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天台宮の門  作者: 徳田武威
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第二章 喪失

パソコンの使い方が未だによくわからないです

第二章 喪失



 光を吸い取るかのような漆黒に塗られた神殿。それはまるで姿を陰に隠匿する様な異様な概観だった。その、人を遠ざけるような神殿の中で今、四人の言葉が行き来していた。

「御三家様。第一の封印が解かれようとしています。至急、兵の配置をお願いします」

 美しい黒髪の少女、光月が懇願する様に板畳に額をつけた。その頭を下げる先には、一段段差があり、座布団が三枚並べられていた。その三枚の座布団の上に、背中の曲がった老人が三人座っていた。薄暗くロウソクで照らされるその姿はしわくちゃで、刻まれた皺は深い。人間というよりは妖怪の類に見える様相だった。

『ならぬ……』

 三人が同時に、脳に直接響く様な声でそう口にする。

「ならぬ。相手の力は未知数じゃ」「今、三剣を配置すれば、勝敗はどう転ぶか分からぬ」「二神が一人でも欠ければ、一気にぬえ人どもに地上を支配されるかも知れん」

 三人がまるで意志が通じているかの様に淀みなく言葉を紡ぐ。

「しかしここで部隊を配置しなければ、第一の封印は破られ周囲の人達が犠牲になります!」

 それに対し光月はキッと睨みつけ、声を荒げた。その怒りは無関係の者を巻き込むことへ対しての怒りだった。

「致し方ない……」「それが宿命……」「一度暴れれば、復活したばかりのぬえ人は回復の為にしばらく動けなくなる」

「その間に天道の二神を揃えるのだ。二神が揃えば、戦局は必ずこちらに傾く」「最強の守護者、天道の戦士」「月の巫女よ。まずは赤神を探すのだ。導きの光を持つそなたの力で」

 しかし、それに対し、三人の老人の答えは冷ややかだった。まるで光月の話など初めから聞いていないかの様に、決められた台本を読むかの様にそう言った。

「惨い……関係の無い者達を犠牲にして、心は痛まないのですか?」

 哀れむような瞳で光月は老人達を見た。だが、それでも、彼らの顔に心が動いた様子は無い。

「月の巫女よ。大切なのは天道の血を絶やさぬ事……」

「天道の血が途切れれば、世界は再び闇に包まれる」

「責務を忘れるな月の巫女。お主がすべき事は民を守る事では無い。初代の予言を完遂する事だ。それが天道の永遠の繁栄を約束する」

「来るべきの時の為、兵は動かさん」

「力を蓄え、集めるのだ。ぬえ人を消滅させる力を」

「決着の時は近い……分かったか月の巫女よ」

 まるで洪水の様に紡がれる言葉に、光月は唇を噛み締めながら頭を下げた。御三家の決定は絶対。それが天道の掟だった。

「励むがいい月の巫女よ」「世界を照らすのは天道の力のみ、天道以外は全て邪道」「探せ、世界を照らす天道の赤神を」

 老人がそういうと、部屋を照らしていたロウソクが一気に全て消えた。その一瞬の空白と共に、さっきまでそこに居たはずの老人たちの姿が消え失せていた。

 光月は無言で立ち上がると、神殿の扉を開けた。外に出ると月の明かりが光月を優しく照らす。背後では、独りでに神殿の扉がしまっていた。

「光月様」

 神殿から出てきて呆然としていた光月を気遣う様な声音で、待っていた三剣が声をかける。それに対し、光月はふっと笑った。

「駄目でした三剣さん……封印の地に行く事は禁じられました」

 泣きそうな自分を責めるような苦しそうな笑みを浮かべる光月に、家臣である三剣は歯を食い縛る。

「……お気になさいませぬよう……光月様は最善を尽くされました」

「……最善など尽くしていません。本当に正しいと思うことをするならば、今すぐにでも助けに行くべきなのですから……」

「…………仕方ありません。掟を破れば、光月様の身が……」

 三剣は己の未熟さを責める様に、光月の身を案じた。光月もまた自らの言葉が大切な者を傷つけていると分かり、小さく首を振る。

「すみません。我侭を言ってしまって。困らせましたね」

「いえ……光月様のお心。必ずや実を結ぶ時が来ます」

 愚直なまでに自らの主君を考える。三剣はそういった類の男だった。

「ありがとう……ごめんなさい。今日は少し早く寝るわ」

 それを汲み取ったのか、光月は自然な笑みを見せてそう言った。三剣も光月の心境を感じ、ただ静かに頭を下げる。

「分かりました……ごゆっくりと」

「ええ、お休みなさい」

 微かに消え入る様な笑みを浮かべ、光月は三剣と別れ、自分の寝屋に向かった。

 月の巫女たる光月の寝屋は、派手さは無く、落ち着く様な雰囲気の場所だった。従者が既に用意した布団が敷いてある。

 光月は羽織っていた物を静かに脱ぎ取ると、地面にそのままふぁさっと落とした。片付けようという気力さえ湧かなかった。光月はそのまま布団に倒れ込むようにうつ伏せに横になる。普段神聖な彼女の姿を見ている者達からすれば、目を疑う様な乱雑な姿だった。光月はその姿勢のまま布団をぎゅうっと握り締めた。その小さな肩が震える。

「う……うぅ……」

 光月は布団を握り締めたまま嗚咽をあげていた。その瞳からは止め処なく涙が流れ、布団を濡らし続けた。その姿に威厳は無く。ただただ、か細いだけの少女がそこにはいた。

 それから涙が枯れるまで……光月は年相応の少女の様に泣き続けた――。

 ――夏休も中頃に入り学生達が過ぎ行く日々の早さを実感すると共に、残りの休みをカウントし始める中、憲次と涼香は両親に連れられて彼らの祖母に当たる人物の家に遊びに来ていた。

「美味しいね~これ」

家の主である祖母、多恵たえに和菓子を貰った涼香は御満悦な様だった。

「まだまだ一杯あるから沢山お食べ、知り合いに和菓子屋さんが居てね。孫が来るって言ったら、食べきれないくらい持って来てくれたの」

「本当に? 嬉しい! おばあちゃんありがとう!」

 涼香は遠慮無く、和菓子をパクパクと食べていた。恐らく高級な物なのだろう。包みからしてスーパーで売っている物とは違う。

 だが、相模家の家柄というか、憲次以外の人間はあまり遠慮はしないし、嘘も言わない。だから、沢山食べてと祖母が言うならそれは本心からの言葉だろうと憲次は思っていた。

実際、多恵が涼香を見詰める顔は穏やかで幸せそうだった。

「そうだ、憲次君。今日は何処かに行く予定ある?」

「いえ。特には、散歩しようかな~とか思ってましたけど」

「なら、火釜山かふさんに行ってみたらどうかしら?」

「火釜山?」

 聞きなれない単語に憲次がオウム返しすると多恵はコクリと頷く。

「ええ、ここら辺のまあ、名所みたいな物ね。立派な山で、自然がとても綺麗な場所なの。この季節だと花が一面に咲いていて、とても綺麗よ」

「へえ~そうなんですか」

「ええ、それにね。昔から火釜山には伝説があるの」

「伝説? 何それ! おばあちゃん!」

 それまでお菓子を夢中で食べていた涼香が多恵の言葉に喰い付いた。憲次はそんな涼香の頭を撫でる。そういえば、冒険とか伝説とかが大好きだったなと、微笑ましい物を見る様な表情で憲次は涼香を眺めていた。

「ええ、じゃあ、お話しましょうか……火釜山に纏わるお話を」

 多恵は昔話を思い出すかの様にゆっくりと語り始めた。

『その昔、国という境も無く人々が平和に暮らしていた時代。しかしそんな平和な日々が突然終わりを告げた。それは一匹の鬼が原因だった。その鬼がどこから来たのかは誰も知らない。だが地獄から彷徨い込んだかの様な醜い姿はあらゆる凶兆を孕んでいた。その鬼は空に暗雲を立ち込ませ、人間達に虐殺の限りを尽くした。人々はその悪しき鬼を恐れ、姿形が自分達と似ていた事からぬえ人と名づけた。ぬえ人が人の世を支配しようとしたその時。人々の願いが通じたかの様に、天空から神が舞い降りた。白銀の光に包まれた神は、山に降りたつと、その不思議な力を用いて、鬼を山の奥深くに封印した。突如現れた神が鬼を封印した際に、炎の斧を振るった様に見えた事から、その山は火釜山と名付けられた。それから火釜山は神が鬼を封印した聖地として、人間達に祭られた――』

「それでね。その火釜山には、一年に一度、不老不死になれる鬼の涙という黄金の木の実がなると言われているのよ」

 多恵は昔話をそう締めくくった。するとのめり込む様に聞いていた涼香がはぁ~と息を吐き目を輝かせる。

「ねえねえおばあちゃん! それなら火釜山に行けば、鬼の涙があるかも知れないって事?」

「ええ、見つかるかも知れないね。鬼の涙は食べれば不老不死になるだけじゃなく、絶世の美女になれるらしいわよ。かく言うカグヤ姫も鬼の涙を食べたってこの村では信じられてるの」

「本当に~じゃあ私も食べたら、美人さんになれるかな!」

「あら~食べなくても涼香ちゃんは十分綺麗だけどね」

「えへへへ……そうかな……」

 調子に乗ったように涼香がにへらとだらしない顔をする。

「不老不死って中学生がそんな物欲しいのかよ?」

 憲次は涼香をからかう様に笑った。すると、涼香はぷ~と頬を膨らませる。

「お兄ちゃんは夢が無さすぎ。女の子はずっと可愛いままで居たいの。ねえ、おばあちゃん」

「そうねえ~」

 けらけらと多恵が笑った。そんなノリの良い祖母に、憲次は参りましたと笑みを零す。

「ねえねえ。お兄ちゃん。後で一緒に行こうよ火釜山」

 多恵の話を聞いてやる気が出たのだろう。涼香が張り切った様にそういうと憲次は軽い調子で了承した。

「じゃあ、鬼の涙を探しに出発~ね! おばあちゃん。お菓子持って行って良い?」

「ええ、良いわよ」

 涼香が多恵と楽しそうに準備の話をするのを見て憲次は穏やかな表情を浮かべた――。

「お兄ちゃん~!」

 茂みから涼香の声が響いてくる。

「何だよ~」

 それに気だるげな声で憲次が応える。ぼりぼりと頭をかきながら、憲次は声のした方へ向かって歩いた。山に行く為に長袖に着替えたは良いが、暖かい天候のせいか眠そうだ。

「ほらほら、見て! どんぐりがあったよ~」

 そんな憲次をどんぐりを指先でつまんで満面の笑みを浮かべた涼香が迎える。太陽の光がさらさらの髪に反射して光輝いていた。

「おお~凄いな~こんな大きいどんぐりを見つけるなんて」

 憲次はそう言って、涼香の髪の毛をぐしゃぐしゃと撫でる。涼香はそんな一見すると荒っぽいスキンシップにも嬉しそうに目を細めた。

仲睦まじい兄妹が今居る場所、そこは先程、話にあった火釜山だった。祖母の家の裏山である火釜山は、人の手が入っていない自然に溢れていた。綺麗な小川が流れ、都会とは全く違う新鮮な空気を感じられる。憲次と涼香はそんな自然を満喫していた。ここには都会では味わえ無い物が沢山有る。

「はぁ~ちょっと休まないか? 疲れたよ」

 憲次がそう提案する。山歩きは普段運動しない憲次にはきつかった。

「ふふふ、いっつも運動しないでゲームばっかりしてるから、体力無いんだよ。おじいさん」

 からかう様に手を後ろに回し前かがみで涼香が笑う。

「……誰がおじいさんだ」 

 憮然として答えながら、憲次は大樹に寄りかかる様にして座った。都会では存在しない様な、樹齢何年かも想像が付かない程の大きな樹。

すると憲次の膝の上にストンと涼香が座る。

「……おい、重たい。どきなさいよ」

「ふふ~やだよ~」

 そのまま、憲次の胸に涼香は頭を預けた。憲次は嫌そうな顔をするが涼香をどかす事はしない。ただ黙って、その体を抱きしめて支えた。

 二人の間に静かな空気が流れる。憲次に抱えられた涼香の表情は、全て預けて、安心したような顔している。二人がその穏やかさを享受していた時だった。

「あれ? 何だろう? あの光?」

「うん? どうした?」

「ほら、あそこ。何か光ってるよ」

 そう言って涼香は立ち上がって指さした。憲次が指された方を見ると、確かに何かが発光しているのが見えた。

「何だありゃ……」

 こんな山で発光する物が有るはず無い。憲次が警戒心を露に注視していると。

「すっご~い! きっとアレだよ! 鬼の涙だよ!」

 先程の多恵の話を思い出したのか、警戒して様子を窺う憲次を置いて涼香は興奮したように走り出した。

「馬鹿! 危ないって、待てよ! 涼香!」

 憲次がそう言ってる間にも、どんどん涼香は走って行き、茂みに隠れて見えなくなった。

「あの馬鹿……」

 妙な胸のざわめきを感じながら、憲次は涼香の後を追いかけていった――。

「あれ~どこで光ってたんだろう……おかしいな……」

「何がおかしいなだ」

 そんな声と共にゴチンという音が鳴る。

「いった~い。何するの、お兄ちゃん!」

 涼香は拳骨をされた頭を抑えて、涙目で憲次に抗議する。

「ばか、迷ったらどうするんだ、一人で勝手に行きやがって」

 憲次が憮然とした顔をして注意する。

「う~ごめんなさい」

 すると涼香はシュンとなり、うな垂れた。

「……たく」

 涼香にそんな態度を取られると憲次はそれ以上怒れなくなってしまう。自分が叩いた涼香の頭を、優しく撫でた。

「へへへ……」

 甘える様に腕に抱きつく涼香。結局最後はこうなってしまう。

「で? 何が光ってたんだ? 結局?」

 恥ずかしさも伴って話題を変える憲次。すると涼香は憲次の腕から離れるとぶらぶらと歩く。

「う~ん、この辺だっただけどな~何も無いよ~」

 涼香が木の周りを調べていた時だった。

『ギィン、ギィン! ギィイイイイイイイイン!』

 金属が接触するような高い音が山の中に響き渡る。何かと何かが高速でぶつかる様な、チェーンソウで鉄パイプを切断しようとしている様な音だった。

「な、何? お兄ちゃん」

 涼香が怯えた様にヒシっと憲次に抱きついた。憲次も訳が分からず、涼香の体をギュウっと強く抱きしめ返した。

「だ、大丈夫だ……大丈夫だから」

 繰り返す様に何度もそう言ったが、胸の中のざわめきは納まらない。それどころか、心臓の鼓動がドンドン早くなっていた。

『キィイイイイイイイイイイイイイイイ…………』

 しばらく経った時だった。山中に響いていた金属音が一際大きな音をたて、そして消えた。

 余りの音の大きさに、憲次達兄妹は思わず両耳を塞いでいた。だが、怯えた様に震えている涼香を見て、自らが確認しようと憲次が周囲を見渡した。

 だが、何も異常は無かった。山は先程までと変わらず、静寂に包まれていた。

 何の異常も無い事が分かり憲次は胸を撫で下ろす。憲次は涼香の肩に手を置き、もう大丈夫だと口にしようした――その時だった。

「…………封印が解けたか」

 烈風だった。憲次の正面から強烈な風が吹いた。だが、周囲の木々は全く揺れていない。憲次にだけ感じる圧力。それを、今、正面から来る声に感じていた。

 憲次は声の方を注視する、というか目が離せなかった。引き付けられる様に、目が見開いて閉じなかった。

「何年ぶりの地上か……」

 声は憲次達に近づき、声の持ち主が現れた。

 その声の持ち主は男だった。二十代くらいだろうか、美しい顔立ちをした男だった。そして、何より人の目を引き付けるのはその髪、男の髪は銀髪だった。それも染めているような様子はない。男の白い肌と相まって、目の醒める様な輝きを放っていた。

「お、お兄ちゃん……」

 突然現れた男に戸惑った様に涼香が憲次の背後に隠れる。憲次もまた涼香を隠すように自ら一歩踏み出した。

「…………人が居たのか?」

 銀髪の男の視線がこちらに向く。

 その時だった。男の視線がこちらに向いた瞬間、まるで首を絞められているかのように、呼吸が苦しくなる。

「封印が解けたら天道の者についた人間を皆殺しにしてやろうと思っていたが……肩慣らしには丁度良い。貴様ら」

『殺されてみるか?』

「ひぃ……」

 涼香が涙を流しながら悲鳴を上げる。確かに憲次も同じ様にして蹲りたい気分だった。

「ほう……小僧。私を正面から見てなお、その前に立ち塞がるか。良い精神力だ」

 感心したかの様な発言だが、目が全く和んではいなかった。拳銃を突きつけられている様な緊張感が憲次の体を叩いていた。

「りょ、涼香は……妹は助けてくれ……」

 だから憲次は懇願した。理性では無く本能が理解していた。自分達が今出会っているのは、熊よりも危険な生き物で、その気になれば直ぐに自分達を殺せるのだと言う事を。

「妹……ん?」

 銀髪の男の目が涼香を捉え、止まる。

「貴様……名を何と言う?」

 突然、問われ。涼香はパニックになった様にひくひくと泣いた。そんな涼香を助ける様に憲次が答える。

「相模涼香だ」

「ほう……光月では無いのか……似ているな、我を封印した道房の嫁に。だが、確かに何の力も感じない。月の巫女では無いのか……」

 銀髪の男は一人、納得したように頷くと何故か憲次達の方にゆっくりと歩いて来た。

「だが、その顔は不快だ。どうしたって月の巫女を思い出す。取るに足らない虫けらだと思って、見逃そうとも思ったがやはり処分しよう」

(処分? 何を言ってるんだ?)

 憲次が危機を感じ涼香の手を取ってそのまま逃げようとした時だった。

「絶――」

 そんな言葉と共にすぅ……と力なく銀聖の腕が横に払われる。すると髪をふわっと上げるような微風が憲次達に吹いた。

『ブシャアアアアアアア』

 そんな音と共に、憲次の顔に熱い液体が掛かる。思わず、目を細めた憲次は液体が飛んできた方向に顔を向けた。すると……憲次に抱きついていた涼香の首から上が無かった。

(? ? ? ? ? ? ? ?)

 素の表情になって憲次が涼香の事を見る。涼香はやはり首から上がなくなっており、そこから大量の血が流れていた。よたよたとその血の雨を浴びながら、憲次は涼香の体を抱きしめる。

「……おい、……おい」

 涼香の体はまだ温かく、鼓動も感じられた。しかし、決定的に頭が無い。びくびくと震える体しかない。

 憲次は呆然としてその体を揺さぶった。しかし涼香は応えてくれない応える為の頭が無い。

 現実感が全くなかった。まるで出来の悪い夢を見ているような。憲次は思う、だってそうだろう? 何でさっきまで、普通に話していた涼香がこんな事になってる?

 しかし、血の匂いと急激に冷えていく涼香の体は、憲次に否応にも現実を叩きつけた。

「ぅわああああああああああああああああああああ!」

 絶叫。憲次はただ絶叫した。現実を拒絶する様に、叫べば夢から覚めると言わんばかりに。

「ふむ……やはりまだ本調子では無いな。術の発動が遅すぎる。まだ天道の者と戦うのは早いかも知れん」

 銀髪の男のつまらなそうな声、そこには涼香を殺した事への後悔や反省は微塵も感じず、ただそこに蚊がいたから潰した。という程度の感覚しか無かった。

「しかし、まずは世界を知らねばなるまい。おい、小僧。今世界はどうなっている? 天道の者が支配しているのか? 我らが封印されてからどれだけの時が流れたのだ? 知っている事があるなら話せ」

 命令だった。銀髪の男の興味は既に移り、妹を失ったばかりの憲次への配慮は微塵も無い。

 そんな涼香の命を石ころよりも軽く見る銀髪の男。

「うわあああああああああああ!」

 その態度が憲次のタガを外した。憲次はその時、何も考えてはいなかった。ただ、受け入れがたい現実に感情が爆発していた。

憲次は突進するように拳を突き出す。それは銀髪の男の頬に向かって放たれた。

「無礼な」

 銀髪の男は言葉通り不愉快そうな顔をすると、涼香の時と同じ様に今度は縦にその腕を振るった。シュパンとさっきよりも幾分鋭い音が鳴る。

 一方、憲次が伸ばした右拳は、銀髪の男に届くことは無かった……その拳は……というよりは腕が、憲次から離れ宙を舞っていた。一瞬何が起きたのか憲次は理解出来なかった。しかし、肩から無くなった腕と、一瞬の後噴き出した血によって、自分の腕が切られたのだと分かった。

「あああああああああああああ!」

 熱い。ただ腕に熱を感じた。そして、それと同時に急激に意識が遠のいて行くのを感じる。

 しかし、憲次は銀髪の男に迫った。右腕が無くてもまだ左腕がある。いや、そんな事も考えていなかったのかもしれない。ただ行き場の無い思いだけが、憲次を動かした。

「腕を切られてなお闘志が衰えないとは、無力だが戦士の心を持っている」

 銀髪の男は関心した様に頷くと、滑らかな動きで憲次の左拳をするりと避け、そのまま、憲次の左足を根元から手で払った。すると日本刀よりも切れ味良く、憲次の足が切断される。憲次は走っていた勢いをそのままに、地面に滑り込む様に倒れ込んだ。再び吹き出る血。憲次は鬼の形相で起き上がろうとするが体のバランスが取れず、ただ地面でもがいただけだった。

「我に拳を振るった気概は認めるが、我の質問に答えなかった罪は重い。出来る限り苦しんでから死ぬが良い」

 涼香の首を刎ね、憲次の右腕と左足を切断した銀髪の男は、憲次を一瞥すると、そのまま森に向かって歩き出した。死に行く者には興味が無いと言わんばかりだった。

「ま、待てぇええええええええええ! お、お前は誰だ! 何なんだぁ!」

 憲次は夢中で叫んだ。このままこの男を行かせてはならない。行かせてなるものかと鬼の形相で睨みつける。

「我の名は銀聖ぎんせい。人間と天道の者に復讐する為、地獄から舞い戻った」

 銀聖は憲次を見る事無くスラスラと答えた。そして、最後にこう付け加えた。

「この名は我に無謀な勇気を見せた貴様への褒美だ。地獄に持って行くが良い」

 銀聖は再び腕を振るった。するとまるで、風が銀聖を包み込むようにその体を浮き上がらせる。銀聖はそのまま飛行するようにしてその場から消えた。

「はぁ……はぁ……銀聖ぃいいいいいいいいいいいいいいいいいい!」

 憲次は叫びを上げる。目からは涙が溢れ、悔しさと悲しさに彩られた顔は最早人では無く鬼の様だった。身を焦がす様な憎悪の中、憲次は涼香の姿を探す。自らが死ぬ前に一目でもいいから会いたいと心が勝手に思ったのかも知れない。憲次は自分が今どんな状態かも分からないほど朦朧とした意識の中、這うようにして涼香に近づいていく。

「はぁ……はぁ……涼香……」

 目の前は血の為か真っ赤に染まっていた。意識も霞が掛かったようだ。今、自分がちゃんと進んでいるかもわからない。泳ぐように血の道を描きながら、憲次は近づいていく。そうやってやっとの事で憲次は涼香にたどり着いた。可愛らしかった顔が無い首なしの死体。憲次はその体を左腕で強く抱き寄せる。抱き寄せた涼香は冷たかった。いつも自分が感じていた温もりがもう無い。憲次は目を閉じた。するとその瞳から涙が零れる。どうして、自分達はこんなにも理不尽な目にあっているのか。あれは何なんだ。今も夢であって欲しい。憎い。悲しい。訳が分からない。様々な感情と思考が憲次を翻弄する。そんな思考も、流れて行く血液と共に流れて行く。実感できる。しかし、憲次は想う。嫌だと。こんな形で終わるのは嫌だと。

「くそおおおおおおおおおおおおおおお! くそおおおおおおおおおおおおお!」

 地面に顔を擦り着けながらも叫んだ。誰に対する叫びか、銀聖にか、それとも涼香を殺されたのに何も出来ない自分か、それとも……両方か。憲次の断末魔が山彦となり、山中に響いた。憲次の目は見開き。何かを睨みつける様に、血を流していた。

「はぁ…はぁ……畜生。涼香、涼香、涼香……」

 目は開いているのに急激に目の前が暗くなっていく。死。死が憲次の目の前に有った。

 やがて完全に憲次の目の前が真っ黒になり、意識がぶつりと切れようとした時だった。

「懐かしい力を感じてここまで来たが……そうか……封印が解けたんじゃな……また、争いの螺旋が始まるのか……」

 幼い少女の声が憲次の意識に入って来た。憲次は自分がおかしくなっているのかと思った。

「誰か……誰か居るのか?」

 最早見えなくなった視界で周囲を探す。まだ終われないという思いだけが希望の光を求めていた。

「ん? お主そんな状態になってもまだ生きていたのか、凄まじい生命力じゃな」

 少女はその声に似合わない物騒な事を口にした。だが、憲次は必死だった為、そんなことも気にせず自分の願いを口にする。

「頼む。聞いてくれ。俺達は……涼香は銀聖って奴に殺された。頼む。君が幻じゃないなら、誰かに銀聖という銀髪の男の事を伝えてくれ……誰か……奴を殺してくれ……」

 掠れ擦れ紡がれた言葉に、少女が息を呑んだ……様に憲次は感じた。

「やはり……銀聖か……お主は銀聖にやられたのか」

 何故か悲しそうな声で少女は呟いた。憲次はうわ言の様に銀聖を殺してくれと頼んでいた。

「おい、人間――」

 その時だった。初めて真っ直ぐ、少女が憲次に向かって声を発した。鈴の音の様なその声が、憲次の脳裏にすっと入ってくる。

「生きたいか? 生きて復讐したいか?」

 その言葉に、憲次はブルブルと震える手を天に向かってかざした。

「……生きたい……生きたい」

 うわごとの様に呟いて、憲次は意識を失った。手は天にかざしたまま硬直していた。

「ふむ……ならば生きてみるがいいさ。しかし、それが本当に幸福かは分からんがの。ふふ、それを言うのも野暮か」

 そんな少女の声を、憲次が聞くことは無かった――。

「お兄ちゃん……お兄ちゃん、起きて……」

 優しい声が憲次の耳を通り過ぎて行く。いつもの声人の心を穏やかにさせる様なそんな声。

 それは憲次が聞き馴染んだ声だった。妹の涼香の声。憲次はその声に答える様に目を開けた。いつもの笑顔が見たかったから――。

「……どこだ、ここは」

 憲次は今、布団の中に居た。ふかふかとは言いがたいが、普通の布団。自分は死んだのでは無かったのか? それともあれは全て夢だったのだろうか?

 憲次は周りを見渡した。すると目に入ったのは、昔話に出てくる様な部屋だった。六畳ほどの広さの部屋で、壁は木の板で出来ている。田舎の家と行った所だろうか? コンクリートという様な物は一切使われておらず、ただ、寝ている隣で、ぱちぱちと火を放つ囲炉裏があった。

 憲次は右腕を見た。右腕は包帯で巻かれていて治療の痕跡がある。試しに右腕に力を籠める。

「っう!」

 激痛が右腕に走った。しかし、それに憲次は驚く。右腕は確かに切られたのだ。その腕が、今、確かにここにある。ということは、今までのは全部夢だったのだ。自分は恐らくどこかで、怪我をして、そしてその時に悪夢を見ていたのだ。

「……涼香!」

 そう思うと衝動的に妹の涼香に会いたくなった。憲次はその勢いのまま立ち上がろうとする。

しかしそれは左足に稲妻の様に走る激痛によって失敗する。憲次はそのまま板敷きに顔からダイブした。大きな音が鳴り響き、憲次が打った鼻を押さえ立ち上がろうとした時だった。

「やれやれ、本当にやかましいの~。お主は」

 そんな何処か聞き覚えのある幼い声と共にガラガラと玄関が開かれる。現れたのは白髪の少女だった。真っ白い雪の様な長い髪に赤い瞳をした少女。その身には美しい着物を纏っている

 まるで御伽噺から出てきたような、周りが輝いている様に見えるほど、美しい少女だった。

 その少女は草履を脱いで、床に這いつくばった憲次の目の前まで大股で歩いてくる。その度に、着物から細く白い足が覗く。それに憲次は顔を赤くして下を向いた。それと同時に、こんな幼い子に対して、そんな態度を取った自分を恥じる。そんな憲次の心情などには全く気付かず少女はどかっと憲次の目の前に胡坐をかいて座った。丁度憲次の目の前に少女の股がある。

「全く対した生命力じゃよ。普通の奴なら死んでるが……執念かの~」

 妙に年寄り臭い動作と口調で、少女は憲次を覗き込む。少女の赤い瞳に憲次は引き込まれそうになるのを感じた。

「君は誰だ? 君が俺を運んでくれたのか?」

「わしか? わしの名は秋姫あきひめ。お主の言う通り、わしがここまで運んでやった。感謝せい」

「そうか、ありがとう……ところでここは何処だ? 君の家か? 他に人は居ないのかい?」

「ええい! 一度に聞くな! やかましい!」

 秋姫が鬱陶しそうにシッシと腕を振る。憲次がその態度に若干顔を歪ませると、それを見た秋姫は面倒臭そうに、顎に手をやって話し出した。

「ここはわしの家じゃ、そしてここに住んでるのはわしだけじゃ」

「え? 嘘だろ? 子供が一人で?」

 ここがどこだかは知らないが、こんな幼い子が一人で住んでいることなど有りえるのかと、憲次は考える。しかし、そう言った瞬間、秋姫の顔が真っ赤に染まった。

「ええい! 子供扱いするでない! お主よりよっぽど長い時間を生きておるわ!」

「ご、ごめん」

 有り得ないほどの切れっぷりを見せられ、若干引いてしまう憲次。秋姫が何を言っているのか良く理解出来ず。呆けた間抜けな顔をしてしまう。

そんな憲次の様子を見て、秋姫は不機嫌に頬を膨らませそっぽを向いた。

「ここは久遠の峪じゃ。お主を拾っての命が危なかったから特別に連れて来てやったのだ」

「久遠の峪……」

 可笑しい……と憲次はそう思考する。確か自分達は火釜山に居たはずだと、自分達はそこに遊びに来てそして……。

 その時、憲次は何かを思い出した様にはっと顔をあげると秋姫の肩をがしっと掴んだ。

「そうだ! 涼香を、妹を知らないか? 俺と一緒に居たはずなんだ!」

「ええ~い! 止さぬか! 気安く触るでない!」

 肩を掴まれた秋姫は苛立った様に憲次の腕を振り払うとその小さな手を憲次の胸に当てる。

 秋姫は座ったまま、憲次を前に押した。すると憲次の体が宙に浮く。いや正確には秋姫の肩を掴んだ状態から、壁まで吹き飛んだ。憲次が壁に激突すると。部屋が地震が起きた様に揺れ、天上からぱらぱらとホコリが降ってくる。憲次の体に突き抜けるような衝撃が走った。

「げほ! げほ! げほ!」

 咳き込みながら何が起こったのかと憲次は思う。小さい体からは想像がつかない様な力を秋姫から感じた。それは最早、人間の常識を超えていた。

「き、君は一体……」

 驚愕の表情で秋姫を見上げる憲次。そんな視線を受け、秋姫は腰に手を当てて息を吐く。

「別に、わしが何者であってもよかろう。それより……お主の妹の事じゃな……」

「そ、そうだ。今どこに居るんだ? 君が一緒に運んでくれたのか?」

 憲次が勢い込んで聞くと、秋姫の顔が若干曇る。何か言いづらい事を言う時の様なそんな表情。その顔を見て、憲次の背中にざわざわと言い様の無い寒気が走る。

「お、おい。どうしたんだよ? い、居るんだろう? 近くにさぁ……」

 今にも泣きそうな顔で憲次が秋姫に近づいていくと、秋姫は静かに目を閉じた。

「……説明しても無駄じゃな。ついて来い。妹がどうなったか、教えてやろう」

 そういって秋姫は、すすっと部屋の障子を開けると、そこに入って行く。

 憲次は強烈な不安を抱えながらも、秋姫の後を追い、その部屋に入る。

 入った部屋は隣の部屋に比べて異常に寒かった。まるでクーラーをガンガンに効かせた様な冷気。更にその部屋は真っ暗だった。一メートル先も見えないまるで光を拒絶している空間。

 秋姫は空中に向かってパチンと指を鳴らした。すると、さっきまで暗かった部屋が、ぼんやりと暖かく照らされ、部屋全体が見渡せる様になる。

「あれを見てみろ」

 秋姫はそう言って、部屋の中央にある布団を指差した。そこには、誰か人が眠っていた。

「……う、嘘だろ?」

 それを見て、憲次の口から震えた声が漏れる。憲次はふらふらとその布団に近づいて行く。

 布団に眠っていたのは少女だった。しかし、その少女には致命的に欠けている物があった。

 それは……首だ。首から上が無い。布団に寝かされていた少女の首から上が無いのだ。綺麗に切断された肉の断片。それが妙な生々しさを持っている。

「これがお前の言う一緒に居た女じゃ、わしが来た時にはお前の横でこうして倒れておった」

 秋姫の声は憲次の耳には届いていなかった。憲次は布団に詰め寄ると強く死体を抱きしめる。

「う、嘘だよな? なにかの間違いだろ? 涼香が死ぬわけ無い。涼香が死ぬわけ無い」

「残念じゃが現実じゃ」

「うるさい! こんなの……こんなのって有るかよ! あんなわけの分かんないもんに殺されるって、そんなの有るかよ! それに夢で食われた俺の腕も足も何ともない。嘘なんだろう? なあ、嘘なんだろ!」

 涼香を抱きしめながら秋姫に怒鳴る。その目からは大量の涙がこぼれていた。

「お前の妹は殺されたんじゃ、そして、わしが死に掛けていたお前を助けた。その時、失った腕と足も治してやったのじゃ」 

「そんなわけあるか! 無くなった腕と足が戻るわけねえだろう!」

 包帯でグルグル巻きにされた右腕を前に突き出して憲次は叫ぶ。

「では、その包帯を解くがいい。そうすれば、今までの事が夢で無いことがわかるじゃろう」

 秋姫が冷たく言い放つ。憲次は静かに涼香を布団に寝かせると、荒々しく、指先まで固く結ばれた包帯を引き剥がす。包帯を剥がした下に確かに腕はあった。しかし、それは憲次が想像していた。白い自分の腕ではなかった。

 現れた腕は腐った様などす黒い緑色で所々が醜くただれ、猛禽類の様に尖った爪があった。

「うわあああああああああああああ!」

 自分から遠ざける様に体を引く憲次。

「ほれ、これで分かったじゃろう。お主が遭った事は、夢では無い。現実じゃ」

 現実と言われても憲次は全く理解出来なかった。憲次の生きていた現実ではこんな事は絶対に起こりえないのだ。それが今、現実の物として起きている。まるで薄氷の上に立っている様な、踏み出せばそのまま崩れてしまいそうな危うさを感じる。

 憲次はそこで慌てた様に、自分の左足の包帯を外す。すると、左足も右腕と同じ様に、醜い異形の形をしていた。

「どうなってんだ……一体」

 心で無く。体で理解した。これが現実であると、そして、妹の涼香は……死んでしまったと。

 床に手をついてうな垂れた。その床にぽつぽつと涙が落ちる。

「泣くか小僧。しかし、泣いても現実は変わらん」

 秋姫は憲次の隣まで歩くと、憲次を見下ろす。

「なあ、これは一体何なんだ? 俺の体はどうなってしまったんだ?」

「その腕と足は、ぬえ人。お主の妹を殺し、お主の腕と足を切断した者の仲間の物じゃ。あのままにしとったらお主は死んでいたからの。その代わりとなる物が必要じゃった。まあ、普通の人間は拒絶反応を起こして死んでしまうんじゃがな。生への執念か、憎しみか。お主はこうして生きておる。わしに取っても始めての経験じゃ」

 秋姫が優しく異形の腕を撫でる。そのくすぐったい感覚が自分の腕の様に伝わってくる。

「ぬえ人?」

「ああ、古の民。最初の人。それがぬえ人じゃ。まあ、お主の敵じゃな」

「敵……涼香を殺した……」

 憲次が異形の拳を強く握り締めた。それに呼応する様に、ビクン! ビクン! と腕が律動する。強く噛締めた憲次の口から、一筋血が流れた。それを悲しい瞳で秋姫が眺める。

「……秋姫さんでいいんだよな?」

「うん? 何じゃ?」

「涼香も俺と同じ様に助けてくれ。秋姫さんなら可能なんじゃないか?」

「ふふ、それは無理じゃよ。完全に死んでいる者を生き返らすことなど。それに、この死体にぬえ人の頭を付けた所で、良くてお主の妹の体を持ったぬえ人が出来るだけじゃ、まあ、ぬえ人の体を持ったお主も似たような存在じゃがの」

「そうか……」

 憲次は静かにそう呟くと、すっと立ち上がった。足には激痛が走っているはずだが、そんな事をおくびにも出さず。ただ、スタスタと歩いて部屋を出る。

「おいおいおい! 急にどこに行くんじゃお主! ちょっと待て! おい!」

 秋姫は慌ててその後を追いかけた。突然の憲次の奇行は、秋姫にとっても全く予想だにしない物だった。しかし、秋姫の静止も耳に入らないかの様に、憲次はガラガラと玄関を開けるとそのまま家を出て行こうとする。

「ちょっと待てと言っておろう! わしを無視するで無いわ!」

 口で言っても分からないと悟った秋姫は憲次の腕を掴んだ。その力は一流のプロレスラーも目じゃないほどの力で、普段の憲次なら腕を引かれ体ごと浮いてしまうほどの力。

「なにぃ!」

 しかし、声をあげたのは秋姫の方だった。憲次は右腕に抱きついた秋姫を引きづったまま歩き続ける。

「ちょ、ちょっとまて小僧! ……ちぃ。なんて力じゃ! こんなに早く人間が適応するなど有り得るのか!」

 秋姫は唾が飛ぶほど大きな声で怒鳴る。それほど今の憲次の力は既に人間の物とは言えない物だった。憲次はそのまま秋姫を引きずったまま家を出るとそこで立ち止まった。

「うぉおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

 憲次は家の前の崖で立ち止まると獣の様に意味の成さない叫びを上げた。体を限界までそり返し。ただただ激情のままに雄叫びを上げた。その声は衝撃派となり森を揺らした。まるで地震の様だった。木々からは憲次の殺気に怯えた様に鳥達が羽ばたいた。そんな憲次を秋姫は呆然と眺めていた。当の本人である憲次は血走った目を大きく見開いていた。

「殺してやるぞ! 銀聖! 八つ裂きにしてやる!」 

 その激情のまま憲次は、駆け出そうとした。考えなど何も無い。ただ復讐の為に駆け出そうとする一匹の狼がそこにはいた。

 憲次は足に地面がめり込むほど強く踏み込み。崖を一気に飛翔しようとする。常人なら命は無いであろうその行為。だが憲次は己がそれを出来ると確信していた。そして、それは現在の憲次には成せる事だった。

しかし…………その足は動かなかった。否、金縛りにあった様に動かなくなった。その動かなくなった体に、廻り込むようにして首に回された腕。

そしてその唇に覆いかぶさる柔らかな唇……秋姫が抱きつく様にして憲次にキスしていた。

 憲次はその唇を引き離そうとする。しかし、体は甘く痺れたように動かない。苦痛というよりも強烈な快楽で、そのまま眠ってしまいたくなるような陶酔感があった。

 憲次はぶるぶると左腕を震わせながら伸ばした。そして、トンと小さく秋姫の肩を押したが、そこまでが限界だった。そのまま、眠る様にして憲次は意識を失った。

「……ふぅ。あの状態でなお動けるとは……凄い精神力……いや執念じゃな」

 秋姫は唇を離すと、そのまま憲次の事を両腕で抱きかかえた。体の小さい秋姫が軽々と憲次を抱える様はどこかシュールだ。

「犬死するには惜しい男じゃ。しばらく面倒を見るか」

 秋姫は再び自らの家屋に憲次を運んでいく。その顔は新しいおもちゃを手に入れた子供の様だった――。

『警察は過激派団体の活動として捜査を続けています』

 テレビの音が聞こえてきて憲次は布団から跳ね起きる様に目を覚ました。

「おう? 起きたか?」

寝転がりながらテレビを見ていた秋姫は憲次が起きたのに気付くと首だけで振り返る。そんな緊張感の無い秋姫に対し、自らを昏倒させた相手である秋姫を憲次は無言で睨みつけた。それに秋姫はにんまりと子供をあやす様に笑う。

「ふふふ、まあそんなに睨みなさんな。ほれ、これを見てみい」

 秋姫はテレビを指差した。そこにはまるで、爆弾が落とされたかの様な悲惨な現場が映し出されていた。場所は恐らく。都会の中心部で血みどろの死体が山の様に積まれていた。ちょっと前までの憲次だったら、これを単なる事故だとか、その程度の認識で終わらせていただろう。しかし……今は違う。

「この殺し方……銀聖!」

「ほう、既に分かるか……関心関心」

「銀聖……奴は一体何なんだ。どうやったらこんな事が出来る? ぬえ人とは何だ?」

「さっきも言ったが、ぬえ人とは古き民。まあ人間が言う所の化け物とか妖怪と呼ばれる類の物じゃな。まあ実際の所は大分違うが……まあ、何にせよ。かつて封印されていた者達じゃ」

「封印されていた?」

「うむ。まあこの辺りを話すと長くなるが、その昔、お前を襲ったぬえ人と天から舞い降りた神々とで争いがあったのだ。神々は己を天道の民と名乗り、異様な術を用いて、ぬえ人と戦った。戦いは長期に渡り激化したが、やがて、人間を味方につけた天道の民が勝利を収め、三つの神柱かみばしらを用いて天台宮の門を開き、ぬえ人達を異界に封印した。こうして地上には平和が訪れ天道の民はそのまま協力してくれた人間と暮らし。交わり現在に至ると言う訳じゃ。だがそれでめでたしと言うわけでは無かった。天台宮の門には欠陥があったからの」

「欠陥……」

「そうじゃ。元々、異界を開く術というのは莫大なエネルギーを使う。このエネルギーは天道の民の力を持ってしても用意出来ない代物じゃった。じゃから、天道の民は異界を開く術に一工夫加える事にしたのじゃ。その工夫とは、莫大なエネルギー体を封印の柱に閉じ込め、そのエネルギーを用いて異界を開こうとしたのじゃ……ここまで理解しておるか?」

「分からないが……続けろ」

「うむ……まあ、分かり易く言うと、神柱にぬえ人を封じ込め、その力を利用して、他のぬえ人を異界に封印しようとしたのだ。その術を称して、『天台宮の門』。そしてその神柱に封印されたぬえ人三体は、ぬえ人の中でも別格の三人。ぬえ人最強の三人じゃ」

 つまり神柱に封印されているのがぬえ人達の親玉かと憲次は理解する。

「そしてその神柱の一つに封印されていたのが、お主の妹を殺した張本人――銀聖じゃ」

 秋姫が口にした単語を聞き、憲次が眼を剥いた。銀聖の名に呼応する様に、憲次の右腕がドクン、ドクンと右腕だけ生きているかの様に反応した。

「そして、その強すぎる三人が天台宮の門の欠陥じゃった。天台宮の門は確かに、その三人の力を利用する事で成功した。じゃが、その力が余りに強大だった為、力の吸収が間に合わず、本来設計されていた封印の耐久度を越えてしまっていたのじゃ。封印は確かに成功した、じゃが、僅かながら封印は崩れ続け。そして今日、火釜山に眠っていた神柱は完全に壊れたわけじゃな。お主らはその最初の犠牲者と言うわけじゃ」

 お茶をずずど啜る秋姫。憲次はやるせない思いを握り潰すかの様に拳を握り締めた。

「銀聖は神柱に封印されている者の中でも最強じゃ。そして最も頭が切れる。更に言うならば、奴は術にも精通しておる。お主の妹を殺した技も、本来ならば天道の民が使用していた術じゃが、自分なりに改良して、数倍の威力の技にしておるのじゃ」

「そうか……ぬえ人って言うのは全部そんな術を使えるのか?」

「いや、天道の術を使えるのは銀聖だけじゃ。だが、ぬえ人は本来、人間には遠く及ばない力と、特異な性質を持っておる。人間の特性が進化ならば、ぬえ人の特性は多様性じゃ。多様性によってこれまで環境に対応して来たからの」

 秋姫は憲次の腕を指差して続ける。

「お主の異形の体。それもかつて天道の民とぬえ人が闘った時に、ぬえ人が失った体の一部じゃ。多様な種を受け入れるぬえ人だからこそ、お主の体にも適応したのじゃ」

 憲次は腕を見る。そこは再び包帯でぐるぐる巻きにされていた。

「それはぬえ人の体を安定させる役割をしておる。無闇に取るではないぞ」

 赤くびっしりと文字が書かれた包帯。それはまるで耳なし芳一の様であった。憲次はそれを見て、自分に涼香を殺した者達の一部がついている事に不快感を覚えた。

「それで……お主はこれからどうするつもりじゃ?」

「……銀聖を殺しに行く」

「復讐か? 復讐は何も生まんと、この前ドラマで言ってたがの~」

 静かな殺意を瞳に込めて、迷い無くそう言った憲次をからかう様に秋姫が笑う。

「関係ない。銀聖は涼香を殺した。俺の手でぶっ殺さなきゃ、気がすまない」

 憲次は立ち上がった。もう話す事は無いと言わんばかりに。

「……お主このままじゃ死ぬな……ぬえ人は強い。お主の様な普通の人間じゃまず勝てんよ。お主は負ける。そして無様に喰われるだろう。妹の敵を討つことも出来ずに。言っておくがの銀聖に負けると言ってるわけじゃないぞ? 銀聖に辿り着く前に確実に雑魚に殺される。お主の今の実力はその程度じゃ」

 くくくと、皮肉っぽい顔をして笑う秋姫。憲次は怒りの篭った目で秋姫を見た。

「うるさい。俺はそれでも奴らとやる。このまま黙って、蹲ってろとでも言いたいのか? 俺は殺されたって構わない!」

「まあまあ、そう熱くなるな。このままじゃお主は犬死じゃ。じゃからな。わしがお主を手伝ってやる。そうすれば、お主の復讐もちょっとは成功するかも知れんぞ」

 にやにやと笑う秋姫の唐突な提案。憲次はそれに俯いて考える。

「いらねえよ……」

 だが出した答えは否定だった。その答えに秋姫は意外そうな顔をする。

「これは……俺の復讐だ。誰かの手を借りようなんて思わない」

「ふう、頑固な……」

 そう言うと秋姫はすたすたと歩き憲次の腹部に手を置いた。そしてその手に少しだけ力を込める。それだけの行動だったのに、その瞬間憲次の内部で何かが爆発した様な衝撃が生まれた。

憲次はその場に蹲って嘔吐する。目からは涙がこぼれた。

「ほれ、お主の実力はこの程度じゃ。この程度で復讐? 何をじゃ? そんな力で何が出来ると言うのじゃ? お主が今出来る事は便所に落書きするぐらいじゃないかの~」

 ふふんと小馬鹿にした様に笑う。憲次は体を震わせながらも、秋姫を睨みつける。その瞳には、屈服の色は無く。ただただ、自分の不甲斐無さに怒っている様だった。

「悔しいか? ……ならばここで少し鍛えていけ。わしがお前に復讐の力をやろう。それがどうしても嫌なら行くがいい、もう止めんよ。自殺して来い」

 憲次は震える体で地面に手を着くと、言う事を聞かない体を強引に持ち上げる。そして、自分より二回りも小さい秋姫を見下ろした。

「どうじゃ? 今出て行くか、それとも……ここに残るか」

「…………残る」

 静かで短い言葉。こうして、憲次の復讐の為の日々が始まった。


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