第二話
スタンバーの街を発ち、シュンたちが畜産の村コルクに着いた頃、小さな村は今日の仕事を終え、夜の仕度を始めていた。たった今沈んだ太陽が稜線を描く。すぐにその光は消え、辺りは暗くなる筈だ。ぽつぽつと点在する民家に明かりが灯る。
当初の予定では、もう少し陽の高いうちに着くはずだった。昼に発った街とこの村は森こそ隔てているものの、その距離はあまり離れておらず、生産の村と加工の街として深い関わりがある。この間に時間がかかったのは、ひとえにシュンの方向音痴が原因といえるだろう。街を発つ際絡んできた例のチンピラをまくのに彼の俊足は実に役立ったが、先頭を走っていたのがそもそも悪かった。やみくもに走ればどうなるか、結果は見えていたというのに。
「お前、もう先頭走るな」
ちなみに、迷っていたところを助けてくれたのは昼間も世話になった鳥たち。自分たちも巣に帰るところだからと、トトの通訳もありお言葉に甘えたのだが、本日二度目の道なき道にコウがご立腹なのも納得である。当の本人は妖精って便利だねとどこ吹く風なので、一発殴りたくなった。
コルクはコウの言っていた通り何もない村だった。村の主な通りと思われる道沿いには建物が三軒しかなく、うち一軒に宿屋の看板らしきものを見つけるも明らかに朽ち、現在は営業していないことが分かる。陽が落ちたこの村で出来ることなど宿で休むくらいと考えていたシュンは腕を組んだ。これは困った。
「宿がないんじゃ仕方ない、今日は野宿」
「嫌だ」
シュンの提案を食い気味で却下したのはコウだった。あまりの拒否の速さにシュンは呆気に取られる。
「こういう村は集会所なんかが旅人向けに開放されてるもんなんだ」
今日はそこを借りる、とコウは今のやり取りを無かったことにするかのような早口で捲し立て、自分は早々に村の奥へと進んでいく。いまだ状況がよく読めていないシュンにトトが小さく耳打ちした。
「コウね、野宿嫌いなの」
「ええ?」
旅人が野宿を嫌うなんて聞いたことがない。驚くのはそれが旅を始めたばかりのシュンではなく、もう一年程旅を続けているコウの意見だという点だ。そういえば出会って数日、野宿をしたことが無かった。しかし移動中に日が暮れることもあろう旅路においてそんなこと可能なのだろうか?
シュンが疑問を口に出そうとしたとき、口の悪い同行者はすでに集会所の宿泊許可を得、建物内に入るところだった。行動が早い。
集会所の寝室には清潔なシーツのベットが並んでいた。普段旅人の宿泊はほとんどないと言うものの、仕入れに来た行商人がまれに泊るらしく、この日も先客が一人。商人だという男はこの村の住人ともすでに顔なじみで、村長の家で夕飯をごちそうになるから一緒にどうだいというお誘いをシュンは満面の笑みで受け取ったのだった。
「そういえば旅人さんはどうして旅をしているのだね?」
乳製品をふんだんに使った夕飯をごちそうになっているとき、村長がはたと首をかしげる。スープの最後の一口を飲み干そうとしていたシュンは一度スプーンを置き、上着のポケットを探った。
「人を探しているんです」
「人?」
「はい、この女の子見たことありませんか?この村を通った筈なんです」
ポケットから取り出されたのは詳細に描かれた少女の絵だった。短く切りそろえられた髪に、少し気の強そうな眉。少女の口元は柔らかな微笑を湛え、しかし瞳には強い意志を宿している。この少女こそシュンが探しているハルであった。村長は申し訳なさげに首を横に振ったが、それを隣で見ていた商人があ!と声を上げる。
「この嬢ちゃん、トゥクの船着き場で見たぞ」
「! 本当ですか!」
男によるとひと月ほど前、ハルは東大陸の貿易港トゥクから中央島メルエ行きの船に乗っていたということだった。それを聞いてシュンは頭を抱える。まさか大陸を出ていたとは、流石に想定していなかった。それを見たコウが不機嫌そうに―もともとこういう顔が標準なのだが―シュンに向き直る。
「なんだ、大陸出たらお手上げか?」
「そ、そんなことないよ!」
シュンはがばっと立ち上がる。そうだ、いくら距離を開かれようとも追いつくと決めたのだ。彼女が故郷を出てふた月、その間悩みながらも何もしなかった自分を責めてきた。それをここで引き下がる訳がない。それを見ていた商人の男は大きく笑い、シュンの背中をばしばしと叩いてから、
「よおーっし!そういうことならトゥクまで連れてってやるよ!」
まかせてくんな!と自身の胸を強く叩く。丁度明日の朝トゥクへ発つという商人は馬車に乗せてやると約束してくれて、乗り心地は保証しないがね、と付け加える。そうときまれば明日は早いということでこの日はお開きとなり、シュンは商人に感謝を述べ、一同は集会所へ戻った。
集会所の寝室に一際大きないびきが響く。商人のそれに目が覚めてしまった訳ではないけれど、シュンは目が冴えなかなか寝付けないでいた。明日は早いのだから早く寝なければと気持ちが急くとかえって駄目なようで、あくびの一つも出ない。もどかしくてふうと息をついたとき、隣から声がかかった。
「眠れないのか」
「あれ、コウも起きてたの?」
いびきの他に健やかな寝息が小さく聞こえていたのでてっきり寝ていると思ったのだが、どうやらそれはトトのものだったようだ。早く寝ないと明日きついぞ、と言ってコウは寝返りを打ちシュンに背を向ける。シュンは仰向けのまま生返事をし、あまり深く考えず、ふと思った疑問を口にした。
「…そういえば、コウは僕に会う前はどうして旅をしていたの?」
返事はない。寝てしまったのかなと視線だけ横に向ければ、コウが鼻で笑った声が聞こえた。そんなに変なこと聞いただろうか。少し間をおいてコウは皮肉でも含んでいるかのような嫌味を利かせた口調で答える。
「そうだな。強いて言うなら『暇だったから』かな」
「暇?」
「ああ。俺は暇だったんだ」
だからあんたの人探しも暇つぶしがてら手伝ってんのさ。そういうコウの顔は見えない。どういう表情なのかわからなかったが、シュンはその口調に違和感を感じる。しかし結局そこに触れることはないまま二人はその日の会話を終えた
翌朝は日の出と共に起きた、というよりシュンとコウは起こされた。昨晩真っ先に床についた商人は今朝真っ先に起き、馬車に積み込まれた荷物を点検する。どれも大切な商品らしく、幸い一つの漏れもない。その馬車には荷物の脇に小さなスペースが設けてあり、商人にそこに乗るように指示され、シュンとコウは窮屈な空間に押し込められた。元々予定にない自分たちを運んで貰うのだ、贅沢は言っていられない。コウが少々我慢できなさそうな表情になっているのをトトが必死に宥めた。
男が馬に鞭を入れる。静かに動き出す馬車は朝日が描く稜線を背に、西の港町を目指し速度を速めていった。