メルティー氏、オッサンの恥態を語る
メルティー氏の爆笑の発作が一応の終末を迎え、メルティー氏は俺と出会った時のことを話した。
その影響で、今俺は猛烈に鬱である。恥ずかしい。情けない。死にたい。消えたい。穴があったら入りたい。横穴だろうが縦穴だろうが構わない。俺はそこで膝を抱えて一生顔を埋めていたい。
え?何があったかって?自分の恥を、自ら暴露する物好きがどこに居ます?俺?俺は違うよ。だから俺は何も語るまい。語るとすれば、今は一応落ち着きを取り戻し。今後の行動について話している。隣のメルティー氏からの視点で語られるだろう。
何故俺の恥態が語られる前提で話が進んでるのかは甚だ疑問では有るが、どうやら俺にはどうする事も出来ない。世界の悪意を感じる。泣きたい。
その夜、魔法協会からの帰路についていた私の機嫌は猛烈に悪かった。
いらだちに任せ、近くの石壁を蹴りあげる。
堅牢に造られた石壁は肉体面において非力な私如きの蹴りなど容易く跳ね返す。
石壁は私の蹴りが放った衝撃をそのまま私の足に跳ね返し。私はつま先を抱えながら片足で跳ねまわるという魔法士にあるまじき恥態を晒す事となった。
慌てて辺りを見回したが、人の気配は無い。ほっと胸を撫で下ろす。
そしてまた腹が立ってきた。
「何が、天才でも失敗はするのですね、よ」
今日私は依頼中にあるミスを犯した。こともあろうか奴らはそれを笑っていたのだ。心底嬉しそうな顔で。何がそんなに嬉しいのか。
「あの、三流魔法士ども」
実家がいいとこの貴族だかなんだか知らないが、そんなものを振りかざし他者の足を引っ張ることしか出来ない者の存在など無駄を通り越して害悪にほかならない。
そしてやはり私の苛立ちの筆頭に来る人物といえば、奴らのリーダーであるあの傲慢陰険豚貴族だろう。
「バルドの糞豚野郎!」
魔法士としてのうだつはいつまでたっても上がらないが、意地の汚さだけは一級品と言っていいあるCランク魔法士の顔を思い浮かべる。内面の醜さが隠しきれずに顔にまで滲み出しているあの顔を思い出す度に腸が煮えくり返る。
オークを人間サイズにまで縮めて。上等な着物を着せた様な奇怪な生物。
人の足を引っ張ることに驚異的な才能を見せ。人を貶める事に圧倒的執着を見せるそいつは、小娘の分際で自分以上の魔法の腕を持つ私のことが気に入らないらしい。昔からチクチクと嫌がらせを受けていたのだ。全くもって忌々しい。ヤツのランクを超えてからは表立った嫌がらせこそ無くなったが時折やむおえず交わす言葉の節々には周囲に気取られぬ嫌味を含んで来るようになってきた。
自分を高めることもせずに、他人を引きずり下ろすことで自尊心を満たすそいつらは私にとって迷惑そのものだ。
他人の足を引っ張る暇があったら、自身を高みに持っていく努力ぐらいしなさいよ。嬉々として他人の足を引っ張るクズが!
だいたい、あいつ私がAランクになった時なんて言ったと思う?
私が異端ですって?鬼才ですって?突出しすぎてるですって?なにそれ?足並み揃えろってこと?実力があるのにそれを隠してあんたらの機嫌を伺わなくちゃいけないわけ?チャンチャラ可笑しいわ。なんで実力のある私が、実力のないあんたらに合わせなきゃいけないの?普通は逆でしょ。言い訳ばかりしてないで少しは追いつこうと足掻きなさいよ。
ああ、でもあなた達は諦めたのね。魔法士としての可能性を。だから周りのでも自分より下だった人間が這い上がるのは気に食わないってこと?馬鹿じゃないの?諦めるのは勝手だけど、それに周りを巻き込むなっての。勝手に諦めたのはあんたらでしょうが。
私は確かに天才ではあるわ。でも、仮にそうでなかったとしても私は諦めなかったと確信できる。少なくとも才能を言い訳に努力を渋る様な矮小で卑屈で自尊心だけは高い人間にはならないと断言できるわ。
「自分の努力不足を棚に上げて全部才能の一言で片付けようとするんじゃないわよ!!そういう事はちゃんと努力してダメだった人間の言う台詞なのよ!!馬鹿、アホ、俗豚!!」
今度は酒場の残飯を捨て置くゴミ捨て場のゴミを思いっきり蹴り飛ばしてやった。ゴミが宙に飛び散る様を見てちょっとスッキリ。あれが糞豚の顔だったらもっとスッキリするのでしょうけど、今日はこれくらいで手を打とうかしら。
幾分、苛立ちの収まった私は、そのまま家路に向かおうとしたのだが、何なんだろう?今日は厄日なのだろうか?それとも誰かが私の胃にどれだけ早く穴が空くかを競う競技でもやっているのだろうか?
「姉ちゃん。可愛いね。俺達と一緒に酒でも飲まない?奢るよ?」
品のない顔に下卑た笑みを浮かべたチンピラ冒険者が、こともあろうか私に声をかけてきた。装備から見ると戦士協会の連中だろう。戦士協会の冒険者の質は魔法協会以上と言われていが、目の前の男を見ればそれも怪しいところだが……。まあ、どこに行っても、こういった輩はいるのでしょうね。
そして私を舐め回すように見てくるあの視線、この誘いに乗ったら最期、どのような展開を望んでいるのか手に取るように分かる。普段なら、適当にあしらうタイプの連中だが、今日の私は、今まででも五指に入るくらいの機嫌の悪さだ。
あの、豚野郎と魂の質が似ているのだろうか。あの豚を彷彿とさせる笑みに鎮火しかかった怒りがぶり返して来るのを感じる。
「ここは人間の歩く道なのだけれど、知能の足りない豚は養豚所にお帰り」
「あん?」
言ってしまった。この手の輩にこういう事を言うと向かう先は決まっている。
「おめえ、何様だ?少し顔がいいからって優しくしてればつけ上がりやがって」
面白いぐらい簡単に乗ってきた。沸点の低いやつだ。私も人のことは言えないが……。
「女の子を引っ掛けたいならもっと教養をつけなさい。知性も品性も人並み以下の獣に言い寄られても迷惑なのだから」
「お前、俺が誰だかわかってんのか?」
知るか。
「自分の名前を道行く人皆が知ってると思ってるの?名乗られた覚えもないのだから私があなたを知っている筈ないでしょう。その軽い頭だって、そんなこと当たり前のことぐらい分かってると思ったのだけれど、ああごめんなさい私が間違っていたわ。あなたに人間的な思考を一方的に求めたのは私だものこれは私のミスだわ」
火に油を注ぐ行為をだが、もう止まらない。口調こそ冷静だが、私は今かなりナーバスと言っていい。ただでさえ不愉快な気分なところに、不愉快な人間が現れたのだ。私に何を我慢しろと?
そして、私の罵詈雑言に簡単に乗せられ顔を真赤にしてこちらを睨みつけてくるチンピラ冒険者はやはりと言うかなんというか。激高し、拳を振り上げ私に襲いかかってきた。腰に刺さっている剣を抜かなかったことだけは褒めてやってもいい。
「このアマ。ぶっ殺してやる」
私は、その拳が自身に届く前に護身用の簡易術式を発動する。簡単な物理障壁だ。本来は弱い魔物の攻撃を防ぐ程度のものだが、私の魔法には少しアレンジが加わっていて、攻撃者が物理障壁に攻撃を阻まれた場合、その衝撃が、そっくり攻撃を仕掛けた者に還る仕組みになっている。
後は目の前の間抜けが私に向かって拳を突き出してくれば奴は勝手に吹っ飛んで壁にでもぶつかって昏倒。そうなるはずだった。
しかし、私が作り上げた障壁が発動することはなかった。
ゆらりと私とチンピラの間に割り込む影があったからだ。男だった。
「ちょっと!」
私は声をあげたが、もう遅かった。私とチンピラを分断するように割り込んだその男は私の代わりに、私の障壁の代わりにチンピラの拳を顔面に受けて吹っ飛んでいた。
チンピラの方も突然の乱入者に驚いていたが、そんなことを気にしている場合ではなかった。チンピラは曲がりなりにも冒険者だ。日頃、相手にしているのは魔物である。人外との戦闘を食い扶持とする者の一撃を一般人が貰ったとしたら、無事では済まない。最悪死ぬ。そうなれば大事だ。
戦士協会の冒険者と魔法協会のAランク魔法士の私闘に巻き込まれ一般人が死亡。洒落にならない。そんなことになれば、私は魔法協会からの除名もありうる。仮にそれを逃れたとしても何らかの罰則は絶対にある。私の築き上げてきたものがガラガラと崩れ落ちる音がした。
こんなことをしている場合ではない。私は吹き飛んだ男に駆け寄り。治癒魔法を使おうとしたが、その必要が皆無であることに遅まきながら気がついた。
外傷が無い。確かにチンピラの拳は当たったはずだ。だというのに何故この男は傷ひとつおってないのか。そして何より。
「うっ!酒臭い」
男の身体中から放たれる強烈な酒気に私は顔をしかめる。顔を顰める私の横で男はゆっくりと立ち上がり私を見据える。目が座ってるところを見ると相当酔っているらしい。
そして私を見据えたその目が動揺に揺れる。その目はすぐに鋭いものへと変わり……
「離れろ」
刃物の様な声色でそれだけを言う。
「え?」
わけが分からず立ち尽くす私に、男は幾分切羽詰まった顔をしながら苛立たしげに言う。
「いいから離れろ!!」
予想以上に強い力で突き飛ばされ、何歩か後ろへとよろめきながら後退する私。私が後ろに下がった事を確認した男は静かに安堵する。安心したような、何か一つの大きな仕事をやり終えた様な達成感に満ちた顔を浮かべた男は……
「うっぷ……おえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ」
……吐いた。
どれだけの量を飲んだのだろう。口から滝のように酒を垂れ流すさまは、圧巻とすら言えた。私を突き飛ばした理由はこれかよ。
殆ど酒しか飲んでいないのか。吐瀉物特有の酸っぱい匂いがしないのが救いではあるが、やはり見ていて気持ちいいものではない。
「おい……てめえ」
忘れかけていたが、この場にはもう一人いたのだった。事の次第を呆気に取られて見ていた。チンピラは、ターゲットを酔っ払いに変えたらしく威圧的な声を出していた。
酔っぱらいはといえば、吐いたことでスッキリしたのか、妙に清々しい顔で。
「うおおおし、もう一件行ってみよう!」
酔っ払い特有の妙なテンションと安定しない呂律でそんなことを言っている。まだ飲む気かい。
「てめえ、この野郎。無視か?ああ!?」
酔っぱらいに詰め寄り肩をつかむチンピラ。
「りゃれかな君は~?おれの知ってる人~?」
頭をグラグラと揺らしながら。訳の分からない事を曰酔っぱらい。
「てめえ、舐めてんのか?」
チンピラが凄むが、酔っぱらい相手に凄むことの虚しさをわかっているのだろうか?おそらく分かってないだろう。
「なめてないれすよ~。ほら~きみたちケンカしてたれしょ~。でもさ~、ヒック、ケンカにすしては実力しゃが、うい、ありしゅぎ、うぷ、ありすぎて。ヘタしてたら~しんだかなって~、きみが、うっぷ」
チンピラを指さしながら言う冒険者に私は若干だが驚いた。
「ああ?」
酔っぱらいの言葉はチンピラの逆鱗に触れたようだが言っていることは全て事実だ。私とチンピラの間には如何ともし難い実力差がある。その気になれば。縊り殺すことなど造作も無い。まあ、そこまでやろうとか考えてなかったから濡れ衣もいいとこなのだけれど。
それにしても、あの酔っぱらい。私とチンピラの実力差を正確に測ったっての?酔っぱらいが?それで、チンピラを助けようとして、代わりに殴られた?そういえば、派手に吹っ飛んでた割にダメージもなかったし、うーん。
ダメだわからん。
「てめえ、俺があのアマに負けると思ってるのか?」
「十回やって~十回負けると~思いましゅ。やべっ、また気持ち悪くなってきた」
「この野郎、ぶっ殺してやる」
チンピラは酔っ払いを突き飛ばし、腰の剣を抜き放った。ええ?抜いちゃうの?たかが酔っぱらいに曲がりなりにも冒険者が……
これはちょっとやばいかもね。助けたほうがいいわね。大丈夫適当にあしらえばいいのだから。下級魔法の二、三発でも打ち込んでやれば直ぐに片が付くでしょ。
そう考えて、私は一歩前に踏み出した。酔っぱらいは私が何を使用としているのか察したらしい。
「あー、らいじょうぶ、らいじょうぶ」
「なにが?どう大丈夫なのかしら?」
私が尋ねると、酔っ払いは両手を広げ叫んだ。
「僕は死にましぇーん!貴方のことがてゅき(好き)だからー!」
だめだこいつ。意思疎通が出来ない。何を言ってるんだこの男は。
がっくりと項垂れ、消沈している私だったが、品のない叫びが聞こえ、ハッとして顔を上げた時にはチンピラが剣を振りかぶり、酔っぱらいに向かって突進していくところだった。
「まずっ!」
酔っぱらいのせいで対応がワンテンポ遅れた。
急いで魔力を練り上げて火の玉を生成する。そうして出来た火球をチンピラに向けて一直線に飛ばした。
ファイヤーボール、火の玉を相手にぶつける下級魔法だが応用が効いて使いやすい。込める魔力で威力が調節できるし、炎に特性を持たせる事もできる。
だがあの程度のチンピラ、込める魔力を間違えれば消し炭になることは想像に難くないので、込める魔力をできる限り小さくしたはずだった。はずだったのだ。
だが、実際に放たれた火球は私の想像よりもかなり大ぶりなものだった。
……あっ。まずい、魔力込めすぎた。急いで作ったためか、本来必要な魔力量を遥かに超えた量が込められた火球がチンピラに向かって飛んでいってる。本来は片手で収まる程度の火球をぶつけるつもりだった。だが実際に放たれたそれはチンピラの身体など容易に飲み込んでしまうような大火球。
我ながらいい出来……じゃなくてこの状況はまずい。自分で作っといてなんだがあれだけの魔力を打ち消すには障壁を張るにも時間がかかりすぎる。魔法障壁を張るのは意外に時間が掛かるのだ。
他の魔法で相殺するにしても、この場所からは不可能である。
火球に気がついたチンピラの顔が最初は驚愕の表情を浮かべ、それが自分に近づいて来るとわかると驚愕は恐怖へと代わる。
「逃げなさい!」
チンピラに退避を促すが、立ったまま腰を抜かしたらしく。その動きは鈍い。
。何より如何なる理由があろうと魔法操作をミスるなど魔法士としてあるまじき失態だ。自分の失態が原因で人が死ぬなど相手がどんなやつだろうと我慢ならない。
「ああ!もう!」
本当に今日は厄日だ。私はヤケクソ気味に叫び、空間転移でチンピラの前へと転移した。チンピラを無属性の魔力弾を当てて後ろへと吹き飛ばし。更に私の前方に即興の魔法障壁を張る。だが、時間が足りない。貼られた障壁は、最下級の魔法障壁。目の前の火球に対向するだけの障壁を貼るには、コンマ数秒足りない。チンピラはまあ、あれだけの距離があれば無傷だろう。私はわからんが……
最悪だ。今の障壁でどれだけ威力を緩和できるが分からないが、殺しきれない炎はそのまま私の身体を焼くであろう。死にはしなくても全身に火傷を負うくらいは覚悟したほうがいいかもしれない。
自ら放った魔法を自ら受けるなんて洒落にもならない。魔法協会に知れたらいい笑いものである。まったく。どこで狂った。私の人生。
見る見る火球が大きくなり、次の瞬間、自分を襲うであろう猛烈な熱波を考え。歯を食いしばった時だった。ふらふらと私と火球を分断する様な位置に立ったそいつは言わずもがな酔っぱらいだった。
「馬鹿!」
思わず私は叫んだ。しかしもう遅い。火球は酔っぱらいに迫り、避けることは敵わない。当然酔っぱらいの前に障壁等は無い。
もう無理だ見ている事しか出来ない。自分の炎で酔っぱらいが焼かれる一部始終を。
だが、そうならなかった。
絶望にも似たその気持を目の前の酔っぱらいは吹き飛ばしたのだ。……火球ごと。
酔っぱらいが勢いよく手のひらを前に突き出すと同時に、手のひらから少量の魔力が発生しそれが大火球を消したのだ。僅かな魔力をぶつけたところで、本来ならば、その魔力ごと、飲み込まれるのが落ちだ。放たれたで多少炎の形を崩そうとも、私の火球と手少なくない魔力が含まれている。魔力を含んだ炎はそれしきで消滅しない。込められた魔力が形を崩しかける炎を引き寄せ、もとの火球へと戻る。酔っぱらい放った魔力など容易に飲み込み、酔っ払いは塵芥の仲間入りとなるのが避けようのないシナリオのはずだった。
だが実際目の前で起きたことは違った。酔っぱらいの魔力が火球に当たると同時にまずは火球が形を崩した。形を崩した火球はだんだんを魔力を霧散させ、最期には形の無いただの炎へ、その炎すらも霧散し。最期には消え去ってしまった。
本来そんな事はありえない。魔力で火球や水弾に対抗するには、それ以上の魔力をもって打ち消すのが、魔法士の戦い方だ。
何故あんな、魔力で私の火球を相殺できた?あんなのは知らない。酔っぱらいが何をしたのか、私には分からない。いや、だれであろうと分かるはずがない。なんせ目の前の酔っぱらいの使った術は、リディア史上、だれも使ったことの無い魔法なのだから。分かるはずがない。術を使った本人以外は……。
いつの間にか、チンピラ冒険者は姿を消していたが、そんなことはどうでも良かった。最早、私の目には先ほど起こった信じられない光景と、それを実践した酔っぱらいしか映っていなかった。
そんな私の胸中を知らないであろう酔っ払いは、私の火球を消し満足したのか。フラフラと立ち去っていった。
私は声を掛けることすら出来ず、ただその酔っぱらいを見送る他ならなかった。
もう一度だけ言わせてほしい。今日は、厄日だ。