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瑠璃色 1

 彼女が教室に入った瞬間、転校生の噂で騒がしかった教室が静寂に包まれた。


 どこにでもある濃紺のブレザーの制服、しかしそれを彼女が纏うと、格式あるお嬢様学校の物のようであった。


「イギリスの学校からウチに転向して来た”ローレル・アボット”さんだ。アボットさん、自己紹介して?」


「はい、イングランドのカンタペリーという所から参りマシタ、ローレル・アボットと申しマス。私の事はローレルとお呼びください。突然の転入でお騒がせしマスが、どうぞよろしくお願いしマス」


 淀みなく挨拶をして、ペコリとお辞儀をするローレル。


 それに先生が拍手をすると、クラスメイトもつられて大きな拍手を返した。


「この通り、日本語はペラペラだからコミュニケーションは問題無いだろう。というか、古江(ふるえ)よりも日本語美味いんじゃないか?」


「ちょっ! まてよぉ先生! 本当の事でも先生が言ったら問題だよぉ!?」


 お調子者の古江がわざとらしいテンションでリアクションをすると、教室内が笑いに包まれる。


「じゃあ、アボットさんは窓際の一番奥の席へ」


 先生がその席を指さすと、ローレルが先生に一礼して私の方へトコトコと歩いて来る。


 ……たまたまだとは思うが、その席は私の真後ろである。


「宜しくお願いしマス」


「よ、よろしくお願いしマス」


 隣の女子に挨拶をしたローレルに、挨拶を返す彼女の方も片言になっている。


「宜しくお願いしマス」


「うん、よろしくね」


 ローレルが私にも挨拶をして来たので、取り敢えず微笑みながらそう返しておいた。


「前の席の己斐(こい)が学級委員だから、分からない事があったら己斐に聞くといい。まあ、既に知ってるかもしれないが」


 ちなみに、私が学級委員なのは立候補したわけでは無く、周りのお前以外無いだろうと言う同調圧力のせいである。


 まあ、仕事自体は大したものでは無いので別にいいんだが、だからといって納得はしていない。


「じゃあホームルームは以上、みんなアボットさんと仲良くするんだぞ? 特に男子ども、変なちょっかい出して困らせるなよ?」


「約束できませーん!」


 またお調子者が何かを言っているが、古江はその内、本当に調子に乗るので、そろそろ先生は彼を起点に雰囲気を作ろうとするのをやめた方がいいだろう。


――――――――


――――――――


「髪キレー!」


「顔小さーい!」


「どうやって日本語覚えたのー?」


 私の席の後ろに人だかりが出来て、なんとも()()()()()事になっている。


 私は机を、休憩中の今は空席になっている前の席のギリギリまで出して後ろにスペースを確保しつつ、本を読むふりをしている。


 本当は別の事をしたいのだが、あまりに後ろが気になり過ぎて全く集中できない。


 クラス内のほぼ全部の女子がローレルに殺到する中、男子たちはチラチラとその様子を遠目に眺めていた。


「えー! ()()()()の家に居候してるの」


 あっ!


 言ったなコイツ……!?


 ……まあ、どうせ後々バレる事だし、変に隠してる方が編ではあるか。


「アヤメ、ヤーメンて呼ばれてるんデスか? 何で?」


「あれじゃなかった? 小学生の時に、給食のラーメンの残りを男子と取り合ってそんな感じになったとかそんなん?」


 ちげえよっ!


「取り合ったと言うか、ヤーメンがジャンケンで勝ったのに男子の方がゴネて、最終的に先生がなんか男子の方の見方をしてヤーメンがキレたとかじゃなかったっけ?」


 私が言わずとも、オナ小の女子たちが私の代わりに解説をしてくれる。


 その時の私は冷静に抗議をしただけなのだが、普段は物分かりのいい私がそんな事をしたのが珍しかったのか、男子がそう言って私を揶揄し始めたのが始まりである。


 しかし、あの汁に生めんを漬けるだけの、あの給食のラーメンは今でも好きなのだが、でもあれって給食以外で普通に食おうとは思わないよな……。


「へー。何でかなーとは思ってたけど、由来は初めて知ったわ」


「つかエグくない? この美女二人と同じ屋根の下で暮らしてる弟君、ウチなら絶対、しんぼうたまらんわ!」


「えー!? ヤーメンて弟居るの!? どんな顔どんな顔!?」


 マズい。


 ここにきて私の個人情報がダダ漏れになってきている!


 キーンコーンカーンコーン!


 そんな時、救いのチャイムが教室内に鳴り響く。


「わー! 本当にビッグベンの鐘の音だー!」


 そんな事を、無邪気を装ったローレルが言うと、周りの女子たちは何だ何だとそれに着いて尋ねている。


「何をしているの! チャイムが鳴ってるでしょう!?」


「やっべ、二時間目国語だった……」


「あの先生、怖いから要注意ね?」


 そう囁きながら、自分の席へと駆け戻って行くご学友たち。


 ……こんなのが最低でも一週間は続くのか。


 いや、ローレルのコミュ力なら一生こんな感じもあり得る。


「ええと、アボットさんは隣の人と机をくっつけて教えてもらって」


「うぇえ!? は、はいぃ……」


「お願いしマスー!」


 隣の人も、これから暫く大変だろうな……。


――――――――


――――――――


 疲れた……。


 私は帰りの自転車をこぎながら、後ろをついて来るローレルに目をやる。


 それに気づいたローレルが、私ににっこりと微笑んで来る。


 彼女なら、そのダッセぇヘルメット姿すらも絵になるのだから、本当に人種とは残酷な物である。


「今日の晩御飯は何ですかねぇ?」


 彼女は呑気にベタな事を言っているが、クラスの女子にあれだけ付きまとわれて疲れていないのだろうか?


「久しぶりの学校とやらはどうだったんだ?」


「やっぱり外国人が少ない地域だとみんな興味津々ですねぇ。今日は一日、トイレにも行けませんでしたよ」


「まさか一日中我慢してたのか? 膀胱炎になるぞ?」


「だって、あの感じ絶対つれションの流れになるじゃないですか、あの人数は流石に恥ずかしいですよ! それに、私の膀胱は宇宙なので大丈夫です」


 そういやウチに来た初日も、なんか我慢してたよな。


「てか、神様でもトイレ行くんだな」


「そりゃあ食べるもの食べたら出ますよ。ウンチもおしっこも」


「言わんでいい言わんで……」


「あー……意識したら我慢できるか不安になって来たぁ……」


 えらく狭い宇宙だ事で。


「公園のトイレ寄って行く? ……めっちゃ汚ねぇけど」


「ぜひっ!」


 即答!


 しかも、ちゃんと切羽詰まっている感じだ!


 私達は通学路を少しだけ外れ、寂れた公園を目指す。


 そこはたまに老人たちがゲートボールをしているくらいで、普段は殆ど人気が無い。


 私もここには久しぶりに来たが、やはり公園には人気が無く、汚ねぇトイレと、誰が手入れしているのか分からない藤棚つきのベンチがあるだけだった。


 私達は自転車ごと公園に乗り入れると、トイレの前に自転車を止める。


「おしっこー!」


「はしたないから止めなさい」


「聖水がこぼれる―!」


 ローレルは慌ただしくトイレに駆け込んで乱暴にドアを閉めると、すぐに今回も外まで音を響かせて尿意を開放し始めた。


 海外はあまりそう言う音を気にしないとは言うが、これは流石に酷くないだろうか?


 なんかこっちが恥ずかしくなって来たので、私はそこから離れ、ふらりとベンチの方を目指す。


 !?


 私がそちらに近付いて行くと、入って来た時は気づかなかったが、一番奥のベンチに人影を発見した。


 まさか人がいるとは思わなかったので、私は大いに驚いた。


 向こうも私が近づいたのを感じ取り、ゆっくりと顔を上げてこちらを見て来る。


 私は咄嗟に目を逸らして、何事も無かったように一番離れたベンチに腰掛ける。


 しかし、何やら向こうからの視線を感じる。


 どうやら女の子のようだったが、こんな所に一人で座っている女の子に、ロクな人間は居ないと思う。


「……猫猫殿?」


 突然、その名前を呼ばれて、私は驚いて女の子の方を見る。


「……スイ……さん?」


「猫猫殿!!」


 瞬間的に彼女の顔が明るくなり、しかしその次の瞬間には、どういう感情なのか分からない複雑な表情をする。


 髪の色や髪型が違うので一瞬分からなかったが、その顔は明らかにスイクンのものだった。


 しかし……。


「こんな所で会うとは奇遇でゴザルな」


 彼女はスイクンで間違いないと思うのだが、化粧が無いせいか妙に顔色が悪いように見えるし、何というか、着ている服は学校の制服なのだろうが、言葉を選ばなければ、とてもみすぼらしく見えた。


「ああ、本当にビックリした。もしかしてこの辺に住んでるの?」


 実際、リアルで鉢合わせる可能性は考えていたが、こんなに早く、しかもこんな場所で会う事になるとは思いもしなかった。


 私はこの辺に住んでいるのかと聞いては見たが、彼女の制服は多分、この近辺の物では無い。


「拙者はM中学校でゴザル。猫猫殿はI中なのでゴザルか?」


「M中? 完全に真逆じゃないか? 何でこんな所に?」


 言っている間に気づいたが、彼女の奥にはスクラップかと思うようなサビサビの自転車が置いてあるのが見えた。


「ヤーメンさーん! ちょっと来てくださーい!」


 彼女から答えを聞く前に、トイレの中から私を呼ぶ叫び声が聞こえて来た。


「スイさんちょっと待ってて」


 私はスイクンにそう言って、急いでトイレの方へ駆ける。


「紙が無いですー!」


 神なのに紙が無いとはこれいかに?

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