おすすめの古本屋
「あの角を曲がったところにおすすめの本屋があるの」
きっかけは先輩のその一言だった。
先輩のおすすめだから。今度会う時に話が弾むと思ったから。それだけでここまで来てしまったことを今では後悔している。
大通りから少し外れただけの小路には、今まで耳に張りついていた商店街の賑わう声も届かない。小石を踏む音、落ち葉の擦れる音だけが静まり返った小路に響く。
虚しさを抱えながら歩き続けて、やっとの思いでたどり着いた曲がり角。その角を曲がった先に見えたのは、今にも音を立てて崩れ落ちそうな木造の古本屋だった。
「やっぱり来なければ良かった……」
外見通り、もしくはそれ以上の店内。平積みにされた本には積もる埃。そしてほのかに漂うかび臭さ。……先輩とはもしかしたら趣味が合わないかもしれない。
そんな僕を見かねてか、店員らしき女性が声をかけてきた。
「最初はみんなそんな顔をするのよ。がっかりした顔。だけどね、帰る時にはみんなが笑顔になってくれてる」
彼女の言葉の意図が掴めないまま、僕は一冊の本を手渡される。古本屋には似つかわしくない新品同様の綺麗な本。表紙は無地。
「初めてこの店に来た人に渡してるの」
嬉しそうに、だけど少し寂しそうに店内に視線を巡らせ彼女は言う。
「開けてみて」
彼女の言葉に背を押されてそっとページをめくり、僕は自分の目を疑った。めくる。再びめくる。しかし、何度繰り返しても結果は同じ。本の中身は、白紙だった。
「嬉しいことがあった時に、このページを埋めて欲しいの。そしていつかすべてのページが埋まったら……また来てくれると嬉しいな」
今度は満面の笑みで彼女は言った。
「あとね、最後にもう一つ。」
ころりと表情を変え、少し意地悪そうな笑顔をこちらに向ける。
「君に誰か大切な人が出来た時……この店のことをその人に教えてあげて。これも初めてこの店に来た人全員に言ってるの」
「えっ、それって……」
戸惑いを隠せずにいる僕の耳元に、彼女はそっと口を寄せてささやいた。
「好きな娘、いるんでしょ?」
その言葉を聞いた途端、僕は駆け出した。
ガラスケースに映る自分の顔が、ほんのり赤く染まっているような。そんな気がした。
粒の揃った小石の上に、赤く染まった木葉が散らされた静かな小路。来た道を戻り、僕は商店街を目指す。
何もなくて寂れた景色だと思っていた場所が、何故か今はあたたかい。
ふと、足を止めて振り返る。
思わず慌てて飛び出した古本屋は、もう見えない。
急かすように鳴り続けていた心の音も、気付けば落ち着きを取り戻していた。
見上げれば空は橙色。やわらかな夕陽に背を押され、僕は再び歩き出す。伝えたい想いと、一冊の本を胸に抱いて。
今日は色々なことがあった。本当に信じていいのか不安になるような嬉しいことも。
それでも、ここには確かに本がある。今は何も書かれていないけれど、きっとすぐに最後のページまでたどり着く。
一緒に作りたい思い出も、行きたい場所も……伝えたい想いだって、たくさんある。
ありすぎてこぼれてしまうくらいに。
ちゃんと伝えられるように。一言ももらさずに伝えきれるように。僕はこの本に書いて、先輩の想いに応えたい。
いつの間にか、体が熱を帯びていた。
夜中、しんと静まった寒い部屋。冷たい夜の風が、身に染みる。
このあたたかさを忘れない内に、大切にしまっておけるように……
僕は、真っ白なページに言葉を紡ぎ始めた。
はじめまして。読んでくれた方がいればありがとうございます。
お題ジェネレータから出題された、「小石」「古本屋」「夜中、しんと静まった寒い部屋」という3つのキーワードから、三題噺を書いてみました。
夜中に結びつけるのがちょっと強引かもしれませんが、楽しかったです。
小説を書くのは初めてだったのでおかしいところもあるかもしれませんが、感想や指摘などお待ちしております。