追放された王女と最強の番〜私の猫を弱いと断じるが猫は強さじゃなく肉球を吸わせてくれるかどうかなので求めるものを間違えている〜
肉球と三角の耳、小さな鼻。
つんと上を向く尻尾。
これを悪とする相手は、身内にいらない。
「出て行け、役に立たない王家の者などいらない!」
冷たい声が、豪華絢爛な王宮の広間に響き渡った。
床に膝をつき、俯いている肩が、小さく震える。
ミアス・クリスタリアは、この国の第一王女。
しかし、妹のソフィアの番が現れた日から、その立場は急激に悪化した。
ソフィアの番、銀色の毛並みが美しい巨大な狼、フェンリル。
桁違いの力を持っていた。
その強大な力の前では、第一王女の番であるはずの存在は、まるで影のように小さく、頼りなく見えたのだろう。
「姉上には、フェンリル様のような強い番はいらっしゃらないのでしょう?王家の血を引く者として、あまりにも頼りない。国のためにも、身を引いていただくのが賢明かと」
ソフィアの言葉は、甘美な毒のように私の心に染み渡る。
隣に立つ父王も、母后も、ソフィアの言葉を否定しない。
彼らの瞳には、失望の色がありありと見て取れた。
(私が、役立たず…………?)
前世の記憶が蘇る。
脳裏に弾けた。
そうだ、私は日本のどこにでもいる普通の女だった。
交通事故にあって、気が付いたらこの世界に転生していたらしい。
クリスタリア王国の第一王女として生を受け、大切に育てられたはずなのに、なんだろうこれ。
番は、他の貴族の子息や令嬢たちが持つような、煌びやかな獣の姿をしていなかったけれども、それがなんだ。
初めて番の儀式を行った時、現れたのは小さな影だった。
黒曜石のような瞳を持つ、一匹の黒猫。
その名は、クロドア。
クロドアは、戦闘能力が高いとは言えなかった。
だが、そんなものはどうでもいい。
可愛らしい姿で膝の上で丸まっていることが多く、その姿は、確かにソフィアの番であるフェンリルと比べると見劣りしただろう。
それがどうした?
自分とってクロドアは、ただの番ではなかっただけの話。
前世で飼っていた愛猫と同じ名前、同じ黒い毛並み。
何よりも、見つめる優しい瞳が、前世の愛猫クロドアと全く同じだったのだ。
(まさか、クロドアも一緒に転生してきたの?)
そう思うと、クロドアへの愛おしさが募った。
この世界でたった一人、全てを知っている存在。
その温もりを感じているだけで、心は安らいだ。
愛猫に仇をなすもの達を見やる。
妹や両親は、クロドアの力を理由に、王宮から追い出そうとしている。
理不尽だ。
悔しい。
だとしても、今のこの身では抗う力がない。
それに、狙われでもしたらと思う。
「わかりました」
絞り出すような声で、答えた。
「王宮を出て行きます」
そう告げると、ソフィアは満足そうに微笑み、父王と母后は安堵の表情を浮かべた。
彼らにとって、もう邪魔者でしかないのだ。
荷物をまとめ、クロドアを抱き上げた時、妹の侍女が冷たい視線を投げかけてきた。
「お荷物はそれだけですか?もっとたくさん持っていくとでも思ったのですか?」
屈辱的な言葉に、唇を噛み締める。けれど、ここで言い返しても無駄だ。
侍女風情が。
この冷たい王宮から、二度と戻らない覚悟で立ち去るのだから。
王宮の門を出ると、冷たい風が吹き付けた。
猫のために考える。
これからどうすればいいのだろう。あてもなく歩き出す足元に、クロドアがすり寄ってきた。
「ニャア」
と、いつもの優しい声で鳴くクロドアの温もりが、凍えた心を少しだけ温めてくれた。
あなたがいてくれるだけで。
どれくらい歩いただろうか。
見慣れない景色の中、疲労困憊していた時、一台の豪華な馬車が横に止まった。
ビクッとなる。
「お困りのようですね、お嬢さん。もしよろしければ、わが屋敷までお送りしましょう」
馬車から降りてきたのは、見目麗しい青年。
深緑の瞳が優しく私を見つめている。
整った顔立ちに、品の良い物腰。
ただ者ではないと感じた。
優しいのでなく、怪しい。
警戒しながらも、断る理由がなかった。
「ありがとうございます」
青年はにこやかに微笑み。
「わたくしは、フェンネル・シュハ・ライゼンタールと申します。あなたは?」
と、尋ねた。
「ミアス……と申します」
馬車の中は広く、ふかふかの椅子が心地よかった。
高級だ。
クロドアは私の膝の上で、安心したように丸まっている。
フェンネルは、こちらの身なりを見ると、何かを察したように深くは尋ねなかった。
助かる。
穏やかな声で世間話をしてくれた。
説明を受ける。
ライゼンタール侯爵家。
馬車が到着したのは、広大な敷地を持つ、壮麗な屋敷。
引け腰になる。
案内された客室は、王宮の私の部屋よりもずっと広く、豪華。
「しばらくの間、ごゆっくりお過ごしください。もし何かご入用でしたら、遠慮なくお申し付けください」
フェンネルの言葉に、私はただ感謝することしかできなかった。
猫がいいなら、自分もいい。
ライゼンタール侯爵家での生活は、驚くほど快適だった。
使用人たちは皆親切で、食事も美味しく。
何よりも、そのフェンネルの優しさが身に染みたものだ。
助けたりと、かなりのお人よしなのかもしれない
彼は、こちらの過去を詮索することなく、ただ受け入れてくれた。
猫を撫でて、ブラッシングを終える。
(幸せ〜)
ある日、フェンネルはミアスを庭に誘った。
(なに?)
色とりどりの花が咲き乱れる美しい庭園で、向かい合って座った。
「ミアス様」
フェンネルは、少し真剣な表情で名前を呼んだ。
「もし差し支えなければ、あなたに番は?」
少し躊躇ったが、正直に話すことにした。
隠すのも難しい。
「はい、クロドアという黒猫です」
フェンネルは、私の言葉に驚く様子もなく、ただ深く頷いた。
「なるほど。猫の番、珍しいですね」
落ち込む。
「皆、私の番は弱いと言います。妹の番はとても強いので……」
俯き加減でそう呟くと、フェンネルは優しく微笑んだ。
「番の強さは、見た目だけで決まるものではありませんよ。大切なのは、主を思う心、そして、お互いの絆の強さです」
その言葉に、ハッとした。
そうだ、クロドアはいつもそばにいて、励ましてくれる。
言葉は話せないけれど、その温もりや優しい眼差しが、どれほど支えになっているか。
猫吸いさせてくれるし。
その時、クロドアが膝から飛び降り、庭の隅に向かって警戒するように唸り始めた。
何事かとそちらを見ると、信じられない光景が広がっている。
「な!?」
庭の木陰から、巨大な黒豹が現れたのだ。
鋭い爪、力強い四肢、そして獲物を射抜くような金色の瞳。
なんだこれはとなる。
その威圧感に、息を呑んだ。
黒豹はゆっくりとこちらに近づき、足元にいたクロドアに向かって、恭しく頭を下げたのだ。
「クロドア……?」
信じられない思いでクロドアの名前を呼ぶと、黒猫の姿がみるみるうちに変化していった。
黒い毛並みが光沢を帯び、体が大きくなっていく。
これは。
鋭い牙、しなやかな筋肉。
それは、先ほどの黒豹と全く同じ姿。
「クロドアが……黒豹……?」
驚愕する中、フェンネルが静かに語り始めた。
「ミアス様、クロドア様の真の姿は、古の時代から『影の王』と恐れられた、最強の魔獣です。普段は力を抑え、あなたのそばにいる時は猫の姿でいらっしゃるのでしょう」
脳内は、混乱でいっぱいだった。
フェンネルは冷静に言う。
いつも膝で眠っていた愛らしい黒猫が、そのような魔獣だったなんて。
クロドアは、黒豹の姿で私の周りをゆっくりと歩き、そして私の手に大きな頭を擦り付けた。
「グルル……」
と、低いけれど優しい喉音が響く。
(クロドア……ずっと、私のことを守ってくれていたんだ)
「く!可愛い」
妹のフェンリルが、強い番だとばかり思っていた。
(そういうことなら)
けれど、クロドアは、比べ物にならないほど強大な力を持っていたのだ。
「猫吸いさせてくれる?」
数日後、王宮から使者がやってきた。
ソフィアの番であるフェンリルが、暴走した魔物に傷つけられたという知らせ。
治療には、特別な力を持つ者の助けが必要らしい。
え?となる。
その力を持つ者は、王宮を追放された自分しかいないというのだ。
正直、やる気はゼロ。
フェンネルとクロドアと共に王都へ向かった。
「行きたくない」
「ニーッ」
王宮に足を踏み入れるのは、追放されて以来。
以前は、自分のものだったはずの場所が、今はどこかよそよそしく感じられる。
それもそうかな。
広間に通されると、憔悴した様子の父王と母后、そして怪我をして寝台に横たわるソフィアがいた。
内心、ふーんとしか思わない。
隣には、傷だらけのフェンリルが弱々しく横たわっている。
「ミアス、頼む。ソフィアを、フェンリルを助けてくれ」
「はぁ」
父王の懇願に、複雑な思いを抱いた。
役立たずと追い出したのは、他でもない彼らだ。
「なぜ、私があなたたちを助けなければならないのですか?」
冷たい拒絶の言葉に、両親は言葉を失った。
「なぜですか?」
ソフィアは、恨めしそうな目で睨みつけてくる。
「姉上、お願いです。助けてください。私が悪かったのです」
初めて聞く妹の弱々しい声。
その割には睨みつける。
かつての仕打ちを思い出すと、素直に同情することはできない。
やることが悪質。
「私が王宮を追放された時、あなたたちは何も言いませんでしたよね。私の番が弱いと嘲笑い、役立たずだと決めつけた。本当に今更、助けを求めても遅すぎます。便利なもの扱いされても」
冷酷だったかもしれない。
けれど、あの時の絶望を、忘れることができない。
その時、背後から、低い咆哮が響いた。
黒豹の姿に戻ったクロドアが、金色の瞳を鋭く光らせ、フェンリルを威嚇している。
その圧倒的な威圧感に、フェンリルは震え上がり、小さく呻いた。
「クロドア……」
私はそっとクロドアの頭を撫でた。クロドアはモヤつく気持ちを理解してくれている。
「ですが……」
少しだけ間を置いて、続けた。
「かつて家族だった情もあります。生まれさせてくれたお礼?微力ながら、治療を試みましょう」
前世の知識と、この世界で身につけた魔法の力を使って、ソフィアとフェンリルの治療を始めた。
結構大変。
クロドアの強大な魔力も借り、数時間後、二人はなんとか意識を取り戻す。
治療を終え、再び王宮を後にしようとした。
あとは知らない。
その時、父王が深々と頭を下げた。
「ミアス、すまなかった。お前を追い出したことを、深く後悔している。どうか、もう一度王宮に戻ってきてはくれないだろうか」
母后も涙ながらに謝罪してきた。
(はぁ?)
ソフィアも、自分の非を認め、私に許しを求めてきた。
王宮にはなかったもの。
温かく迎え入れてくれたフェンネル。
ずっと、そばで支えてくれたクロドアがいる場所こそが、居場所なのだ。
「まだ言いますか。私はライゼンタール侯爵家で、穏やかに暮らしたいと思っています。あと、猫を可愛がれない人と同棲は無理」
そう告げると、フェンネルと共に、王宮を後にした。
振り返ることなく。
ライゼンタール侯爵家に戻った私たちは、これまで以上に穏やかで幸せな日々を送る。
フェンネルの優しい眼差し、クロドアの温もり。
かつて理不尽な扱いを受けた私にとって、それは何よりもかけがえのないもの。
ブラッシングもしたい。
数ヶ月後、王都から再び知らせが届いた。
ソフィアが、フェンリルと共に国のために尽力しているという。
そして、父王と母后は、私を追い出したことを深く反省し、国民からの信頼を取り戻すために懸命に働いているらしい。
その知らせを聞いて、心がじんわりと温かくなるのを感じた。
彼らが過ちを認め、前を向いて進んでいるのなら、それでいい。
そして、もう関わり合いになる人達ではないのだからと、一人の国民目線。
隣には、いつもフェンネルとクロドアがいる。
「フェンネルさん。これ、どうですか?」
「よいですね」
ずっと、守ってくれていたクロドアへの感謝を胸に。
「猫吸いさせて」
「ニッ」
「猫吸いさせて!」
「ニィ!」
肉球を頬に感じながら目を閉じた。
感謝はしてるけど猫吸いは話が別なんよ、という意見に同意の方も⭐︎の評価をしていただければ幸いです。