35.(僕)の話を聞いてよ
午後一番の授業中、夏奈の意識は黒板でも先生の下らない世間話でもなく、斜め後ろの空席へと向けられていた。叶が戻ってこない。
(何で戻ってこないんだろう・・・あたしが、あんなこと言ったから・・・?)
——もう関わらなくていいよ——
——じゃぁね、若松君—―
叶のために、名字で呼んで分かりやすく距離を置いた。
互いにあだ名で呼ぶようになった(あの日)の前に戻っただけ。ただ、それだけ。
(もう、あたしを見て何も思い出すことが無いように・・・これで、いいんだ)
「よっし、それじゃぁこの問題、江藤さん。分かるかな?」
「ふぁいっ!?あ、えと・・・」
突然指名され、一気に現実へと引き戻される。
「②、です・・・」
「正解。ここは間違いやすいから気を付けてね」
奇しくも古典の、それも江戸時代を舞台とした内容だ。昨日の弥七とのやり取りが頭をよぎる。彼も、こんな風に生きていたのだろうか。
叶は、そんな人々の負の記憶をどれだけ見てきたのだろう。
何度、人の傷つくところを見せ付けられてきたんだろう。
(なんであたしが泣きそうになってるんだろ・・・何もできないのに)
叶が今まで抱えてきたものの大きさに、想像しただけで押しつぶされそうになる。
自分には何もできない。それどころか、自分が叶にとっての起爆剤になりかねない。
そして、誰にも言うことができない。絶望にも似た閉塞感。
「江藤さん?顔色悪いけど大丈夫?」
顔を上げると、クラスメイトの視線は黒板から夏奈に移っていた。いつの間にか、先生の影が夏奈に届くくらい近くなっている。
「あっ・・・あの、少し気分が悪いので、保健室行ってきてもいいですか?」
感情を抑えた、抑揚のない声。今すぐにでも、この場を離れたい。
気を抜けば、今にも涙が出そうだ。
「あぁ、そのほうがいいかもね。誰かついて・・・」
「いえ、1人で大丈夫です・・・」
とにかく、1人になりたい。渋る教師をしり目に、夏奈は教室をあとにした。
保健室に行って、どうにかなるものではない。夏奈はあてもなく歩を進めた。
授業中だから、当然ながら廊下には全く人影がない。
品川先生と話した勢いのまま、教室へと歩く。
「ん・・・?」
視界の端に、チラリと何かが動いた。階段の踊り場に、制服のスカートが消えていく。
「なっちゃん・・・?」
半分希望が混ざっていたのかもしれない。気付けば、その影を追うように階段を駆け上がっていた。
ゆっくりと上っていた背中にはすぐに追いつくことが出来た。思った通りの後姿だ。
すがるように手を伸ばす。
「っ、なっちゃん!」
1日ぶりに、きちんと名前を呼んだ気がする。振り向いたなっちゃんの眼には、決壊寸前の涙が溜まっていた。
「若、松く・・・なんで・・・」
「それはこっちの台詞だよ。どこいくの」
「・・・頭の中、整理したくて。とてもじゃないけど、授業なんて受けてられないよこんな状態じゃ」
うつむいていて顔は見えないけれど、さっき見えた涙が全てを物語っている。僕はなっちゃんの腕を掴む手に力を込めた。
「若、松くん・・・腕離してよ。一人になりたいの」
「悪いけど、嫌だ。少しだけでいいから、(僕)の話をきいてよ」
(弥七さん)じゃなくて、今目の前にいる(僕)の話を。
「・・・分かった。それで、若の気が済むなら」
まるでこれで最後だと言いたげになっちゃんは涙を拭って僕を見上げた。
最後じゃない。最後なんかにしたくない。
「ここじゃ落ち着いて話せないし、上行こうか」
屋上へは行けないから、屋上へと続く階段は誰も通らない。授業中となれば尚更だ。
僕は頷いたなっちゃんの手を引いて、足音を立てないようゆっくり階段を進んだ。
お読みいただきありがとうございます
次かその次でこの章が終わると思います
お付き合いいただけると幸いです(*^^)




