みかん色の塊(かい)1
やはり、私は勘違いをしていたようだ。
「ボソボソボソボソボソボソボソボソ……」
前方にいる幽霊が何かをしきりに呟いているが、その内容までは聞き取れない。
というか、それが言葉なのかも分からなかった。
「いいか、絶対に目を合わせるなよ? 逆にそれさえしなければ、少々の物音程度では、相手は私達を認識できないから」
私は言われた通り、霊を直視するのではなく目の端でそれを捕えるようにする。
その幽霊の姿は先ほどまでの物と全く異なり、何か黒い泥の様なものを纏った人型をしていた。
そして目だけが真っ赤に輝いており、ずっと床と壁の境をじっと見つめている。
先ほどまで全く感じて居なかった恐怖感が、それからはひしひしと感じられた。
「典型的な地縛霊だな。あれは基本あの場所から動かないが、さっき”スキャン”をしてしまったから、もしかしたら警戒されているかもしれない。少し間をおいてから一気に行こう」
オレンジはアクマちゃんに話しかけているようだが、聞いているのかいないのか、アクマちゃんはスマホから目を離そうとしない。
そういえばスマホで他の魔法少女に連絡とか言っていたような気がするが、魔法少女用のSNSのようなものでも存在するのだろうか。
スイクンは私の隣で、私と同じように幽霊の様子を観察しているようだった。
そして黄色はと言うと、相変わらず私の後ろでモジモジしていた。
「よし、そろそろ行くぞアクマちゃん。いつもの感じで頼む」
「いつものって、二人しかいないけど?」
もし仮に彼女達がポカをして、私の身に危険が迫った場合はどうすればいいだろうか?
幸か不幸か私には逃亡に役立つスキルが複数存在する。
しかし、その効果がどの程度の物なのかが分からない以上、結局は博打になってしまうだろう。
……いや待てよ?
こういう場面では”ハイディング”のスキルを先に使っておいていいのではないだろうか?
「『”アクセラレーション”』」
アクマちゃんが気だるそうにそう口にすると、オレンジの人の周囲がキラキラと輝く。
彼女達に”ハイディング”を使っていいかを確認する前に、どうやら戦闘が始まってしまったようだ。
「行くぞ! 『”シールドチャージ”』!!」
オレンジが前方にステッキを差し出すと、そこに光の壁が展開される。
そのまま彼女はスタンディングスタートのような体勢を取ると、その光の壁と共に幽霊へと突っ込んで行った。
バシュンッ!!
彼女が体当たりすると、幽霊は泥の様なものをまき散らしながら大きく体勢を崩す。
「くっ! やはりあたしの攻撃力では一撃じゃあ仕留めきれないか……」
よろめいた幽霊の目が、じろりとオレンジの人に向く。
自分では無いのに、私は背筋に冷たい物を感じた。
「『”ホーリー・ライト”!!』」
オレンジのステッキが光り幽霊が怯み、そのまま彼女は霊と距離を取る。
「アクマちゃん! もう一回だ!」
「『”アクセラレーション”』」
アクマちゃんがもう一度、同じスキルを使う。
手に持っているものがいつの間にかスマホからセンスのような物に変わっているが、あれが彼女の武器のようだ。
「行くぞ! 『”シールドチャージ”』!!」
再びオレンジが幽霊に突っ込む。
そうしてぶち当たった幽霊は、今度は千切れるようにいくつかの破片に分かれて地面に落ちる。
「よしっ! トドメだ!! 『”ホーリーライト”』!!」
オレンジがステッキを振り上げて、主張するように幽霊の残骸に対してスキルを浴びせる。
すると、それを浴びた幽霊はすぐに霧散して消えてしまった。
「ふう……終わってしまえば全然危なげなかったな」
息を吐きながら、また一仕事終えた彼女がゆっくりとこちらに戻って来る。
「”アイアンウォール”使えば一撃でいけたんじゃん?」
「”アイアンウォール”は魔力消費量が多いからな。下手に使うとこの後何かあった時に魔力が足りなくなるかもしれないと思ったから使わなかったんだ」
声をかけて来たアクマちゃんに、オレンジがそう言って説明する。
先程のスキルやそれを聞くに、どうやらオレンジの彼女はタンクのようである。
という事は、黄色っぽいカラーの人はタンクで、サポートは紫という認識でいいのだろうか。
「じゃあ、もう少し霊の討伐の練習をしようか。今日はそれでお開きとしよう」
オレンジがそう私達に伝えて来るが、私には一つ気になる事があった。
「あの……なんか上の方からヤバそうな気配がして来るんですが……」
てっきりさっきの幽霊の物かと思っていたのだが、先ほど感じた寒気の様なものが全く消えないのだ。
「マジか……アクマちゃん、また頼む」
「はいはい。『”スキャン”』スキャン」
アクマちゃんはナメた態度で上に向けて”スキャン”のスキルを放つ。
でもそのスキル、便利そうだな。
「………………??」
そうしてアクマちゃんはしばらく上を見上げていた後、不思議そうに首を傾げる。
「どうしたアクマちゃん? 何も引っかからなかったのなら、スキャンの方向が間違っている可能性もあるから念のため――」
「いや、引っかかってはいるんだけど、霊のレベルが分からないんだよね」
オレンジが言い切る前に、アクマちゃんが回答を返した。
「? どういう事だ? そんな事あるのか?」
「……うーん、バキバキに当たってるんだけど……それだと初めてかも?」
「スキャンにレベルが表示されない場合は、その幽霊の姿が定まっていないかそう言う特性を持ってる可能性があるっキー! それか、霊の霊力が強すぎてスキルが押し返されてる可能性もあるキー!」
「え? 最後のは初耳なんだけど……?」
「”スキャン”と言う魔法は便利だけど得られる情報も少ないし、あんまり強力な魔法じゃないキー! 何にせよ、君子危うきに近寄らずだっキー! 今日は安全に下のフロアでスキルの練習でもすることを提案するキー!」
「……じゃあなおさら姿だけでも確認して置いた方がいいんじゃないか? 放置して手が付けられなくなったら困るだろう?」
「おすすめしないんだい。そもそも今日は幽霊の浄化が目的じゃないんだい」
オレンジ以外はそれに消極的のようだが、彼女は腰に手を当ててどうするかを悩んでいるようだった。
「ちょっと思ったんだが、使い魔が行って確認してくるとかは出来ないのか?」
私がそう言うと、全員の視線がこちらに向いて少しびっくりしてしまう。
なんか変な事を行ってしまっただろうか?
「実は、ボクたちは担当の魔法少女の魔力を使って活動してるんだにゃ。壁の向こう側を確認するくらいなら可能だけど、距離が離れるとちょっと無理にゃ」
「は? それも初耳なんだけど?」
アクマちゃんがそう言ってテルみんを睨んでいるが、この先輩達、明らかに魔法少女歴一年とかじゃないはずだよな?
大丈夫なのかこんなので?
「……しかし、やっぱこのままにしておくのは何か気持ちが悪いな。やっぱり一応、行って確認しておこう」
「え? ちょっとやめとこうよ……コイツもこうゆってるし」
私も、もちろんアクマちゃんと同意見である。
「少し行って見るだけだ。大丈夫だよ」
フラグになりそうな言葉を吐くオレンジ先輩。
「止めたほうがいいと思うけどにゃぁ……」
「かがみんはあんまり周りが言うと逆にそれが気になるタイプだから、あんまりしつこく引き留めるのは逆効果だキー!」
しかも逆張り女かよ……。
「オマエはいつもそう言うが、全くそんな事は無い。これはしっかりと考えた上での判断だ」
すでに彼女の意思は固いようで、誰が何を言っても考えを変える気配はない。
まあ、初心者の私達にはそもそも、口を出す権利など無いのだが……。
オレンジ以外が全会一致で反対の中、彼女はすでに上階を目指して歩き出してしまっている。
私は仕方なく、それに着いて行く。
……これは、余計な事を言ってしまったな。
とりあえず、しばらく何事もないまま注意深く階段を登っていく。
その途中で、先頭のオレンジが私の後ろを見ながら口を開いた。
「この上で間違いないんだな?」
「うん……多分」
それに返事したアクマちゃんの声が後ろから聞こえる。
階段を上るたびに、その幽霊の物と思われる気配がどんどんと増していく。
オレンジの人が先頭を歩く中、なぜか私が二番目を行っている。
隣には、なおも私の服を引っ張りながらついて来る黄色と、後ろはスイクン、アクマちゃんが続く。
「……? 待て、何か聞こえる」
先頭のオレンジが、そう口にして立ち止まる。
私達も立ち止まって聞き耳を立ててみると確かに、また人の声の様なものが微かに聞こえた。
「……この階からか?」
「霊の反応はもう一つ上の階だったけど?」
私の感覚的にも、おそらくかがみんが言っている事が正しいと思われる。
「一応確認しておくか、不確定要素は排除しておくに越したことは無い」
「余計な事しない方がいいんじゃない?」
アクマちゃんの意見を無視して、オレンジはまた一人でテクテクと歩いて行ってしまう。
リーダーシップはあるのかもしれないが、私には彼女は少し迂闊なんじゃないかと思えて仕方がない。
「ボソボソボソボソボソボソボソボソ……」
「あっちだな」
幽霊の気配とは正反対からその声は聞こえて来ていた。
「”スキャン”しとく?」
「いや、ここまで近いと逆に霊を刺激してしまう可能性がある」
つまり、スキャンせずに直接確認しようと言っているのだろう。
「ボソボソ…………どうしよう……どうしよう」
声の方に歩いて行くにしたがって、先ほどとは違い明確な言葉が聞き取れるようになって来た。
声質的に、おそらく男性の物だと思われる。
「猫猫クン、何か感じるかい?」
「いいえ。今の所、特には……」
その言葉の通り、その進む方向からは大した霊の気配は感じられなかった。
というか、周囲には普通に幽霊が居るのだが、私もこの状況に慣れてきてしまっている。
はたしてそれが良い事なのかどうかは、今の私には分からない。
「……足りない……足りない……ボソボソ…………」
「足りない? 一体何が足りないと言うんだ」
どうやらその声は、この廊下の先から聞こえて来るようだった。
そこからは同時に、証明の光の様なものが漏れてきている。
……ん?
あれ、今まで全く気にしていなかったが、真っ暗なはずなのに今何で普通に目が見えてるんだ?
怖っ。
「……ああっ……やっぱり全然足りない……何で? 何でぇ……?」
廊下の先はどうやら広い空間となっている様で、光と声はそこから漏れてきている。
オレンジが壁から顔を覗かせて、それを確認する。
「……!! いるっ」
彼女はそう言って、小声で私達にその事を知らせてる来る。
そして何故か私に向けて、彼女は壁の先を私に確認するように指差して来る。
私は嫌々ながら、そっとそれを確認しようと顔を出した。
「……ん?」
そこには確かに人影があった。
それは作業着の様なものを身に着けて、一心不乱に板のような物の枚数を数えているようだった。
チラチラと見える彼の横画をは真っ青で、げっそりと痩せこけていた。
「……あんなにはっきりと霊が見えるって、かなりヤバイ霊なのでは?」
私は顔を戻して、オレンジに対して問いかけた。
「だよな……あたしが今まで見た中でもダントツではっきり見える」
「あれ普通に人間にゃ?」
「「えっ!?」」
私達は驚いて声を出してしまい、慌てて口を手で覆った。
「それって逆に大丈夫なのか?」
「ボクたちやキミたちには認識疎外の魔法がかかってるから、わざと声をかけたり目立つようなことをしなければ全然大丈夫にゃ」
なんとも都合のいい魔法だこと……。
私はそれを聞いて、改めて男性の様子を伺う。
「ううぅう……確かに……確かに発注したはずなのに……どうして……どうしてぇええ…………」
幽霊と言われても信じてしまいそうな虚ろな目をしながら、何度も何度もそのパネルと思われる物の数を数えている。
「内装さんに……内装さんにまたドヤされる……嫌だぁ……もう嫌だぁ……」
「拙者にはどうみても幽霊に見えるでゴザルが、本当に人間なんでゴザルか?」
「……あひゃ……うひゃひゃ……うぼあぁああんっ!!」
発狂してクネクネと気持ち悪い動きを始めた男性を見て、隣でスイクンが私の顔を覗いて来る。
「ある意味、幽霊よりも怖い物を見た気がする。……とりあえず、そっとして置こう」
そのオレンジの言葉に、黄色以外の全員が頷いた。
確かここの元請会社は業界最大手だったはずだ。
きっと彼もいい大学を出たのに、こんな事になってしまって大変気の毒に思う。
そのためにも、私はしっかり勉強して、将来職場選びも慎重に行おうと決心した。




