52.痛いの痛いの飛んで行け
覚悟を決めて、教室のドアを開ける。
「あ、若!おはよう!」
「お、おはよう・・・」
僕は昨日幻でも見たのだろうか。そう思う位、朝日を浴びるなっちゃんはさっぱりとした表情で僕を出迎えた。
「あのね、ちょっと話したいことがあるんだけど。いいかな?」
「!う、うん勿論・・・」
事情を知る神谷さんの、応援と好奇の混ざった視線が痛い。なっちゃんの勢いにのまれた僕は、大人しく彼女の後に続いた。
「えっと・・・なっちゃん、昨日は・・・」
「若。昨日は本っ当にゴメン!」
「え・・・」
人が来ない外付けの非常階段。なっちゃんは勢いのまま先手を打ってきた。
「若は何も知らないし、応援してくれたのに・・・ただの八つ当たりみたいなもんなの、あれ。だから、ごめんなさい」
謝らなきゃ。そう覚悟を決めてきたのに、先に謝るなんてなっちゃんはずるい。それが誠意に見せかけた逃げであることを、僕は知っている。
「僕の方こそ。無神経に色々聞いてごめん」
「ううん、別に・・・」
「あの後、神谷さんに会いに行ったんだ」
「?千歳に?」
「なっちゃんが悩んでる理由に、心当たりがないか相談してたんだ。少しでもなっちゃんのことが知りたかったから」
話を終わらせられると思ったのだろう。なっちゃんは気まずそうに唇を噛んだ。
「千歳、何か言ってた?」
「お兄さんのことを教えてくれたよ。(優秀なお兄さんがいるからプレッシャー感じてるんじゃないか)って」
僕の方が隠し事をしていても始まらない。僕は素直に手の内を明かした。なっちゃんの勢いが、少しずつ消えていく。
「そっか・・・千歳、気付いてたんだ」
なっちゃんは大きく息を吐いて、観念したように階段に腰を下ろした。
「別に、春君は悪くないよ。あたしが勝手に悩んでるだけ。春君はあんなに優秀なのにあたしは、って思っちゃう」
周囲からの悪気のない期待。言葉から、重さが伝わってくるようだ。
「志望校も、もっと上を目指した方がいいのかなっていつまでも踏ん切りがつかないの」
「なっちゃんが行きたいところに行くのが一番だよ」
「そんなこと、分かってるよ!」
怒鳴った拍子に、ようやく目があった。息苦しそうに瞳が揺れる。
「ごめん・・・また八つ当たり。あたし、なにやってんだろ・・・」
なっちゃんは、閉じこもるように顔を膝の間にうずめた。今の自分を見られたくない。そんなメッセージが、小さな背中に大きく書いてある。
「自分で選んだ進路で、皆も応援してくれてる。後は、あたしの気持ちの問題なんだよ。・・・だから、もういいや」
顔を上げるでもなく、なっちゃんは心配かけてごめんね、とだけ言った。これ以上触れるなという、体のいい厄介払いだ。本人の言う通り、そっとしておいた方がいいのかもしれない。けれど
「・・・一つ、聞いてもいいかな」
この終わり方が、僕はどうしても気に食わなかったのだ。
「なっちゃん、本当は保育士意外にやりたいことがあるんじゃないかな」
「!違っ、そんな、こと・・・」
嘘ではなく、なっちゃんは本気でそう思っていたんだろう。自分に言い聞かせ、思い込もうとしていた。
少しでも彼女を理解できるように、僕は少ししゃがんでその眼を覗き込んだ。
「なっちゃん、昨日(若もそんなこと言うんだね)って言ってたから。何が気に障ったのか、考えてみたんだ」
「・・・あれは、ただの八つ当たりだよ」
「そうかな。わざわざ(若も)なんて言うくらい、他の人にも言われてきたんじゃない?それなのに、そんなに悩んでる。似合ってるって言葉が嫌なのは、本当は別にやりたいことがあるからじゃないかなって」
肯定も否定も無い。駆け引きの沈黙が流れた。真っ黒な瞳を、緊張、警戒、戸惑いが塗りつぶしている。
「・・・別に、僕に言わなくてもいいよ。でも、なっちゃんは僕の(秘密)を訊いてくれた。僕に、人に話すことでどれだけ楽になるか教えてくれたから・・・僕も、話を訊けたらなって思っただけなんだ」
追い詰めたかったわけじゃない。今まで何度も助けてくれた彼女に、少しでも返せたらなんて。とんだ思い上がりだ。
「・・・が、いい」
「え?」
「若が、いい。話・・・・聞いてくれる?」
正直、力になれる自信なんてない。それでも、嬉しかった。助けてもらってばかりだった彼女に、手を貸すチャンスが与えられたことが。
「勿論。何でも話して」
僕が頷くと、なっちゃんは手で隣を示した。促されるままに、腰を下ろす。
「幼稚園からずっと一緒の、親友がいたんだけどね」
スイッチが入ったように、なっちゃんの口からは決壊した言葉が溢れだした。
「その子がね、小学校の時に病気で亡くなって・・・あの時は、しばらく引きずって親にも春君にも心配かけたなぁ」
淡々と語られた事実は、予想外に僕を抉っていった。
「ごめんね、こんな重い話で」
「いや・・・そ、れは・・・」
こんな時、どんな顔をすればいいんだろう。なんて声をかければいいんだろう。分からないし、分かるはずもない。分かっていたら、あの時もっと上手くやれたはずなのだから。気の利いた言葉一つ出てこない自分が嫌になる。
「もー、若がなんでそんな顔してんの」
気を遣って力なく笑うなっちゃんに、僕は小さくごめん、と返した。
「それで、あたしね・・・お見舞いに行った時に見た看護師さんたちに憧れたの。あたし達に優しくしてくれたの、今でもよく覚えてる」
本当の夢を語るなっちゃんの目は、さっきとは比べ物にならない程澄んでいた。僕にはないその熱が、眩しくてうらやましい。
「何回か、家族に話したこともあるよ。でも、反対された。(半端な覚悟でできる仕事じゃない)、(あの子のこと思い出して辛いだけだよ)って。あたしのこと心配しての言葉だから、何も言えなくてさ」
「・・・きれいに忘れるなんて、難しいのにね」
僕の脳に刻まれたたくさんの記憶のように、誰だって忘れられない、忘れたくない記憶がある。大切な存在なら尚更、一生消えることはないだろう。どんな生き方をしていても、ふとした時にちらつくのだ。
「あたしは、忘れたくない。その位、覚悟して言ったよ。でも、ダメだって。いつまでも引きずるなとか、あの子のせいで美化されてるだけだって」
我慢できず流れた涙は、一滴毎になっちゃんの熱を奪っていくようだった。希望が削れていく。止めないと。僕のように、心が枯れてしまう前に。
「・・・なっちゃんは、僕に工学部って選択肢をくれたよね」
「?う、うん・・・」
「僕ね、嬉しかったんだ。将来に、ちょっとだけ希望が見えた気がして・・・なっちゃんの言葉で決めた僕を、軽薄だと思う?」
「思わない、けど・・・」
「同じだよ、なっちゃんも。どんなきっかけでも、なっちゃんがなりたいと思えたなら、諦められないなら、それはなっちゃんの夢だよ」
軽い気持ちなら、ちょっとしたことで吹き飛んでしまう。どれだけ苦しくても残るものこそが、本心なのだと思う。もういいや、と捨てられるならその程度のことなのだ。
「僕は応援するよ。といっても、話を聞くくらいしかできないけど・・・なっちゃんがやりたいことをやるほうが、僕は嬉しい」
無責任だとは分かっている。それでも、背中を押したかった。なっちゃんには、自由でいて欲しかったんだ。
「あと一つ。なっちゃんは保育士も似合うけど、看護師の方が似合ってると思うよ」
子供たちに慕われるいい先生になるだろう。けれど、子供に限らずお年寄りから赤ん坊まで等しく手を貸す看護師の方が、彼女らしいと思った。
なっちゃんは涙で腫れた目を丸くして、ありがとう、と笑った。
お読みいただきありがとうございました
この章はこれでおしまいです
次は夏祭りのお話になる予定です




