くらげ
巨大イカに食べられてしまった。
思えば,ヘドロまみれの工業港の海面に浮かぶ無数のくらげ達を眺めていた僕が悪かったのだ。突然海面から伸びてきた巨大イカの触腕に足を絡め取られて,僕はそのままヘドロの海に引きずり込まれ,そして巨大イカの強力なアゴで体をバラバラに噛み砕かれ飲み込まれてしまった。
――巨大イカの胃袋の中は意外と居心地が良い。母親の胎内で眠っている赤ん坊は,きっとこういう感じなんだろうと思う。おッ,僕の胴体部分がゆっくりと回転しながら僕の目の前にやってきた。自分の背中をまじまじと見るのも貴重な体験だ。それなりに一人前の背中をしているじゃないか。
…徐々に僕の意識は混濁してきた。いよいよ,本格的に食物の消化が始まったようだ。
* * *
気付くと僕は,一匹の透き通った体をした小さなくらげになっていた。
ふと海面を見上げると,僕と同じ種類のくらげ達が数十匹,寄り添うようにして,頭の傘の部分を海面に浮かべ波に身を委ねるままぷかぷかと漂っている。
僕は彼らに近付いて,「あなた方は一体何をされているのですか」と尋ねた。すると僕の近くにいた一匹のくらげが,「ほら,空をご覧なさい。今日は綺麗な満月です。あの満月の黒く見える部分は,海なのです。私達は,その月の海で自分が身を漂わせている様子を空想しているのです」と教えてくれた。
遠くの方で,巨大イカが人間の体を噛み砕く鈍い音が鳴り響いた。
僕は今,月の海を漂っている。




