第五章 妖籠会(ようろうかい)
「うぎゃぁああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
赤ん坊の泣き声の様な絶叫が、寺中に響き渡る。寺と言っても、寺院といった感じで、相当な広さを誇っているのだが……。
「絶」
銀髪の男……銀聖が指を振るうだけで、袈裟を着た僧侶達が軒並み刀で切られたかの様に血を噴出して倒れた。それは常人には感知する事すら出来ない。呪術で出来た刃であった。
「く、怯むな! かかれ! 決して御神木を壊させてはならん!」
恐らく地位の高い僧が、声を張り上げると、それだけで、集団は編成を組み、個々の隙を埋めた。その動きは僧侶と言うよりは訓練された軍人の様な印象を受ける。僧達はそれぞれ、独鈷杵を構えた。その独鈷杵には特殊な術が施されており、ただの金属とは思えない、鈍い輝きを放っていた。
「行くぞ!」
高僧の合図と共に、僧たちが銀聖に向かって突進した。
「愚かな……私が使える術が一つだと思ったのか?」
銀聖は合掌すると詠うように術式を唱える。
「滅」
その一言と共に、さきほど銀聖が切り殺した死体達から凡字が現れた。それは銀聖に呼応するように強く輝くと、臨界を越えたかの様に爆発した。爆発は死体を経由してドンドン広がり、銀聖に襲い掛かった数十の僧達を木っ端微塵にする。
「……天道の術は威力が強い分、下準備に時間が掛かるな。チームで行うならともかく私がやる分には広範囲の術はデメリットが大きい。実践で使うならば、罠の様な形状にすべきだな」
銀聖は戦いの最中だというのに、自らの術を冷静に分析していた。それは目の前の戦い自体には何ら興味が無い事を示していた。
「く、くそう……援軍が来るまでは、耐えて見せる」
そんな中、爆発に巻き込まれながらも、何とか命を取り留めた高僧が、独鈷杵を構えて立ち上がった。その目には命を懸ける者特有の、一点のみを見据える光があった。
「はぁああああああああああああああ」
高僧はダメージで震える足を心で叱咤しながら、命を捨てる覚悟と共に気合を入れる。
「――もういい。全員下がっていろ」
だが、高僧が銀聖に飛び立つ寸前に若いが重厚な声が寺院に響き渡った。
その声と共に現れたのは、他の僧達とは明らかに違う青年だった。他の者が袈裟を身につけているのに対し、少年は高校の学ランを着ていた。そして仏教とは相反するようなリーゼントに鋭い眼つき。それはまるで番長といった様な感じだった。
「坊ちゃん! 逃げてくださいと言ったはずですよ!」
高僧が叫ぶ。それはどうしてこんな所に居るんだという思いがありありと表れていた。
「ばっきゃろう! 家が敵に襲われてると聞いておめおめ逃げ出せるかよ。畜生!」
少年は容姿の通り乱暴な言葉を使った。
「それによう……家族を見捨てて俺一人で逃げられるかよ……おめえら俺をこの寺院で育ててくれた親、兄弟じゃねえか……」
「坊ちゃん……」
少年は周囲を見回した。住み慣れた場所が爆発であちこち破壊されていた。それはまるで思い出を壊されるよう……少年は周囲に転がる死体を見た。腕が飛び散り、足がバラバラになり、そして首が転がっている。見知った顔が亡き姿で横たわっていた。
「てめえ…………」
少年の声が一段と低くなった。握り締めた拳が堪え切れない激情を堰きとめているかの様にブルブルと震える。
「絶対に許さねえぞ! おらぁ!」
少年の声は最早、衝撃波と言ってもいいほどの力を持って、寺院を揺らした。
銀聖がその声に始めて興味を示したかの様に、少年の方を見る。
「ほう……まだ力のある者がこの寺院に居たのか? 正直、余りに雑魚しかいなかったのでな、何かの罠かと警戒していたが、ふ、安心したぞ」
銀聖が耳を塞ぎたくなる怒声に涼しい顔で応えた。少年は狼の様に歯を剥き出しにして銀聖を睨みつける。
「罠も何もねえ。だがてめえはここで死ぬ。名乗れ糞が。死ねば仏、墓ぐれえは作ってやる」
「名乗る事に意味は無い。死者に名前を伝えてもしょうがないからな。貴様も直ぐに死肉となり、そこらに転がる事になる」
「ぬかせ……どうして天道の術を使うかは知らねえが、本物の術を見せてやるよ」
コォオオオオオオオと、少年は空手の息吹の様な呼吸を行った。すると、少年の口から零れる呼気が、金色に輝き出した。
「外気から気を取り入れ、内気で体内に流す。体内に循環した気を、外に発する事無く、深くその身に蓄え続ける。これがバジュラダラの加護を受けた俺の術だ」
話している間にも、少年の体は輝きを増し、やがてその体は全身が金色の光に包まれた。
「どうして俺達が天道の宗派でも無いのに、ぬえ人の封印の一つを担っていたか分かるか?」
少年の質問に、銀聖は興味がなさそうに小さく答える。
「さあ、知らないな」
「それはな。俺達が天道の連中よりも強かったからだよ。戦闘だけだったら誰にもどんな術にも負けない。だからこそ、天道の者が俺達に封印を預かるように頼んだ」
「ふふ、そうか……天道もよほど人手不足だった様だ。猫の手も借りたいといったところか」
銀聖の言葉を挑発と取った少年はこめかみに青筋を浮かべ、指を鳴らす。
「なら試してみろ。俺は月燈本願寺、新門、月燈新。俺はちゃんと名乗ってやるよ。敵とはいえ、死人に情けぐらいはかけたいからな!」
新は最後の言葉と同時に銀聖に向かって跳んだ。それはまるで、弾丸の様に、人間に可能な動きの限界を越えていた。
「ほう……」
銀聖はそれに感心した様な声を上げると、スッと横にずれた。すると、さっきまで銀聖の頭があった場所を轟音をあげて、新の拳が突き抜ける。
『ガシャァアアアアアアアアアアアアアアアン!』
銀聖の背後にあった壁を、新の拳が粉砕した。その威力はまるで大砲の様で、恐らく常人が受ければ、頭など粉々に吹き飛んでいただろう。
「中々の威力だな。確かに先程の雑魚とは違う様だ」
「馬鹿が余裕こいてられるのも今の内だ」
月燈が再び銀聖に向かって突進する。
「しかし、動きが直線的過ぎるな」
銀聖は連続で繰り出す月燈の拳を紙一重でかわすと、体勢の崩れた月燈に向かって、腕を振るった。それは刀よりも切れ味の鋭い一刀。人間の胴体など簡単に分断してしまう事は、転がる死体を見ても一目瞭然だった。
「あめえよ」
しかし、今回は違った。月燈に触れた刃はまるで、刀同士がぶつかったかの様に、甲高い金属音をたてた。
「バジュラダラの術は身体能力を上げるだけでは無く。その肉体をどんな脅威にも耐えられる鋼の肉体に変える。さっき言ったろ。天道の連中よりも強いと天道の術じゃ俺を殺せねえよ」
己の術が防がれ、硬直した銀聖の体を月燈の拳が捉えた。
『ドンッ!』
銀聖の体が吹き飛び、壁に直撃する。寺院全体が揺れる衝撃は銀聖の死を予感させた。
「ふん……確かに結構出来るみたいだったが……おい。生きてる奴は皆を運んでやってくれ。後は天道の連中に報告だ。これだけ派手にやったら、色んな所に根回しが必要だろうからな」
月燈が生き残った者達に指示を出していた時だった。
「ふむ。確かに攻撃、防御共に安定した術だ。シンプル故に隙が少ない。だがそれだけだな……攻撃が単調すぎて防御が容易だ。相手に致命傷を与えるつもりならば、相手の知覚出来ない攻撃をしなければならない」
涼しげな声と共に、スッと立ち上がる影。誰もがその瞬間固まった。
「な、何故だ……完璧に捉えたはず。ノーダメージなんて事は……ありえねえ」
月燈が驚愕の表情を浮かべて銀聖を見た。銀聖は服に付いた埃を手で払う。
「貴様の術。参考になったぞ。確かに防御の意味では完成された技だった」
そう言った銀聖の体が光輝いた。それは月燈の体を覆う物と全く同じ光。
「ば、馬鹿な! 俺が十年の修行を経て会得した物を、この瞬間に真似たというのか!」
目の前にある現象が信じられず。月燈は叫んだ。銀聖は月燈の混乱が収まらぬ間に、既に必殺の間合いに入っていた。
「だ、だが。真似ただけでは五分だぜ! どっちが本物か、教えてやる!」
月燈が気を持ち直したかの様に銀聖と正対する。しかしそれに銀聖は淡々とした声で応じた。
「真似たのではない。改良したのだ」
銀聖が右腕を振るう。しかし、それはただの刃ではない。金色に輝く仁王の刃だった。
「天道の術に俺の術を合わせただとぉおおおおおおおおおおおおおお!」
月燈の断末魔の叫びが寺院に響く。絶という言葉と共に銀聖の刃は、あっさりと月燈の腕を落とし、その横にある首を無慈悲に落とした。
「坊ちゃん! 坊ちゃん!」
そのあっけない幕切れに、あちらこちらから泣き叫ぶ声と、悲鳴が上がった。銀聖は月燈を背に、そういった者達に向きなおす。
「さて……掃除をするか」
その後――月燈本願寺に銀聖以外の者で、生きている者は居なくなった――。
『パリン!』
鏡の割れる様な音がして、御神木が銀聖の手によって切り裂かれた。
すると御神木から黒い煙の様な物が漏れ出て、部屋一面を漆黒の海に変えた。そして、その海から海面に出る様に、女が現れた。
その女の髪は金髪だった。まるで、それ自体が財宝の様な綺麗な艶やかな髪、そしてそれに負けないほどの美貌。だが、その容姿とは異なるほど、厳つい甲冑姿だった。まるで東洋の鎧と西洋の鎧を掛け合わせた様なその鎧はどこか禍々しい気配を漂わせていた。
「目を覚ましたか。華秦」
金髪の女性、華秦がその閉じていた目を開く。
「これは……銀聖殿。お久しぶりです」
華秦は小さく頭を下げる。それに銀聖は小さく頷いて応えた。
「うむ。体に異常は無いか? 華秦」
「ええ特には……私達が封印されてからどれくらい経ったのですか?」
華秦は白く美しい首を少し傾げる。
「我らが封印されてから五百年ぐらい経っているな」
それに銀聖は腕を組みながら端的に答えた。
「五百年……」
「うむ。町の様子も大分変わっていた」
「そうですか……」
華秦は遠い昔を思い出すかの様に、その目を細めた。無言になったその表情は若干の寂しさを滲ませている。
「では今地上を支配しているのは天道の民ですか? この地は奴らの国となったのですか?」
「いや。それは違う。今地上を支配しているのは人間だ」
「人間? 本当ですかそれは?」
華秦は驚きに声が抑え切れず、大きな声でそう言った。それほど華秦にとってそれは意外な事であった。
華秦の中の人間は、ぬえ人に比べて力も弱く、知恵も自分達に比べて劣る。ぬえ人が統治していた世界だからこそ平和に暮らしていけた様な、か弱い存在だった。
それが今や、自分達を滅ぼした者よりも力をつけているなど俄かには信じれない事だった。
「どういう経緯があったかわ知らぬが、天道の民は人間と交わって行く道を選んだ様だ。それによって天道の民という一種の種族は消えた。だが、その代わりに天道の力を宿す人間が、この世界には居る。術も受け継いでいる様だ」
「なるほど……我々が眠っている間にも色々あったのですね」
感心した様に華秦が頷くと、銀聖は部屋の中をブラブラと歩き出す。
「ああ、色々あった様だ。だが、我らがすべき事は変わっていない」
ピタッと銀聖は足を止めると、華秦に振り返った。
「同胞を目覚めさせ、天道の血筋を断たなければならない」
銀聖の言葉に華秦がビシッと固まった。
「……しかし、今は人の支配する世界。人間はどうするのですか?」
華秦は無表情のままそう尋ねた。銀聖はそれに真っ直ぐな視線で応じる。
「華秦よ。今の世の中で我らぬえ人はいない事になっている」
「いない事?」
「そうだ。存在がいない……という事では無い。歴史上から抹消されているのだ。我らが人間と作り上げた時間は無かった事にされていた。今の人間は我らの事など知らぬ。天道の民と戦った事さえ、無かった事にされていた」
「! そうなのですか……」
世界を股にかけた戦いが無かった事になっているなど、華秦には信じられぬ事であった。
「世界は我らを幻影に書き換えていた。昔……人間と共存していた事も、愛を育んだ事も、その全ては幻とされていた……華秦よ。私にはそれが我慢出来ぬ」
銀聖はその目に初めて感情らしい。怒りを宿した。
「天道の民が来るまでの幸せな時は何だったのだ? 天道の民との戦で死んでいった者は何だったのだ? 我らが封印され、現在に復活した意味は何なのだ?」
華秦は黙って銀聖の話を聞いていた。その顔は銀聖と違い、沈痛な面持ちだった。
「華秦よ。我らは取り戻さなければならない。この地上を。天道の民に奪われた我らの生きた証を、そして人間には裏切りの制裁を与えなければならない。忘れるという罪深い行いをした人間に、我らを刻みつけねばならない」
「…………また…………戦うのですね」
明らかに華秦は乗り気では無いように見えた。銀聖はそれに怒る事無く静かに告げた。
「最早、我らだけの戦いではない。散っていった同胞の為にも我らは戦わなければならない。異物として排除されたままでは、余りに同胞が報われない。我が妹の配下だったお前には気が進まない話だと思うが……一緒に戦ってはくれないか?」
妹と聞いて一瞬華秦の顔が歪んだが、華秦はその表情を一瞬で消して静かに頷いた。
「戦わなければなりませんね……私がぬえ人である限りは」
言ったからにはやり遂げるという決意がその瞳には宿っていた。銀聖はそれに頼もしい仲間を得たと微笑みを浮かべた。
「期待しているぞ。ぬえ人最強と謳われた。武神華秦の実力を見せて欲しい」
「お任せください……ところで聞きたい事があるのですが?」
「何だ?」
華秦は鎧の調子を確かめながら、周囲を見渡す。
「雷鬼の気配を感じないのですが……雷鬼はまだ封印されているのですか?」
「……いや、雷鬼は死んだ。殺された」
銀聖の淡々とした解答に、華秦は目を見開いた。
「殺された? 馬鹿な……天道の者にですか?」
「いや、恐らく違う。天道の青神の気配は常に追っていたが、雷鬼とぶつかった感覚は無かった。だが、雷鬼が何者か強大な者と戦っているのは伝わってきた」
「それは天道の者以外にも私達と戦える者が居るという事ですか?」
「そうだ。だが……不思議な気配だった。雷鬼と戦っていた者は天道というよりは我らに近い感覚だった……」
銀聖が呟く様にそう言うと、華秦は信じられないとばかりに首を振った。
「馬鹿な。例え裏切り者がいたとしても、雷鬼に勝てる者など。ぬえ人の中でも私か、銀聖殿くらいのものでしょう。それでも、互角といっても過言では無い筈です」
「うむ。それは間違いない。我らの中に裏切り者などありえない。そして、雷鬼もまた全力で戦っていた様だった。誰だが分からぬが、雷鬼を倒すほどの手練が居るという事だ。それがどういった意図で動いているかは分からんがな」
「なるほど……分かりました」
華秦は雷鬼の死を悼むように静かに目を閉じた。
「ではこれからどうなさるおつもりですか? 恥ずかしながら私は戦う事しか出来ない者ですから。銀聖殿にお任せしたいのですが」
「そうだな。まず現状言うならば、既に天台宮の核である三つの神柱は砕けた。だが、それで直ぐに天道宮の門を開いて、同胞を解放出来る訳ではない。神柱はあくまで天台宮の門を維持するエネルギーを供給していたに過ぎないからな。供給が止まった今、いずれ天台宮の門は力を失うだろうが、それにしてもあと半年は天台宮の門はその力を持ち続けるだろう」
「では。その間どうするおつもりですか?」
「そうだな。天台宮の門の性質として、力の強いものほど、天台宮の門を抜け辛くなっている。それはさながら網の様にな。だから我らよりも先に地上に出ていた同胞もいくらかは居た。まずはそれらの者を集める」
銀聖は自らの思考を纏める様に、指を組んだ。
「天道の者達は天台宮の門が完全に開く前に決着をつけようと考えるはずだ。その逆に我らは天台宮の門が開くまで無駄に戦力を削られなければ良い。総力戦になれば、今の天道の者達にならば、確実に勝てる。封印されている者の中には、雷鬼には及ばなくても、戦闘に長けた者があと五百は居る。それらが解放されれば、天道の者も打つ手がないだろうからな」
「なるほど、つまり私達は半年間各個に撃破されない様にすれば良いという事ですね」
「そうだ。だが、隠れていても、月の巫女が居る限りいずれは発見されてしまうだろう。故に、我らは仲間を集めながら、城を作ろうと思う」
「城……ですか?」
「そうだ。バラバラにぬえ人が行動してはどうしたって目に付く。だから、一箇所に集まり、司令塔を一箇所にしたい。そこから部隊を作り、同胞を集めていこうと思う。城も術を用いて建設すれば、分かっていても天道の民が攻略出来ない物になるだろう」
「なるほど。では、城作りは銀聖殿にお任せします。私は今、感知出来ている同胞を探す事にしましょう」
「うむ。良いだろう。お前ならば単独で動いても殺される事は無いだろう。頼んだぞ華秦」
「お任せください」
華秦は一つ頭を下げると、半歩後ろに下がった。するとその体がぼやけ、まるで最初から、存在しなかった様に音も無く消えた。
銀聖は華秦の気配が消えたのを確認すると、砕け散った神柱をじっと見詰める。
「待っていろ天道の者達よ。私から全て奪ったお前達を許しはしない」
冷酷で動かない表情。しかし、その瞳は誰に知られる事無く熱く燃えているのだった――。
――雷鬼との戦いから一ヶ月後。
「のお、憲次。まだこんな事を続けるのか?」
「こんな事って?」
「じゃから、わしがぬえ人を無作為に見つけて、お主がそれを倒すという行為じゃよ。一ヶ月間ずっと同じことをしているが、何か考えでもあるのか?」
プンプンとうんざりしたかの様に語る秋姫に憲次は特に考える様子も無く自然に答える。
「いや。特には無い。だが、ぬえ人を殺して行けば、いずれ銀聖に辿りつくだろう」
「お主、それマジで言ってんの?」
秋姫がげっそりした様な顔をする。
「普通、強い奴ほど隠れているもんじゃよ。特に銀聖は頭が良いんじゃから、普通に見つかるわけないって」
「別にそれならそれで良い。どっちにしろぬえ人は全員殺すつもりだからな。それに……あの日雷鬼と戦って分かった。今の俺じゃ、雷鬼以上の相手には勝てない。銀聖がもし、雷鬼よりも強いなら、俺はもっと強くなる必要がある。だから、この体をもっと使いこなさなきゃな」
右拳の感覚を確かめる様に憲次は拳を握り締めた。その右腕は左腕より明らかに大きい。
「ふむ……まあ、今のままじゃ全力を出した所で、銀聖には遠く及ばないじゃろうな。というか、雷鬼よりも弱い奴にも、相性や、数によっては負けるかもしれん」
そうかと憲次は特に怒る事無く返答する。
「だがな、憲次。忘れるでない。お主が強くなるという事は、それだけ、お主が憎むぬえ人に近づいて行くということじゃ。いつかは限界が訪れ、お主自身がぬえ人に……いや、それを超えた化け物になるかもしれんよ?」
「構わないよ……それに、今している事も無駄じゃない。ぬえ人に殺される者を一人でも救えるならば……」
憲次は若干背中を丸めてそう言った。その姿は、ぬえ人と雄々しく戦う姿からは想像がつかないほど、弱々しく見えた。
「くくく……そんな体になっても、甘い所は変わってないの~」
そんな非日常的な話をしながら、夜道を二人は歩いていた。
「ところで憲次よ」
「何だよ? お菓子ならさっき買ったばかりだろ」
「違うわい。お菓子は後で再び買うから良いとして……さっきからわしらの後をつけて来ている気配についてじゃ」
「ああ、感じてはいたが相手から殺気が無いな取り合えず。公園か何処かで迎え撃つか?」
「ふむ。それが良かろう」
二人は歩調を変える事無く近場の公園に入った。その公園は最低限の遊具があるだけで深夜だった為人の姿も無い。二人はベンチに腰掛けると、秋姫が暗闇に向かって声をかけた。
「おい。さっさと出て来んか。気持ち悪いんじゃ、人の背中をコソコソと見詰めおって」
秋姫の声は綺麗で良く届く。
「ははは。ばれてたか」
すると暗闇の中から楽しそうな男の声が響いた。
そう言いながら闇から出てきたのはニット帽に、ジーパン姿の男……かつて、雷鬼の副官、豪気を殺した男が、今、憲次達の目の前に立っていた。
「悪い悪い、気を悪くしないでくれよ。でもな、そっちにも分かり易い様にわざと気配を出してたんだぜ?」
「あほか。それくらい分かっておるわ。それが分かるからこそなお、不快なんじゃ」
秋姫が吐き捨てる様にそう言うと、男はゲラゲラと笑った。
「そうか。そうか。いや、やはり俺の目に狂いは無かったわけだ」
「……不快じゃな。名くらい名乗らんか」
「おっとこれは失礼。俺の名は、魔境京谷。一応断っておくがあんたらの敵じゃない」
「敵かどうかはわしらが決める。何故わしらの後をつけていた。目的は何じゃ?」
「オッケーオッケー。分かった。何故かと問われれば、様子を見ていた。あんたら、どうやら天道の者じゃないだろ? それなのにぬえ人を狩っている。しかも、そっちの男は大分可笑しな体をしている。だからまあ、こっちとしても警戒していたわけよ。あんたら俺達の味方か……それとも敵かってね」
魔境の顔はヘラヘラとしていたが、その眼は獣の様に鋭かった。
「まあ、でも今まで見させて貰ったが、どうやらあんたら、そんなに悪い奴らじゃないみたいだ。だからまあ、提案が有るんだが聞いてくれるかい?」
「提案? 何じゃそれは? 舐めている態度がむかつくが折角だから聞いてやろう」
「ははは、提案っていうのは他でも無い。あんたら……俺達の仲間にならないか?」
魔境がスッと手を差し出す。そこには先程の敵意は消え、無邪気な笑みが浮かんでいた。
「仲間? お主が何のかさえ分かっとらんというのに、何の仲間になると言うんじゃ?」
話にならないとヒラヒラと秋姫が手を振ると、魔境が頷き、後を続けた。
「もちろん。その辺も説明しよう。俺はある組織の長をしている。組織の名は妖籠会。目的はまあ、あんたらと大体は一緒だ」
「ぬえ人を倒す組織じゃと?」
「はは、まあ大体はね……ちょっと違うが、まあ一番違うのは目的よりも俺達そのものだ」
「? どういう事じゃ?」
秋姫がその容姿に相応しく、可愛らしく首を傾げると魔境は右腕をバッと開いた。
「こういう事だ」
魔境がそう言った瞬間に、魔境の腕が蝙蝠のそれと化した――。
「ちぃ!」
秋姫の顔が男の唐突な変体に歪む。
「下がっていろ! 秋姫!」
憲次が秋姫を庇う様に前に出た。その眼には既に闘志が宿り、臨戦態勢だった。
「おっと、おっと、ちょっと待ってくれ戦う気は無い。悪かった驚かせて」
魔境はそう言うと、蝙蝠の腕を下ろした。すると腕は元の人間の物になっていた。
「……何じゃお主は一体……」
「ふ……まあ、簡単に言うとぬえ人と人間のハーフだな」
「は~ふじゃと?」
「ああ、俺は……というか、妖籠会のメンバーは全員ぬえ人と人間の混血だ」
「馬鹿を言うでない……今まで五百年封印されていたぬえ人がどうして人と交われる」
秋姫が話すのも時間の無駄だと言わんばかりに溜息を吐いた。しかしそれに魔境は首を振る。
「あんたの言う通り、五百年も前の話になるから俺も正確な事は知らねえけどな。ぬえ人も一枚岩じゃないってことさ。五百年前の大戦で、戦う事を選んだぬえ人の長、銀聖に付いた者もいれば、戦いを拒んだぬえ人もいた。俺達は銀聖の誘いを断ったぬえ人さ。俺達は銀聖の元を離れ、戦いの行方を見守った。そして長い年月が流れ、天道の民とぬえ人の争いは、ぬえ人が天台宮に封印される事で終結した。その結果を知り、俺達は隠れながら生きていく事を誓った。幸い姿形を自由に変えられる種族だったからな人に紛れながら生きてきた。そしてそれは現代まで脈々と続いている。人間と交わりながら子孫を残してな……」
「ふむ……俄かには信じ難い話じゃな……第一、天台宮の門はお主らぬえ人の気配を察知して、無差別に封印する術じゃった。それを回避してなお天道の者に見つからず、この地上にいれるなど、不可能じゃろ」
「そこを説明するには初代の赤神が関係しているんだがな……又聞きになるが聞くかい?」
「話してみるがいい」
横柄な態度で秋姫が応じるが、魔境は特に気にする事無く話を続ける。
「ま、話すほどの事でも無いがな。初代の天道の赤神と俺達の祖先が出会った時、祖先は戦う気は無いと伝えたらしい。すると赤神は特に殲滅する事無く、それどころか、天台宮の門から自らの術で祖先を守ったらしい。結構な変わり者だったという話だ」
「ふむ……まあ奴ならそうするかもな」
「それ以来、赤神は俺達の妖籠会では恩人として語り継がれているんだが……まあそれは置いておこうか」
魔境はニット帽を被りなおした。
「とにかく、赤神のおかげで殲滅される事も無く、封印される事無く今に至るってわけだ。もちろん俺達はそれ以来、天道の者と敵対する事も無く静かに暮らしてきた」
魔境は淀みない口調で話し続けていた。秋姫も特に口を挟む事無く、それを聞いていた。
「そうして人の世の理の中で生きてきた俺達が作り上げたのがこの妖籠会だ。人の文献では俺達は妖と記されているのでな、それにあやかったというわけだ」
「何故そんな物を作ったのじゃ?」
「いや、始めは人間世界に中々溶け込めない者同士が寄り添う為に作ったんだが……何時の間にか人間と、ぬえ人との問題を調停する様な組織になった。妖籠会と名乗る様になったのは俺が幹部になった百年くらい前の事だ。まあ大体これが俺達妖籠会の説明だな。何か質問は?」
「特には無いの~。しかし、その話でどうして、ぬえ人をお主らが討とうとする? 銀聖に敵対する理由は何じゃ?」
「ははは、そりゃ簡単な話だ。俺達は銀聖に加勢もせずこの五百年間、銀聖達の復活を手伝ったわけでもねえ。銀聖からすれば俺達も排除の対象だからな……だから明確に銀聖は敵だ」
「ふむ。ならばお主らが天道の者につけば良いでは無いか。わしらを仲間にするよりは、天道の者と組んだ方が、戦力的には良いはずじゃろ?」
「参ったな。中々頭が回る……」
「褒めても無駄じゃ。真実を言わない限り、協力もないぞ?」
「オーケー。分かった。もう隠さない。これは人間のあんたらに言ったら心象が悪くなると思って黙ってただけなんだ。悪意は無いぜ。まあ、俺達ははっきり言っちまうと天道の連中を信頼してないっていうか、かなり微妙な立ち位置にあるんだわ」
「先程は天道と敵対していないと言っておったが?」
「ああ、まあ表面上はな……だが、天道もまた一枚岩じゃない。天道の中には明確に俺達を危険分子として処分しようとしている連中もいるのさ。そしてそれは銀聖が復活してしまった事で、より力を持つ意見となった。ぬえ人は危険だ。排除すべきだ……てな。だから俺達は奴らとは協力出来ない……さらに言うなら……」
魔境はそこで言葉を区切った。何か重大な事を口にする前の様な緊張感を持った沈黙だった。
「……俺達は銀聖と一緒に天道の奴らも潰しちまいたいと思っている」
「……くくく、やっと本音が出おったわ。それも大分ゲスな理由じゃな。結局自分達が覇権を握りたいだけじゃな?」
「そう思ってくれて構わないぜ。だがな、天道が覇権を握っている今よりは、俺達が覇権を握った方がまともだと思うぜ」
「くく、まるで自分達が正義だと言わんばかりじゃ。まあ大抵の連中は自らが正しいと思って行動してるもんじゃがな」
「へへ、だがな。ちゃんと根拠もあるぜ。それも、憲次。あんたとも関係ある事だ」
魔境が憲次を指差した。だが、憲次の視線は魔境を捉えたまま特に変化は無い。
「ほう……さっきまで名前も知らぬといった風だったのにのう……」
「ははは、まあ耳が早くてね。それに仲間にしようって奴を調べないわけ無いだろ? ちなみに、あんた……秋姫さんっていうのか? あんたの事も調べたけど、まるで分からなかったよ。あんた何者だ? 良かったら教えてくれね?」
「嫌じゃ」
「あ、そう。まあいいや。とりあえず話を戻すとな、火釜山での事についてだよ。知りたくないかい? 憲次」
「……話せ」
今まで秋姫に会話を任せていた憲次が始めてその口を開いた。
「まず、天道の者について勘違いしているようだから教えておくよ。あんたらは天道の者が善だと考えているようだがそうじゃない。天道の者の本質は侵略だ。その非情さが、銀聖という復讐鬼を生んだ」
それはまるで、銀聖が被害者の様な物言いだった。そして実際、魔境が続けた話はそういった類の物だった。
「そもそも、ぬえ人と人間は互いに穏やかに暮らしていたんだ。ぬえ人はその特異な体質を用いて、人間の生活を助けていた。人間も又、そういったぬえ人に尊敬の念を持って接していたんだ。もちろん争うこともあったが概ねその関係は良好だった。だが、それも天道の民が現れるまでだった。天道民はその名の通り、天空から現れた。それ以外にどこから来たかとかは分からねえ。だが、とにかく唐突に現れたそいつらは、自らがこの地上に住み着く為に、ぬえ人達を一掃し始めたんだ。それに抵抗したのが銀聖だった。戦いは熾烈を極めたが、結局人間を味方につけた天道の民が勝利した。そして負けたぬえ人達は天台宮の門に封印された……つまりぬえ人は普通に暮らしていた所にいきなり喧嘩売られて、故郷を奪われた奴らって事さ」
憲次にとって、ぬえ人は復讐の対象でしか無かった。魔境の話を聞いた憲次の顔は、しかし、傍目には変化が無い。
「それが……遠因だが、憲次さん。あんたの妹が犠牲になるという悲劇を生んだ」
魔境の言葉を聞いて、憲次の目が明確にその色を変えた。体勢も表情も変わらないが、溢れ出る殺気が周囲に充満していた。
「おっと。あんまり怖い顔しないでくれ。さっきも言ったが憲次の事は調べさせて貰った。他意はねえよ。ただ調べている間に俺達は気付いちまったってだけだ。天道の欺瞞に」
魔境が憲次の殺気に冷たい汗を流しながら、そう弁明した。その間も憲次の気配は全く緩まっていない。
「実はな。あんたがあの日、銀聖に襲われた場所に封印がある事は天道の者も知っていた。そして封印が破綻しかかっていた事も知っていた。だが奴らはその予兆を無視した。何故だが分かるか? 奴らは恐れていたんだよ。赤神もいない状態で、力の読めない銀聖と戦う事を敬遠した。敬遠して観察した。銀聖がどれほどの力を持っているのか正確に測る為に、そして……その実験の被験者一号が憲次。あんたと妹さんだ」
それを聞いた瞬間だった。まるで弾丸の様に憲次が弾け、そして、魔境が気がついた時には、その胸倉を掴まれていた。
「むかつくか? だがな。それが事実だ。天道の者はあんたと妹さんが殺されるのを陰でこそこそ見てたのさ。そして勝てないと悟るや尻尾巻いて逃げた。元々は自分達で作った火種に関わらずな……と、とりあえず。手を離してくれ。さすがに苦しくなってきた」
魔境が憲次の手をポンポンと叩くと、憲次はゆっくりとその手を離した。だが、その表情はあの日、涼香が殺された日のままだった。
「はぁ……はぁ……つうわけだ。天道の連中も、表は綺麗だが裏は腐りきってやがる。そんな連中はさっさと滅んだほうが良い。だから銀聖が復活した機に、銀聖と天道、両方ぶっ潰しちまおうと考えたんだよ……これで良いか? 包み隠さず全部話したぜ」
魔境が首を痛そうに押さえながら、秋姫の方を見た。秋姫はそれに童女らしからぬ、人を喰った様な、にやっとした笑みを浮かべた。
「まだまだ腹に一物ありそうじゃがのう……まあ信じてやろう」
「へへへ、ありがてえ……てなわけで本題だ憲次……」
魔境は鋭い。修羅場を掻い潜ってきたであろうその瞳で憲次を見据える。
「俺達の仲間になれ。あんたはこちら側の人間だ。妹の為に復讐を望むならば天道もぬえ人も両方とも潰すべき対象だろ。利害は一致する。俺達につけば復讐はより確実に果たされる」
魔境は憲次に向かって手を伸ばした。その姿はどこか人を惹きつける天性の物があった。
憲次はその手をじっと見詰めた。それからしばらくして憲次はその視線を魔境に顔に向けると口を開いた。
「………………お前は。涼香を生き返らせる事が出来るか?」
「ん? …………いや、無理だな。死んだ人間を生き返らす事は出来ない」
魔境が答えを吟味してそう答える。
「そうか……ならばお前らと組む理由は俺には無い」
憲次はそれだけ言うとスタスタと魔境の横を通りすぎた。それに慌てた魔境が追いすがる。
「おい待て! どういうつもりだ! 俺とあんたは目的も同じだろ! あんたの気持ちも俺は良く分かる! 手を組んだ方が良いのは明白だろうが!」
魔境の叫びに憲次は振り返った。その憲次の瞳を見て、魔境は言葉を失う。
「……俺はもう終わってるんだよ。涼香を失ったその瞬間にな。俺はこの手で涼香を殺した物全てに復讐するだけだ。それ以外の理由は要らない。欲しくない。俺にとっては涼香が全てだから……利害とか善とか悪とか、そういう事を言っているお前らは、俺からしたら不純でしかない。俺の邪魔をするな。弾みで殺されたくなかったらな」
憲次はもう振り返る事は無かった。この場に用は無いとばかりに歩み去る。
「ま、そういう事じゃな。色々と勉強になったとそれだけ言っておこうか?」
秋姫は悪戯が成功した子供の様な顔をして魔境の横を通り過ぎると、憲次の背を追った。
こうして魔境を残したまま二人は何処かに消えていった。後には静かな公園で佇む魔境だけが残った。
「全く……理屈が通じねえ奴はこれだからやりづれえ」
取り残された魔境は一人苦笑いを浮かべた。そして、懐から携帯電話を取り出すと、ポチポチとメールを打ち始める。
「まあ、良いさ。協力出来ないなら利用するだけだ。何ら問題は無い」
現状を楽しむように魔境は口元を上げると、溶ける様に闇に消えた――。
「良かったのか? 憲次。あの誘いを受ければ、勝率が上がったと思うが?」
憲次に追いついた秋姫がまるで正解が分かっている答えを聞くように、わくわくした表情を浮かべてそう尋ねた。
「分かっているだろ……それに俺にはお前がいる。お前さえいれば十分だ」
「くくく、褒めても何にも出んぞ? まあ、あやつとお主じゃ匂いが違うからの。多分こうなるんじゃないかと思っていたよ」
秋姫はそう言って甘える様に憲次の腕に抱きついた。憲次も特にそれを振り払う事無く、連れ立って歩く。
「お主は面白い。傷付いて、寂しくて、苦しくて……誰かに縋りたいと願う気持ちは確かに持っているのに、決してそれをしない……頼らない。靡かない。まるで自分を罰している様じゃな。銀聖よりも天道よりもまず自分が一番許せないんじゃろ?」
「そう……だな。俺はこの先、幸せになる資格なんて無いんだ。幸せになっちゃいけない。ただ、俺の生はあの日の悪夢に幕を閉じる為だけに。それだけの為に生きてる」
憲次の歩みに淀みは無かった。ただ今にも消えてしまいそうな儚さを憲次は漂わせていた。
「そうかい」
秋姫はそんな憲次に慰めもかけずについて行く。それは憲次に全てを委ねている様に見えた。
二人は再び旅に出る。ぬえ人を殺すという。ただそれだけの旅に……。