9. 小さな小さな一歩
本当に、渡してもいいのだろうか。死人に口無し。祖父の気持ちなんて、確かめられやしないのに。
志津子おばちゃんの家のチャイムを押すまで、ずっとその不安が頭を巡っていた。
江藤さんの駅で別れるまでは、迷いなんてなかったはずなのに、1人になった途端この体たらくとは、我ながら情けない。
「あら、かなちゃん。どうしたの。珍しいわね」
「こんにちは。急にごめんね。ちょっと電車で出かけたから、足をのばしてみたんだ」
実際、(お宝)を探しに行ったあの駅からここまでは数駅しか離れていない。
(お宝)を掘り出したその足で、勢いに任せて電車に乗ってきたというわけである。
志津子おばちゃんは不審がる様子もなく、あっさりと僕を家に上げてくれた。
「丁度良かったわ。頂き物の饅頭があるの。多すぎて困ってたから持って行って」
「あ、あぁありがとう・・・」
お茶を淹れに立った志津子おばちゃんの背中を追いつつ、鞄の中へと手を伸ばす。
「かなちゃん?どうかした?」
「あのね・・・これ、なんだけど」
ここまできて、言い淀んでいても仕方がない。
僕は覚悟を決めて袋に入れたままのそれを机の上に置いた。
袋の口から、中の古びた缶がのぞく。
「!これ・・・」
志津子おばちゃんは一瞬目を細めて、すぐに大きく目を見開いた。
「どうして、かなちゃんがコレを・・・?」
「実は、おじいちゃんの亡くなる少し前に、話を聞いたことがあったんだ。この前おばちゃんの話をきいて思い出してね」
促すように、ゆっくりと袋を押し出す。
志津子おばちゃんは熱にでもうかされたように覚束ない様子ながら缶を手に取った。
「兄貴ったら、どうして・・・」
「・・・おばちゃんの(宝物)だけが、悪がきに壊されちゃったんだって。一緒に入ってた手紙も破かれた。だから、言えなくておじいちゃんは場所を変えて埋めなおしたんだよ」
(記憶)からは、祖父の気持ちは分からない。それを伝えるのは、この中にある(お宝)の役目だ。僕にできるのは、(記憶)で見たままを伝えることだけ。
「そう・・・ありがとう、かなちゃん」
大きな缶を開けると、1回り小さな缶が収まっていた。さびの抵抗を受けつつ、ゆっくりと開く。
「あぁ、この本。兄貴のお気に入りだったねぇ・・・たまに読み聞かせてくれたものだよ」
懐かしそうに、愛おしそうに本をめくっていた手は、中央の辺りでピタリと止まった。
「これ・・・私が生まれたときの?」
かなり色あせているけれど、本に挟んでいたからか志津子おばちゃんの手にある写真はピンと伸びていた。
白黒の写真には、4人家族が少しおめかしをして写っている。女の人と手をつないだ、2歳くらいの男の子。そして、男の人に抱かれて気持ちよさそうに眠っている赤ん坊。
「・・・これが、兄貴の宝物だったんだねぇ」
志津子おばちゃんの声に、涙が滲む。
「喧嘩ばっかりしてたのに・・・さみしいもんだねぇ」
そう呟きながら、志津子おばちゃんはそっと写真を撫でた。
「ごめんねぇ、兄貴・・・こんな妹で。」
素直になれなくて、ごめんねぇ。
震える声で志津子おばちゃんが祖父に語りかけながら涙を流すのを、僕はただ黙って向かいから見つめていた。
月曜日の学校への道は、いつもより長く感じる。席について小さく息をつくなり、彼女が近付いてきた。
「おはよーっ、若」
慣れないあだ名を、僕に向けて。
「おはよう・・・なっちゃん」
僕がぎこちなくあだ名を返すと、江藤さん、改めなっちゃんは朝日に負けない笑顔を見せた。後から、神谷さんが信じられないものを見るような目でこちらを見ている。
あの後、何か案内のお礼をしたいという僕に彼女は
「せっかくだし、あだ名で呼んで欲しいかな。あたしもあだ名で呼びたいし」
ととても良い笑顔でのたまったのだった。
「あ、あだ名?」
「うん。あたしは(若)って呼ぶから、そっちもあだ名で呼んでよ。折角、今日こうやってお近づきになれたんだしさ」
「えー・・・じゃぁ、(なっちゃん)とか・・・?」
忠くらいしか名前で呼ばないし、それだって忠平が呼びにくいからだ。
必死で絞り出した割にひねりのないあだ名でも満足してくれたのか、彼女は満足そうにうなずいてくれた。
まだ始まったばかりの高校最後の1年だけど、この人と同じクラスでよかったかもしれない。そう思った。