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天台宮の門  作者: 徳田武威
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第七章 最終決戦

「はぁ……」

 総本山の広大な敷地内。その中でも人が来ない、満月が良く見える巨大な岩の上で、憲次は小さく溜息を吐いて目を閉じる。

 目を閉じると清浄な風が頬を撫でた。気持ちの良い風で、精神が落ち着いて来るのを憲次は感じる。

「涼香……明日終わるよ」

 それと共に、自然と憲次は涼香の事を思っていた。口に出した通り、明朝、憲次達は銀聖達の城に乗り込む。

「これが終わったら……兄ちゃんもそっちに行くから……」

 そう初めから憲次のゴールは決まっていた。誰にも言っていなかった事だが、明日以降に命を残そうとは思っていなかった。

 憲次は拳を握り締める。明日全てが終わると思うと、何だか現実感の無いような不思議な気分に見舞われた。

「相模さん」

 そんな風に考え事をしていたからだろう。憲次は今の今まで、光月の接近に気付かなかった。

「何だ? 光月さん」

 憲次が背を向けたまま返事をすると、光月はスッと憲次の隣に座った。

「月が綺麗ですね」

「前もそんな事言ってたよ」

「あら? そうですか? でもほら本当に綺麗……」

 光月に促されるまま憲次は空を見た。確かにそれは都会では見れない綺麗な月だった。

「妹さんとは仲良かったんですか?」

「……ああ、良かったほうだと思うよ」

 唐突に聞かれた質問に憲次は普通に答えていた。最後の戦いを前にして、どこか光月に対する警戒心の様な物が失せてしまっていた。

「……お兄ちゃん」

 だが、光月にそう呼ばれた時、さすがに憲次もギョッとして光月を見た。

「私もお兄ちゃん欲しかったんです。だから、相模さんを見てると、お兄ちゃんってこんな感じなのかなぁ……て思いました」

「俺みたいのを世間一般としてみると、大分誤りがあると思うよ」

「ふふ、そんな事無いですよ。一ヶ月ここで一緒に暮らしてみて分かったんです。相模さんはやっぱり優しい人だって。妹さんが大好きなんだって分かりました」

 光月はそう言うと、着物の裾から小さな布袋を取り出した。そして、それを憲次に差し出す。

「これ……相模さんに差し上げます」

 憲次は布袋を受け取ると中身を見た。すると中には天道の至宝、紅玉が入っていた。

「ん? いや、これは大切な物じゃないのか? 至宝とか言ってたじゃないか。受け取れ取れないよ」

 憲次がそれを返そうとするが、光月は首を振って受け取らなかった。

「この紅玉は持ち主の命を守る物。だから私、相模さんに持ってて貰いたいんです。私が誰よりも無事いて欲しいと願う人だから」

 光月は紅玉を持つ憲次の手を両手でそっと握る。

「そしてきっと涼香さんも、相模さんに生きてて欲しいと思ってるはずです」

「っ……」

 憲次の心を見透かした様な光月の言葉に憲次は思わず絶句した。

「必ず生きて帰って来て下さいね。私、相模さんの事ずっと待ってますから。この戦いが終わっても、私は相模さんと一緒に居ますから。だから絶対に死なないでくださいね?」

「……ありがとう。紅玉は貰っておくよ」

 憲次は紅玉を懐に入れた。光月は受け取って貰えた事を喜ぶように、ニコッと笑う。

「ねえ、相模さん。一つお願いがあるんですけど、いいですか?」

 どこか、言うのを戸惑うような仕草を見せながら、光月が上目遣いで憲次に尋ねる。

「何?」

「この戦いが終わったら……私とデートしてくれませんか?」

「…………はぃ?」

 何故ここでデートという単語が出るのか、さっぱり理解出来なかった憲次が聞き返す。すると、涼香は真っ赤な顔で髪の毛を弄った。

「実は私、学校も行ってなくて、その……異性の方とデートとかした事なくて……なんか蘭子さんを見てたら、私も相模さんとどこかお出かけしたいなぁ……と、その恋人気分的な感じで、私も年頃の女の子だしそういった事に興味があるわけです」

「……三剣と行けば?」

 憲次は悪気も無くそう言った。三剣なら問題なくエスコートするだろうし、あの美貌だ。光月の隣を歩いていてもなんら遜色は無いだろう。

 すると光月はどこかムっとした顔をした。

「三剣さんはファンクラブとかあるから駄目です。デートしたら怒られちゃいます。それに私は相模さんと行きたいんです! 何か問題が?」

 妙な圧力におされ、憲次は思わず頷いた。

「いや……君が良いならいいけど俺は……」

「やった。じゃあ約束ですよ!」

 花が咲いた様に満面の笑みを浮かべ、光月は憲次の腕に抱きついた。憲次はそれがどこか懐かしい気がして、自然と頬を弛ませていた。

「約束ですからね。きっと……」

 光月はそのまま憲次に抱きついて、憲次の胸に顔を埋めた。

「………………ああ」

 憲次は光月の背中に手を回し、そっと包み込む様に抱きしめた。ただ、抱きしめる優しさとは対照的に目は途方も無く悲しげな色を灯していた。

光月の髪から匂う甘い香りに包まれながら二人は月の光の中、抱き締め合っていた――。

「皆さん。私の周りに集まってもらえますか?」

 十畳ほどの何も無い板敷きの部屋。その床には、床を覆い尽くすほどの巨大な、西洋で言う所の魔方陣の様な物が描かれていた。

「ふむ。随分力が練られておるのぉ……それにこの術式、初めて見るがかなり複雑で精巧な作りじゃ。お主が作ったのか?」

 秋姫が感心した様に光月に聞くと、光月は苦笑いを浮かべ首を振る。

「いえ……私の知識ではこれほど複雑な物は……この部屋をお作りになられたのは、三代目の月の巫女です。天道の術式を更に発展させたお方で、才女と呼ばれていたそうです」

「ふむ。確かに奇抜な発想にしっかりとした基礎。天才に相応しい。しかしのう。この力はそれだけでは無いな。この部屋に充満する術力。それは光月。お主から発せられている物じゃ」

 秋姫にしては賞賛しているのだろう。その言葉に、光月は顔を赤らめた。

「ありがとうございます。どうやら私は、容量の大きさしか取り得の無かったようです。お恥ずかしい限りです」

「いえ、光月様は歴代でも最高の術力の持ち主です。その力は初代をも上回る。歴代の月の巫女でも光月様は最高のお方です」

 三剣は恥ずかしげも無く自分の主人を褒め称えた。それに対し光月はより一層顔を赤らめた。

「お、おほん。取り合えずですね。これから術を発動します。特にする事はありませんが、いきなり敵のど真ん中に出る事だけは覚悟しておいてください」

 光月は部屋に居る三剣、秋姫、蘭子、憲次、全員の顔を見渡してそう言った。

「いよいよだね……ちょっと緊張してきたかな」

 蘭子が手を何度か開け閉めして光月に近づく。

「私の命。全て光月様に捧げます」

 三剣が深い決意を込めた宣言と共に、その隣に並ぶ。

「くくく、まあ頑張るがよい。わしは戦闘には参加せんから当てにせんように」

 秋姫はどこか飄々として。

「さあ……相模さん」

 光月は憲次に向かって手を伸ばした。目を閉じて壁に寄り掛かっていた憲次は、静かに目を開くと、光月に向かって歩き出した。

(行くよ涼香……お兄ちゃん、今日決着をつけてくるよ)

 憲次は光月の手を取った。その目は他の者と比べても並々ならぬ意志を感じさせた。

「では参ります。飛翔転移式!」

 光月が目を閉じ、宣言すると部屋中が蒼く輝き出した。それはやがて、目も開けていれないほどの強い光となって、憲次達の体を包み込んだ。

 そして光の消失と共に憲次達の体は部屋から消失した――。

「ん……」

 明かりを消した和室で、目を閉じ座禅を組んでいた銀聖が不意にその目を開けた。

「どうされましたか? 銀聖殿」

 壁に寄り掛かりながら、同じ様に目を閉じていた華秦が、銀聖の気配が変わった事を察知して、壁から銀聖に向かって歩いてくる。

「ふむ。どうやら鼠が紛れ込んだ様だ。もう既に骸城の中枢にまで入って来ている」

「馬鹿な……城の前には衛兵達もいるのですよ? 音もたてず、いとも簡単に侵入出来るはずがない」

「恐らく転送系の術を使ったのだろう。ここまで何も感じさせず侵入するのはさすがとしか言い様が無いが、城内に感知系の術を施したのが功を奏した様だ」

「いかがしますか? 銀聖殿」

「外に居る兵と、城内に居る者達で奴らを挟み討つ。予定とは違うが、恐らく来ているのは天道の二神と月の巫女だろう。ここで討てば戦況は我らの物となる」

「承知しました。では、私が城内の者を率いて戦いましょう」

「うむ。私は念の為、大規模な術式を発動させる」

「術式ですか?」

「ああ、予め皆の者にマーキングしただろう。その術はマーキングを通して、他者の生命力を術者に移す物だ。ぬえ人全員分の力を結集させ、私の中に流し込めば、いかな二神とはいえ、相手にならぬ程の力を得る事が出来る。まあ効果がごく短時間かつ、発動が極端に遅いゆえ、実験段階だったが、丁度良いだろう。ここが最後の決戦の地となるのだから」

 銀聖は立ち上がった。その表情には気負いなどそういった物は一切無く。ただ、成すべき事すれば、必ず勝てるという確信だけがあった。

「ではここは任せたぞ華秦。ぬえ人最強の力を見せてくれ」

「はい。恐らく銀聖殿まで順番は回ってこないでしょうが、ご了承ください」

「頼もしい」

 銀聖が笑みを浮かべると、華秦は一礼して闇に消えた。気配を絶つ技術は正しく達人だった。

「五百年に渡る決着を今こそつけよう」

 戦いを宣告する様に銀聖が呟くと、銀聖もまた闇に消えた――。

「急ごう。気配は察知している」

 三剣を先頭にして五人が駆ける。。皆、術を使用した状態の為、その速度はオリンピック選手を軽く凌駕していた。

 五人が潜入した骸城は複雑怪奇な構造だったが三剣の千里眼は正しい道に皆を先導していた。

「敵が居ないね。このまま親玉までエンカウント無しで行けるかな?」

 蘭子のどこか楽観的な言葉にしかし、三剣は首を振る。

「いや……どうあっても戦闘は避けられないようだ。後、二百メートル。来るぞ!」

 三剣が警告すると同時に一堂は大きな広間に出た。そこは何も置いておらず、上を見上げれば天井が見えないほどの高さを誇る部屋だった。

「上だ!」

 三剣が声を張り上げる。すると空からまるで流星の様に人影が降って来た。

「はぁああああああああああああああああ!」

 裂帛の気合と共に、空中にいた鎧姿の麗人。華秦は剣を振りおろした。すると、巨大な剣圧がギロチンの様に、鋭く憲次達に降り注いだ。

 三剣の警告のおかげか、五人は咄嗟に回避体勢を取った。だが、一人、戦闘に特化してない光月の反応が遅れる。

「光月様!」

 戦士の本能でその場から離れた三剣の判断は正しかった。実際華秦の攻撃は三剣を標的にした物だった。だが三剣はその攻撃の余波を考慮に入れていなかった。華秦の攻撃はその余波で光月を殺してしまうほどの力があった。

 三剣は悔やんだ。しかし、時間は巻き戻せない。絶望感が身を包もうとした時だった。

「ふっ!」

 憲次が光月の腰に手を回し、その場から離脱する。

「あ、ありがとうございます相模さん」

 必然お姫様だっこの状態になった光月は、抱きかかえられたまま憲次にお礼を言った。憲次はそれに対する反応は無かったが、優しい動作で光月を立たせる。

「下がっていろ。あいつ強いぞ」

 憲次が光月を庇う様に前に出る。戦いで養った野性の本能が、目の前に居る鎧の女が尋常では無い事を知らせていた。

 三剣と蘭子もそれに呼応する様に華秦に対峙する。それに対し華秦は地面についていた膝をゆっくりと持ち上げると、構える事無く悠然とその場に佇んだ。

 憲次達は隙を窺う様に華秦を睨みつける。殺気を受けた華秦はだが、意外なにも戦いを中断するかの様に剣を鞘に収めた。眼前の敵の唐突な隙に、憲次達は攻撃する事を忘れた。その間に華秦が口を開く。

「お久しぶりです。秋姫様」

 華秦が頭を下げる。その先には、小柄な少女、秋姫の姿があった。

「おう。久しいのぉ。華秦。五百年ぶりじゃ。じゃが、わしのこの姿を見て、わしだと分かったのは、お前が始めてじゃな」

「秋姫様がどんなお姿に変わろうとも、私に分からないわけがありません……しかし、また会える日が来ようとは、感動しております」

 言葉の通り、華秦には隠しきれない喜色の様な物が浮かんでいた。華秦は飼い主に出会った子犬の様に潤んだ瞳を秋姫に向ける。

「わしも嬉しいよ。お前が封印された事だけが心残りじゃったからな」

 秋姫が珍しく素直に喜びを口にした。しかし、それに反してその顔は優れない。

「ありがとうございます…………しかし、まだ天道の者と行動を共にしているのですね」

「まあな。今更そちら側には行けんよ。わしは裏切り者じゃからな」

 秋姫の悲しげな言葉に、寧ろ華秦が痛みを感じているかの様に黙り込んだ。

「ねえ……どういう事? 秋姫ちゃんはあの女の知り合いみたいだけど」

 話が見えなかった蘭子は隣に立つ三剣に疑問をぶつける。

「……秋姫様は。人間では無い。ぬえ人だ。そして、ぬえ人の姫君だった」

「ひ、姫君! え、本当?」

 蘭子が混乱した様に叫んだ。それは秋姫に聞こえたらしく秋姫はニカッとこんな時なのに悪戯を成功させた子供の様に笑顔を浮かべた。

「そうわし姫君。驚いたじゃろ?」

「お、驚いたっていうか……」

 蘭子は驚いただけでは無く戸惑っていた。それはつまり秋姫は敵の象徴と言っても過言ではない存在で……その人物が今こちら側に居るという状態が理解できない。

「そうだ。人間よ。本来ならお前らが簡単に口を聞いてよいお方では無い。高貴なお方なのだ……秋姫様。昔の事など誰も気にしてはおりませぬ。ですからこちら側に戻って来て下さい。また兄上と……銀聖殿と戦う事になります」

「銀聖って……確か……」

 蘭子が表情を強張らせる。秋姫は華秦に向けていた顔を憲次に向けた。

「憲次よ。聞いていた通りじゃ。わしはぬえ人でありそして……お主の仇の銀聖の妹じゃ。どうじゃ? 殺したくなったか?」

 秋姫は憲次を見詰める。

そうか……と蘭子は思った。今、一番その事に衝撃を受けているのは憲次さんのはず……と。

 蘭子はおそるおそる憲次の顔を見た。自分の事では無いが憲次のぬえ人への憎しみを思うと怖くてたまらない。

 ……しかし、予想に反して憲次の顔は平然としていた。蘭子はどこか緊張の糸が切れて、へっと間抜けな声を上げる。

「お前がぬえ人だという事。そんな事はお前と修行をしている間にとっくに気付いていたよ。銀聖の妹だって事は知らなかったが」

 憲次は淡々と続ける。

「正直お前を憎んだ時もあった。でもいつもそういった時思い出すんだ。あの日、俺が死にかけていた時俺を救ったお前の顔を。それを思い出すと。俺にはお前を憎む事が出来なかった」

 憲次が言った秋姫の顔。憲次を救った時の秋姫は涙は見せなかったが確かに……泣いていた。

「一緒だよ俺もお前も、後悔を背負って生きてきたんだ。だから俺はお前に助けを求めた。秋姫、お前はぬえ人でも何でも無い。ただの秋姫だ。俺の師であり、俺のパートナーだ。だからな……秋姫。後悔の無い道を選べ。どちらでも良い。お前が納得出来るならば」

 憲次はそれ以上何も言わなかった。いや、憲次にしてはこれは喋り過ぎだったのかも知れない。だが、それほどに、憲次は今の秋姫の気持ちが分かっていたし、それほどの関係を築いたという証だった。

「さあ、秋姫様。どうかこちらに、あれだけ皆に好かれていた秋姫様です。戻って来てくだされば皆の希望になります。どうか、私を再び従えて下さい」

 華秦は懇願した。凛々しい騎士が恥も偲ばない、本当の意味の願いがそこにはあった。

「……………………そうか」

 何に対してのそうか、かは誰にも分からない。だが一つ頷くと秋姫にもう迷いは無かった。

「すまぬ、華秦よ。わしはやっぱりそちらには行けんよ。最初の大戦の時、わしは天道の始祖、秋房に付いて、天台宮の門の発動に協力した。それはこのまま戦いが長引けば、人間達が戦いに付いていけず、滅ぶと思ったからじゃ。わしは人間が好きじゃ。だからもう人間と戦う様な道を選びたくない」

「我らよりも……人間を選ぶのですね」

 華秦はその言葉に、少女の様に傷付いた表情を浮かべた。

「戦いたく無かった。秋姫様。殺したくないです。だからどうか、私に挑まないで下さい。せめて傍観してください。全員殺した後で、秋姫様は逃がしたと銀聖殿には伝えますから」

 華秦は泣いていた。瞳からボロボロと涙が零れる。そして、その瞳のまま、殺気を秋姫を除く全ての者に放っていた。

「皆の者、聞いてくれ! どうか、華秦を殺さないように倒してくれ。わしの大事な者じゃ。殺したら許さん。殺さず倒してくれ。頼む! 最初で最後の願いじゃ!」

 秋姫の言葉に、憲次が一歩前に出る。

「初めて人に物を頼んだな。秋姫。弟子として、師匠の最初で最後の望みは叶えてやる。だが、殺しはしないが半殺しにはするから、そこは勘弁しろ」

「そうね。ぬえ人も何も関係ない。秋姫ちゃんは秋姫ちゃん。憲次さんが守ると決めたなら、私も守る」

「油断するな。我ら三人掛りでも手に余る相手だ」

 三人が構えた。それだけで空気が重く張り詰める。

「貴様ら……私を殺す気も無しで勝てるつもりかぁああああああああああああああああ!」

 華秦の怒りが空気を切り裂く。

 それが開戦の狼煙となった――。

「たああああああああああああああああ!」

 蘭子が叫ぶ。すると、龍の形を模した炎が華秦に向かって飛んでいく。だがそれは華秦の剣の一振りで消滅してしまう。しかしその間隙を縫って、三剣が刀を振るった。

『キィイイイイイイイイイイイイン!』

 金属音の高い音、華秦は自らの剣でそれを受ける。それによって空いた懐に憲次は飛び込んだ。憲次はそのまま、握り締めた拳を華秦の脇腹に叩き込む。

 確かな手応えと共に華秦が吹き飛び鮮血が散る。だがその血は憲次の拳から流れる血だった。

ギッギギギギギ! と不気味な鳴き声が上がる。それに光月が驚いた様に口元を押さえた。

「鎧が喋ってる」

 蘭子が呆然と呟く。蘭子の言うとおり、華秦の鎧は生きているかの様にガシャがガシャと動いていた。憲次の怪我も、鎧が憲次の拳に噛み付いたからに他ならない。

「気をつけい。華秦の鎧は生きておる。呪われた鎧じゃ。今まで殺めた者の怨念が込められておる。普通の人間が着れば一瞬で死に至るが、華秦のポテンシャルならば、死なずに操れる。ぬえ人最強の体と、最凶のアイテムを得ておる華秦は間違いなくぬえ人最強じゃ。先の大戦でも一番天道の者を殺したのが華秦じゃ」

 秋姫の言葉に嘘偽りが無い事は全員が肌で感じ取っていた。ぬえ人の中でも華秦は別格のオーラを放っていた。

「上等だ。こいつを倒せば銀聖にも勝てるってわけだ」

 全員の気力が萎えかかった時だった。平然とした調子で憲次が前に進む。憲次にとって、絶望的な戦いは今に始まった事では無い。復讐を誓ったその日から、いつだって、勝ち目の無い戦いを進んできたのだから。だが、その行く手を遮る者が居た。

「お待ちください相模殿。華秦の背後に有る扉の先から、強い力の流れが見えます。恐らく……銀聖はそこに居るのでしょう」

 三剣は華秦の背後に聳え立つ、大きな頑強そうな扉に目を光らせながら覚悟を決めた様に腰に収めていたもう一本の短刀を抜き放つ。

「私が、隙を作ります。皆さんはその間に銀聖の元に向かって下さい」

「馬鹿が……華秦は他の奴らほど甘い相手では無いぞ。一人で残ったら確実に殺されるわい」

「元より無事に済むとは思ってはおりません。だが、このまま徒に時間を浪費をすれば相手の思う壺です」

 三剣は気を整えるように目を閉じ深呼吸する。

(全く、この男は……)

 憲次の気配を背中に感じながら、三剣は苦笑する。

(光月様を守ると決めて、十数年。誰よりも覚悟はあると思っていたが、この男はその覚悟を平然と乗り越えてくる。だがな、相模よ。お前にばかりに良い格好はさせないさ)

 三剣は初めて、戦いに私欲を感じていた。

「悪くない物だ。自分の赴くままに戦うというのも」

 三剣がにやっと不敵に笑った。光月は、初めて見る三剣のそんな顔に、始めは戸惑っていたが、やがて小さく笑った。

「三剣さん……死なないでくださいね」

「……善処しましょう」

 三剣はそう言うと、スタスタと自然な歩みで華秦に近づいて行く。

「一人で私に勝てるつもりか……それは勇気では無い。無謀と言うのだ」

 華秦は切っ先を三剣に向けた。それと同時に三剣が滑るように一瞬で間合いを詰める。

「今です! 行って下さい!」

 そう叫ぶと同時に華秦に向かって刀を振り下ろした。

 華秦がその刀を自らの剣で受け止める。ギィン! と鋭い金属音と火花が飛び散った。

 その一瞬の隙を逃さず憲次達は華秦の横を駆け抜け固く閉ざされた扉の前に到着した。

「憲次! 打ち破れ!」

 それに応える様に憲次が異形の腕を振りかざす。初めから全開。憲次の腕は雷鬼を倒した時と同様に膨れあがった。

「させん!」

 華秦は咆えると同時に、三剣の剣を自らの剣で叩き切った。そしてそのまま背後を振り返ると、無防備な憲次達の背中にさっき放った斬撃を繰り出す。

「それはこちらの台詞だ!」

 しかし、その斬撃の間に剣を折られた三剣が入った。

「何ぃ!」

 三剣の予想外の行動に華秦が驚愕する。憲次達に放ったはずの攻撃は、吸い込まれるように三剣を直撃した。

「ぐぁああああああああああああああああああああああああああ!」

 攻撃をもろに喰らった三剣は苦痛の叫びを上げながら鉄の壁に激突する。

 その間に憲次は扉に自らの異形の拳を叩き付けた。すると扉は鈍い音をたてながら崩壊した。その穴から憲次達は駆けて行く。

「糞……逃がすか!」

 華秦が憲次達を追おうとした時だった。その前に憲次達の方角に飛ばされた三剣が道を塞ぐ様に立ち塞がる。

「が、がはぁあ……」

 しかし、立ち上がった三剣は苦しそうに血を吐き出した。その全身は華秦の一撃で血だらけになっていた。だが、そんな三剣に華秦は足を止めた。それは瀕死のはずの三剣から揺るがない闘志を感じた為だった。

「こ、ここから、ゲフッ! ゲフ! はぁ……先には行かせん……」

 三剣が口の血を拭いながら華秦を睨み付ける。

「仲間の為に身を挺し、私の攻撃を受けるとは……敵ながらあっぱれ」

 華秦は雑念を払うように剣を構え直した。

「殺すには惜しい男だ……だが、私も時間が無い。直ぐに決めさせて貰うぞ」

「く、ふふ、そうつれない事を言わないでくれ。折角貴方の様な美人とご一緒出来るのだ。少しでも長く楽しみたい」

「戯れ言を……」

 華秦はバッサリと切り捨てると、三剣に向かって突進した――。

 扉を抜け、蛇の様に長い一本道を駆けた先、憲次達の前に現れたのは、先ほどの扉とは違い、今にも壊れそうな木の引き戸だった。引き戸には一枚のお札が貼られている。

 憲次はその引き戸をぶち壊そうと拳を叩き付けた。しかし、簡単にぶち抜けると思っていたその扉は、見えない壁でも有るかの様に憲次の一撃を弾き返した。

「糞……何だこれは」

 憲次が痺れる腕を押さえながら呻く。

「おい……光月。術がかけられておる。わしに力を貸せ」

「はい、秋姫様」

 憲次も破れなかった扉に秋姫と光月は手を合わせた。すると二人の周りがぼうっと青く光り出す。

「さすがに複雑じゃわい……おい、光月、気合いを入れよ」

「はい……秋姫様」

 若干苦しそうに光月が頷いた。それと同時に二人の放つ光が増していく。

プツンとどこかあっさりした音が響き、札が燃え尽き落ちた。

「はぁはぁ……」

 よほど消耗したのか光月が息を切らす。それに対して秋姫は平然としていた。

「では……行くぞ。気を引き締めよ」

 秋姫が厳しい顔つきで引き戸に手をかけると一気に扉を開いた。

『ビゥオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!』

 扉を開いた瞬間まるで込められていた力が一気に解放される様に突風が吹き出した。

 憲次がそのどこか禍々しい風に顔を覆う。しかし、目はギラギラと光り前を見ていた。

 やがて……風が止んだ。憲次達は扉の向こう側に足を踏み出した。

「これは……」

 光月が驚いた様に声を漏らす。扉の中はまるで異空間だった。部屋の中は自分の足下が見えないほど真っ暗だったが、まるで星空の様に所々輝いている。

 そして、その輝きを放っているのは部屋中に張られた呪符だった。

「こ、これだけの呪符を……たった一人で制御しているの?」

 憲次には術の事などは分からない。しかし、光月の驚き様からそれが凄まじい事だと推測する事は出来た。

『これは……懐かしいな。秋姫よ。元気だったか』

 その時、部屋中に涼しげだが、どこかプレッシャーを感じさせる声が響く。

 散っていた視線がその声の方に向く。するとそれに反応するように、暗闇の中に一つの明かりを灯る。その明かりは呪字だった。その文字は結界の様に円を描いて地面に広がる。そして……その中央に胡座をかいて座る白銀の髪の男。銀聖がそこに居た。

「銀聖ぃいいいいいいいいいいいいいい!」

 憲次が歯を剥き出しにして銀聖を睨み付ける。

「兄弟の再会に水を差すとは……無粋な殺気だな。さて……貴様にその様な殺気を向けられる覚えが無いのだが」

 その殺気だった憲次をいなすように銀聖が静かな表情を崩さずに応える。だが、それは憲次にとって、涼香と憲次の事を記憶にも留めていないと宣言されたに等しい事だった。

「貴様ぁあああああああ……涼香を……涼香を……うわああああああああああああ!」

 憲次は血走った目で銀聖に襲いかかった。その突撃に対し銀聖が宙に十字を切る。すると空中に呪言が現れ、壁の様に憲次をはじき返した。

「憲次さん!」

 光月が地面を転がった憲次に駆け寄る。だが、当の本人に闘志の衰えは見られない。いや、寧ろ殺気は限界まで高まっていた。

「銀聖ぇえええええええええええええ」

 光月の手を振り払い憲次が再び銀聖に飛び掛かろうとする。

「憲次待ってくれ。少しだけ時間をくれ」 

 しかし、そんな憲次を秋姫は冷静な声で諫めると。憲次の前に体を滑り込ませた。

「お久しぶりです兄様」

「久しいな秋姫。まだ天道の者の味方などしているのか? 自分を慕ってくれている者を見捨ててまで」

「そうですね。兄様。確かに過去で私はぬえ人を見捨てて人間を取った。けれど、今、私が愛した人間は、こう言ってくれました。『後悔の無い道を選べ』と、ですから私も後悔しない道を選びます。兄様。もう人間と天道の民に復讐を遂げるのは辞めてください。今なら、過去ではない今なら。もっと違う誰もが納得する結果を模索する事が出来るはずです」

「誰もが納得する結果か……秋姫よ。まだ、そんな戯言を口にするのか? 我らが納得する答えとは、全てが元通りに戻る事だけだ。平穏だったあの日を、奪われた同胞を、全て元通りに出来るならば、お前の言う納得というのも出来るかも知れん。だが、奪われ物は二度と手に入らない。奪われた時間は戻せない。ならば、せめて贖罪させる。自らの罪深さを今、地上に生きる全ての者に分からせる他は無い!」

「兄様、しかし、それでは再び奪われる者が出来るだけです。あの日の我らの様に。貴方の目の前に立つ男。この男も貴方に奪われたのですよ。これ以上この連鎖を続けてはいけません」

 秋姫の言葉に、銀聖は首を振る。

「まだ分からないのか? 我らはもう相容れる事は無い。この連鎖を断ち切りたいなら、どちらかが滅ぶしかない。秋姫。問答は終わりだ。自らを貫きたいなら、かかって来るがいい」

「兄様…………」

 秋姫は顔を隠す様に俯いた。その秋姫の前に突然陰が差す。

「ここからは俺がやるよ秋姫」

 秋姫を庇うように憲次が立っていた。

「頼む……憲次」

 秋姫は顔を上げなかった。だが、その声は震えている。

「銀聖確かに、お前の言う通りだ。俺達はどちらかが滅ぶしかない。だから俺と戦え。他の奴には手を出させない。俺とお前で決着をつけよう」

 憲次が両の拳を握り締めた。全ての感情を込めた拳は、それだけで圧力を発していた。

「そうか……お前はあの時の……」

 不意に銀聖が何かを思い出したかの様に目を細めた。

「なるほど、貴様も復讐者というわけか……いいだろう。どうせ皆殺しにするが、始めの相手は貴様だ。だが今の私を見ても一人でいいと言えるかな?」

 銀聖は目を閉じ、手を広げた。すると神々しい光が銀聖を包んだ。それはまるで神がその場に光臨した様だった。

「駄目……駄目だわ。間に合わなかった。術は既に発動していたんだわ。相模さん逃げましょう! これはもう勝負になる次元ではありません!」

 光月が珍しく声を荒げた。それほど光月の感じた銀聖の力は圧倒的だった。それこそ、神と見間違えるほどに……。

「現在城に居るぬえ人、全ての力を私に集めている。最早、地上で私に勝てる者はいない」

「あ、ああ……」

 光月の隣に立っていた蘭子の体が震える。修行によって力を得た今だからこそ分かる。銀聖の言葉が嘘では無い事を、まるで自分の千倍は大きい化け物を相手にしてる様な絶望感を蘭子は味わっていた。

「話は済んだか銀聖……」

 だが、そんな中で憲次だけは、全くというほど闘気が衰えては居なかった。寧ろ、闘気は高まったと言ってもいい。

「相手が強いから止めるとかそんなもんじゃないだろ。出し惜しみをするなよ銀聖。全てを懸けて俺と戦え、その全てを俺がぶっ壊してやる」

「ふふ、人間にしては気持ちの良い奴だ……ならば、挨拶もいらんな!」

 言葉が憲次に届くよりも速く、銀聖は間合いを一気に詰めると、右拳を憲次に叩き込んだ。

『ガァアアアアアアアアアアアアアアン!』

 まるで鉄筋コンクリートで思いっきり除夜の鐘を叩いた様な凄まじい音が鳴り響いた。それと共に、憲次の体は骸城の分厚い天井をぶち抜き、外まで放り出された。

『………………………………………………………………』

 一様に無言だった。光月と秋姫と蘭子が 呆然とした顔で穴の開いた壁を見ていた。本当に何一つ見えなかった。見えたのは凄まじい勢いで吹き飛んでいく憲次だけだった。

「あ、ああ……」

 蘭子がへたへたと地面に座り込む。完全に腰が抜けていた。自分の愛する憲次が一瞬で殺されてしまったという現実を受け止めきれないでいた。

「ふむ、加減が難しいな。一撃でケリが付くとは思ってなかったが……空しいものだな。どんな信念も圧倒的な力の前では何の意味も持たないということか」

 銀聖は殊更に無表情にそう言った。

「…………果たしてそうでしょうか?」

 しかし、その言葉に反論する声があった。銀聖はそちらに視線を向ける。

「実際にそうなっているが? 秋姫よ」

 銀聖の視線を真っ直ぐと受け止め、秋姫が胸を張る。それは信じて疑わない意思を、体現している様だった。

「兄様、貴方も知っているはずです。失う事の辛さを、憲次はその喪失感を抱えながら、三年もの間戦い続けてきました。まるで、自分を罰するかのように、一時も自分を許さずに……兄様、今の貴方の一撃、確かに凄まじい物でしたが、憲次が感じてきた痛みに比べたら大した物ではありません」

 秋姫が憲次が破って行った天井を指差した。銀聖はそれに不審そうな顔を浮かべて天を仰ぐ。

 すると、空からまるで隕石の様に落下する者の姿が、銀聖の目に飛び込んだ。

「何!」

「うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

 銀聖の驚愕に被せる様に落下する人影は、拳を振りかざし、それを建物の屋根に叩き込んだ。

『ドガァアアアアアアアアアアアアアアアアアア!』

 凄まじい音と共に、天井が吹き飛んだ。そして、その拳の余波は、一直線に銀聖に迫る。

 その衝撃波を銀聖は右腕一本で受け止めた。力がぶつかり合った衝撃が、光月達の体を、壁際に押しやった。

「ほう。あの一撃を喰らって生きていれるのか人間?」

 銀聖が再び自らの前に降り立った憲次を見て、感心したかの様に賞賛した。憲次はそれに挑発するように笑う。

「全力で来いといったはずだ銀聖。出し惜しみは無しだと」

 憲次がそう言うと、パラパラと、憲次の右腕と左足から包帯が取れた。

 するとそこには、どす黒い緑になった皮膚があり、その皮膚はまるで憲次の体を侵食するかの様に律動していた。

「そんな……あそこまで侵食していたなんて……」

 光月が憲次の体を見て、悲鳴に近い声を上げた。光月から見て、憲次の体はもう……手遅れと言っても言いレベルに達していた。

「今、憲次はぬえ人の力を限界以上に酷使しておる。その反動が体にも出ているのじゃ。もって後十分くらいじゃろ。それ以上は最早理性は保てまい」

 秋姫の言葉に、光月と蘭子は絶句する。

「ほう、それが我が同胞の体か、どうりで人間離れ頑丈さを持っているわけだ。ならば次は本気で行かせてもらう」

 銀聖が僅かに力を込めただけで、銀聖が立つ床が一メートルは陥没する。

「何度も同じ事を言わせるなよ銀聖……次は無い」

 憲次も呼応する様に構える。すると銀聖と同様に、地面に亀裂が走る。

『うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!』

 やがて二人は満ち足りた闘志と意志を胸に決着をつける激突した……。


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