16.眠れる獅子、覚醒
混雑というものが嫌いな時雨は、いつも適当に時間をつぶしてから学食へと向かう。好きなものが売り切れていたとしても、1人で静かに味わいたいのだ。
とはいえ、教室で昼食をとる生徒も多い。中にいるのも落ち着かず、時雨は廊下で学食への人の出入りを眺めていた。
(そろそろいいかな・・・)
ポツリポツリと学食から出てくる人が増えている。そろそろ席が空くだろう。時雨は財布を片手に歩きだした。
この時間だと、人気のメニューはほとんど売り切れている。何を食べよう。幸せな悩みに小さく唸りながら階段を下りる。
「—―オイ」
初めは、その声が自分に向けられたものだと気付かなかった。
「オイッ!呼んでるだろ!」
乱暴な口調と共に肩を掴まれ、時雨はようやく足を止めた。
「ってぇな・・・何スか」
いくら他人に興味のない時雨でも、さすがにこの2つの顔は忘れない。
図書館で何度も怒鳴りそうになった2つの顔が、そこにはあった。
「何だその態度。俺らセンパイなんだけど」
「・・・で?何の用っすか、センパイ」
昨日、千歳に釘を刺されたばかりだ。今この2人にむやみに反発するのは得策ではない。
「ちょっと来いよ。オネガイがあるんだ」
委員長が言うが早いか、副委員長は音もなく時雨の後ろに回り込んだ。
(忍者かよっ!)
肩を掴む圧力に、心の中で叫ぶ。
「人の居ないところがいい。部室棟の裏にでもいこうぜ」
怒鳴ってやりたいのを我慢した代わりに、拒否の言葉も出てこない。
先導と圧力のままに、時雨の足は動かされた。
「で、やさしー渡部君にお願いがあるんだけど」
語尾にハートの付きそうなほどの猫なで声。ゾワリ、と鳥肌が立つ。
「黒瀬に訊いたんだけど、お前別にあいつらの仲間ってわけじゃねーんだろ」
「は・・・?仲間って、オレは別に・・・」
少なくとも、この2人よりはあちらよりの人間なハズだ。けれど、先日あったばかりの人間が仲間というのもどうにもしっくりこない。
「でも、お前三木に気に入られてんじゃん?そこでさ・・・この前出した書類、三木と黒瀬に交渉して返してもらってきてくれね?」
「書類って・・・あんたら、まだ好き勝手する気かよ!」
つい、きつい声が飛んだ。昨日の今日で、よくそんな真似ができるものだ。
「・・・口のきき方に気ぃ付けろ。こんなところ放課後まで誰もきやしねぇ。別に、ずっとここで俺らとお話ししててもいいんだぜ?」
要するに、従わなければ解放してもらえないということだろう。
それなら、今だけ従ったフリをして、忠平や吹雪に言いつければいい。今、この場でだけ頷けば。頭では、正解は分かっていた。
「・・・ヤだね」
けれど、喉にいる天邪鬼が一瞬でもこいつらに屈することを是としてくれない。
目の前の2人は、示し合わせたように眉を吊り上げた。
「誰が大人しく従うかよ。馬鹿じゃねーの」
黙って退くことができないのは昔からだ。上手く立ち回れない自分にほとほと呆れながら、時雨はただ正面を見据えていた。
「・・・お前、やっぱり気に入らねぇな。ちょっとは使えるかと思ったのによ」
ジリ、と2人との距離が1歩縮まる。無駄だと分かっていても、反射的に壁にピタリとかかとをくっつけた。正面からは逃げられそうもない。
「おーおー、清々しいくらいに目ぇつけられてるな」
不意に響いた、4人目の声。
「!三木、さん・・・?」
「まったく、下手に首を突っ込むなって神谷にも言われたろうが。」
時雨も2人も動くに動けず、忠平が砂利を踏み歩く音だけが響く。
「さて・・・これは一体どういうつもりか、言い訳があるなら聞いてやろう」
時雨をかばうようにたった忠平の声には、以前の優しさは欠片もなかった。
「っうるせぇな!大体、なんであんたがここに・・・」
「2年のクセに知らなかったか。うちの生徒会長は顔が広くてな。信頼できる奴からの情報網が学校中に張り巡らされている。どこぞの馬鹿が1年をムリヤリ連れ出して脅迫しようとお見通しだ」
詰めが甘かったな。そう言った忠平の笑いは、完全に乾ききった嘲笑だった。
忠平の背中越しでも、2人が苛立ったのが分かる。
「っあんたもうぜぇんだよ!!黒瀬が後ろ盾だからって調子乗ってんじゃねーぞ!」
まるで壁にでもなったかのように、忠平は動かなかった。鈍くて、痛々しい音が忠平の頬を薙ぐ。
「は、ハハハ・・・なんだよ、大したことねーじゃん」
勝ち誇ったように呟いた委員長の拳は、わずかに震えていた。人を初めて殴った緊張と、あっさりと忠平に当たったことへの興奮で、このときはまだ気づいていなかったのだ。
忠平の口角が、ゆっくりと上がっていることに。
「よーし、やってくれたな」
眠れる獅子が目を覚ますようにゆっくりと。
「吹雪が後ろ盾、なぁ。残念だが、年下の女に守られる趣味はない。ここからは、俺とお前らの男の喧嘩だ・・・そっちから手を出してきたんだから、痛くても文句言うなよ」
忠平は委員長に見せつけるように殴られた頬をさすって見せた。
「・・・あぁ、そうだ渡部」
「ふぁい!?」
あふれ出る殺気に中てられ、名前を呼ばれただけなのに全身が強張る。
「危ないし、ここは俺がちゃんとしめておく。戻ってろ」
「ハ!?で、でも・・・」
「なんだ、俺がこいつらに負けるとでも?」
「そーじゃなくてっ・・・」
「勘違いするなよ。お前をかばいながら戦うのは面倒だし人質にでも取られたら敵わん。要するに」
これからスポーツでもするかのように腕を軽く伸ばしながらも、時雨に向けられた視線は獣のように牙をむいていた。
「足手まといだ。どっかいってろ」
考えるよりも先に、体が反応していた。忠平が今来た方向へと、ひたすら足を動かす。
(ヤバイヤバイヤバイッてアレ!あの2人、あのままじゃ・・・)
もはや、忠平の勝利は1ミリも疑っていない。逆に、あの様子では相手の方が心配になる。
(先公呼ぶか・・・?いや、それじゃあの人がっ・・・・)
今の状況を見られたら、忠平だって処分を受けるかもしれない。
息も絶え絶え走る校舎への道。自販機の辺りに見つけた見知った顔に、時雨は藁にもすがる思いで手を伸ばした。
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