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第1話  魔王と勇者の将棋 

 二人の男女が対峙している。


 男のほうは平々凡々、赤茶けた髪に茶の瞳。好青年と呼ぶには些か生気に欠ける気がするが……まぁ人並みといったところ。


 一方女は絶世の美女と称して異を唱えるものなど世界に精々一人いるかどうかだろう。もっともその一人が問題なのだがそれは置いておこう。


 ともかく、女の髪は流れる金糸の川のようで、陶磁のような白い肌には染みひとつ見当たりはしない。意思の強そうなその顔立ちは女傑と呼ぶに相応しく、緋の瞳は血と炎を押し固めた宝石のようである。


 しかしその宝石は今現在、烈火の激情に燃えており、女の美貌を幾段か幼いものにしている。


「あ、王手です。魔王様」


「なっ――ひ、卑怯な……。くぅ逃げぬ、逃げぬぞぉ! 我は魔王ぞ、不退転の魔王である。退かぬし、負けぬ」


「いや、引かなきゃ負けですよ。いくら馬鹿でもルールを守らないお馬鹿とは遊べないですね」


「ぬぁっ!? 馬鹿? 貴様、我を馬鹿と謗ったか? くふふふ……覚悟しろよ勇者よ。我を馬鹿にして生き残った者はいないのだからな。ふははははは」


 盛大に笑う女――もとい魔王は、なんだかとっても子供っぽいのだった。





 楽園で魔王と勇者は向かい合って将棋をしていた。


 魔王の手勢は壊滅し、最初の場所から動いていない暢気な王様はは完全に包囲されていた。


「早くしてくださいよ。どうせ魔王様の負けですから」


「ぬぐぐぐぐ……許せ臣下よ。許せ民よ。我は、我は退く。しかし信じよ。これは決して敗北などではない。敗走ではないのだ。いづれ勝利を手に入れんがための退却なのだ!」


 薄っすらと涙を浮かべ拳を握り締め決意する魔王。


 王の駒の握り締め今、魔王の生涯における初めての撤退を打つ。いや打とうとした……。


「あれ? むむぅ? なぁ勇者? これ逃げられなくないか?」


 先の気概も決意もどこへやら。純粋に疑問をぶつける。


「あ、そこ角道なんで無理ですね。というか詰んでますから魔王様の負けですよ。言ったじゃないですか、どうせ負けだって」


「ぬぁあああああああああああああああああああああああああ。なんだったんだ我の決意はっ!? 初めてだったんだぞ? 無駄じゃないか。負けてるのに一人であんな決意恥ずかしいぞッ!?」


「無駄なんて事ないですよ。魔王様の決意頂きました。実に見事な一人芝居でした。人は落ちるとこまで落ちるんですね。勉強になります」


「落ちてないっ!? 全然まだ大丈夫だし、ちょっと退こうかなって思っただけだし、ウチのシマじゃノーカンってゆーか、全然悔しくないし……」


 段々と勢いを失って涙を溜める魔王。


 しかしここで泣き伏せるようでは魔王にあらず! 湿気る心を再燃させ立ち上がる。


「よし。もう一度。もう一度だ。もう一度すれば勝てる。今のは練習だ練習。ワンモア」


「そこまでされたら流石の私も無碍にはできませんね。さぁ魔王様。頭を地面から上げてください」


「土下座なんぞしとらんわっ!!」


「あ、服も着て良いですよ?」


「えぇええええええええええええ!? 我全裸だったの!? 全裸で土下座してたの? どうやったらそんな状態になるんだ! そこまでしないともう一回やってくれないのかっ!?」


「……冗談です。馬鹿なこと言ってないで、とっとと駒並べてください。あ、私のほうのも並べてくださいね」


 勇者に半ば呆れられた目を向けられる事に、納得はできない魔王だが、渋々と駒を並べていく。


 せっせと並べる姿に世界の半分を支配した魔王の面影はなく、もはやただの子供のようである。


「よしできたぞ。我、先手な? な?」


「えぇ良いですよ。どうせ私の勝ちですし」


「くふふふ。今に吼え面をかくがいい。我に秘策あり」


 緋の目を薄くし、口元をニヤリと上げる。


「征けアルフォード。一番槍はやはりお前が相応しい。我が覇道その先陣を切るのだ」


 と魔王は高らかに玉前の歩を進める。そう、秘策とは駒に名前をつける事で一手一手に集中する事。


 まさにその気迫まさに一軍の将、否! その将を束ねる王の風格。


「その身に刻め。必殺の陣形――|暗黒殺戮舞踏≪ダークネスサクリファイス≫ッ!!」


 ダークネスサクリファイス……舞踏が迷子なのは置いておいて、ひたすらに中央に戦力集中させ突破しようとする余りに杜撰な戦法であった。


「アルフォード、サンジェルマン……貴様らの犠牲は忘れはしない。貴様らが拓いた道は我が覇道ぞ!」


「デンドロッサ、ルーシェン、ドミニア……」


 不幸にも戦局の読めない王に仕えた哀れな兵たちは、次々に勇者の手中に落ちてゆく。


「あぁ……ルッシェンホルグ。くぅまだ我がいる。負けはせぬさ。我は魔を統べる王ぞ」


 ――数分後。盤上には孤軍奮闘と呼ぶにも哀れな王がいた……。


「ぐぬぬぬぅ……まだだ。たとえ一人になったとしても今まで犠牲になった者を想えば退けはせぬ」


 駒に名前をつけた所為か、いつの間にやら感情移入している魔王。浮かぶ涙にも心なしか重みがある。


「はい。王手です」


「な、な、ななななぁああああああああああああああ!?」


 絶叫――悲鳴と呼ぶには余りに悲しすぎる。悲憤とも呼べる嘆きであった。


「サンジェルマン……どうして、どうしてだぁあああああああああああああ」


 身を呈して守ってくれる兵――張れる駒などない孤独の王は、勇者が送り出したサンジェルマン――張られた香車の筋から、転がり逃げる。


「王手です」


「デンドロッサ……ドミニアまで! 何故だ何故我を裏切るのだぁああああ!?」


 次々と張られる駒。銀が追い、更に金が逃げ場を埋める。


 哀れ、かつての臣下に追われる王は瞬く間に逃げ場を失っていく。


「くぅう。勇者め、卑劣な。これが人間のやり方か、これが勇者のやり方か。おのれ、おのれ許さぬぞぉ」


 もはや涙を拭うこともしない魔王。言葉面の威勢はともかく、もはや童女もかくやの有様である。


「ふぅ、仕方ないですね。返してあげても良いですよ?」


「…………え? 本当か? 我の臣下を、アルフォードをサンジェルマンをルッシェ--」


「本当ですとも、私が嘘をついた事などないじゃないですか」


 町民Dの次男みたいな平凡な顔だが、浮かぶ笑みの胡散臭さは一級品である。


「おぉぉ。ならこの盤に出てるのもだぞ?」


 喜色を隠す気すらない魔王に、威厳などは微塵もない。


「ですが、捕虜返還です。相応の条件を飲んでいただかなければ……」


「む、我が臣下のためなら、どんな条件だろうと飲もう。山のような金貨を積み上げようか? それとも世界の半分でもくれてやろうか?」


「一人につき一枚」


「……………………………一枚? なに金貨か? はっはっはっ、何だ勇者よ。お前も謙虚――――」


「脱いでいってください」


「え? えぇっと、世界の半分でも――」


「こんな世界の半分なんて貰ってもどうしようもないです。ってか私のですし。脱いでいってください。それとも魔王様は兵を見捨てるのですか? 己が羞恥が惜しくて兵を犠牲になさるおつもりかッ!!」


「ぬぐぐぅ、いやその、む、むぅ…………か、髪留めも一枚に数えてもよい?」




 半数ほどの兵が戻った頃。孤高の魔王は、あっぱれ裸の王様にジョブチェンジを果たしていた。


「あの……勇者? もう我、脱げるのないんだけど……」


 もじもじと視線に晒される面積を少しでも狭めようと奮闘する魔王。実に意地らしい乙女の様である。


「あぁ、そうですね。何せ私、勇者ですからね。腐り果てていても乙女は乙女、下着まで脱げと強要はしませんよ」


「我、勇者は乙女の服ひん剥いたりしないと思うなッ!! これは酷い。あんまりだ。これ以上は無理」


「大丈夫です。特別に爪と皮膚も一枚と数えて良いですよ?」


 勇者は微笑んだ。


 会心の一撃!


 魔王は泣いてしまった。


「嘘ですよ。嘘。ジョークです。勇者ジョーク」


「ふへ? えっぐ、うぅ……ジョ、ジョーク? ホントに?」


「えぇ本当ですとも、私は至極真っ当な正直者として、それはもう有名だったんですから」


「我は時々貴様が怖くなる……」


 勇者はポンと肩に手をおいてほほ笑む。


「では土下座です魔王陛下。お手並み拝見させていただきます」


「ふぇ? え、なにせ我が土下座せねばならんの?」


 頬を濡らす涙の所為か、随分と気弱な魔王である。


 勇者はハンカチでぐしぐしと魔王の涙を拭いてやり告げる。


「敗者が勝者に助命を請う場面ですからね。私も心苦しいのですが、なにぶんルールですので。まさか気高き魔王様が蔑ろになどしないでしょう?」


 悪魔がいた。鬼がいた。勇者を騙り、人の皮を被ってはいるが、とんでもなく凄烈な笑顔だった。


「うぇっ? だって我まだ負けて……あっ、負けてる!? なんぞ!? なにがどうなって」


「いやぁ骨が折れました。張り駒を取っ払っても詰みになるように配置して誘導するもの結構楽しかったですよ」


「ふぁぁ、うぅ、うわぁああああああああああああああああああああああああん。負けてないもん。我負けてなんかないもぉおおおおおおおおおおん」


 堰を切ったように泣きながら走り去る魔王。


「はぁ……どこにいったても無駄なのに元気な人だ。どうせここには私と貴女しかいないんですから」


 花咲き乱れ、果実は実り、望む道楽はすべてある。


 だけど二人ぼっちの楽園の真ん中で、勇者はそっと呟いた。

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