方言についての考察
私がこれまでの人生で出会い、推測を試みた3つの謎の方言について考察したい。
案件1:北海道発、物体の「自意志」を尊重する言葉
それは社会人になり、仕事でアプリの操作説明書を作成していた時のことだ。北海道出身の先輩から、修正依頼の赤字が入った。
「よしこちゃん、ここにかかさってる文章、もうすこしわかりやすく修正して」
かかさってる……?
脳内辞書を高速でページをめくるが該当なし。
文脈からしておそらく「書かれている」という意味だろう。
さらに数日後、同じ先輩が資料を見ながらこう言った。
「ここ、まだ余白あるからコメントかかさるよ」
なるほど、今度は「書くことができる(可能)」か!
さらに別の日に作成したアプリの検証をしていて
「一回キャンセルしたら、ボタンがおささらない!」と悶絶していた。
「押すことができない」という意味だろう。
この「〜さる」シリーズについて考察してみる。
標準語の「書く」「押す」は、人間の強い意志を感じる言葉だ。
しかし北海道弁の「〜さる」は、
「自分の意志とは関係なく、ペンやボタンの側が自然とそうなって(あるいはそうなれなくて)いる」という、物事の不可抗力を表している気がしてならない。
「私が押し間違えたんじゃない、ボタンがおささらなかっただけだ」という、責任をマイルドに回避できる、実に優しい言葉なのである。
案件2:山口発、一瞬の恐怖から一転する恋のオノマトペ
時は遡り、学生時代。
当時、私には密かに片思いをしている相手がいた。
ある日、奇跡的に彼から話しかけられ、良い雰囲気(自己評価)になった。
恋の成就も近いと予感した私は、同じ彼に片思いをしている恋敵の友人に戦果を伝える義務を果たした。
彼女が失恋するときの、ショックを和らげるための、思いやりである。
私の報告を聞いた彼女は、じっと私を見つめ、こう呟いた。
「……それは、もう、許されまあ」
え?そんなに?許されない!?
恋敵に話しかけられたからって、絶交の宣告か。
一瞬で友情の終わりを覚悟した私に、彼女はきょとんとして言った。
「え? 山口弁で『うらやましい』って意味だけど」
紛らわしいわ! 心臓が縮み上がったではないか。
しかし、後から冷静に考察してみると、これほど深みのある言葉もない。
「許されないほどに、うらやましい(ずるい!)」。
嫉妬と祝福のコラボを、これ以上ないほどストレートに、かつユーモラスに表現している。標準語の「いいな〜」では軽すぎるのだ。あの時、彼女の「許されまあ」には、本気の恋の熱量がこもっていたのだと思う。
案件3:筑豊発、大地を揺るがす共感の怒り
社会人になり、寮生活をしていた頃の話だ。
うっかり寮の洗濯機を回したまま長電話をしてしまい、他の子が1時間も洗濯機を使えなくなるという大失態を犯した。完全に私が悪い。当然、寮長から1時間に及ぶネチネチとしたお説教をくらう羽目になった。
魂をすり減らせて部屋に戻ると、同室の筑豊(福岡)出身の子が、私をねぎらい、寮長に対して怒っていた。
「あの寮長、よしこちゃんみたいに、言いやすい子にだけネチネチ説教しよるっちゃね。……ぐらぐらくる!」
ぐらぐらくる。
私のために怒ってくれたのは最高に嬉しいのだが、頭の中で「マグニチュード7の地震」の映像が再生され、
お礼を言うタイミングを逃し意味を尋ねた。
ぐらぐらくる・・・は筑豊弁で「腹が立つ」という意味だそうだ。
単に「ムカつく」と言うよりも、怒りで自分の足元やはらわたが「ぐらぐらと煮えくり返る」ような、怒りの温度がダイレクトに伝わってくる。
彼女のあの時の「ぐらぐら」は、理不尽な寮長に対する、純粋な義憤だったのだ。
長電話で洗濯物を放置するような、自堕落な私に、なんて優しいルームメイトなんだろう。
結論:方言とは、心の解像度を上げるものである
「かかさる」の事象のもつ意思、「許されまあ」の嫉妬に隠された祝福、
「ぐらぐらくる」の優しさからくる怒り。
これらはどれも、標準語の「書ける」「うらやましい」「腹が立つ」に直訳してしまうと、どこかパッケージされた既製品のようになってしまい、あの時感じた生々しい感情のニュアンスが薄まってしまう。
方言とは、単なる地方の訛りではない。標準語では表せないハートを伝えているのだ。




