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断捨離が得意な地味令嬢は無能な婚約者を捨てて幸せになります!〜私を大切にしてくれる騎士様に出逢って、ときめきを知りました〜

作者: 棗 月雫
掲載日:2026/03/29

 ローゼンベルグ伯爵家の大広間は、夜会を三日後に控えてすでに戦場だった。


「アストリッド様、招待状の返事が二通足りません!」

「東棟の倉庫に運んだはずの燭台が見つからなくて……!」

「料理長が、予算が合わないと言っています!」


「順番にお願い。返事は青い箱、燭台は第二倉庫の左奥、料理長は私が対応します」


 アストリッド・エヴェルシェルは落ち着いた声でそう言って、帳簿を閉じた。


 使用人たちがほっとした顔で散っていく。



 その背中を見送った瞬間、軽い足音と香水の匂いが近づいてきた。


「まだ終わっていないのかい?」


 婚約者、セドリック・ファン・ローゼンベルグだった。

 金髪に宝石付きのタイピン、今日も無駄にきらきらしている。


「夜会の準備は詰めの段階です。追加された噴水演出と金糸の幕の分、予算がずれていますので――」


「はあ? そんな地味な話はどうでもいいよ。目立てるかどうかが大事だろう?」


 セドリックはひらひらと手を振った。


「噴水は残す。幕もだ。あと楽師を二組増やしてくれ。王都中に僕の名を知らしめる夜会にしたいんだ」


「増員するなら、護衛と給仕も必要です。席次も組み直しになります」


「君、相変わらず夢がないね」


 にっこり笑って、セドリックは言った。


「地味な君は、せめて僕の役に立てばいいんだよ」


 その言葉に、アストリッドは一瞬だけまばたきをした。


 驚きはない。何度も言われてきた。華がない、愛想がない、色気がない。


 だが今日は、なぜだか胸の奥で何かがすとんと落ちた。


 ああ、もういいのだと。


「……承知しました」


「物分かりがよくて助かるよ」


 セドリックは満足げに去っていく。

 アストリッドは静かに息を吐いた。そして次の帳簿を開く。


 そのとき、執事が慌てて顔を出した。


「お嬢様、王都騎士団の方がお見えです。補給品の確認がしたいとか」


「今行きます」


 応接室へ向かうと、そこにいたのは黒髪の騎士だった。


 背が高く、肩幅が広い。切れ長の目つきは鋭く、普通なら一歩引いてしまいそうな強面だ。だが姿勢に嫌な威圧感はない。


「王都騎士団補給隊所属、ヴィクトル・ガルディアスです」


 低い声が響く。


「ローゼンベルグ家経由で入った物資の記録に不自然な点がありまして。確認をお願いしたい」


 セドリックは顔すら出さないので、応対するのは当然アストリッドだ。


「記録はこちらです。仕入れ日はこの三日、納品先は騎士団補給棟。ただし箱数と実数に差があります」


 アストリッドが帳面を差し出すと、ヴィクトルの眉がわずかに上がった。


「……もう調べていたのか」


「いずれ揉めると思っていましたので」


「この印は?」


「私の選別魔法で確認したものです。中身が帳簿と一致しない箱に印をつけています」


 ヴィクトルは帳面と彼女を見比べた。


「これを一人で?」


「はい」


「相当できるな」


 あまりにも当然の顔で言われて、アストリッドは返事を忘れた。


 褒められたことがないわけではない。だが大抵は「便利だ」「気が利く」で終わる。


 こんなふうに、能力として認められたことはなかった。


 ヴィクトルは真面目な顔のまま続ける。


「助かる。確認が早い。……失礼、無理をさせたか?」


「いえ。慣れていますから」


「慣れている、か」


 低い声に何か引っかかったが、聞き返す前に彼は一礼した。


「また必要があれば、頼らせてほしい」


「私でよければ」


 そのときだけ、ヴィクトルの目元がほんの少し和らいだ気がした。


     ◇


 三日後。


 夜会当日の朝、ローゼンベルグ家は完全に破綻していた。


「アストリッド様!席次表が三種類あります!」

「西棟の花が足りません!」

「料理長が、追加の香辛料代は誰が払うのかと!」


 アストリッドは次々に指示を飛ばす。


「席次表は最新版以外すべて破棄。花は中央階段を減らして西棟へ。香辛料代は装飾予算から振り替えて――」


「勝手に変えるな!」


 セドリックが怒鳴った。


「中央階段はこの夜会の目玉だぞ!」


「見栄えより動線が先です。階段に花を盛りすぎれば、給仕が通れません」


「君は本当に華がないな!」


 周囲の使用人がびくっと肩を震わせた。


 セドリックは苛立った顔で近づいてくる。


「いいか、僕は完璧な夜会を望んでいる。余計な口出しはするな。黙って僕の指示どおり動け」


「……黙って、ですか」


「ああ。君のような地味な女は、せめて僕を支えていればいい」



 その瞬間、アストリッドの中で最後の糸が切れた。


 物でも、見栄でも、人間関係でも。

 不要なものを抱え込めば、必要なものまで壊れていく。



 そして今、アストリッドはようやく理解した。

 いちばん捨てるべきものは、この婚約者だと。



 彼女は抱えていた帳簿を閉じ、セドリックをまっすぐ見た。


「承知しました。では、私はもう支えません」


「……は?」


「婚約を解消いたします」



 しん、と広間が静まり返る。


 セドリックが目を丸くしたあと、すぐに鼻で笑った。


「何を言い出すかと思えば。冗談はやめてくれ。君が僕から離れられるわけないだろう?」


「離れられます」


「無理だね。君は家のために僕と結婚するしかない」


「いいえ」


 アストリッドの声は静かだった。


「父にはすでに相談済みです。エヴェルシェル家から正式に解消を申し入れます」


「……何?」


「これは私個人の感情ではありません。エヴェルシェル家としても、これ以上の婚約継続は不要と判断しました」


 セドリックの顔が強張る。


 アストリッドは一冊の帳簿を机に置いた。


「こちらは夜会準備の一覧です。発注内容、変更箇所、未解決事項、赤字見込み、使用人配置、すべて記してあります」


「……」


「これまで私が整理していたぶんも含めて、あとはご自分でどうぞ」


 セドリックの顔がひきつった。


「待て、アストリッド」


「お言葉どおり、私は黙って下がります」


 アストリッドは丁寧に礼をして、その場を去った。



 背後で「おい!」「戻れ!」と怒鳴り声が響いたが、もう振り返らない。


 屋敷を出た瞬間、春の風が頬を撫でた。

 重たかった胸が、少しだけ軽くなった気がした。



「アストリッド様!」


 呼び止められて振り返ると、屋敷の執事が小走りで追ってきた。


「騎士様から、もしもの時にと預かっておりました」


 差し出されたのは、簡素な封書だった。


 開けば、短い文が一行だけ。


『行く場所がないなら、補給棟へ来い。仕事はある』


 飾り気のない筆跡に、アストリッドは思わず目を瞬いた。


 不器用で、ぶっきらぼう。

 しかしそこには、確かな気遣いがあった。


 少しだけ迷ってから、アストリッドは封書をそっとたたむ。


「……行ってみましょうか」


     ◇


 その日の昼過ぎ。


 王都騎士団の補給棟で、ヴィクトルはそう言った。


「本当に来たのか」


「……来ては、いけませんでしたか?」


「そういう意味じゃない」


 無愛想な顔のまま、彼はごほんと咳払いした。


「来てくれて助かる。非常に」


 ぶっきらぼうすぎて少し面白い。


 アストリッドは小さく笑った。


「では、働きます」


 騎士団の補給棟は、ローゼンベルグ家の倉庫に負けないほど散らかっていた。いや、むしろこちらのほうが重症かもしれない。


「ひどいですね」


「否定できん」


「誰が管理を?」


「全員で少しずつ、が積み重なった結果だ」


「最悪のやつですね」


「最悪のやつだ」



 アストリッドは袖をまくった。


「では、断捨離します」


 それからの彼女は見事だった。


「この箱は中身と記録が違います。横流しの可能性あり」

「こっちの剣油は劣化しています。廃棄」

「予備鎧が多すぎます。同型ごとに整理を」

「この帳簿、数字が一列ずれてます。書き直しを」


 兵士たちが目を丸くする。


「すげえ……」

「一瞬で見抜いたぞ」

「しかも早い」



 アストリッドは淡々と続けた。


「不要なものを置いたままにすると、必要なものまで埋もれます」


「耳が痛いな」とヴィクトルが言った。


「あなたはすぐ動きましたから、まだマシです」


「……慰められたのは初めてだ」


「慰めたつもりはありませんが」



 そのやり取りを聞いて、周囲がくすっと笑う。


 ローゼンベルグ家では向けられなかった、温かい空気だった。



 昼過ぎ、アストリッドが重い箱を持ち上げようとしたとき、すっと横から大きな手が伸びた。


「これは俺がやる」


「持てます」


「知っている。だが持たせたくない」


 ヴィクトルはそれだけ言って箱を軽々と運んでいく。


 アストリッドはその背中を見て、なぜか胸が騒いだ。


 役に立つからではない。


 大事に扱われているようで、少しだけくすぐったい。


     ◇


 だが平穏は長く続かなかった。


 その日の夕方、補給棟にセドリックが怒鳴り込んできたのである。


「アストリッド!」


 きらびやかな衣装のまま、顔だけが青ざめていた。


「今すぐ戻れ! 夜会が滅茶苦茶なんだ!」


 兵士たちがぎょっとする。


 アストリッドは手を止めた。


「お断りします」


「君のせいで招待客の席が足りない! 料理の順番もおかしい! 商人まで勝手なことを言い出して……!」


「私は一覧にまとめてお渡ししました」


「僕にできるわけないだろう!」



 その一言で、補給棟がしんと静まった。


 セドリック本人だけが気づいていない。


「……つまり、私がいなければ何もできなかったのですね」


「そ、それは」


「なら最初から、そうおっしゃればよかったでしょう」


 セドリックが顔を赤くした。


「婚約者なんだから支えるのが当然だ!」


「当然ではありません」


「アストリッド!」


 一歩踏み出そうとしたセドリックの前に、ヴィクトルが立ちはだかった。


「それ以上近づくな」


 低い声だった。怒鳴っていないのに、空気が震える。


 セドリックがびくりと止まる。


「彼女は嫌だと言ったはずだ」


「き、騎士風情が口を挟むな!」


「今の俺は騎士として口を挟む。ローゼンベルグ家経由の物資不正についても調べている最中だ」


「な……っ」


 アストリッドは、はっとした。


「まさか、夜会商人ですか?」


 ヴィクトルが頷く。


「追加で出入りしている商人の名簿を見た。補給品の横流しに関わった商会が混じっている」


 アストリッドの頭の中で、ばらばらの記録が一気につながった。


「……だから急に高額な装飾品を大量に入れたのですね。帳簿をぼかすために」


「分かるか?」


「ええ。今なら証拠も押さえられます。夜会会場に残っているはずです」


 ヴィクトルは一瞬だけ考え、すぐに言った。


「行くぞ」


 セドリックが叫ぶ。


「ちょ、ちょっと待て! 勝手に――」


「あなたも来てください、セドリック様」


 アストリッドは静かに言った。


「ご自分の夜会が、何で崩れたのか。きちんと見たほうがいいです」


     ◇


 夜会会場は混乱の極みにあった。


「席が違う!」

「贈答品が足りないぞ!」

「料理がまだ来ない!」


 貴族たちの不満が渦巻く中、アストリッドは迷いなく歩く。


「第二控室を空けてください。余剰の椅子を西廊下から運んで」

「温かい料理は主卓から先。冷菜を先に回して時間を稼ぎましょう」

「装花は半分で十分です。視界を塞いでいます」



 使用人たちは一瞬ぽかんとしたあと、次々に動き出した。


「アストリッド様が戻ってきたぞ!」

「助かった……!」


 だが彼女は首を振る。


「私は助けに来たのではありません。被害を広げないために動いているだけです」


 その言葉に、近くで聞いていた貴婦人たちが息をのむ。


 アストリッドはそのまま贈答品の並ぶ卓へ向かい、手をかざした。


 淡い灰青色の光が走る。


 選別魔法だ。


「……やはり」


「何が分かった?」


 ヴィクトルが問う。


「この木箱です。表向きは装飾品の納品箱ですが、中身の魔力反応が違う」


 兵士が箱を開ける。中から出てきたのは宝飾品ではなく、騎士団の刻印が入った未使用の短剣だった。


「証拠押収!」


 ヴィクトルの声が響き、兵士たちが一斉に動く。


 会場がどよめいた。


「ろ、ローゼンベルグ家が騎士団の物資を?」

「まさか」

「どういうことだ」


 セドリックは真っ青だ。


「し、知らない! 僕は何も――」


「知らないで済む話ではありません」


 アストリッドは彼を見た。


「必要なことを理解せず、不要なものばかり増やした結果です。見栄のために人を使い、確認もせず、責任も持たなかった」


「アストリッド、僕は……!」


「私はずっと後始末をしてきました」


 会場中が静まり返る。


「帳簿のずれも、贈答の不足も、使用人の再配置も、あなたが気づかなかったことを私が埋めてきたのです。それをあなたは当然と思い、地味だと笑った」


 セドリックの唇が震える。


「そ、それは違う。君が勝手に……」


「勝手に支えていたのではありません。支えさせられていたのです」


 アストリッドは一歩、彼から距離を取った。


「私はもう、あなたの失敗を隠すための婚約者ではありません」


 その言葉は、よく通った。


 セドリックが何か言おうとしたその瞬間、ヴィクトルが彼女の隣に立つ。


「彼女への侮辱も強要も、これ以上は許さない」


 強面騎士に真っ向から睨まれ、セドリックは完全に黙り込んだ。


 兵士たちが不正商人を拘束していく。




 ざわめきの中、ある老伯爵がぽつりと言った。


「……今までこの夜会を回していたのは、あの令嬢だったのか」


 その声が、波紋のように広がる。


「まあ、あの子が」

「ではセドリック様の手腕では……」

「むしろ、彼女がいなくなったから崩れたのでは?」


 セドリックの顔色が土気色になった。


 けれどアストリッドはもう見ていなかった。


 必要のないものは、もう手放したのだ。


     ◇


 数日後。


 ローゼンベルグ家の夜会失敗と不正商人の件は王都中に広まった。セドリックの評価は地に落ち、婚約解消にも誰も異を唱えなかった。


 一方で、アストリッドには騎士団から正式に協力依頼が来た。


 補給と保管、記録整理の助言役。


 地味だと笑われた力が、ここでははっきり必要とされていた。


「こちら、仮の執務机です」


 補給棟の一角を示しながら、ヴィクトルが言う。


「狭いですが」


「十分です。……むしろ広すぎるくらい」


「足りないものがあれば言ってくれ」


「今のところはありません」


「そうか」


 そこで会話が途切れる。


 沈黙が落ちるが、不思議と気まずくない。


 アストリッドが書類を整えていると、ヴィクトルがなかなか動かないことに気づいた。


「どうかしましたか?」


「……ひとつ、言いたいことがある」


「はい」


 彼は強面のまま、妙に真剣な顔をした。


「あなたが必要だ」


 アストリッドは目を瞬いた。


「仕事として、ですか?」


「それもある」


 ヴィクトルはごく短く息を吸う。


「だが、それだけじゃない」


「……」


「あなた自身を、俺は大切にしたい」


 あまりにも真っ直ぐで、アストリッドは言葉を失った。


 こんなふうに言われたことはない。


 役に立つから。都合がいいから。婚約者だから。


 そういう理由ではなく、ただ自分自身を大切にしたいと。


「すぐに答えなくていい」


 ヴィクトルは少し視線をそらした。


「ただ、知っていてほしい」


 不器用で、けれど誠実な言葉だった。


 アストリッドは胸の奥がじんわり熱くなるのを感じた。


「……では、ひとつお願いがあります」


「何だ」


「無理をしそうになったら、止めてください」


「任せろ」


「あと」


「あと?」


「たまには、もう少し優しい言い方をしてくださると……うれしいです」


 ヴィクトルは固まった。


 それから、珍しく困ったような顔をした。


「努力する」


 その返事がおかしくて、アストリッドはくすっと笑った。


 するとヴィクトルが、少しだけ目を細める。


「……その顔のほうがいい」


「え?」


「笑っているほうが、似合う」


 顔が熱くなる。


「い、いきなりそういうことを言うのは、優しい言い方とは別問題です」


「すまん」


「本当に思ってますか?」


「思っている」


 真顔で言われてしまい、アストリッドは降参するしかなかった。


 不要なものを捨てたあとに残ったのは、がらんとした寂しさではなく、温かな居場所だった。




 物を減らすと、暮らしや心が整う。

 無駄はなくしたほうが回る。


 そして、不要な縁を手放したからこそ、本当に必要なものが見える。


 

書類を抱え直したアストリッドの隣で、ヴィクトルが自然にその半分を持ってくれる。


「それ、重いだろう」


「少しだけ」


「なら半分持つ」


「……ありがとうございます」


 強面騎士は相変わらずぶっきらぼうだった。


 でもその不器用な優しさが、今はとても心地いい。


 かつて「地味でつまらない」と切り捨てられた令嬢は、不要なものを捨てたことで、ようやく知ったのだ。


 大切にされる幸せと。

 胸がそっと高鳴る、ときめきを。


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