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第8話 魔王と勇者の決断

楽園の果て。暗い森。辿り付けぬ筈の迷いの森、その最奥。雷の沼に囲まれた一本の樹。世界の中心にて、運命は賽子を振る。



「魔王様こんなところでなにをなさっているんですか。まったく世話の焼ける……」


 振り向けば、魔王の紅の目に映る赤茶けた髪。いつも通りの胡散臭い笑顔を浮かべた勇者が立っていた。


 それでも魔王は悲しく聞こえた。いつも通りだというのに酷く切なくて、事実から必死に目を背けようと、自信を偽る者の悲哀を感じたのだ。


「ど、どうしたのだ勇者よ……。我を、お前の為を思っ――」


 罅割れた音が、魔王の言葉を断つ。蛇だ。真っ赤な果実より生まれた黒蛇が、勇者へと牙をむいている。魔王にはその蛇が怒っているように見えた。


「まさか、いいえ、やはり。貴女がここへ呼んだのですか。はぁ……存外に堪え性のない方ですね。これは参った。私としてはこんなところで、終わらせたくはなかったのですが……」


 勇者は言った。魔王にではなく、蛇に向かって――。


「これでは仕方がありません。茶番は終わりにしましょう。後は貴女に任せますよ――」 


 ――魔王陛下、と。



『おのれ、おのれよくも、よくもやってくれたな』


 蛇の口より漏れていた音が、声へと書き変わる。


「おっと、恨み事を聞く気はありませんよ。貴女は私にまんまとしてやられただけですから、それはただの負け犬の遠吠えだ。そんなことより見せて頂きましょう。貴女の選択を――」


 そう言って勇者は数歩下がる。


 残されるのは蛇と、まったく事態に付いていけず置いてけぼりの魔王。


「なんだ、なんなのだ? 魔王は我であろう。この蛇は一体……」


 勇者の方を睨むように向いていた蛇が、諦めたように魔王へと体を伸ばす。 


『貴様も貴様だ。何をやっている。何を暢気にやっている。なぜ貴様がそんな腑抜けた顔をしているのだ。なぜ貴様が笑っていられるのだ』


「し、失礼な奴めっ! 我は腑抜けてなどおらぬわッ!!」


『なんと情けない。なんと惨めなことか……。これの様か』


「ぬぉおおお!? 勝手に失望するでないわっ!!」


 蛇は落ち込み、魔王は激昂する。それを見ていた勇者は溜め息一つに、割って入る。


「あぁ……その、無駄なことはやめましょう。この期に及んで茶番を続けても意味はないですからね。今の魔王様の在り様を責めるのでしたら、私にお願いします」


『チィ……。よい、大体の察しは付いておる。この様な馬鹿げた魔法を人の身で……」


 と悔しそうに蛇は黙るが、魔王は一向に納得がいかないらしく、蚊帳の外の寂しさも相俟って拗ねた様子で沼に小石を一人投げ込んでいる。


「我だけ仲間外れかぁ……。あーぁー。我だけー仲間外れーかぁー」


「不貞腐れないで下さいよ魔王様」


「ならば我にも説明を要求する! ずるいぞ! 勝手にその蛇と盛り上がりおって!」


 勇者に詰め寄り権利を主張する魔王……だがいつも通りに子供にしか見えないその姿。それを見た蛇などは怒りを越えて悲壮感すら漂わせている。


「怖い方がいますので、手短にお教えしましょう」


「うむ! 手短に申すが良い!」


 調子づいた魔王。なんの優越感かチラリと蛇を見て、ふふんと勝ち誇る。蛇の悲壮感は絶望へと名を変えた。


「覚えておいでですか? あの夜の事を、始まりの日の事を」


「うむ? 覚えておるぞ? 確かあれだな。戦争が大変なことになって、人間と魔族の仲直り会の前の晩だろう? 勇者が世界をどうするだとか、平和がどうとか……。あぁ! それで賭けをすることになったんだっ――ひぁっ!?」


『何故だッ!! 何故そこまで覚えていて、貴様は何を悠長にッ――!!」


 蛇が叫ぶ。牙を剥き出しに魔王へと喰らいかかるが、沼の縁までしかその身が伸びない。魔王には届かない。


「だから責めるのなら私にと……。魔王様がこうなるように、随分と苦労したんですから……」


「勇者? 何を言って……」


「私はこの世界を創るとき。魔王様を二つに分けました。正確には抜き出しただけで、等分ではないのですが……」


 魔王の笑顔が凍る。信頼し切った笑顔が止まる。


「私は魔王様から、魔王たり得るすべてを抜き出したのです。記憶をそのままに、しかしその責任を、意志を、覚悟を、誓いを――抜き出し隔離した」


『それが我か……』


「正確にはその果実ですが……。私としては自我が生まれ干渉してくることは想定外でしたよ。もっともそれ込みでの賭けですが」


「ゆ、勇者? 我は、我だぞ? なぁ、勇者、勇者ぁ!!」


 魔王は自身の記憶と感情を擦り合わせ、違和感を見つけてしまったのである。その違和感は瞬く間に広がっていく。幸福で、平和だったこの一月余りの記憶を食い潰すように。この崩壊を止める術など――。


 しかし破滅は押し止められる。


「大丈夫ですよ魔王様。いえ、魔王ではありませんね。でも貴女は確かに本物なんです。魔王では無いというだけの、ごく普通の魔族の少女です。だから貴女は紛れもなく本物のイヴなんですよ」


「ふぇ……。勇者、勇者勇者勇者ぁあ!!」


 勇者は魔王を抱きしめる。魔王は子供の様に泣いている。記憶と感情の奔流を、自身が壊れてしまわぬように涙に変えて……。


『もう良いだろう。時間の浪費だ。先へ進めろ。見るに堪えん……』


 蛇の催促に勇者は応え、話を進める。


「魔王――いいえイヴ。もう時間は動き出してしまいました。ならば進まねばなりません。貴女が壊れてしまう前に、すべてが台無しになってしまう前に、私たちは賭けの結果を見なくてはいけない」


『来い魔王。沼の雷はお前には効かぬ。来るのだ魔王。お前がまだなお魔王というのなら、喰らえ果実を! 思い出せ我を!』


 蛇の誘い。魔王は今一度勇者の顔を見て、困ったように笑う。そこには抱き止め、慰めてくれた優しい青年の笑顔はなかった。世界を憂い平和を求める、傲慢な勇者が立っていた。魔王には勇者が浮かべるその悲しそうな表情の意味を、尋ねることは出来なかった。


 だから魔王は前へと進む。沼は深くない。雷は襲ってこない。蛇の姿はどこにもない。


 静止した世界を魔王だけが進んでいく。そうして魔王は樹へと辿り着き、真っ赤な果実へ手を伸ばす。


 手に収まる果実を見つめる。なんてことはないただの果実だ。もう飽くほどに食べたものと違いはない。


 それでも口へと運べない。とても美味しそうに見えるのだが、酷く嫌な予感を魔王は感じていた。


 全部が終わってしまう予感。無性に勇者の顔が見たくなったが、止めた。魔王は思い出す。さっきの勇者が浮かべた表情を――。


「あぁきっともう終わってしまったんだ。我が知らぬ間に、我によって終わってしまった……」


 誰にも届かぬ後悔は風に消えて、魔王は真紅の果実に口付けをするかのように唇を当てる。


 ――シャク。


 ……賽子が転がる音がした。

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