第9話 魔王と勇者の選択
終わり始めた楽園の中心で、魔王と勇者は対峙する。
ざぶりざぶりと雷をものともせずに魔王は沼を闊歩する。
無言のままに、勇者の元へと進んでゆく。
「魔王様。お答えください。賭けの答えを! カードはすでに捲られたのですかッ――」
魔王は拳が勇者の言葉を断った。
「ふざけるなッ!! ふざけるなよ勇者! お前とて分かっているだろう!? この二月余り、我らが過ごしたこの日々の重みが分からぬお前ではないだろうが!!」
「えぇ分かっていますとも、あの時期に、和平を結ぶあの時期に勇者と魔王が姿を消したのです。とてもじゃないですが、そのまま和平が結べたとは思えませんね」
激昂する魔王に対し、勇者は至って冷静――いや穏やかとすら言える表情を浮かべて笑う。
「ならば――!」
「何故? などと聞かないで下さいね。だからこそ意味があるのです。あの時だけが、私の力で世界のすべてを賭け場に乗せられたのです。そうでなければ全ては茶番に終わってしまった」
「このあり様が茶番以外の何だと言うのだ!!」
魔王は勇者を引き倒し、馬乗りになって拳を振るう。がむしゃらに、がむしゃらに――。
「全てを得るか、全てを失うか、ですよ。それ以外の答えでは私は止められない。――それと殴られて喜ぶ趣味はないんですがねッ!」
「なっ!? くっ……」
勇者は振り下ろされる拳を捉え、そのままに引っくりかえす。体重と腕力の差は歴然で、容易く形勢は逆転する。
「華奢な身体だ。細く軽い、人間の少女とさして違いもない。魔力のないこの世界では、貴方はこうも弱いのですよ」
魔王はもがくも、勇者の体はびくともしない。やがて抵抗もやめ、魔王の緋の目からは激情が失せた。しかしそれでも静かな意思が灯っている。紛れもなく魔王の顔がそこにはあった。
「勇者よ……。我を元の世界へ戻せ。責めはせぬ。我の油断が故だ。我の慢心が故だ。なれば戻せ。さすれば我は今一度和平を築こう。平和を成そう」
「魔王様……いいえイヴ。私と過ごした二か月は無駄でしたか? 無益なものでしたか? 貴女には不要なものでしたか? お答えください」
「……無駄なものか。無益であるものか。どれほど望んだものかッ……。どれほど憧れた事かッ!! だがそれは幼いイヴの夢に過ぎぬのだ」
「ならば良いではありませんか! 私と共にこの世界にいましょう。今まで以上に楽しく過ごしましょう。永遠の平和を2人で過ごしましょう」
「ならん。我はすでに魔王だ。魔族の王なのだ。捨てられぬ。忘れられぬ。違えられはしないのだ……。成さねばならぬ。先の戦争で屍山血河を築いた我が、どうしてこうも幸福を享受できよう。我にはッ――!?」
「イヴ。私は貴女が愛おしい。どうか一緒にいてくれませんか?」
勇者の唇が魔王の言葉を塞ぐ。
しかし互いの顔はすぐに離れる。勇者の口からは魔王の瞳と同じ色の液体が滴っている。勇者の顔に浮かぶのは驚きで無く、失望で無く、安堵であった。
「……勇者よ勇者。我に言わせるのか!? 我にッ! 頼む勇者。言わせないでくれ……」
「それが答えですか……」
どうして怒れよう。どうして泣けよう。魔王がこうも泣き出しそうだというのに……。乱世を平定した王の言葉じゃない。この二か月を共に過ごした少女の言葉を持って、魔王は勇者を拒絶したのだから。
だから勇者は笑う。手を放し、立ちあがって笑う。
「魔王様。ご安心ください。ほどなく我々は帰還を果たします。あの糞ったれな世界に!」
「なっ!? ならこの茶番は一体なんだったのだ!」
「余興ですよ。貴女の答えは分かっていた。貴女は自らの意志を捨てられなかった。使命を、責任を、しがらみを! 賭けは今のところ私の二連勝」
「何を言って……」
「一つは運。起こるはずのない悲劇。貴女は善意からこの森に入った。私の為に! しかしその善意は最悪の目を出した。起こるはずのない破滅を引き当てた」
「お前は一体何を言っているのだ」
「一つは意志。平和は何者もを満たす万能の器たり得ないかった。平和を知るものですら、平和を選べないのです。どうして知らぬ大勢が平和を手に取ることが出来るのでしょう」
「いったい何をする気なのだ勇者!!」
「そら世界が閉じますよ。最後の賭けの答えを見ましょう!」
勇者は笑い。魔王は叫ぶ。偽りの平和は幕を下ろし、世界はようやく動き出す。