みかん色の塊2
私達はそそくさとその場を後にして、元の階段の位置まで戻って来ていた。
「念のため、ここからは声のトーンを落としてくれ」
オレンジが私達に声をかけて、慎重に階段を登って行く。
私もそれに続こうとすると、右の袖辺りに何かの抵抗を感じた。
「? どうしたんだ?」
そこでは、黄色が相変わらずもじもじしながら私のそれを引っ張って来ていた。
「……? えっと……」
彼女が何も言わないので、私は困って彼女の様子を観察していた。
すると、私はあることに気づく。
「どうしたでゴザルか?」
一向に進もうとしない私達に、スイクンが不思議そうに声をかけて来る。
「もしかして……トイレ行きたいとか?」
私がそう問いかけると、黄色が顔を伏せながらコクコクと頷く。
えぇ……。
「マジでゴザルか? ここってトイレとか使えるんでゴザル?」
従業員が居るのだからそれ用のトイレはどこかにあるのだろうが、このビルの設備がどこまで生きているのかは正直分からない。
「ん? どうした? 早く着いてこないか」
振り返ったオレンジが不審に思って、そう私達に言う。
「あの……黄……サンさんがお手洗いに行きたいって……」
「何だって? 家を出る前に行ってこなかったのか?」
「バタバタ飛び出して来たから、確かに拙者も行く余裕は無かったでゴザルな……」
この様子だと、彼女も私たちと同様に急いで家を出て来たのだろうか。
「流石にここでするのはマズいな……霊の姿を確認したら急いで下まで降りよう。それまで我慢できるか?」
オレンジから黄色に声をかけるが、彼女はやはりうんともすんとも言わない。
まるでバスの中でトイレに行きたくなった幼稚園児のようだ。
「サンさん? もう中学生だから、あと数分ぐらい我慢できるよね?」
私が声をかけると、もじもじしながらも彼女は一度だけ頷く。
そう言えば私は勝手に黄色を中学生だと思っていたが、その認識は正しいのか怪しくなってくる。
「大丈夫だそうです」
「お、おう。そうか」
その返事を待って、私はサンさんのてを引く。
「猫猫殿はサン殿に懐かれているでゴザルな! 拙者も早くサン殿と仲良くなりたいでゴザル!」
願わくは、黄色には早くまともなコミュニケーションが取れるまで心を開いてほしいものである。
しかし不幸中の幸いとして、このゴザルがコミュ力自体は高そうなところだろう。
私達はゆっくりと階段を登り、ついに件のフロアへと到着する。
先頭のオレンジが先を確認して、私達を招き入れる。
すると途端に、私はものすごい寒気に襲われた。
「何だ? ここは妙に幽霊が少ないな?」
「な、なんかちょっと寒気がするでゴザル」
私も周囲を確認した所、確かに霊の数が他の階に比べて明らかに少ない事が見て取れた。
「あの霊が吸収でもしたんじゃね?」
「確かに、その可能性は大いにあるな」
彼女達の口ぶり的に、霊が他の霊を取り込むと言う事はあり得るらしい。
「正直、やめといた方がいいと思うにゃ?」
「同感ホエー」
「オレサマも右に同じ」
ついにずっと黙っていたライオンにまでそう言われているが、彼女の表情が口にするまでも無くそれを物語っていた。
「ここまで来てそれは無いだろう? 大丈夫、あたしはこれでもベテラン魔法少女だから、こういう場面には慣れている。とりあえず姿だけでも確認するぞ」
ベテラン魔法少女はもうやっぱり少女では無いのではないだろうか。
しかし、さっきスキャンのくだりで、そんな事あるのかとか言っていたような気がするんだが、その根拠の無い自信はどこから湧いて来るのだろうか。
こんな事になるならあそこで私が気配の事を言わなければ良かったのだが、もうそれは結果論である。
「おお、なるほどなるほど。私も気配を感じるぞ」
オレンジは元気だが、それから後ろの四人は一様に優れない表情をしている。
「……ねえかがみん? 使い魔がここまで言うって初めてじゃない? あとなんかあーし……気分悪くなってきたんだけど」
「じゃあオマエは彼女達とそこで待っていてくれ。あたしが一人で見て来るから」
そのオレンジの声は少しイラついているように感じる。
もしかしたら、またアクマちゃんがサボろうとしていると思っているのかもしれない。
だた、彼女はオレンジの言う通りにここで待つ様子は無く、私達もぞろぞろとフロアを先に進んで行く。
「……あれか…………」
ある曲がり角で、オレンジがそこから顔を出して先を確認して呟く。
何の躊躇も無く覗いていたが、やはりなんだか迂闊な行動のように思う。
「何だ。デカイだけで全然普通の幽霊じゃ無いか」
そう言いながらそのまま普通に体を出そうとするので、彼女の使い魔のミカンが慌ててそれを止めていた。
「何故止めるんだい? 使い魔は私達の行動を制限する事はしないんじゃなかったのか?」
「かがみんどうしたんだい? いつにもましてやる気が過ぎるんだい」
その使い魔が言う事が正しいのなら、やはり彼女は少し空回りをしている様だ。
私はあまり気が進まなかったが、怖いもの見たさなのかどうしてもそれが気になり、その曲がり角の先をそっと確認する。
「な? 大丈夫だろう? 普通の霊だよ」
オレンジが私にそう尋ねるが、確かに見た目だけならあまり危険なようには見えないかもしれない。
そこにいる霊は白とも黒とも取れるような、ともすれば灰のような青白い印象を受けた。
人の形のように見えるが、形ははっきりと定まってはおらず、広めの通路の真ん中で、ずんぐりと視線を床に落としていた。
しかし、目に当たる部分はぽっかりと黒く抜け落ちたようなになっており、私が床を見ていると思ったのはそんな気がしたからにすぎない。
「拙者には、逆にマズそうな感じに見えるでゴザルが……」
私達の下に潜り込むような形で覗きながら、スイクンもそう呟く。
その姿こそ、先ほどの黒い霊と比べて静かで穏やかなような姿に見えるが、私の第六感がアレはマズいものだとビンビンと伝えて来る。
「キミ達は心配性だな。ベテランのあたしが大丈夫だと言ったら大丈夫んなんだよ」
オレンジはそう言いながら堂々とその幽霊に姿をさらす。
やはり、何か少しイラついているような気がする。
「アクマちゃん。やるぞ」
「は? 確認するだけって言ってたじゃん?」
「いいから来るんだ。あれならわたしでも余裕で対処が出来る」
そう言われたアクマちゃんが、渋々彼女の元へ歩いて行く。
「この際もう止めないんだい。でも必ず”鉄壁”だけは使ってほしいんだい」
彼女を止めることを諦めたおそなえが、小声でそう伝える。
「サン。もし何かあったらオマエも”アイアン・ウォール”のスキルを使うガウ。オマエの魔力なら、あの霊がどんな霊でもある程度は耐えられるはずガウ」
「猫猫もスイもすぐに逃げるにゃ。絶対にふり向かずに一直線に階段を降りるにゃ」
もう既に、逃げることが確定事項になりつつある中、オレンジはじりじりと幽霊に近づいて行く。
「よしやるぞ。アクマちゃん頼む」
「……正気かよ」
アクマちゃんはオレンジとは少し距離を取った位置で、すごく嫌そうにセンスを彼女に向ける。
「……『”アクセラレーション”』」
アクマちゃんががスキル名を呟くと、オレンジの体がキラキラと輝く。
しかし……。
「!?」
そのスキルに反応したように、幽霊の体? が、ゆらゆらと波打つ。
それを見たアクマちゃんが、いっぽ後ずさる。
「まずいな……気づかれたか?」
しばらく静かにその様子を観察していると、霊はやがて最初のような静かな状態に戻る。
「……もう少しバフ掛けをしてほしかったが、あまり悠長にはしてられないな」
「あーしもういい? 戻っても……」
「心配するな。あれを処理して、明日の夜明けをみんなで一緒に見よう!」
オレンジはまたフラグなようなことを言って、持っているステッキをビシッと幽霊に突き付ける。
「『”アイアン・ウォール”』!!」
ガシーイィンッ!!
オレンジが叫ぶと、彼女の周りが先ほどよりも眩くギラギラと輝く。
そして、やはりそれに反応しているのか、幽霊の体もゆっくりと波打ち始める。
「行くぞ!! 『”シールドチャージ”』!!」
そんなに叫ばなくていいだろうと言う大声でオレンジは気合を入れて、そのまま幽霊に突っ込んで行った。
……何かあったらすぐに逃げる何かあったらすぐに逃げる何か――。
ぐしょんっ!
私が頭の中でそれを反復する中、もっさりした音と共にオレンジの突進が幽霊にめり込んで止まる。
「!?」
一体どうなっているのかは分からないが、とりあえずオレンジは無事……。
しかし、幽霊も全くダメージを受けていないように見えた。
「……あれ?」
しばらくして、オレンジが幽霊に右手を突っ込んだままジタバタし始めた。
「え? かがみん何やってんの?」
「ステッキが……ステッキが抜けない」
どうやら幽霊にめり込んだステッキを引き抜くことが出来ないようだ。
「かがみんっ!! ステッキはいいからすぐに手を離して逃げるんだいっ!!」
「……!? クソッ! 『”ホーリーライト”』!!」
ピカーッ!!
オレンジの右手が激しく明滅する。
――ぎょろぎょろぎょろ。
幽霊の大きな目が突然真っ赤に光ってギョロギョロと蠢いた。
――そして、その大きな目が真っ直ぐとオレンジを見下ろす。
「……あへ?」
ごぼごぼごぼっ!!
幽霊がひと際大きく波打つと、急激に体が膨張してオレンジの首から下を一瞬で飲み込んだ。
「へあぁあ!? あっあっああぁあ!!」
「ちょっ!? かがみん!!」
「ほぉお『”ホーリーライト”』ぉお!??」
パアァアンッ!!
「きゃあっ!!」
ゴッ!
幽霊の体が白く光ったかと思うと、大きな風船の割れるような大きな音がして、何かがこちらにゴロゴロと飛んできた。
私は反射的にそこから身を引いた。
「ぺっぺっ!! なになになにコレ!!」
何かをひっかぶったと思われるアクマちゃんが、必死地で自分の顔を手で拭っている。
拭っている……が……。
「うひっ!?」
私はアクマちゃんの足元に転がった丸い物の正体に気づき、思わず小さい悲鳴を上げる。
「……にげるにゃ」
私はあまりのショックに、そのテルみんの声が右耳から左耳に抜けていた。
ぼとぼとぼとぼと……。
不審な音が幽霊の方から聞こえ、自分の目が吸い寄せられるようにそちらを向く。
幽霊の体(?)から、何かが地面にボタボタと落ちていた。
「うえぇ何これ臭いぃ……かがみん?」
アクマちゃんもようやく顔を上げて音のする方に目を向ける。
「……は? かがみん?」
どちゃどちゃどちゃ。
粘着質な音が通路に反響する。
幽霊の下には、どろどろとした赤黒い物質が小山を作っていた。
…………。
「…………え」
「……は?」
アクマちゃんが一歩後ずさる。
ごりっ。
「!? うはっ……!?」
そして、彼女は足元に落ちていたものにつまずいて尻もちをついた。
「っ痛ぁ……何? こ――」
そこにあったものと目が合ったらしいアクマちゃんがフリーズする。
そして次の瞬間、彼女は千切れんばかりに目を見開いた。
「きゃあああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」
「ぎゃああああああああ!!!!!!」
「ひいいいいいいいいいいい!!!!!!」
全員スイッチが入った様に悲鳴を上げ、硬直していたからだが飛び跳ねる!!
「逃げるにゃぁあ!!」
「うあああああああああ!!!!!!」
それが合図になった様に、全員が一目散に出口の方に振り返る。
……ただ一名を除いて。
「!? アクマちゃん!! 立ってぇ!!!!」
「きゃあああああああああああああ!!!!!! きゃああああああああああああああ!!!!!!」
私は彼女を大声で呼ぶが、アクマちゃんは顔を覆って叫び続けている。
私の背後では駆け出していく二人の足音が聞こえる。
「……くそっ!!」
私は彼女に駆け寄ると、その足元の物を出来るだけ見ないようにしながら彼女の手を思い切り引っ張る。
「うおぉお!?!?」
「ひゃぁあああ!!!!」
すると、私が思うよりもはるかに強い力で彼女が引っ張られ、体がアクマちゃんといっしょに後ろに吹っ飛んでしまう。
しかしラッキーな事に、丁度いい具合に私達がオレンジの事を覗いていた曲がり角の所まで飛んできた。
私は急いでアクマちゃんの口を手で塞ぐ。
ゾワゾワゾワ……。
物凄い殺気が角の向こうから、こっちに向かって来る!
「『”ハイディング”』!!」
私は祈りを込めてその言葉を叫ぶ。
それが発動しなければ私達はオレンジと同じ運命をたどるだろう。
仮に発動したとしても、それがあの霊に効果がある保証はない。
頼む頼む頼む!!
バレるなバレるなバレるな!!
私は目を閉じて祈る。
神様一生のお願いです。
どうか私を助けて下さい。
こんな所で死にたくない死にたくない!
私にはやらないといけない事がいっぱいあるんだ!!
お兄ちゃんお父さん!!
助けてっ!!
…………!!
その願いが通じたのか、邪悪な気配が背後を通り過ぎる気配を感じた。
……ふぉお。
許されたああぁぁああああああ!!!!
バカァアーーーーーーンッ!!
!?!?
しかし安心したのもつかの間、フロアに金属的な大きな音が響いた!




