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苦手な方はご注意ください。

魔王には手のかかる子供がいるようです。

作者: 安藤ナツ

 暗黒大陸の北の果て。絶氷と吹雪が支配する完全なる停止の世界。

 常人には辿り着くことはおろか、ただ生きるだけでも困難な、生命を拒絶する神域。

 何もかもが終わってしまった場所であり、そこに在るのも、終わってしまった物だけだ。

 古代文明が残した廃城、エルドバースト。

 その内部を彷徨うのは、深淵の魔術によって蘇った古代の覇者のゾンビ達や、時間と言う概念と無関係に存在する、エレメンタリィ。

 そして彼等の中心に座すのは、世界を終わらせる者――或いは、終わることのない嘆きの使者――大魔王『憎魔』である。

「何故もがき生きるのか?」

 人類の不倶戴天の敵。世界に深く暗い闇をもたらし、世界を嘆きと絶望で覆い尽くし、世界のあらゆる事象を破壊し、世界のあらゆる滅びと言う滅びを象徴する者は、自らの前に立つ青年を視界に納めると呟いた。

 それは質問の形こそ取っていたが、ただの独り言のように小さなものであった。

 ――想像よりも、小さい。

 廃城の玉座に座る大魔王に、青年はそんな印象をまず覚えた。

 座った姿勢の為、細かくはわからないが、普通の成人男性と変わらない身長に思える。頭に被る兜は錆付き、拉げ、欠けていた。纏った漆黒のローブはみすぼらしく穴だらけ。その下に覗く鎧も、穴が空き、凹み、廃棄寸前。手にする剣は半ばで折れている。

 とても、幾星霜を閲する大魔王の姿には見えなかった。

 しかし、それは大魔王の一面でしかない。

「滅びこそ我が喜び」

 ゆっくりと、まるで始めて立ち上がるかのように、大魔王が玉座から腰を上げる。

 同時に、大魔王の背後の直径一メートル程の空中魔法陣が現れる。外周部に凹凸が取り付けられた、不規則な円刑魔法陣の色は黒。怨みや憎しみ、そういった負の感情による魔力で描かれた魔法陣だと青年が看破すると同時、それはやはりゆっくりと右回りに回転を始めた。

 運命の如く力強く回る魔法陣の動きに合わせ、その円に触れるように次々と小さな魔法陣が空中に描かれる。それらにもやはり、細かな凹凸がデザインされており、そのギザギザ同士が互いに噛み合い、歯車のようにそれぞれが独立することなく、連携して更に回転を始める。

 まるで、時計の中身の様な、複雑にして洗練された複合連動魔法陣は、一瞬で廃城の玉座の間を埋め尽くしてしまう。その内容は正に千差万別。ポピュラーな物から、既に誰も使うことがなくなった効率の悪い物、禁忌と恐れられ封印された物、何処かの王国の名前を冠する物、まったく見たことのない未知な物。ありとあらゆる魔法が、憎悪を中心に繋ぎ止められており、例え魔術学院の教授連中が集まった所で、これが如何なる破壊をもたらすのかは想像もできないだろう。

 北の大陸が氷に覆われているのも、大魔王のあまりにも膨大な魔力が原因だと言われているが、それも頷ける、圧倒的な魔法陣であった。

「死にゆく者こそ美しい」

 ――果たして、勝てるだろうか?

 しかし青年は臆することなく、冷静に彼我の戦力差を分析する。

 一対一の正面からの戦いに、まず不足の自体は起きない。出会った瞬間、より強い物が勝者となる可能性が高い。

 青年は剣士だった。生活に窮して冒険者となった様な『崩れ』ではなく、幼い頃から剣を学んで来た正統派。小さな魔法陣を三つも同時に発動できない程、魔法に関する才能はなかったが、その分、剣士としてはより純粋に完成していた。

 この七年間、戦場を駆け抜け、幾多の魔物を切り伏せ、数多の魔人を乗り越えて来たことが、それを証明しているだろう。単純な戦闘能力に関して言えば、彼を越える戦士は地上の何処にもいないだろう。

 ――僅差だが、勝てる。

 空間その物を壊しかねない勢いで膨らむ魔力と、地獄の機械の様な魔法陣に囲まれながら、青年は戦力差を見極める。過大評価も過小評価も過信もない。本当に紙一重の差で、自分が勝っていることを青年は確信する。

 無論。生半なことではない。薄氷の上を歩くような、命懸けの綱渡りだ。

 が、その果てに勝利がある。

 永遠にも思えた魔狼の時代が終わる。

 青年は、震える手と逸る鼓動を抑えるように深く息を吐き出し、同時に腰から剣を抜く。拾い物なので銘は知らなかったが、この二年間を過して来た相棒だ。

「行くぞ! 大魔王!」

「さあ。我が腕の中で息絶えるが良い!」

 こうして、極寒の地で人類の行く末を賭けた熱き戦いの火蓋が切って落とされた。

 初手は取ったのは、既に魔法陣を展開していた大魔王。

 暖炉の火をつけるような魔術から、嘗て龍を落としたと言われる雷と暴風の化身の召喚魔法まで、古今東西ありとあらゆる種類の魔法が嵐となって玉座の間に吹き荒れる。

「うおおおおお!」

 高濃度の魔力に満ちた世界を前に、青年が獣のように吼え、駆け出す。雨霰と降り注ぐ魔法に、既に回避すると言う選択肢は存在しない。小国一つであれば容易く落とすであろう魔法の渦を抜ける方法はたったの一つ。

 ただ、耐えるのみ。

「おおおおおお!」

 氷の礫が側頭部を打つ。歯を食い縛り、痛みを押し殺す。

 火焔の刃が群れをなして襲いかかる。剣で僅かに無効化し、残りは胸当てで受けて強引に防ぐ。

 石畳の隙間から伸びて来た蔦が脚に絡まる。グリーブを脱ぎ捨てて、裸足で前へと進む。

 雷の矢と、怨霊達の叫び声が波状に押し寄せる。転がるように横に跳んで矢をかわし、嘆く霊はガントレットで叩き払う。

 それ以外にも、森羅万象様々な事象が容赦も躊躇もなく襲いかかる。

 青年はその全てに神懸かり的な反応を見せたが、それでもそれは完全ではなかった。

 たった十メートルも進む間に、既に青年の身体に傷のない場所はなく、残りの距離が絶望的に遠い。

 そして何よりも――

 パリン。

 ――音を立てて胸元のブローチが砕け散ってしまったのが問題だった。

「っ! いままでありがとう」

 砂漠に暮らすエルフの女王より賜ったそれは、あらゆる厄災を退ける神代の一品であり、古い精霊の加護により、邪悪なる魔を払う力があったのだ。それが砕けた途端、周囲の空気が水のように重くなる。ブローチが砕け散ったことにより、抑えられていた大魔王の魔法が勢いを取り戻したのだ。

ちっぽけな魔術一つ自力では使えない彼にとって、ブローチは命綱だった。魔法抵抗力は桁外れているが、それでも大魔王の魔法の嵐を前に耐え切れるかは未知数だ。が、泣き言を言う暇もない。青年は首から落ちるブローチに目をくれることもなく、顔の前で腕を十字に組むと、姿勢を低くして再び走り出した。

 止まっている時間はない。今は亡き友人が残した左手の『魔砕』と呼ばれる魔法のかかったガントレットと、龍の血を染み込ませた背中のマントの魔的耐性と、両親がくれた身体の頑強さを信じるしかない。

 それに、何も命まで守る必要もないのだ。

 物を考える頭と、剣を振る右腕、そして突き進む為の脚さえ無事であれば、残りは最早、どうでも良い。

 ガントレットごと、左手が砕け散る。破片が右目に突き刺さった。闇の腕が横腹の肉を腐らせる、何か良くない物を吸ったのか、呼吸が苦しい。直に終わる命だ、何処に問題がある?

「らああああ!」

 明日すら顧みない青年が、魔法の大嵐を抜ける。如何に大魔王と言えど、あの怒涛の魔法を喰らえばダメージがあるのだろう。大魔王の周囲は凪いでいた。

 大魔王は動かない。玉座を背中に立ち、青年をじっと見つめている。

「射程距離だぜ? 大魔王」

 微動だにしない大魔王に、青年が剣を振り上げる。

 視界は既に健常時の四分の一もない。頭痛と吐き気と眩暈がラインダンスをしているのか、自分が立っているのかどうかすらも怪しく、無意味に笑いが込み上げて来る。左腕は付け根の辺りからなく、身体を守っていた他よりの装備は全て壊れ、無効化されている。肉体は腐り、焼け焦げ、凍りつき、奇妙に変色し、皮膚の下を蟲が這いまわり、砂の様に崩れ、別の何かに変貌しつつある。

 しかし、億千万と繰り返して来た剣の使い方は忘れていない。

 意識朦朧だろうと、身体が朽ち果てようとも、魂が覚えていたことは決して忘れない。

「――――」

 大魔王は動かなかった。玉座を背中に立ち、青年をじっと見つめている。フルフェイスの兜の下に隠された赤く灯る瞳は不敵にも笑っているように見えた。

 暫しの沈黙。時が止まったような静寂。魔の領域に相応しくない静謐。

 それを破ったのは、鍛えられた鋼が空を斬る音だった。

「見事なり。定命の者よ」

 大魔王の首が飛ぶと同時、周囲を覆い尽くしていた強大な魔力が崩壊するのを青年は感じた。大魔王だった肉体が本来あるべき姿――塵に変わっていくことが、それを静かに裏付けていた。

 終わったのだ。果てしなきの戦いが、餓えと魔狼の時代が、青年のちっぽけな命が。

 人類の為に戦った勇者の身体もまた、輪郭から塵へと還って行く。魔道を極めた者も、勇敢なる剣士も、過剰な魔力にその身体を犯されれば、結末は変わらない。

 しかし、砂の一粒も後悔はない。

 文字通りに使命を果たしたのだ。誇らしさと、満足感に満たされながら、青年はひっそりと目を閉じた。

「しかし、忘れるな? 人の心から闇が消えぬ限り、我等『憎魔』は決して滅びぬのだ」

 負け惜しみのような大魔王の台詞が、心地良かった。




 深い深い眠りから青年を呼び覚ましたのは、肩や首周りに感じる窮屈さだった。あれ程の大怪我をしたのだから、身体に多少の違和感があるのは仕方がないことだろう…………と、考えてその思考を冷静な部分が否定する。

 大魔王を倒した後、青年の身体は塵へと変わったはずだ。肉体が魔の力に耐えきることが出来ずに、存在から消失したはずであった。

 何故? と言う疑問と共に重い瞼を持ち上げる。真っ先に目に入ったのは、黒い鉄の棒。それが縦と横にそれぞれ平行に並んでいる。檻だ、と直ぐに分かった。見慣れた物ではないが、印象強い黒檻は忘れようにも忘れられないだろう。

 どうして檻の前にいるのだろうか? そう考え、直ぐに自身の間違いに気が付く。檻の前にいるのではない。檻の中にいるのだ。首と手を固定する首枷と、両足を繋ぐ鉄製の鎖に気が付けば、すぐにそれはわかった。

 どうやら、一メートル四方もない小さな石造りの牢の中で壁を背にするように裸で押し込められていたらしい。下手に寝返りを打てば、融通の利かない木製の枷のせいで首の骨が折れて死んでいたかもしれない。恐らくは『死んでもいいや』と言う感覚で牢に入れたのだろう。

「牢屋に入るのは久しぶりだ。足枷もな」

 一体、何がどうなっているのか? 青年は思わず呟く。喉は思いの外に潤っており、舌は滑らかに動いてくれた。試しに起き上がろうとしてみれば、足が萎えているようなこともなく、簡単に二本の脚で立つこともできる。むしろ、今までよりも調子が良いくらいだ。

 魔法で肉体の欠損を再生したならば、こうはいかない。新しく造られた身体が馴染むまで時間がかかるし、体力や筋力が元通りになると言うこともない。

 ならば、これは奇跡とでも呼ぶべきだろうか。

 青年はそこで思考を辞めた。

 魔法については完全に門外漢だ。馬鹿の考え休むに似たり、とも言う。

 別に死んでも良かったが、生きているならそれはそれで問題もない。

 長い暗黒の歴史が終わり、ようやく人の時代が来るのだ。それを見ながら、今度はゆっくりと死んでいけば良い。仲間達の元へ向かうのが遅くなってしまうが、折角手に入れた平和を土産話と持って行くのも、やはり悪くない。

 そんな風に太平楽な考えの青年の耳に、こつこつこつと、石畳の上を歩く革靴の音が聴こえて来た。人数は二人。歩幅から男。一人は何かを持っているのか、両手が塞がっている。もう一人は手ぶらだが、腰には細身の剣。

 敵だろうか? 味方だろうか?

 敵ならば、何故に殺さなかった?

 味方ならば、何故に枷で封じる?

「ま、どっちにしろ、俺の敵じゃあない」

 青年は素早く戦力確認を終えると、最初の様に壁を背にして腰を下ろした。いきなり立っているよりも、座っている方が友好的に思ってくれるだろうと言う打算と、あの程度の連中に内をされようとも傷つかない自身からの行動であった。

 扉が開く音と同時に、足音が二つ、室内へと侵入してくる。牢の中からは、その様子は見えない。牢を出ると直ぐに廊下が右に折れている為、入って来るのは明りと二人の会話だけだ。

「あーあ。牢屋の見張りって言うのは、楽な分、退屈なんだよなぁ」

「なら、国境付近の見張りをするか? 俺の友人は半年配属されたんだが、帰る頃には同期の数が半分になっていたらしいぜ?」

「そりゃあ、運の良い話だ。嫁さんの弟なんか、身体が半分になって帰って来ぜ?」

「まったく、いつになったら戦争が終わるのかね?」

 どうやら備え付けてあった椅子に座ったらしい二人が、咀嚼音と共に言葉を交わす。三十代前後、と言った所だろうか? 状況から見張り番と考えて間違いないだろう。二人して持ち場を離れている辺り、あまり職務に熱心と言うわけでもなさそうだが。

 さて、どんなタイミングで声をかけるべきだろうか? 食事と会話に花を咲かす二人が青年を覗きに来る様子はない。第一声に頭を悩ませていると……

「戦争が終わるかよ。終わらないから戦争なんだろ?」

「でもよ、ようやく魔王が死んだっつーのに、何で今度は人間同士で殺し合いをするんだ?」

 信じられない台詞が飛び出し、青年は思わず大声を上げてしまった。




 人間同士で戦争をしている。

 荒唐無稽にも程がある台詞に、悲鳴にも近い叫びを発してから丸二日。新たに黒と白の横縞が素敵な服に着替えさせられた状態で牢屋の中にいた。態度が良かったからか、首枷が外れて手枷になっている。

 カビの生えたような硬いパンを齧りながら、青年は何度も何度も自分の置かれた状況を反芻するように確認する。

 まず、大魔王の死から七年物月日が流れている。

 無傷の青年は、その二年後の廃城エルドバーストで発見された。

 廃城エルドバーストは、青年が城を出ると同時に消失した。

 大陸王国連盟と非政府組織の冒険者組合が戦争の途中である。

 北の大陸はその支配権を巡り、国家や種族間での対立が頻繁に行われている。

 ここは北の大陸のとある港街であり、現在は軍港として利用されている。

 身元不明の青年を本国に戻すわけにもいかず、最初の頃は無意識に突然暴れ出すこともあったので、隔離する為に駐在所の牢屋に隔離されていた。

「いやいや。最後は普通に病院で良いだろ。意識不明者はベッドだろ。どうして冷たい牢屋なんだよ。そして、冷めた飯に、おまるでトイレ。あまりの厚遇に感謝だよ」

 改めて、意味の分からない状況だ。頭を捻れば、何か面白い案の一つや二つ出てくるかもしれないが、それは青年がやることではない。圧倒的な強者である彼は恐れを知らない。故に、考えると言う行為の優先順位が著しく低い。そんなことをせずとも、彼は勝つからだ。だから、何事にも真剣になる必要がない。

 何も恐れずに、何にも迷わずに、突き進むことで正解を造りだせるからこそ勇者であるのだ。

 実際問題、青年は手足の自由を封じ込められた現状を少しも重くとらえていない。自分が死ぬことをまったくもって想像していなかった。

 そんな想像力のない彼が、現実を知らされるのはそれから三時間後のことだった。




 青年は手足を拘束されたまま、四人の兵士の護衛付きで青年は小さな部屋へと案内された。面会室と言うのだろうか? 鉄格子で半分に区切られた部屋に入ると、まず手枷と足枷を部屋の床や壁と固定される。青年の左右と後ろには四人の兵士がそのまま残り、そのうちの一人が「準備できました」と、鉄格子の向こう側の扉へと声をかける。

 入って来たのは、三十代後半と見える男だった。当たり前だが、男は拘束されているようなことはない。むしろ、過剰な程に装飾品で自身を飾っており、これが格差か、と青年は世界の理不尽さを覚える。

「やあ」

 不貞腐れるような表情の青年に、男は春のような爽やかさと同時に歯を見せて笑った。

「調子はどう? 五年も七年も寝ていたんでしょ? だるくない?」

「見てわからないか? 絶好調だよ」

 首を横に振りながら、青年はゆっくりと溜息を吐く。

「なんなら、この枷、引き千切ってやろうか? 岩トロールみたいにな」

「ふふふ。魔術刻印のある枷ですが、大魔王を倒した男がそう言うと、冗談に聞こえませんね」

「冗談じゃあないさ。ただ、必要がないからやらないだけだ」

「おや? 『憎魔』を倒したことを認めるのですか?」

 言葉面は和やかだったが、男の声が僅かに変わる。釣り竿の餌に魚が食いついた時の両氏のような気配を青年は感じた。

「俺が斬ったんだ。認めるも何もない」

「ほう。では、その時、貴方は冒険者証明証をお持ちでしたか?」

「は? 持っていたんじゃあないか? 覚えがないが……」

 予想していなかった質問に、青年の言葉が初めて淀む。それをみて、男は明らかに気勢を強くした。

「しかし、あの廃城で発見された貴方は一糸纏わぬ姿であり、持ち物らしいものは、ミスリル銀を鍛えた無銘の剣だけであったと報告がありましたが?」

「ちょっと待ってくれ…………ああ、燃えたわ」

「燃えた? 証明証には強力なプロテクトがあるはずですが?」

「ああ。東海連邦の火山でヘルワームの亜種と戦った時に、奴の血液に触れてな」

 体感では五年程、実際には十二年も昔の話だ。原住民に生贄の儀式を辞めさせたいと言う知事の依頼で、巨大な翼と腕のないドラゴンを狩った時に、油断して返り血を浴び、その時に証明証である金属製のブレスレットは燃えてしまっていた。腕の方はなんとか無事だったが、特殊な加工のしてあるブレスレットの修復は不可能であり、そのまま放置していた。

「駄目ですよ! 証明証を紛失したら、最寄りの冒険者管理協会に申請して、新しい証明証をもらわないと。規則だから」

「その後、知事の裏切りに会って、一時的に記憶喪失になっていたし、他にも色々あったんだよ。まあ、規則違反は俺が悪かったよ」

 自分の非を認めながらも、青年は呆れたように言った。あんな物はただ冒険者の証明であるだけであり、別に何か特典があるわけでもない。身分証の代わりにはなるが、それだけの物で、冒険者の中ではあまり評判の良くないアイテムだ。

「反省してる? じゃ、名前と、冒険者登録番号を教えて? 確認するからさ。君、身元不明なんだよね」

「ああ。そう言うことか」

 が、今まさに、その身分証としての役割が求められているらしい。青年は名前を告げる。冒険者登録番号は覚えていなかったが、出身国と最初に発行してもらった支部と年度を教えると、向こうが調べてくれた。

 報告が届くまでの十分間、これでもかと、嫌味を言われ続けたが。

 そして、部下らしい若い女性からの報告を聞くや否や、信じられないと声を上げた。

「君、紛失ドコロカ、もう十年以上も更新してないじゃないか! 駄目だよ、ちゃんと冒険者訓練所で定期的に更新しないと。これは君達冒険者の安全と信用を保証する大切な物なんだから」

「だから、悪かったって。って言うか、ここ四年は殆ど北の大陸にいたからな。あそこを支配していたのは大魔王で、そこに暮らす人達は冒険者のことなんて知らなかったぜ? あってもなくても、大差なかったよ」

 そう言う問題ではないことは重々承知だが、青年は言わずにはいられなかった。冒険者協会は、自分達こそが世界の平穏を守っていると思っているかもしれないが、実際はそういうわけでもない。

 各国の軍隊もそうだし、猟兵団の連中や、魔術学院の魔導士達、力弱くも村の為に戦う自警団など、世の中には力ある存在は多く、冒険者協会の規模は確かに大きいが、だからといって何処でもその名前が通用する場所や人間ばかりではないのだ。

「って言うことは、待ってよ? この四年間、冒険者としての収入は?」

 が、そんなことには興味がないと男は強引に話を続ける。青年は仕方なく応える。

「変わらねーよ。モンスター狩ったり、薬草やらなんやらを集めて、その辺の集落の連中と物々交換してた」

「ちょっと! 駄目だよ! 冒険者の売買には冒険者流通協会の認定を受けた店を利用しないと! モンスターの素材は希少で高価なんだし、魔法具や武器に加工すれば、とんでもない威力を持つものも多いんだから! 素材価格の暴落とか高騰とか、経済的混乱や、平民達が武器を持っての反乱が起きたらどうするの? それに売却時の一部が冒険者関連の組織の運営費になっているんだよ?」

 おそらくは、最後が本音だろう。冒険者同士の相互協力を建前として、いくつものシステムを持つ冒険者協会関連の組織だが、結局の所は、それだ。

 青年には理解できないことだが、金と言うのは人生において重要な物であるらしい。冒険者を取り巻く様々な国家や組織は、兎に角金を集めることしか考えていない。

 一体、何の為に?

 戦争の為にだ。闘争の為にだ。

 究極的に行ってしまえば、国家とは戦争から産まれた者であり、国家が持っている物は全て奪った物であり、国家が奪ったものは全て次の戦いの為の物でしかない。

 馬鹿馬鹿しい。

 剣一本あれば十分なことに、壮大なことをするものだ。

「わかった、それも俺が悪かったよ」

「その態度はいただけないな。だいたい、冒険者の登録を更新してないってことは、君は冒険者ですらないんだからね? その上で、モンスターを狩り、自己の判断で売買した。重罪だ」

「なるほど。だから俺は捕まっているのか」

「それだけじゃあない。あのミスリル銀性の剣。冒険者武器防具連盟の許可品じゃあないよね? 何処の誰が打ったかわかる? 販売していた店は?」

「遺跡で拾ったもんだ。古代ルーンが刻まれているが、銘も製作者も知らない」

「ダンジョンドロップ? それでも、連盟の許可は必要だから、ちゃんと武器登録はしないと困るね? それに何処のダンジョンなんだい?」

「北の大陸の海中遺跡んだったかな? 深き者共の巣窟だった」

 随分と辛いダンジョンだったことを思い出し、あの時の仲間がもう誰もいないことに少しだけ寂しさを覚える青年であったが、

「北の大陸の? つまり、世界遺跡物保護同盟の認定がない、野良ダンジョンってわけだ。同盟の調査が入っていない遺跡の探索は認められてないよ? これも、重罪だ。限りある過去の遺産の独占は決して許されることではないからね」

 男の無粋な説明でそんな気持ちも吹き飛んでしまう。

「はあ。わかったよ、俺が重罪人ってことはな。で? あんたは俺の弁護士か何かか?」

「まさか。私は国際魔王討伐組委員会の者だよ」

 聞いたことのない組織を口にする男は、何処か誇らしげで、青年はリアクションに困りながらも、何とか鸚鵡返しに組織について訊ねる。

「国際魔王討伐委員会?」

「そう。人類の不倶戴天の敵である大魔王の討伐の一切を司る組織さ。まさか、知らないわけじゃあないだろう? 大魔王を倒したあなたが」

 勿論、青年は知らない。が、男は話を続ける。

「そして、委員会が定めた規則にこんなものがある。『大魔王討伐には、三人以上の王族と二人以上の大司教の推薦、もしくは二大陸冒険者連盟に参加している組織の支部長以上の人間全員の同意が必要である』と、ね」

 男の言葉に、青年は一瞬だけ呆けてしまう。

 大魔王の討伐に、そんな大仰な許可が必要だなんて寡聞にしても聞いたことがない。

 人類の大敵である大魔王を倒すのが、何処の誰だろうと関係ないではないか。盗賊が倒そうと、騎士が倒そうと、聖人が倒そうと、そんなことは些事のはずだ。

「そうもいかないんだよね。ほら、大魔王時代って、ある意味産業だから」

「産業? 木を伐ったり、漁船だとかと一緒ってことか?」

 馬鹿馬鹿しいと、吐き捨てるような青年の台詞に男は大仰に頷く。

「その通りさ。大魔王がいるから、モンスターは活発に行動した。そうするとどうなる? まず、モンスターと戦う人間が必要だ。次は? 武器、魔法や、回復薬や、火薬等の消耗品だ。彼等を満足させる娯楽施設や、怪我人を癒す教会や病院もいるな。それらを集めた町ができる。より多くの人間をまとめるためのシステムも必要だ。それが、世界だった」

 まったくもってその通り。否定する必要もない今までの世界の説明だ。

 だからこそ、争いの時代を終わらせる為に、戦える者は剣や槍や杖をその手に取った。

 大魔王さえ倒せば、剣を鋤に、槍を鍬に持ち替えることができる。食べるものに困らない世界ができると青年は教わって生きて来た。

「しかし、君が大魔王を倒したことにより、世界のバランスは崩れた。敵を失った人類は、世界を失ってしまったのだよ」

「大魔王がいた方が良かったみたいな言い方だな。圧倒的な力による支配! 気紛れに落ちてくる死の魔法! 魔物に食われる農奴達! 一部でしか回らない貨幣! それが正しい世界だと?」

 青年の言葉に激しい感情が灯る。と、同時。完全に空気となっていた兵士達が手にした刃を青年の首や心臓に当てた。

「おお。怖い。しかし、その通りなのだよ。実際、酷い物だったよ? 大魔王が討たれると同時、各地の魔王も消失。統率を失ったモンスターは森や山に戻り、人里を襲うことは少なくなった。溢れ出る失業者、売れない商品。その後は犯罪のオンパレードさ。王都の七分の一が暴徒によって消失したこともあったし、潰れた冒険者協会の支部も無数さ。だから、各国は仕方なく、人間同士の戦争を始めたんだ。互いに隣国を悪としてね。最初は小さな小競り合いで、国家同士で事前に打ち合わせをした寸劇だったんだけど、次第に飛び火。現在はもう、世界中本気で戦争さ。でも、そのおかげでモンスターがいた頃の半分程度には経済も回復した。餓死者も随分と減ったようだし、出生率も上昇している」

「馬鹿な…………」

 信じられない、と、青年は思わず呟く。世界が進むべき方向には、もっと、違った道があったはずだ。そう思わずにはいられない。

 が、同時に自分が真剣に大魔王討伐後のことを考えていなかったことにも気が付いた。『誰かがどうにかする』そんな自分がいなかったわけではない。

 間違えるどころか、選択すらしていない自分の空白な未来予想図が否更恨めしい。

「事実さ。もっとも、万全ではない」

 青年の困惑が面白いのか、それとも世界情勢が笑えるのか、男は機嫌よく続ける。

「終わりの見えない戦争に、国民達の不満が溜まっている。それはそうだ。今までは表面上だけでも人間達は仲良くやっていた、武器や、食料。技術に情報を共有できていた。が、七年前からは違う。国と国の戦いが始まってしまえば、共有はなくなる。何もかもが足りないんだよ。協力していたからこそ、各国は互いの利点を尖らせ、歪で不完全ながらも調和をして発展を続けて来たから、当然さ」

「そうか、俺の物語は『めでたしめでたし』で終わらないわけだ」

 終わった所で、何も終わりはしない。終わりは新たな始まりだと言うが、まさしくその通りだ。青年は溜息を吐くと、天井を見上げた。十一の時にモンスターの群れに村を滅ぼされてから、大量の不幸と、一つまみの幸福を楽しんできたが、最後がこれではあまりにもしまらない。

 いや、これも最後ではないのか。まだ、途中だ。どんな奇跡が起きたのか、青年は未だに死んではいない。また、五年と言う短くない時の間、わざわざ保護をしてくれたのだから、何かしらの役割が自分にはあるはずだ。青年は大きくため息を吐く。

「それで? そんな状況を造りだした俺に何の用だ? 王族でも暗殺すれば良いのか?」

 ほとんど反射神的に青年はそんなことを訊ねた。

 剣を振るしか能のない自分が、今の世界で出来ることなど、それくらいのものだろう。

 が、その言葉は満面の笑みと共に、

「違うよ」

 否定された。

 そして、男はまったく躊躇わずにこう続けた。

「君は面白おかしく殺されるんだ。全ての罪を被ってね」




 青年の処刑方法は古式に則って行われた。

 見せしめではなく、見世物としての処刑。

 最終的には磔刑になるのだが、死刑場までの道のりを、自分が貼り付けにされる十字架を背負って歩くと言う物だ。分厚い木材で出来た十字架は重く、その道程では無数の人間達から罵声や石が飛ぶ。

 その処刑方法は何百年も前に人道的な理由から禁止されたはずだったが、司法機関や教会が例外的に青年の処刑にそれを許可した。

 それほどまでに、青年の行いは罪深い物だと言うことらしい。

 ――嗚呼。そうか、そう言うことか。

 青年は十字架を背負い処刑場までの道を歩きながら、大魔王との戦いを思い出し、一人納得を呟く。飛んで来る石や腐った食べ物、汚物や罵声は気にならなかった。

 廃城に座していた、かの大魔王は戦いの前に言った。

『何故もがき生きるのか』

『滅びこそ我が喜び』

『死にゆく者こそ美しい』

『さあ。我が腕の中で息絶えるが好い!』 

 あの時は、大魔王の思想なのだと思っていた。破壊と滅びと死を司る最高位魔法使いとしての矜持や、価値観のような物だと。

 しかし今はもうそうは思えない。

 もし仮に、大魔王が虐殺を好む血の魔王であったのなら、地の果てである北の大地の廃城で何百年も座って過ごすわけがない。アレが本気を出せば、小さな国なら一夜で滅ぼすこともできるだろう。永遠にも似た彼の時間があれば、大陸その物を消し飛ばすこともできたに違いない。

 何故、大魔王は廃城から動かなかったのか? 珍しく青年はそんなことを真剣に考える。

 答えは簡単に出た。

 あの大魔王はそんなことに興味がなかったのだ。

 そして詩的な台詞は、人類の愚かさを歌っているに過ぎない。

 青年が死んだところで世界は何も変わらないと言うのに、悪意と不満を爆発させる市民達を見て切に思う。自分よりも社会的地位の高い存在の言葉に盲目に従い、周囲の人間がやっているからと言うだけで人を傷つける。考えることを放棄し、自ら行動することを忘れ、他人を否定することでしか自分の正しさを見つけることができない。

 どうしてそんな窮屈で苦しい生き方をするのか?

 別の生き方があるはずなに、それしか知らないと言う理由だけで戦争を続ける国家。それを支持する経済や政治。滅するか、支配するか、終わらない闘争の渦を維持し続け、疲弊した世界には破滅しか待っていないだろう。

 他人の人生は、統計であり、経済であり、産業でしかない。生き死には、単純に損得と言い換えられる。効率化された魂と、軽薄になるその価値。

 人類は未だに幼年期の途上だ。

 だからこそ、大魔王は自らの力とその恐怖で世界を無理矢理にまとめ上げていた。人類が立てるように、自分の力で立ち上がれるように、ずっと見守ってくれていた。

 だからこそ、青年に斬られるその瞬間、彼は何の抵抗もしなかったのだろう。ようやく、自分の手の中から巣立つ時が来たと、喜んでいたのかもしれない。

 勿論、その方法が絶対に正しい物であるとまで、青年は言わない。

 だが、人間同士が争い、互いに憎み合うよりはマシだっただろう。

 人類が一人で立ち上がるにはまだ早すぎた。大魔王と言う不器用な父親が必要だ。

 ――なら、どうする?

 小高い丘の上に、自らが掲げられる十字架を突き刺し、青年は決まりきった答えを引っ張り出す為に自問する。

『しかし、忘れるな? 人の心から闇が消えぬ限り、我等『憎魔』は決して滅びぬのだ』

 大魔王は今わの際にそんなことを言った。

 人類は闇を打ち払えただろうか? 弱さと向き合えただろうか?

 何故、たった一人の大魔王『憎魔』を指して、『我等』と言ったのか?

 滅びた肉体が復活し、青年を現世に留めた理由はなんだろうか?

「俺が『憎魔』になればいいんだろう?」

 十字架に額をぶつけ、青年は呟く。

「俺が人類を見守ればいんだろう?」

 何度も何度も十字架に額をぶつける。額が斬れ、血が出た。それでも青年はやめない。血液は、人と同じ色をしている。

 見張りをしていた兵士が慌てた様子で近寄って来る。突如発狂したようにも見える青年の様子に、民衆は興奮した声を上げる。

 しかし、それも一瞬ことだった。

 近寄って来た衛兵の首を青年が手刀で斬り飛ばすと、しじまが訪れる。

 しかし、それもやはり一瞬のことだった。

「我は『憎魔』。大魔王『憎魔』!」

 さあ。恐怖しろ。青年は返す手で更にもう一人の兵士の身体を袈裟懸けに斬り伏せる。断末魔の叫びと、噴き出した血が地面に叩きつけられる音が丘に響き渡る。

 突き刺した十字架を引き抜き、民衆へと投げつけた。野次馬達は悲鳴を上げると、青年に背中を向けて駆け出す。

 ただ原始的な生存本能に任せる獣の如き姿に、青年は失望を禁じ得ない。

 いや。それだけならましだろう。獣ならまだ良かった。逃げ惑う人々は、男も女も老いも若いも関係なく、我先にと他人の服や腕を引っ張り、醜い姿を晒している。

 なんて人間らしいんだろうか? なんて愚かなんだろうか?

 こんな生き物の中から、果たして真に平和を導ける者が生まれ出るのか?

 わからない。

「いや。いいさ」

 が、新たな大魔王は首を横に振って、寂しそうに笑う。

「待とう。時間はたっぷりある」

 きっと人類が目覚める時は来る。それまで、大魔王は滅びない様に世界の争いをコントロールしていれば良い。手のかかる幼児達が大人になるまでの間、見守り続けるのが大魔王と言うシステムの存在理由なのだから。




 こうして、七年振りに新たな大魔王が世界に現れた。

 魔法を使えず、億千万の刃を操る大魔王は後に『異魔刃』と呼ばれ、幾多の戦場を滅ぼし、血と屍の河を数多に作りながら、北の大地に再び現れたエルドバーストへと入城する。

 人類は再び互いの手を取り合い、この新たな脅威への抵抗を始めた。




 そして、一〇〇〇年後。

 異魔刃『憎魔』は、様々な困難を乗り越えて現れた四人の戦士達にこう言うのだった。

「何故もがき生きるのか。滅びこそ我が喜び。死にゆく者こそ美しい」

 既に摩耗してしまった精神が忘れることを許さない台詞を。

「さあ。我が腕の中で息絶えるが好い!」




 その後の歴史は、まだ誰も知らない。


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