32.思い出す、覚えてる
こんなにも近くにいるのに、1度も目を合わすことなく午前が終わる。ゆっくり考えたいことがある時に限って、時間の流れが速く感じるのは何故だろう。お腹は空いているのに、弁当を食べる気にならない。徒に箸をいじっていると、不意に肩を掴まれた。
「若松。さっきから全然食べてないじゃない。具合悪いなら保健室行きな」
僕が無理をしていると思ったんだろう。神谷さんの語気は強かった。
「そうだね・・・1時間だけ休ませてもらってくるよ。昨日、先生に何もなくても顔出すように言われたしね」
「それがいいわ。次の先生には言っておくから」
「ありがとう」
腰を上げながら勇気を出して視線を向けると、学食にでも行ったのか彼女の姿は見当たらなかった。ホッとするやら、そんな自分が情けないやらだ。
昨日よりは多少ましになった足取りで、保健室への道を辿る。
「!あ・・・」
先に声を上げたのは彼女だった。保健室までは然程距離もないのに、ばったり会うとはどうにも運がない。
渡り廊下で出くわした彼女の手には、ペットボトルのお茶が握られていた。学食じゃなくて自販機に行ってたんだな、なんて現実逃避をしながら。
目の前の彼女は、見たことも無いくらい思いつめた顔をしていた。全て、僕のせいだ。
(ごめんね・・・)
心の中で謝ることしかできなかった。一度話した事実は取り消すことができない。記憶は、持て余して捨ててしまいたいものほど消えてくれないんだ。僕は、誰よりもそれを知っている。
「・・・ねぇ、若」
「ん・・・何?」
「もう、あたしに近づかない方がいいんじゃない」
もうあたしに関わらないで。彼女の言葉は、僕が覚悟していた言葉そっくりで、でも大きく違ったニュアンスを孕んでいた。一瞬、反応が遅れる。
「えっ・・・何、言って・・・」
「あたしと話していると、また(りん)さんのこと思い出すかもしれないでしょ」
たった2文字のその名前が、今目の前にある顔が、僕の息を詰まらせた。
彼女の眼は、僕の反応をじっとうかがっている。
「違うっ・・・そんなこと、・・・」
「何で、じゃないんだね」
僕の言葉に被せて、彼女はそう言った。
「昨日のこと、覚えてるんだ?」
まんまと誘導されてしまった。彼女は、僕が昨日の出来事を覚えているかどうか確かめたかったのだ。
「・・・ごめん」
口をついてでたのは、チープな謝罪だった。頭が完全にショートしている。
「やだなぁ、何で若が謝るの」
「だって・・・」
気味が知る必要なんてなかったのに。君がそんなに悩む必要なんてない。あれはきっと、僕の深層心理に在った(誰かに聞いてほしい)なんていう我儘なんだから。
「謝るのは、あたしの方だよ」
「えっ・・・」
「若の秘密を、あんな形で聞き出した。あれじゃ、コソコソ嗅ぎまわる野次馬と変わらないよ。何より・・・」
彼女は苦しそうに顔を伏せ、僕の顔を見ることなく続けた。
「今まで、気付いてあげられなくてごめん」
彼女と親しくなってから、まだ2か月にも満たない。そもそも、忠や吹雪にすらばれていないのだ。僕がこの18年間で培ってきた隠す術はそう簡単に崩れない自信がある。彼女に察しろなんて無茶な話だ。だから、君には非は1つもない。
僕がそう伝えるより、彼女が口を開く方が早かった。
「誰にも言わない。約束する。だから、もう(思い出す)ことがないように、あたしに極力関わらない方がいいよ」
「待っ・・・」
「じゃぁね、若松君」
呼ばれ慣れているはずの名字が、彼女が口にするだけで明確な拒絶の言葉へと変化する。嫌だ、そんなこと言わないで。なんて言えなかった。
これは(覚悟)した人間の顔だ。そう簡単には揺らがない。
僕が混乱している間に、彼女は足早に僕の横をすり抜けて校舎へと入っていった。
お読みいただきありがとうございます
しばらく重い展開が続きますが、お付き合いいただけると幸いです




