36.(僕)に確かに意味はあった
極力足音をたてないように階段を進む。なっちゃんの顔を見ることができず、繋いだままの手が唯一彼女がついてきていることの証拠だった。屋上へと続く扉の前で、2人同時に足を止める。
「まずは、なっちゃんに謝らなくちゃね。本当に、ごめん」
一度止めると何も言えなくなりそうで、僕は歩いていた勢いを言葉に変換して口を動かし続けた。
「僕、多分このことをずっと誰かにきいて欲しかったんだ。無意識のうちに、なっちゃんに話してしまうくらい。こんな僕の我儘でなっちゃんを悩ませてごめん。僕が、もっとしっかりしてればよかったんだ」
どんなに苦しくても、隠し通せるくらい大人だったなら。
「・・・若。何言ってるの?」
「へ・・・?」
なっちゃんはすっかり涙を引っ込めて見たことも無いくらい鋭く僕を見据えていた。
「無意識に出るくらい辛かったんでしょ!?なのに、まだ我慢するの?あたしに話して、若はちょっとでも楽にならなかった?」
ズイ、と詰め寄られて、身を引いた僕の肩が壁に当たる。一旦引いてしまった言葉を取り戻すには、少し時間がかかった。
「・・・うれし、かった。なっちゃんが、(僕)じゃないって気付いてくれて」
思い出して、真っ先に感じたことだった。楽になっただけじゃない。(僕)にこめた小さな抵抗にも意味があったのだと、嬉しかった。
「僕さ、こんな体質だから・・・人の記憶と自分の記憶が混ざっててたまに怖くなるんだ。自分が分からなくなりそうで」
自分が経験したたった数年の記憶が、膨大な記憶の中に溶けるような感覚。
「昔の男の人は、自分のこと(俺)って呼んでることが多いから・・・自分のこと(僕)って言えば、少しでも自分を保てるかなって思ってたんだ。だから、なっちゃんが(僕)じゃないって気付いてくれて、本当にうれしかったんだ。・・・ありがとう」
泣きそうなくらい嬉しくて、泣きそうなくらい安心した。僕は(僕)だ。ちゃんと、1人の人間としてここに在る。
「なら、あたしも。若は不本意だったかもしれないけど、若がちょっとでも楽になったなら、あたしも嬉しいよ」
なっちゃんは、良くも悪くも嘘を吐けない。今も、いつも通りの正直な眼で僕を見上げていた。
「って言っても、もう聞いてあげられないけどね。あたしの顔みたらまた何か(思い出し)ちゃうかもしれないし。だから、もうあたしに関わっちゃダメ」
声が震えている。なっちゃんは苦しそうに軽く唇を噛んだ。
自惚れてもいいだろうか。今の言葉が、なっちゃんの本心じゃないって信じても。
覆すなら、今だ。
「嫌だ・・・」
僕の主張は、このたった3文字に尽きた。幼稚園児でもできそうな意思表示。
「さっきね、なっちゃんと別れた後、頭の中が真っ白になった。気持ちの整理がしたくて、保健室に行ってたんだ。品川先生と話してた。先生、昨日の話全部聞いてたらしいんだ」
「!えっ・・・それって、若の秘密も、全部・・・?」
「うん。でも、そのことを僕に突き付けて白状させたりはしなかった。僕から話すまで待っててくれた。話せたのは、なっちゃんのおかげだよ」
初めて人に話すのは、とてつもない勇気がいる。あんな形でも、誰かに話したという事実は、確かに僕の背中を押した。
「改めて自分の口で言うと、すっごく楽になるね。おかげで頭の整理ができた」
だからこそ、こうしてなっちゃんと向き合うことができている。
「品川先生にこのままだとなっちゃんと話せなくなるかもしれないって言われて、想像したくもないくらい嫌だと思った。なっちゃんと話せないのは(思い出す)何倍も辛いよ。だから、お願いだから、僕から離れていかないで・・・」
こんな突飛な体質の僕は、避けられてもおかしくない。秘密を知って尚、今まで通りでいて欲しいなんてたいそれた望みかも知れない。
それでも、僕はなっちゃんの腕を離すことができなかった。
「でも・・・あたしも嫌だよ。あたしのせいでまた若が倒れたりするの」
「大丈夫だよ。同じもので何度も(思い出す)なんてことないから」
記憶は芋づる式に、一気に押し寄せる。少なくとも、なっちゃんが(りんさん)と重なることはもうないはずだ。
「本当・・・?」
僕が頷くと、なっちゃんの腕から力が抜けるのが分かった。
「よかったぁ・・・もう、大丈夫なんだ」
きっと、僕のこれに終わりはない。でも、なっちゃんの幸せな安堵の表情に、僕は一瞬だけ未来への不安を忘れられた気がした。
「心配かけてごめんね。最後まで聞いてくれてありがとう」
(僕)に気付いてくれたこと。
意識の無かった僕の問いかけに、(信じる)と答えてくれたこと。
僕は、一生忘れられないだろう。
「当たり前じゃん!これからも、いくらでも聞くよ!」
なっちゃんはこれまでの神妙な顔から一転、ドヤ顔で僕の手を握り返した。今さらながら、かなり大胆なことをしていたと気付く。恥ずかしくて手を放り出しそうな僕を抑えるようにチャイムが鳴った。残念にも思いながら、自然に手がほどける。
「あっ・・・授業終わっちゃった」
「戻ろっか。さすがに次は出たいし」
人に全てを話した高揚感か、なっちゃんを引き留めようとした緊張の反動か。
熱にうかされたように、頭がぼんやりしている。ふわふわした足取りで段を踏んでいると、不意になっちゃんが声をあげた。
「あっ、忘れてた!」
「?どうしたの?」
僕の方が数段先に降りていたから、今は少しだけなっちゃんの方が視線が高い。振り返り見上げた僕の頭に振ってきたのは、細くて綺麗な彼女の指だった。
「!?へ・・・なっちゃん・・・?」
ただでさえ色々ありすぎて頭が処理できていない。情けない反応で固まる僕に、なっちゃんは溶けるような笑顔を見せた。
「弥七さんに言われたんだ。今までよく頑張ったねってねぎらってやれって。」
「あ・・・あのとき、そんなこといってたの・・・」
僕の脳は意地悪だ。あの後何を頼んだのかだけ、キレイに抜け落ちている。
「本当に、今までよく1人で頑張ったね。若のこと、知れてよかった」
「う、ん・・・ありがと」
頭を撫でられるなんて、何年振りだろう。母の記憶を見たあの日以来、母はどこか僕に対してぎこちなくなったから、それ以来かも知れない。
緊張から完全に解放されて、暴れるのを許されたかのように僕の心臓は忙しく動いていた。人に話すなんて初めてで、まだ慣れない。人に話すのは、自分をえぐるくらい痛いことだから。それでも、この娘に話してよかった。
——楽しいことも、辛いことも、全てお前の糧になる——
先生の言葉が、ようやく少し理解できた気がした。
お読みいただきありがとうございます
これにて秘密編は一区切りです*^^
次からは新しい章が始まります
お付き合いいただけると幸いです(^^*)




