幕間 旅は道連れ、世は情け
自分が方向音痴であると、認めたくない。
そのためには、現在地から残り10分で技術室にたどり着く必要があった。
芸術で美術を選択した時雨は、ちゃんと美術室の場所は覚えていた。誤算だったのは、担当教員が彫刻専門だったことだ。木材を使うから来週は技術室で、なんて言われていても、場所が分からない。結局、昇降口にある校内の案内図とにらめっこする羽目になっている。
「・・・あー!ねぇ、君!」
突然の大声に顔をしかめつつ視線をやると、3年らしい少女の視線は他でもない時雨をとらえていた。
「あ?オレ・・・?」
ヘアピンをしたその先輩に、見覚えはない。警戒しながら向き直ると、相手は安堵したように微笑んだ。
「やっぱり!君、、この間2年に連れてかれてた子だよね?あの後大丈夫だった?」
高くて綺麗な声は、大きくなくても的確に周囲の視線を集めた。
「なっ・・・でかい声で何言ってんだよ!あんたには関係ねぇだろ!」
今すぐにでもこの場を立ち去りたい。突き放すようにそっぽを向いた時雨を気にする様子もなく、相手は呑気に胸を張って見せた。
「関係なくなんてないよ。あたしが君のこと千歳に報告したんだから。(2年に絡まれて連れてかれてる子がいる)って」
「あ!あんたが・・・」
「そうだよー。そしたら千歳、君のこと知ってたみたいでさ。すぐに忠君向かわせるって言ってたよ。怪我はなさそうだけど、忠君何とかしてくれたんだね。すごいや」
随分荒っぽいやり方だったし、どちらかというと何とかしたのは叶だとは言えない。
「・・・まぁ、そっすね・・・」
素直に忠平を褒める彼女の夢を壊さないよう、時雨は曖昧に頷いた。
「夏奈―?何してんの?行くわよー」
「千歳!この子っ!ホラ、2年に連れていかれてた・・・」
夏奈は一際大きな声で、自身を呼んだはずの千歳をこちらへと呼び寄せた。ご丁寧に、手招きのオプションまでついている。
「あぁ、やっぱりあんただったの。全く、せっかく私が関わるなって忠告してやったのに。バカねぇ」
「し、仕方ねぇだろ!あっちが急に絡んできたんだから」
「あはは、運が悪かったね。あの2人、うちの中学でも有名な問題児だったんだよ」
だからこそ、千歳に報告できたんだけどね、と夏奈は誇らしげに千歳を見遣った。
「そうよ、夏奈が教えてくれなかったらミッキーに助けてもらえなかったんだから」
ここにも、真実を知らない幸せな人間が一人。気まずくなって、何となく目を逸らす。
視線の先には、さっきまで噛り付いていた校内案内図。
ようやく自分の置かれている状況を思い出した時雨は2人をそっちのけで案内図へと歩み寄った。
「・・・ね、君さ。さっきもソレ見てたけどもしかして・・・」
「!あ、いや、その・・・」
迷っているのを助けられるのは、1度で十分だ。言葉を濁す時雨に、夏奈は思いもよらぬ反応を見せた。
「地図好きなの?」
「ハ・・・?」
「いいよねー地図!見ててワクワクするし、縮尺が違うだけで全然違うものになるのも面白いし!」
ただ技術室の場所が分からないだけ、なんてとても言えない。固まる時雨を置き去りに、夏奈は地図の好きなところをひたすらに語っていた。千歳は呆れたような、同情するような視線で傍観を決め込んでいる。おそらく、いや確実に止めに入る気はない。
夏奈の熱意に気圧された時雨は、疎らになった人の流れの中に見つけた標的を躊躇なく大きな声で呼んだ。
「若松サンっ——―!」
移動教室の途中、案内板の辺りにいる賑やかな集団には気づいていた。嫌な予感がして、あえてそちらを見ずに通り過ぎようと思ったのに。
ピンポイントに僕を呼んだ声に、つい振り向いてしまった。
つい先日僕を(おかしい)呼ばわりした後輩が、道連れだとばかりにこちらに歩いてくる。
「えっ、ちょっ、何??」
「悪いけど助けて!あの人なんか怖ぇ!」
渡部君はそう言って僕の後ろへと回り込んだ。
差し出された先には、キョトンとした顔のなっちゃんと、1人楽しそうな神谷さんの姿があった。
「あれっ、若その子と知り合いだったの?」
「ミッキーつながりじゃない?吹雪にも紹介してたし」
「待って、これどういう状況?」
僕を盾にしている渡部君は、完全に警戒態勢に入っている。
「その子がこの前2年に絡まれてたの見てたから、大丈夫だったかなーって声かけてたの。心配してたんだよねー」
「渡部君えらく怯えてるけど」
「夏奈が地図について熱く語ってたからでしょ」
「何でそんなことに・・・」
「だってその子ずっと案内板見てるんだもん!地図好きなのかなって思うじゃん!」
「いや、普通に場所が分からなかったんじゃないかな・・・」
前にも迷ってたしね、と心で付け加える。言うなとばかりに僕の腕を掴む渡部君の手に力がこもった。
「そっか、そっちかぁ・・・ごめんね、驚かせちゃって」
(そっち)以外は滅多にないと思うのだけど。なっちゃんは本気でがっかりした顔で、子供にするように渡部君を覗き込んだ。
「アハハッ!ま、見てる分には楽しかったけどねぇ」
「止めてあげなよ神谷さん」
「嫌よ面白かったんだもの。あんたを呼ぶとは思わなかったけどね」
「僕だって呼ばれると思わなかったよ・・・」
ましてや、後輩に盾にされるとは。
「でも、夏奈が教えてくれたからミッキーに助けてもらえたんだし、ちゃんとお礼言っときなさいよ渡部」
「・・・ありがとう、ございました」
真っ直ぐ目を見て言えていない、つっかえながらの言葉。なっちゃんは一瞬眼を見開いて、やけに愛おしそうな笑顔を見せた。
「どーいたしまして!あ、あたし江藤夏奈ねっ!よろしく、渡部クン」
「よ、よろしく・・・」
少しだけ、渡部君が僕から離れる。なっちゃんの明るさに、彼も自然とほぐれていくようだ。
「で?もうすぐ本鈴なるけどあんたどこの教室行きたいの?私達ももう行かないと」
そういえば、結局渡部君がどこに行きたかったのかを聞いていない。
渡部君は血の気のひいた顔で、ようやく僕の腕を放した。
「やべっ!・・・技術室って、ドコっすか」
「技術室・・・?」
復唱した神谷さんも、その隣のなっちゃんも。
そして僕も、笑いをこらえるので必死だった。渡部君だけが、理由も分からず不安そうに僕らを見回している。
「この廊下の突き当たりよ。技術室」
「えっ・・・」
「ホラ、あの正面。ドア開いてるから機械見えるでしょ」
最近少し視力の落ちた眼をこらすと、木材や機械を確認できる。
「—―っ、どーもっ」
感情のやり場がないのか僕を睨むように見上げて、渡部君は廊下を慌ただしく駆けていった。
「さて、私たちも行かないと。生徒会長が遅刻なんて笑えないわ」
「ごめんね、つい・・・」
そう言いながら、なっちゃんの視線は彼を追うように技術室の方を向いている。
「そんなに気になる?渡部君のこと」
なっちゃんの瞳には、まだ愛おしさが滲んでいた。どうしてか、僕にはそれが何となく分かって、どうしてか、聞かずにはいられなかった。
「えっ、あたしそんなに見てた?別にそんなつもりは無くて、ただ昔の親友に似てたから懐かしくなっちゃっだだけだよ」
「なになに、初恋の子とか?」
ちゃっかり聞いていた愉快犯が、にやにやしながら振り返る。
「残念、女の子ですー」
神谷さんの軽口に軽口で応えながら、なっちゃんはようやく歩を進め始めた。
(昔の)という言葉の違和感は、間もなく鳴った本鈴にかき消されたのだった。
お読みいただき、ありがとうございます!
次回から新しい章が始まります
結構物語の根幹に関わる部分ですので、お付き合いいただけると幸いです(^^*)




