いた様に身を引いた。

「まさか今の術を力で強引に打ち破るとは……」

「はぁはぁ……銀聖。お前を倒す」

 憲次が息を切らせながら銀聖を睨み付ける。

「倒せはしない。お前の力では」

 距離を取り銀聖が拳を構えた。すると両腕に光を発しながら術が浮かび上がる。

「受けてみよ」

 銀聖が先手を取って憲次との間合いを詰める。そして、輝く拳を憲次の腹部に叩きこんだ。

「ぐぁあ……」

 憲次の体が九の字に曲がる。まるで腹部で爆発が起きた様な衝撃が襲ってきた。 

「破! 覇! 波!」

 目にも止まらぬ速さで更に銀聖の追撃は続く。顔面、胸部、腹部、まるで光速の様に憲次の体が打ち据えられる。

「…………がぁ」

 悲鳴を上げる暇さえなかった。憲次はなすすべもなく光月の居る方へ吹き飛ばされた。

「ああ、酷い怪我……待っていてください。今治しますから」

 光月は憲次の体を抱え上げると憲次と額を合わせ目を閉じた。すると温かい力が憲次を包み込む。 

「う、うぅ……」

 憲次は苦痛に緑色の顔を歪ませる。銀聖の力は圧倒的だった。自分の体がバラバラになっていないのを不思議に思う程だった。

「どうした憲次! 私を倒すのでは無かったのか! 女の胸で眠っていては、私に勝つ事は出来んぞ!」

 憲次は光月の手を借りながらその身を起こす。体は銀聖の攻撃でガタが来ていたが、心は未だに折れてはいなかった。

「ヌギィギギギギギギギギギギギ!」

 歯を食い縛りその身を抱く様にして全身に力を込める。

『メキィ! メキメキメキ!』

「うがぁああああああああああああああああああああああああああ!」

 憲次の体が骨格から根本的に変わり始めていた。目は釣り上がり、牙は刀の様に、髪がみるみる伸び、耳も悪魔の様に尖る。

 そして額には大きな二本角。憲次の姿はまるで鬼の様になった。

「ギィ、ギンセイィィ!」

 憲次の金切り声が漏れる。

「完全に人間を止めたか」

 そんな憲次に対し銀聖は表情を引き締める。

「もう意識はないだろう。だが教えてやる。後、三分だ。三分で私の術は解ける。だからこい、お前も長くないだろう。認めてやる。お前が私の復讐の一番の障害であると、だから全身全霊でお前を倒す」

 銀聖がその目を限界まで見開き、集めた力を最大限まで解放する。

「止められる物なら止めてみろ! 化け物!」

「ギ! グラアアアアアアアアアアアアアア! ギリィイイイイイイイイイイイイイ!」

 その言葉に反応する様に、鬼よりもおぞましい姿になった憲次は跳んだ――。

『三分……世界の命運を決める三分』

(それなのに私は見守る事しか出来ないの?)

 光月は祈る様にその手を組みながら憲次と銀聖の戦いを見つめる。

 全力を出した銀聖と完全に変化した憲次の戦いは最早、他の者が干渉できるレベルをとうに越えてしまっていた。最早、天道の者が全員束になって憲次に加勢した所で憲次の邪魔にしかならないだろう。

 それが光月には耐えきれないほど歯痒かった。憲次は自らを捨てて戦っているのに、自分も憲次の力になりたいのにと強く願う。

「大丈夫だよ……」

 だが、そんな光月の肩にポスンと小さくて柔らかな手が乗せられた。

 驚き顔を上げる。するとそこには光月を真っ直ぐ見つめる蘭子が居た。

 蘭子は懐からハンカチを光月の口元に持って来て撫でる。するとそのハンカチにはベットリと血が付いていた。

 そこでようやく光月は自らが唇を切るほど強く噛締めていた事に気づいた。

「蘭子さん……私はこんな時なのに何も出来ません。月の巫女などと言われながら、肝心な所は今まで普通に暮らしていたはずの憲次さんに任せてしまっている」

 堪える様に震える声で言う光月に秋姫は首を横に振る。

「そんな事は無いよ」

 蘭子は拳をぶつけ合う憲次と銀聖を見る。蘭子もまた自分の無力感を嘆いていた。血の滲む様な努力をして強くなっても、憲次と共に戦えない自分が歯がゆい。

 そんな自分の感情を目に宿しつつ蘭子は言葉を続ける。

「憲次さんは否定するだろうけど、確かに、天道で光月ちゃんと過ごした憲次さんは幸せだったんだと思うよ。日に日に穏やかになってた。きっと癒されてたんだよ短い間でも、そして、今憲次さんは復讐の為だけに戦ってるんじゃない」

 確信を持って断言した蘭子に、光月は問いかけるような視線を向ける。

「憲次さんはね。きっと今、光月ちゃんを守る為に戦ってるんだよ。復讐だけじゃ、ここまで自分を捨てられないよ。誰かを守る為、だからこそここまで頑張れるんだ」

 蘭子の優しい微笑みは、同性の光月さえも魅了する物だった。それはまた、蘭子も覚悟を決めた事を示している様だった。蘭子にもう震えは無い。ただ、自らの信じる者を信じぬくという意思だけがあった。

「だから信じよう。憲次さんは勝つよ。勝ってきっと戻ってきてくれる。こっちの世界に戻ってくるわよ」

「信じる……憲次さんを……」

 蘭子に言われ光月は再び戦場に視線を戻した。そこにはその身を獣にしながらも戦う憲次の姿が有った。

「はい……はい……信じます。憲次さんが必ず戻ってきてくれると信じます」

 瞳から一筋の涙を流しながらも光月の視線は強く前を見据えていた。憲次と一緒に歩く未来を見据えていた。

「うん。信じよ。だから憲次さん……貴方の邪魔は誰にもさせない。それがせめてもの、私に出来る事だから」

 蘭子そういうと腕を振るった。すると炎がまるで、渦を巻き、憲次達と、自分達の周囲を包み込んだ。

『ギィンギィン!』

 するとその炎の壁が、幾多もの降り注ぐ矢を防いだ。それはぬえ人の援軍。だが、その援軍も蘭子の炎に立ち入る事は出来ない。

「天道の赤神、九龍蘭子! 野暮な真似するつもりなら、次は焼き尽くす! だから黙ってそこで見てなさい!」

 蘭子の啖呵は、援軍に来たぬえ人を沈黙させるだけの力があった。そして怒りに燃える今ならば、蘭子は確実に宣誓通りの事をしただろう。

「負けたら焼いちゃいますから。憲次さん」

 蘭子は満面の笑みでそう言った――。

「イキィイイイイイイイイイイイイイイイイイイイ!」

(涼香……涼香!)

 まともに言葉は発せない。体は自分の思考とは無関係に動いてた。ただ、意志だけは体に伝わっていた。憲次が思いを強く抱けば抱くほど力が漲ってくる。

「うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

 応じる様に銀聖もその美しい顔に激情を浮かべて叫んだ。互いの拳が互いを打ち据える。

(銀聖……)

 憲次は感じていた、殴り合って伝わってくる銀聖の心を。その悲しみ、怒り、憎しみが百の言葉を交わすよりも明確に伝わってくる。

 そしてそれは銀聖にとっても同じなのだろう。憲次と銀聖は深い所で繋がっていた。

「諦め切れぬ。捨て切れぬ。忘れられぬ。我らが何をしたと言うのだ! 我らは返して欲しいと思っただけだ! 理不尽に奪われた物を! 過去の事だから忘れろと言うのか? 侵略者はもう死んだから帳消しだと言うのか? ならば我らの感情は何だ! 何一つ消えてはいないぞ! 貴様らが居なければ秋姫は我らを裏切る事は無かった! 傷つく事は無かった! 私達兄弟は幸せに暮らせたというのにぃいいいいいいいいいいいい!」

 銀聖の怒りに呼応する様に一層拳は輝いた。そして打ち出した拳は今まで一番重い。

(銀聖……)

 一緒だと憲次は思う。銀聖と自分は全く一緒だと、奪われた者同士が、返って来ないものの為に、ただ怒りをぶちまけているだけだと。

 しかし、憲次の心には、不思議と色々な情景が浮かんでいた。

(秋姫……)

 いつも煎餅を頬張っていた。傲慢で、でも少し寂しがり屋だ。

(九龍さん……)

 こんな自分を好きだと言ってくれた女の子。可愛らしいが意志が強い。ちょっと暴走する時もある。そして……。

(光月……)

 妹と瓜二つの少女を思う。おしとやかな感じは涼香には似ても似つかないが、一度言い出したら聞かない、頑固な所や、人を思いやる優しい所は涼香を思い出させてくれた。

『この戦いが終わったら……私とデートしてくれませんか?』

 憲次の頭に昨日の情景が浮かんだ。恥ずかしそうに照れる光月。それを幸せそうに見詰める自分。

『約束ですからね。きっと……』

(そうか……約束……したな……)

「これで最後だぁああああああああああ人間ンンンンンンン! 我らの思いを抱いて地の底に落ちるがぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!」

 激情のままに銀聖が頭上で両手を合わせる。

『ドン!』

 すると手を合わせただけでは有りえない様な衝撃音が響き。強烈な衝撃波が銀聖を中心に戦場を駆け抜けた。

桃源斬とうげんざん

 幾重にも重なる様に銀聖の声が響き、合わせた両手の光が空を貫いた。

 それは刀だった。視界に入りきらない様な強大な力を固めた刀。銀聖はこの一撃に己の力を全て注ぎ込む。

 目を潰されそうな光の中、憲次はしかし、しっかりと銀聖を見ていた。

(あの一撃を喰らったら、俺は確実に死ぬだろう……)

 走馬灯だろうか? 憲次は振り下ろされる銀聖の斬撃がスローに見えた。

 けれど、そんな死の淵で、憲次の意識は別の所にあった。

『私が誰よりも無事でいて欲しいと願う人だからか……』

 頭の中に響く声、優しい声音が憲次の事を呼んだ。

 その時だった。憲次の首にかけていた紅玉が、まるで夕日の様に淡く輝いた。そして、それは憲次の全身を包み込む。

「約束を守らなきゃ……俺……約束したんだな……」

 化物の体から初めて人間の……憲次の声が発せられた。憲次は首につけていた紅玉の紐を引きちぎると、そのまま強く握り締める。

(そうだ。負けられない。俺は、負けられないんだぁああああああああああ!)

握り締めた右手を銀聖に向かって突き出した。すると紅玉はまるで憲次の心に反応するかの様にその輝きを強くした。

『うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!』

 二人の咆哮が重なった。それと同時に銀聖の刃と憲次の拳が激突する。

『バリバリバリバリバリ!』

 切れない物を切り裂くその刀は空間さえも切り裂きながら進んでくる。

 そんな刀に向かって憲次は拳を強く打ち付けた。

『ガガガガガガガガッガガガガガッガガガガガガガガ』

「うがぁあ!」

 山でさえ切ってしまう桃源斬を憲次は拳で受け止めていた。だがその衝撃は凄まじく。体が弾け飛ばない事が奇跡だった。

 憲次の全身の骨がボキボキと折れ、体が内臓から焼かれて行く。しかし、憲次は倒れずに刀を受け止め続けた。

「何故だ! 何故切れん! この世に切れぬ物など無いはず!」

 銀聖が押し込もうと力を込める。だが、その刀はぴくりとも動かなかった。

「銀聖……悪いな。最初に俺は言ったな、俺とお前だけで決着をつけると……だが違った。俺は俺も気付かない内に色んな人の思いと一緒に戦ってたみたいだ。だから銀聖、俺は負けないよ。負けるはずが無い。こんなにも俺を支えてくれる物があるのなら俺が倒れる道理は無い」

「馬鹿な、思いだと? 下らん! そんな物で強くなれるか! そんな物は力の前では無力だぁああああああああああああああああああああああああああああああああ!」

「そんな物で、俺は……十分だぁあああああああああああああああああああ!」

『バリィン……』

 目に僅かに人間としての光が宿った憲次が叫びと共に桃源斬を弾き壊した。壊れた桃源斬の欠片がキラキラと舞い散る。

「馬鹿な……そんな馬鹿な……」

 呆然とその欠片を見やる銀聖。そんな銀聖に向かって憲次は砕けた足を走らせる。

「銀聖ぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!」

 そんな憲次の咆哮にハッと銀聖は気が付く。しかし、体が固まったように動かなかった。

「嘘だ……嘘だ……私が負けるなど……そんな事が……」

「うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

 吠える憲次の拳が下から抉る様に銀聖の腹部に伸び。そして……その腹部を貫いた。

「ぐ、ぐぼ……」

 貫かれた銀聖の口から大量の血が零れる。その体はくたりと憲次に寄り掛かる。

「はぁ……はぁ……」

 憲次は解放していた力を全て閉じた。すると戦いに震えていた空気の振動が止まった。

 そしてそれはこの戦いの終焉を意味していた。

(終わった……涼香……全部終わったよ……)

 憲次は力を失った銀聖を地面に横たわすと、安らかな顔を浮かべ自らも地面に倒れた。

「憲次さん!」

 そんな憲次の様子に気付いたのか光月が悲鳴をあげて駆け寄ってくる。

 だが、そんな声も今の憲次には届いてはいなかった。ただ、全てを出し切った虚脱感だけが憲次の体を支配していた。

「もう良いよな眠っても。最近寝不足だから疲れてたんだよ涼香……」

 まるでそこに涼香が居るかの様に呟くと憲次はそのまま意識を失った――――。

『お兄ちゃん……』

 優しく包み込む様な感じがする。柔らかい、それでいて良い匂い。振り返るとそこには、可愛らしい顔をした涼香が居た。

「涼香か……兄ちゃん、お前にずっと会いたかったよ。ずっと」

「うん。私もずっと会いたかった。やっと会えたね」

 ふふふ、と耳元で笑う声。それはよくする涼香の癖。

「ああ、長い事待たせてごめん。でも、これからはずっと一緒だ」

 ぎゅっと涼香を憲次は抱きしめる。もう何処にも消えて欲しくないと、その抱擁にはそんな願いが籠められていた。

 やっと、辿りついたと憲次は思う。ここに辿りつく為に、自分は闘っていたのかも知れない。

 しかし、そんな憲次に涼香は顔を曇らせた。悲しそうな寂しそうなそんな表情。

「ありがとうお兄ちゃん。でも、まだ一緒には居れないよ……」

 その言葉に憲次は泣きそうな、迷子の子供がする様な不安げな表情を浮かべる。

「何でだよ涼香! 折角二人で会えたんだぞ? 俺はお前を離したくない。お前だけ居ればいいんだ!」

 髪に手を通し抱き寄せる。涼香の髪を梳きながらその髪に甘える様に顔を埋めた。それに涼香は気持ち良さそうな、くすぐったそうな顔を浮かべる。

「ふふふ、お兄ちゃん。子供みたい。でも駄目だよ。ちゃんと帰らなきゃ。だってまだお兄ちゃんの事を待ってる人がいるんだから」

 涼香は優しく憲次の胸を押して離れる。憲次はそれに情けなく顔を歪ませた。

「涼香、もう兄ちゃんは疲れたよ。お前と一緒に居たいよ」 

「ふふふ、だ~め! ほらほら早く行かなきゃ。お兄ちゃんを大切に思う人が、お兄ちゃんの帰りを待ってるよ。大丈夫、私はずっと待ってるよ。また会えるその時まで、お兄ちゃんの事をずっと待ってるから」

 涼香の体が足元からさらさらと消えていく。憲次はその体を抱きしめた。行って欲しく無いと。やっと手にした暖かさを失いたくないと。

「涼香!」

 憲次が強く抱きしめ涼香の名を呼ぶ。涼香はそれに笑顔を浮かべた。

「……またね、お兄ちゃん」

 その一言を最後に憲次の腕から涼香の感触が消えた。

 憲次はその場に座り込んだ。膝を抱え。ただ涙を流した。

『……憲次さん』

 すると頭の上から、聞き覚えのある声が聞こえてくる。

 憲次は思う。果たして、帰る必要なんてあるのかと、このまま、ここに居れば、再び涼香に出会う事が出来るのではないかと。

『憲次さん! 憲次さん!』

 呼ぶ声は必死だった。必死に自分を呼ぶ声。それは自分が涼香を呼んでいた時の様で。

『憲次さん! 起きてください憲次さん! ……お願い……お願い』

 嗚咽の様な音が響く。声の主は泣いていた。化け物になってしまった自分に帰って来て欲しいと、そんな想いが、体の芯まで響いてくる。

 憲次は立ち上がった。そして腕で涙を拭う。

「ごめん。涼香。兄ちゃん行くよ。でもきっとまた逢いに来るから……」

 そう言った憲次の目は迷いの無い強い目をしていた。

 ――――その言葉を最後に憲次の体は消えた。

「憲次さん!」

 その声に憲次はゆっくり目を開いた。目の前には、ボロボロと涙を流す光月が居た。

 光月もこんな風に泣くのだとぼんやりと憲次は光月を見上げる。

「ああ! 憲次さん!」

 憲次が目を開いた事に気付いた光月は頭を抱え込む様にして抱きしめた。

「……痛いよ」

 憲次がぽつりと呟く。

「ああ、ごめんなさい」

 光月はそれを聞いて、真っ赤になりながら、自分の膝の上に憲次の頭をそっと置いた。

 後頭部に感じる柔らかい感触に、憲次は自分が落ち着くのを感じる。

 すると、頭上からぽつぽつと、熱い物が落ちて来る――光月の涙だった。

「わ、私。もう憲次さん死んじゃうんじゃないかって。だから、私。もう……」

 光月はそれ以上言葉が続けられず、時々聞こえる嗚咽だけが二人の間にあった。

「俺も死んだと思った。けど、涼香が助けてくれたんだ……まだ俺の事を待っていてくれる人が居るって……」

「涼香さんが?」

「ああ、確かに俺は涼香に会ったんだ」

「そう、そうなんですか……」

 光月が憲次の長くなった髪を撫でる。柔らかい手。

「ふふ、まぁ、もうまともな体が無い。完全に化け物になっちまったけどな……」

 そう言って憲次が醜く太く律動する右腕を掲げた時だった。

『ピシッ!』

 そんな何かが割れる様な音が響いた。そしてその音はどんどん大きくなっていく。それは、憲次の右腕から鳴り響いていた。憲次の右腕に亀裂が入る。

『パキン!』

 そんな音共に、完全に皮膚が割れた。そして、緑色の皮膚がボロボロと落ちていく。

「これは……」

 憲次が目の前に掲げた手。それはもう醜い化け物の手では無かった。割れた先に出てきた物。それはまぎれもなく人間の物だった。

 右腕から現れた亀裂は全身に伸びていく。まるで古い皮を破り、生まれ変わる様に化け物になった体が人の物に変わっていく。

 皮膚が全て剥がれるとそこには化け物の体を移植する前の、完全な人だった時の体があった。

 憲次は両手を見る。それは瑞々しい肌。人間の体だった。

「憲次さん」

 光月は呆然となった憲次に抱きついた。甘い匂いを憲次は感じる。

 その時、憲次の右手の中の物が光る。手を開くと、そこには銀聖を貫いた時に握り締めた。紅玉が輝いていた。

 しかし、その紅玉はまるで、憲次の体が元に戻ったのを確認にして、安心したかの様に輝きを止めた。そして、さらさらと徐々に風に流れて消えた。

「涼香……」

 憲次と光月は紅玉が風に流れて行った方をしばらく眺める。憲次の目はどこかを遠くを見ている様だった。

 しばらくして、憲次は空中に向けていた視線を光月に向ける。そして優しく微笑みかける。

「帰ろう。デートするんだろ?」

「はい!」

 光月は涙を流しながらも、嬉しそうに微笑んだ。



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