表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/5

新たなる扉

「婚約解消…ですか?」

 

 王城の一室、紺碧の間の豪華なソファーセットに向かい合って座る中年の貴族紳士と華やかなドレスを纏った少女。美しいテーブルにはティーセットが用意されていて、香り高い紅茶を一口飲んだ紳士が重苦しい口調で答える。

「…まだ、決定では無い…が、先日 城下町で聖女と思われる娘が発見されたのは、知っているだろう?」

「ええ、大変聡明な方で、癒しの力をお持ちだとか…」

 不安そうに少女が応じる。

「…王室が一枚岩で無いことは、お前もよく知っているだろう。聖女を第一王子の妃にするべきだと言う派閥と、庶民を王室に迎えるべきでは無いと言う派閥が対立している。」

 ゆっくりと、しかし声を落として話す父親の顔には苦悩が見える。幼い頃から王妃教育を施し、他の候補者の中でも筆頭と目される我が子の婚約解消。

 思う所は色々あるが、まさかこのタイミングで聖女が現れるとは思いもしなかった。

 何故なら聖女の顕現には数百年から数十年とバラツキがあり、先代が現れたのが二十年前、次代が現れるには随分と早い。しかもこれまでに聖女が顕現することはあったが、王妃になった歴史はない。先代も教会に居るはずだ。

 これは第一王子が側姫の息子で、第二王子が王妃の息子である事を鑑みると、第一王子派は公爵家の我が娘よりも、『聖女』と云うブランドを取り入れて、最近勢いを増している第二王子派を抑える狙いなのだろう。


「陛下はまだどちらを王太子にすると 明言はされていない。このまま第一王子の婚約者を維持したとしても、必ず王妃になれると決まった訳では無いが…」

 手元のカップを見ながら父親が話すのを、少女が割り込んだ。

「ええ。良く承知していますが、婚約解消が本決まりすれば、私はどうなります?」

「レオディアーナ…」

「前期王妃教育を受け始めてもう八年、この知識を持っていては、王室は外へ出すのを嫌がるでしょう。でも他の王妃教育候補者の方は既に、別の方との婚約が済んでおり、歳の頃が合う有力な貴族は既に居ません。」

 だから生家に残り 静かな生活をおくりたい、と言い出す前に、今度は父親が少女の言葉を遮った。

「レオディアーナ、婚約解消を聞きつけた第二王子派がお前を婚約者にしたいとの打診も受けている。」

「なんですって?第二王子殿下にも、婚約者がおりましたでしょう?」

 驚いてレオディアーナが問い返すと、

「実は先日…病で亡くなったんだ。聖女が見つかるはこびとなった城下町の伝染病を覚えているだろう?凄まじい速さで広がった疫病は多くの被害者をだした。その内のお一人だったんだ。」

「そうでしたか…お悔やみ申し上げます。」

 いくら聖女が現れたとは言えど、その全てを救うには彼女には荷が重過ぎた。また、教会の初動も遅く、先代聖女は高位の者から対応するよう求められた為、教会から出る事も無かった。

「まあ、それで聖女の名は市井の隅々まで届いている。第一王子を王にしたい奴らにすれば、婚約者替えは良い案のつもりなのだろう。」

「承知しましたわ、お父様。」

「まあ、でもまだ決定した訳では無いからね。陛下も色々思う所はあるだろうから、きちんと王命を頂くまでは いつも通りに過ごしなさい。」

 疲れの滲んだ父親の顔は、言いようの無い想いに囚われているかのように見えたが、レオディアーナには優しく微笑んだ。


 ◇◇◇◇◇

 

 さて、婚約解消等と言う事はまず起こらないと思っていたが、ここに来て風向きが変わった。

 五歳から王城の中の、玉の宮殿に席を置くようになってから八年。三、四年前くらいから同じ妃候補の少女が、一人、また一人と婚約を決め 退城して行くのを見ていた。王妃候補から外れても、その先は王城に勤める有力貴族との婚姻で、今までの知識が無駄になる事も脅威となることも無い。

 本当に大事な 国の中枢に関わる事は、婚約式を無事に済ませた正式な婚約者になってから始まる。

 しかし、既に他の候補者もなく、十五歳の成人の義の後、婚約式を行う事はほぼ決定事項であった為、前倒しで後期王妃教育が始まっていたのである。

 うーん、確かに私の今の状況では、第二王子の婚約者になるしか道は無いわね…。

 私を溺愛してくれている兄様なら、婚約解消して家に戻っても何も言わないと思うし、公爵家には王の血筋も多いから家から出ない分には、丸く収まるかと思ったけど、第二王子に婚約者が居ないので有れば、そりゃ私にって話になるか…。


 既に玉の宮殿の自室に戻り、レオディアーナが腕を組みながら 今後の対応を考えていると、侍女が来意を告げて来た。承諾すると思わぬ人物が入室して来たから、レオディアーナは驚いた。

 

「レオディアーナ…!先触れも出さず、不躾な振る舞いをどうか許して欲しい!火急の用なんだ!」

 なんと入って来たのは、暫定婚約者である第一王子 『オスカー・オン・フラリス』レオディアーナより一つ上の十四歳で、スラリと伸びた身長に艶やかな黒髪、赤い瞳が印象的な美形だ。

「まあ、オスカー様、どうなさったの?」

 ソファーを進めながらレオディアーナが侍女にお茶の手配を促す。軽く頭を下げたオスカーは、進められるままソファーにどっかりと腰を下ろす。

「君が今日、アクアビット公爵と会談の予定だと聞いてね…、どんな話だったか伺っても良いかい?」

 オスカーの頬は僅かに汗ばんですらいて、慌てて駆けつけてきた事が窺える。

「いつも通りの会談ですわ。励みなさいとお言葉をかけて頂きました。」

 真意が窺えないので、当たり障りのない事を返す。それに、父は秘密とは言わなかったが、まだ決定事項という訳でも無いのだから、簡単に口に出す訳にはいかない。

「そう…それなら、良いんだけどね。レオディアーナ、これは君に関わる事だから、情報を共有しておこうと思う。」

「……」

 無言で軽く頷くと、オスカーは落ち着いた声音で話し始めた。

「実は最近、私の周りが騒がしくてな…。聖女を王室に入れようとする動きがある。」

 

 これは、王子自らの婚約破棄なのだろうか?

 

「だが、考えてもみてくれ!王妃の仕事は、付け焼き刃で務まるものでは無い。だからこそ、幼い内から王城に上がり厳しい教育を何年も受けるものだろう?」

 オスカーの眉間にシワがよる。そうすると少年の顔が随分と大人びた。オレディアーナは思いもよらない言葉が続いて目をパチパチさせる。

 

「聖女は教会の庇護下にあるのに、王室に聖女を入れるという発想が そもそもおかしい。教会と王室と軍は、分立するから権力が偏らずに済んでいると云うのに。」

「確かに。」

 プンプン怒るオスカーに、言わんとしてる事が分かってきた。

「だからね、レオディアーナ、私は君との婚約を解消するつもりは全く無いからね!」

「ありがとうございます。」

 それは有難いとニッコリ微笑めば、まだムッとした顔のままオスカーが言う。

「だが、先に言った通り、周りが騒がしくてね。どんな手をこうじてくるか分からない。君がアクアビット公爵と会談すると聞いて、先にその話をされたら後手に回ってしまうと思ってね、無礼にも駆け込んでしまったよ。」

 はぁ、とオスカーが息をつく。

 実際には既にその話をされていたけど、オスカー様が気にしていたのは、父が婚約解消を命じて私が承諾する事だったろう。

「君をヘンリーの婚約者に、と云う話も耳に挟んだが、それもふざけた話だ。ヘンリーの筆頭婚約者は確かに儚くなられたが、まだまだ婚約者候補は、彗の宮殿に居るんだからな!」

 「そうなのですか?」

 第一王子の婚約者候補が住まうのは、玉の宮殿。第二王子の婚約者候補が住まうのは、彗の宮殿。二つの宮殿は離れているし、行き来も無いので大した情報も無い。

 こちらの宮殿にはもう、私しか居ないから アチラもそうなのかと思っていたけど、良く考えれば第二王子はまだ十歳だ。なら、婚約者候補もまだ居るのも頷ける。

「ああ、優秀な子が三人居る。その中から選ばれるだろう。何事も無ければね。」

 オスカーは肩を竦めて答える。王妃教育は、貴族の子が学ぶマナー教育よりも格段に厳しい、ただでさえ厳しい教育に、婚約式を経てから行われる本格的な王妃教育は更に厳しいと聞く。それに耐えきれずに 自ら家に戻る子や、脱落して行く子も一人二人では無い。

 私の時だって、最初は他に八人も居た候補者は 今では一人も居ない。

「私は、オスカー様のご随意に従いますわ」

 微笑んでそう伝えると、オスカー様はやっと 顔を綻ばせた。安堵したようだ。

「また何かあったら来るよ。レオディアーナも、くれぐれも気をつけてくれ。」

「はい。承諾しましたわ。」

「あ、明日の茶会も、ちゃんといつも通り行うからね。」

 週に一度、王妃候補者は王子とのお茶会を行い、親睦を深め合うのだ。今は私しか居ないけれど。

「ええ。薔薇の紅茶をご用意しておきます。」

 立ち上がりながら念を押すオスカーに、レオディアーナも品良く答える。オスカーが退室して、シンとなった自室に侍女が寄ってくる。

「レオディアーナ様、何か音楽でもかけましょうか?」

 ずっと扉付近に控えていたので、話は聞いて居たのだろう、音楽をかけて気分転換を提案して来た。

「そうねぇ…それじゃ、何か明るいレコードをかけてくれる?」

 窓際の一人用ソファーに腰掛けながら、侍女に伝えるとすぐに柔らかな音楽が流れ始めた。侍女のミントは大変に気が回る。公爵家から連れてきた子だ。レオディアーナよりも五つ上で、体術の心得もある。


 オスカー様がやって来たのには驚いたけど、婚約解消を否定されたのは やっぱり安心したわね。

 物心着く前からオスカー様と結婚すると言われて育てられたから、やっぱり他の方と となると、身構えてしまうものね…。でも、オスカー様や父でも抑えられないくらいの勢いがあるんじゃないかしら。だって、元々の婚約者を替えるなんて、今まで無かった訳じゃ無いけれど、とても大きな事だもの。

 そうなると、呑気にしている訳にも行かないわね。市井での聖女の噂も気になるし、第二王子殿下の婚約者になる可能性があるとするなら、そのお人柄も確認しておかなくちゃ。今までは王妃教育に忙しくて、周りの状況を把握するのを怠っていたわ。

 暖かな日差しを浴びながら、レオディアーナは難しい顔で計画を立てていった。


 ◇◇◇◇◇

「レン!」

 城下町の昼下がり、それでも一本奥へ踏み出せば路地は暗闇に染まる。茶色の髪色の小柄な少年が、そこを通って行く馴染みに声を掛けた。

「久しぶりだな!あんまり見ねぇから、あの騒ぎで死んじまったのかと思ってたぜ!」

 にかっと歯を見せて笑う姿は 無邪気そのものだが、この辺一帯の情報通である。

「よお、ニッカ。変わりなさそうだな。」

 レンと呼ばれた()()は足を止めて、情報通の少年に話しかける。

「疫病の噂は一番に聞いてたからな!伝染る前に さっさと辺境に行ってたんだ。」

「なんだ、じゃあその辺の話は良く知らないのか?」

「おいおい、誰に物を聞いてんだよ。そん時にここに居なくたって、なんでも知ってるわ!」

 半目になるニッカの頭を撫でながら、レンは続ける。

「流石は俺の弟分だな。」

 へへっと笑って、ニッカが扉の奥へ誘う。この部屋はいくつかあるニッカの隠れ家だ。よって必要最低限な物しか置いていないが、大体はここに居るため、他の隠れ家よりは綺麗に掃除してある。壁際にひいてある厚手のラグに胡座をかいて座ると、ニッカが水を汲んで渡してくれる。

「んで?今日は何が知りたくて来たんだ?」

「お前に会いに来た とは思わないのか?」

 問に問で返すと、ニッカはまた半目になりながら言う。

「俺の家を素通りしようとしてた癖に?」

 ハハハっと笑ってレンが白状する。

「聖女の話に気を惹かれてな。でも、お前がどうしてるか 気になってたのは本当だぞ?」

 ふんっと鼻を鳴らすが、その顔には はにかんだ笑みが浮いている。

「聖女ねぇ…、ここいらの奴は みんな、聖女様の信者だよ。なんでも、両手を握ると 傷や穢れが浄化されるんだと!」

「それは凄いな。」

 感心してレンが頷くと、ちちち!とニッカが指を振る。

「だが、万能じゃねぇ。確かに傷は治るらしいが、一瞬で治る訳じゃねぇし、呪いや穢れとかは祓えるらしいけど、病を治せる訳じゃねぇ。」

「えっ だって伝染病を治したんじゃ無いのか?」

「ちちち!確かにあれは、伝染するモンだったらしいけど、病じゃなくて呪いの類だったらしいぜ!」

「呪い?」

 そ!と、汲んで来た水をごくごく飲みながらニッカが説明する。

「パン屋の親父もその『伝染病』にかかったらしいんだけど、ラッキーな事にすぐ聖女様に診て貰えた!両手を握って浄化して貰うと体が軽くなって、肌に出てた黒点が消えたそうだ。礼を言って、もし薬があれば分けてくれないかと、図々しく尋ねると 『これは呪いの類で、病では無いから薬は無い』て断られたそうだ。」

「ふうん。」

「まあ、薬を分けたくなくてそう言った可能性もあるけど、実際、薬を使ってる所は誰も見た事ないらしいし、呪いの元を浄化したら伝染病も止まったらしいからな。」

「呪いの元?」

「広場に共同の井戸があるだろ?あの中に黒い石が投げ込まれてて、それを親父達が取り出したんだって!勿論、聖女様の指示でさ。」

そんな報告は王室に上がっていない…と言いそうになって、レンは口を引き結んだ。

「まあ、俺は勿論その場を見てた訳じゃねぇから、細かい事は違ってるかも知れねぇけど、そこから ピタッと黒点が出るやつは居なくなった。でも、浄化には体力?が必要らしくて、一日に何人も浄化するのはキツイみたいで 聖女様の浄化を待てずに死んじまった奴も多くいる。」

「そうか…。」

 顎に手を当て考えを纏めていると、ニッカがこちらを伺ってくる。

「俺が聖女の事で知ってるのはこれぐらいだな。もっと知りたいなら、これから調べるけど?」

「うん。そうだな、なんでもいい。聖女について調べてくれ。でも、いつも言ってるけど もし命の危険を感じたらすぐに逃げろよ?」

 そういって懐から金貨を出して、ニッカに握らせる。

「勿論!我が身が一番可愛いってーの!」

 名前の通り、にかっと笑ってニッカは胸を誇らしげに叩いた。



 ニッカと別れて、城下町を一回りしながら噂話を聞いて回った。誰の話もニッカから聞いた話と似たり寄ったりだった。実際、聖女に浄化してもらった人にも話は聞けたし、半日しか時間は無かったけど、まずまずの収穫だ。もうすぐ日も沈むから、そろそろ()()に帰らねばならない。

 暗がりの奥に身を隠すと、懐から転移円の紙を出してそれを踏んだ。瞬きひとつの間に自室に戻る。これは王城に務める者の中でも、一握りの者にしか知らされていない魔術を施した転移装置である。行きたい場所を思い浮かべて魔法円の紙を踏めば、そこへ飛べる。

 自室に戻ると侍女が気がついて、声をかけながら側に控える。

「お帰りなさいませ。レオディアーナ様」


 スラリとした美少年は軽く手を上げてそれに応える。そして右手の腕輪の赤い宝石を一回転させると、宝石は青色に変わり美少年の姿が 美しいレオディアーナの姿に変わった。この姿を変える腕輪は魔法具で、王家の人間しか持っていない。

 この魔法具は、後期王妃教育を前倒しで始めるにあたって、現王妃様から直に受け取ったものだった。情報を自分の目や耳で集める事、いざと言う時に身を守る為に使う事を前提に 王妃様から使い方を説明された。


「私の不在時に何か変わった事はあった?」

 金色の髪を軽く揺すりながら問いかけると、侍女のミントは何も無かったと答えた。

 今日は休息日だったから、情報集めに市井に降りたけど、この間のように突然、誰かが入室を求めてくる可能性もある。基本的には先触れを貰ってから合否を返すけど、オスカー様や王家の方が突然来ても拒む事は出来ない。

 まあ、王家の方なら居ないと解れば、腕輪を使って何かしてるだろうと察して貰えるとは思うけど…。

 オスカー様には腕輪を使う事を止められているから、あまり知られたくない。まだ正式に婚約式を行っていないし、何より私は成人の義すらしていない子供だ。

 市井に降りる場合は馬車で、護衛も付けろと耳にタコが出来るほど言われている。それは最もなんだけど、如何にも公族です!と言わんばかりの姿では、実態の五分の一の情報も入らない。貴族相手には口を噤んでしまうものだし、声が届く距離にも居ない。

 だからこそ、王家はこの魔法具を使って政を行って来た。このフラリス王国は、王国に住む者 全ての人の為にあるからだ。


 ◇◇◇◇◇

「教育は、中止…ですか?」

「いえ、レオディアーナ様。中止では無く、停止と言った方が正解です。」

 あくる朝、教育を行っている部屋へ入室すると、家庭教師が待っていた。

「レオディアーナ様は既に、十五歳の成人の義までに受ける前期王妃教育を終了しています。これは大変珍しい事で、レオディアーナ様の優秀さを示すものでもあります。ですので、それより先の教育を行っていたのですが、陛下から前倒しで詰め込み教育はよろしくないので、キチンと成人の義を迎え、婚約式を行った上で 後期王妃教育をするようにと指示があったのです。」

 

 これはまた風の向きが変わった予感…。私の扱いに困っているのかしら。これは婚約者を下ろされる可能性も出て来たわね…。

 とは云え、陛下の言は間違っていない、本来で有れば、成人してから受ける教育だもの。

「過去には成人の義までに、前期王妃教育を終了出来ない方もいらっしゃいました。レオディアーナ様は大変優秀でいらっしゃいますので、私共 教師として誠に鼻が高いです。」

 ホクホク顔で家庭教師が言う。

「では、それまでの間はどうしたら良いでしょう?成人の義までにまだ二年もありますが…」

レオディアーナは十三歳になったばかりだ。

「レオディアーナ様は朝から晩まで勉学に励んでいらっしゃいました。これからの二年間はそれ以外の事を学ぶと良いでしょう。それに、休暇を取る事もお勧め致します。休む事も体には必要な事ですよ。」

 そう言って家庭教師は去って行った。

 

 つまり、どういう事?私は暇人になったって事かしら?

 無事に婚約式を迎える事になれば、またお会いして教育をして頂く事になるでしょうけど…。

 確かに朝から晩まで、ギッチリ勉強漬けではあった。

 でも急に解放されてしまうと、寄る辺のない心細い気持ちになる。それにこれには、婚約解消の文字も点滅している訳だから尚のことだ。

 そんな訳で、時間が出来たレオディアーナは、変身したりしなかったりしながら、アチコチを彷徨いた。


 ◇◇◇◇◇

 (なんて事でしょう。)


 それから数日後、レオディアーナは打ちひしがれていた。

 (ああ、まさか…まさか、こんな…)

 レオディアーナの手元には異国の文字で綴られた本が、幾つも重ねられていた。

 時間があるレオディアーナは、市井に良く出入りし、古本屋で隣国の本を幾つか買った。

 隣国は、オスカーの母上の生まれた国で、それで言語を学んでいたので、興味を惹かれて購入したのだ。それは良かった、そこまでは良かった。

 しかし、自室にて読み始めた本は、読み進めるほどに困難を極めた。言語が理解出来なかった訳では無い。寧ろ、庶民の読み物だからか、易しい言葉が並んでいた。

 そして物語は、王子様が親友の騎士と共に 魔王に攫われた姫様を助け出すと云う王道の話だと思われた。

 だが、しかし、読むに連れて 苦難の路を進む若い二人の間に 友情以上の物が生まれてしまう。そしてその書き方が、素晴らしく感動的で、最後まで読んでいないにも関わらず、王子様と騎士の愛にすっかり嵌ってしまっていた。

 (なんと言う、素晴らしい愛…。)

 互いが、互いに遠慮して決して口には出さないが、何度も死の淵に立たされ、互いを庇い合い、その愛は至高の物に昇華して行く…。

 (ああ…『尊い』…。これが『尊い』と云う事なのね…)

 レオディアーナは、机に突っ伏して身悶えていた。

 思えば、幼い頃から勉強勉強で、将来の結婚相手も決まっており、大きく心揺さぶられる事も無かった これまで。

 こんなにも激しい想いがあるとは知らずに生きてきた。

 

 (成程。先生が 『それ以外の事』を学べと云う訳だわ…まだまだ私は世の中を知らないわ)

一人でウンウンと納得しながら、レオディアーナは、自身の息が荒ぶっている事にも気づかず、ハアハア言いながら 先の物語を読み始めた。

 侍女のミントは、そんなレオディアーナの姿を心配そうに見ている事しか出来なかった。


 ◇◇◇◇◇

「レオディアーナ、時間が取れなくて済まないね。」

 午後の穏やかな日差しの中、王子達が暮らす王子宮のテラスで、レオディアーナとオスカーはお茶を楽しんでいた。

 予定では四日前に行う筈だった 恒例の王子と婚約者のお茶会は、オスカーの申し出により延期されていたのだ。

「いいえ、オスカー様は最近お忙しそうですわね。私の事はお気にならさず。」

 事実、後期王妃教育を取り上げられたレオディアーナは時間が有り余っており、オスカーの予定に何時でも合わせる事が出来た。しかし、オスカーはまた難しい顔をして謝罪を述べた。

「君とのお茶会は恒例であり、既に決められた予定であるにも拘わらず、それに応えられなかったのは私の落ち度だ。でも言い訳をさせて貰えるなら、確かにここ最近の忙しさは異常だ。」

 ため息を吐くオスカーに、レオディアーナは 帝王学を学ぶのに大変なのかな、と小首を傾げてみせた。

「私は君ほど優秀では無いからね、まだまだ学ぶ事は多いが、君は後期王妃教育まで進んで居るんだろう?」

 片目を眇めてオスカーが問う。知っていて聞いて居るのだろう。

「いいえ、今は。正式に婚約式を行ってから、再開させて頂く予定ですわ。」

「それは誰に言われたんだ?」

 案の定、後期王妃教育をして居ない事を驚きもせず、続けて問い掛けてきた。眼光が鋭い。

「家庭教師の方から言われました。その方は 陛下がそう指示なさったと…」

「陛下、ね。」

 考え込んでしまったオスカーに、レオディアーナも不安な心地になる。しかし、ふっと息をついて顔をあげたオスカーはいつもの魅力的な微笑みを浮かべていた。

「まあ、確かにね。本来なら婚約式を終えて、より王家の人間になったと確信が無ければ 教えられない内容の物だ。言っている事は間違ってはいないよ。

 ただ、前倒しで学ぶのに許可を出したのも、陛下だ。タイミングと云い、これは少し調べてみる必要があるかな?」

 陛下を探る と言ったとも捉えかねない発言に、オスカーの傍に控えていた侍従が、僅かにオスカーに身を寄せる。

 声を掛けるのはこの場では不敬にあたるが、主人を心配しての行為だろう。いくら王子宮のテラスと言えど、誰がどんな思惑で聞き耳を立てているのか分からないのだから。

 今までで有れば、特に何も思わなかったでしょう。オスカー様は良い侍従に恵まれたわね、くらいは思ったかも知れない。しかし、そんな二人のやり取りを、私は熱く滾る想いで見つめてしまうわ!

 だって、身分差があるラブストーリーって一番人気があるもの!そもそも、男同士と云うだけで、世間からは迫害され、『愛している』の一言すら口に出来ないのよ。それでも身を捧げ、盾となろうとする侍従。しかし、主も強い執着心を持っている、何故なら彼を侍従に決めたのは、他でもない主であり……

 レオディアーナが頭の中で妄想ストーリーを練り上げて居ると、オスカーが怪訝な顔をした。

「レオディアーナ? 気分でも悪いのか?」

 いつも微笑みをたたえているレオディアーナが、真顔になっているのを心配しての事だった。不安を感じていると考えたのだろう。

「大丈夫だ、周りの事は私に任せておけばいい。君は、何も心配はいらないよ。何かあれは何時でも私に言ってくれ。」

「オスカー様…」

 妄想ストーリーから現実に戻されて レオディアーナはハッとした。

「ありがとうございます。でも私もいずれ王家の人間になる身。指示があれば何なりと。」

「そう言ってくれて、嬉しいよ。でも、危険な事は絶対にしないでくれ。時間があるからと言って市井に降りたり、とかね。」

 ニッコリと微笑まれて、レオディアーナは絶句した。何処まで把握されているのだろう。しかし、シラを切り通す事にして、勿論ですわ と頷いた。


 オスカー様は最近忙しいと言っていた。帝王学で忙しいのかと思っていたけど、これはそうでは無いわね。きっと『聖女を妃にして王になろう』派閥が策をこうじているに違いないわ。そもそも、聖女はどう思っているのかしら?一度、教会に行ってみましょう。

 オスカーに、暗に何もするな と言われたにも拘わらず、レオディアーナは張り切って計画を練り始めた。


 

 

 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ